第7話(1/2):弓と宇宙
魔王と一言に言っても様々である。
それぞれの魔王にはそれぞれの弱点があり、また、それぞれの配下、それぞれの戦略がある。
回復魔法で逆にダメージを与えることができたり。
倒すためには聖なるアイテムを入手する必要があったり。
配下の四天王をすべて倒す必要があったり。
7つのオーブを集めたりする必要があったり。
性格もそれぞれに特徴がある。
配下から恐れられている魔王が居れば。
配下から厚い信頼を受けている魔王もおり。
家族に愛情を注ぐような家庭的な魔王も存在している。
異世界の勇者は魔王を討つため、その特徴を調査し、順々に攻略を進めていくことが王道である。
しかし、昨今の異世界転生は常識に縛られるようなものではなく、勇者は様々な戦略で魔王を倒すことができる。
神々の調査によれば、もはや魔王側が用意した四天王をすべて倒したり封印を解くためのアイテムをすべて揃えた勇者の方が少なくなってきており、それぞれの特徴的なチートとあわせて予想外の方法で魔王を倒す勇者が増えていると言う。
その世界の魔王は慎重だった。
12人の魔将軍に魔王城に続く関所の鍵をバラバラに配布し、配下の裏切りを常に警戒しつつ、真綿で首を絞めるように盤石な侵略計画を進めていた。
ところが彼は実は愛妻家である一面を持っており、週末には魔王城を出て妻と子と共に高原でキャンプを楽しむというとても良いお父さんのような性格を併せ持っていた。
「パパー! ハタモトバッタ捕まえたー!」
「ははは。魔物が困っているじゃないか。
逃がしてあげなさい」
「あなた、そろそろお米が炊けるわよ」
「おぉ。ではご飯にしよう。
お母さんの今日のカレーはどうかな?」
この時周りに配下の姿はない。
危険に思うかもしれないが、配下を信じていない彼にとってはむしろ安全。
周囲500kmの範囲は魔物の領土であり、国境は魔法結界で囲われている。
彼にしてみれば魔王城の最深部よりもこのキャンプの方が安心して過ごせる安らぎの時なのだ。
「わーい! ママのカレー楽し……」
無邪気に駆け寄ってきた息子の頭が、吹き飛ぶ。
一瞬何が起きたか理解できない魔王。
背後を振り返ると鍋をかき混ぜていた妻の頭も同じように吹き飛んだ。
「刺客か!? おのれよくも妻と子を!」
剣を引き抜き周囲を見渡す魔王。
だが目に届く範囲に敵の姿はない。
「透明化魔法か!?」
感知魔法を唱えかけた直後、自分の頭にも妻と子と同じように衝撃が走る。
だが流石は魔王と言うべきか。
一撃で命を落とすことはない。
揺れる脳を強引に動かし、片手で頭を抑え、突き刺さっていたものを強引に引き抜く。
「これは……矢だと?」
それは、何の変哲もない鉄の矢だった。
どうやら敵は弓兵らしい。
だが改めて周りを見ても敵の姿はなく、唱え直した感知魔法にも反応はない。
焦る魔王。
だが鉄の矢は一定間隔で彼の体を突き刺していく。
魔王がただの矢で倒されることはありえないとはいえ、それが数十本ともなると話は別だ。
体力が削られ、次第に魔王の意識が遠のいていく。
「ありえん……誰が……一体どこから……」
場所は遮蔽物のない高原。
体を伏せても容赦なく背中に矢を突き立てられる。
感知魔法の範囲を広げに広げても、最初に反応したのは20km彼方に居た伝令兵だった。
そもそも球体の世界において地平線までの距離は実は4kmしかなく、直感的な予想に反して狙撃が行える射程は物理的限界が短いのだ。
そんな中で矢が飛んでくる方向を改めて見て、魔王は震えた。
「まさか……あそこから撃ってきているのか……?」
直線距離にして600kmの彼方にそびえ立つのは標高4000mの山脈。
矢はその山頂方面から飛来していた。
既に魔王の体には武蔵坊弁慶のように矢が何十本も突き刺さっている。
弁慶と違った点は、魔王が最後には倒れてしまったことだった。
ここに世界を盤石に支配してきた魔王の意識は絶える。
だが、倒れ動かなくなった体に向けてもまだ狙撃が来る。
何本も、何本も、何本も、矢が突き刺さる。
それも当然だ。
狙撃手には600km離れた魔王が本当に死んだかどうかの確認を行う方法はないはずだから。
しかし狙撃手は用意した300本のすべてを撃つことなく、218本と中途半端な数を命中させたところで弓を置き、額の汗をぬぐった。
「誰かの幸せは、誰かの幸せを奪うことでしか成立しない。悲しいね」
転生時に弓術のスキルチートを受けた射手は、この世界で勇者と呼ばれることはなかった。
なんでもありの無法で敵を倒していく彼はこう呼ばれ伝説となった。
弓の蛮族ネクト、と。
サヴィーナ連邦、通称サ連。
