氷
残暑の季節、まだ暑いですね。
少し背筋が寒くなるお話です。どうぞ拙いですが最後まで見ていって下さると幸いです。
「〇〇くん…?」
眼前の少女は僕を呼ぶ。目の焦点は定まっていない。
僕の視界も霞んでいる。彼女と背景とが溶けて何も見えなくなる。
手が触れる。安心させようと冷たい手を握ると、握り返された感触がした。
真っ白な視界、僕らは崩れ落ちる。痛みよりももっと別の感情を覚える。
体に手が回される。とっさに抱き返す。まだ残っている温もりを感じる。
「ふたりならだいじょうぶ、でしょ?」
今にも消えそうな声が耳元で聞こえる。力の入らない腕でもう少し強く抱きしめようとする。
このまま僕たちは、氷のように世界に溶けていった。
「おはよう」
隣の少女に声を掛ける。昨日がまるでなかったみたいに安らかな顔で眠っている。
ぼーっとしている意識を振り切ってベッドを降りる。カーテンに手を伸ばして、やっぱり下ろす。
薄暗い部屋の中、何に対して祈ってるわけでもなく手を合わせる。
「蜒輔◆縺。縺ッ縺ィ繧√i繧後↑縺�」
言葉にならない思いが口から零れる。
気づくと、隣に彼女が並んでいる。パジャマ姿で目を擦りながら、なぞらえて手を合わせている。
「えへへ」
僕の視線に対して、彼女は照れ笑いで応える。無垢な表情は僕には眩しかった。
「おはよう」
どう返せばよいかわからなかった僕は、苦笑いしかできなかった。
「おなかすいた?」
妙に元気がない僕を気遣ってくれたのだろうか、彼女がそう質問する。
僕は首を振るだけ。彼女は少し淋しい顔に変わってしまう。
実際、このところ僕たちはとある理由でずっと食事を絶っている。
空腹感こそ感じないものの、栄養が摂れないのでなんの気力も湧かなかった。
僕を励まそうとする彼女だって、実際は空元気のはずだ。
僕は彼女に申し訳無さを感じつつ、しかしだからといって何もすることはできない。
「ごめんね」
昼になっても暗い部屋のまま、2人寄り添って座っている。
このままずっと居られたらな。そうもいかないかな。
時間は無情に過ぎていく。
一生懸命な彼女の作り笑いを見て、胸がずきりと痛んだ。
カーテン越しの夕日が沈んでいく。部屋が暗闇に染まってゆく。
何時間も同じところにとどまっている僕ら。まるで人形のよう。
君の長くて綺麗な黒髪。整った目鼻立ちに、小さめの唇。
力を加えると簡単に折れてしまいそうなか細い腕。細くて長い指。
「すきだよ」なんて、言えるわけがなくて。でも。
彼女の息遣いを耳で拾う。それだけで十分だった。
ふと気づくと、彼女の呼吸が少し荒くなっている。
隣に目をやる。彼女の肩が震えている。次第にそれは体全てに伝播して全身が震えだした。
僕も。
腕が震える。足が震える。声にならない音で叫んで、床をのたうち回る。
「わたしは、だいじょうぶだから」
そういう彼女だって、喉をかきむしって血を流している。過呼吸の声で喘いで、どうしようもなくなって爪を噛んでいる。
「ぅ、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!ぁ゙ぁ゙゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙縺九¥縺帙>縺悶>縺サ縺励>!」
悶絶、穏やかだった午前の面影はどこにもない。
戸棚にぶつかって小物がたくさん転げ落ちる。足元に転がった目覚ましが壁際まで蹴り飛ばされ、破片から外れたネジが覗いている。
静止しようとしたって、僕だって平常心を保つのもままならない。脳が発する欲望を止められない。
「こお…り!」
僕はタンスの引き出しを乱暴に引き抜いて、中から小瓶を取り出す。小瓶には僕たちの異常の原因となった『氷』。
取り出した中身をそのまま僕と彼女の口に詰め込む。途端に震えも鎮まった。
「きんだんしょうじょう、でちゃったね」
先ほどとは打って変わって、落ち着いた声色で僕に話しかける彼女。
しかし心情とは正反対に顔はまだ引きつっていて、首の出血もまだ収まっていない。
僕も先ほど頭を打ったような気がする。しかし脳漿が痛みを和らげたのか知らないが、フラっとするだけだ。
「だいじょうぶ。ふたりなら、なんだってできるよ。どこへでも」
今だけ、今この瞬間だけは、心からそう思った。
頭が得体の知れない幸福感に包まれていく。もう何も考えられない。
そしてだんだんと視界が霞んでいって、僕と君2人で手を握り合って、抱きしめ合って。
「おはよう」
僕はまだ寝ている彼女にそう伝える。
あなたはループを抜け出せますか?
今回の短編のテーマは『覚醒剤』でした。
覚醒剤は隠語で『アイス』とも言うそうです。
では、最後まで見ていただきありがとうございました。