世界最大の国土面積を持ちながらも、その大半は凍土で覆われた極寒の国。
かつては冬に凍らない港を求めて南下を試みた歴史を持つ国だったが、数年前に方針を転換した。
それが現代では信じられない鎖国政策だった。
まさに「港がないなら貿易の必要はない」とも言わんばかりの発想の逆転である。
だが、サ連が鎖国に至った本当の理由。
それは、西に連なる資本主義の国家、特に、海を挟んだマルティ合衆国の影響を遮断することにあった。
それを決意した現在の連邦最高書記長を務める若干7歳の天才少女リン・ホシノは側近にも深い理由を説明しなかった。
だが一言、彼女が言ったことは。
「現合衆国大統領、フランケン・ローズベストさん。
あの人は、怖いです」
ともあれ、この政策によってサ連は世界大戦の影響をまったく受けていない唯一の大国としての平和を維持していた。
そして連邦内では、西側の資本主義国家の科学者達が2つの派閥に分かれて対立する様を知ってか知らずか、魔法についてひとつの見解でまとまっていた。
それは、魔法を研究し、その研究成果すべてを余すことなく宇宙開発に注ぐという未来戦略だった。
厳密に言えば、サ連に現れた勇者に魔法の才能はない。
それでも、そのスキルはまさに魔法としか言いようがない超常の技だったのだ。
北の大地の雪と静寂。
そこに響く一瞬の風切り音と乾いた音。
矢は的の中央を問題なく射抜いていた。
だがネクトは首を振り、弓を隣で見ていた研究者に突き返す。
「ダメです。弦を張り替えてください」
「わかりました」
連邦の頭脳の頂点と呼ぶふさわしい研究者たちがこの極寒の弓道場に集まり、順々に射手ネクトに別々の弓を渡していく。
彼らが探しているのは理想的な弓の弦の素材とその張力のバランスだ。
だがここで観測を行い記録をつける者はいない。
必要ないからだ。
彼らは理解しているのだ。
どんな機械を用いたデータよりも、この異世界の弓術の天才の一言が正しいと。
欲しいのは正しいデータ。
故にデータを測定するのは、彼が頷いた時だけでいい。
「これもダメですが、少し良くなりました。
もう少し強く張ってください」
「やってみます」
データ上の理論値で言えば差はほぼゼロだった。
それでも、ネクトがそう言ったのだからそれは正しいのだ。
このネクトの言う「もう少し」というのもおそらくほぼ数値には出ないような差なのだろう。
改めて研究者達は弓を精密機械に乗せ、コンマ数ミリ以下で弦の張替え作業に挑む。
そんな作業を待っていたネクトは弓道場の窓から外を見て、何かに気付く。
「すみません、少し休憩を挟ませてください」
「わかりました」
ネクトに文句を言う者は誰もおらず、全員が改めてネクトがいなくても可能なデータの再確認作業を再開した。
一方のネクトは弓道場の扉を締め、しんしんと振る雪の中、真っ白な雪原を一人で歩いてきた純白のコートの少女を迎えた。
「リン。お仕事はいいのかい?」
「ネクトさん。はい。大丈夫です。
というか、雪の中よく気付きましたね」
「たまたま見えたから」
600km彼方の魔王の頭を的確に狙撃してみせた彼の超常的な視力は、弓術のスキルのうちのひとつだった。
「それで、研究はどうですか?」
「はい。みなさんよく頑張ってくれています。
数十年以内には必ず成果が出せるかと」
「それは、とても素晴らしいですね」
気付けば雪は止み空は晴れていた。
透き通った寒空はどこでも透き通る蒼。
だがリンは知っている。
自分とネクトでは、見ている景色が違うのだと。
「星は、見えますか?」
「はい。とても美しい天の川が」
合衆国の宇宙開発機関の二代目長官の名前がつけられた次世代宇宙望遠鏡ジョニー・レップ。
6年前に打ち上げられたばかりのその人類にとっての新たな「目」は現在、太陽と地球の間のラグランジュポイントから深宇宙の観察ミッションを続けている。
厳密な計算にはならないが、仮にこの次世代宇宙望遠鏡と人間の視力に換算すると、その視力は約12万となる。
この人類の新たな目の良さは、現段階の科学的限界なのだろう。
だが、魔法で強化されたネクトの視力は、この次世代宇宙望遠鏡を超越している。
なにせ、600km離れた距離で倒れた魔王の手首からわずかに透けて見える血管の中を流れる赤血球の動きが見えていたのだから。
「この星は、もうダメです」
「そうだね」
「どれだけ科学を進めても、肥大化する人間の欲望を支えるだけのキャパシティがないんです」
「そうだね」
「でも、それが人間の本質なんでしょう。
それは否定されるものではありません」
「そうだね」
「だから……私達は宇宙を目指します。
他のすべての国との国交を断ち、宇宙との窓だけを開く。
不凍港を持たないサヴィーナ連邦に、人類初の宇宙港を」
ネクトも理解している。
同じ宇宙を見ていながら、僕達の目は違う光を感じている。
でもきっと、僕達の脳は同じ宇宙を感じている。
視覚情報なんてものは、最終的に脳がどう判断するかでしかない。
視力の低さは、想像力で補えるのだ。
「そのチート、未来のために使ってくれませんか?」
サ連に召喚された当初、自分に手を差し伸べた天才少女リンにネクトは首をかしげた。
どう考えても、自分のスキルが現代で役に立つはずはない。
確かに狙撃には覚えがあり、それは射程が近距離に制限される魔法にはない大きなアドバンテージだ。
だが、あくまで弓矢でしかないそれは、ライフル弾や大陸間弾道ミサイルと比較すれば蚊が刺す程度のダメージしか与えられないだろう。
かろうじて目の良さには自信があるが、何かが見えても知識がなければ利用できず、また、宇宙望遠鏡と違い自分の視界を他人に共有できない。
「ごめんね。僕はただの射手でしかない。
現代で弓の技術が役に立つとは思えないよ」
「そうですね。現代では役に立ちません。
しかし、数百年、数千年後ではそうではないでしょう。
人類が太陽系を離れ、深宇宙にまで生活圏をはじめた未来。
巨大な弓を宇宙に作り、そこを宇宙の『中央駅』にするんです。
その弓は燃料を一切使用せず、ただの物理法則だけで宇宙船に初期加速度を付与する宇宙船のカタパルトになります」
天才少女が語る未来。
それはSFのようなわくわくさせる現実的絵図だった。
しかし。
「なるほど。
摩擦のない宇宙空間では、物体の運動量は変化せず、無限の等速直線運動を続けることができる。
でも、その弓はどうやって引くんだい?
実用に足るレベルの加速力を発揮させる弓があるとすれば、その弓を引く自転で大きなエネルギーが必要とされてしまうはず。
なにより、その弓は放たれたが最後。
作用反作用の法則で弓自体が逆方向に飛んでいってしまう。
その考えは成り立たないよ」
ネクトは科学技術、特に宇宙開発に興味があった。
日本の無人探査機ハヤブサのエピソードには胸を熱くさせたものだ。
それ故に、宇宙に「弓」を作るという天才少女のアイディアは理解したが、同時にその欠陥を語ることもできた。
リンはそんな彼の知識に感心しつつ、ゆっくりと首を振る。
「いえ、作用反作用の法則を持ってしても弓が動かずに固定できる場所が宇宙にはあります。
そして、その場所は弓を引く力も同時に確保します」
その言葉にネクトは思考し、まもなくその場所に正体に気付く。
「ブラックホールか」
「そのとおりです」
こうしてネクトは、数百年、数千年後の未来に向け、力学的に理想の「弓」のモデルを作るというサ連のプロジェクトに加わった。
彼が今作っている弓は、その数億分の一のモデルである。
リンと共に弓道場に戻ったネクトが再び科学者チームから弓を受け取った、その瞬間。
ネクトは深く頷き、その弓をリンに差し出す。
「撃ってごらん」
「私がですか?」
リンの体は小さく、肌は白く、腕は細い。
弓というものは素人に引けるものではなく、神話ではなく歴史的事実として英雄が引く弓は数十人の男が力を合わせて引くようなものもあったというエピソードも知っていた。
逆に言えば、自分のような小娘に引けてしまう程度の弓なら、それは大した威力もないおもちゃだということになる。
訝しみつつも弓を受け取ったリンは、見様見真似で矢を番え、弦を引く。
するとそれは、バターにナイフを入れるようなスムーズさで引かれてしまった。
やはり、おもちゃなのだろう。
にこにこと微笑むネクトに自分の気晴らしのためのおもちゃを作らせてしまったという後ろめたさを覚えつつその手を離した瞬間。
彼女は信じられないものを見る。
「嘘?」
猛烈な勢いで放たれた弓が100m先の的に届いたのだ。
もちろん、その矢が的に当たるような奇跡までは起きない。
しかし、この程度の力で矢が100m先まで飛ぶということ自体が理解不能なのだ。
「この弓は、魔法の……」
「驚かれても、これはただの弓だよ。
弓の構造とスリングショットの構造を組み合わせた新時代の弓だけどね。
弾性と剛性、その両方を数学的計算によって組み合わせたこの弓は、君が引ける程度の力でこれだけの加速度を矢に与えることができる。
これは魔法じゃない。物理科学だ。
それが作り出す、宇宙重力矢のモデルなんだ」
ネクトは科学者チームに向き合い、頷く。
「持っただけでわかりました。完璧な構造です」
科学者チームが歓声を上げる。
自分たちの研究が、理論を飛ばして形となったのだ。
そしてここから、形から理論を確認する作業が始まる。




