8 資格取得
宮廷に入ってから2週間が過ぎた。
市井では晩秋に行われる『虚霊祭』の準備で騒がしくなる時期なのだが、宮廷には関係の無い話のようだ。
『虚霊祭』とは悪霊に扮して悪霊から身を守る、国の中で最も忌むべき祭日だ。だというのに、虚霊祭の色が一つもない。虚霊祭の飾り付けも菓子も全くないのだ。「(どうりで、出会った頃のあの人は虚霊祭にほとんど無関心だったんだな)」と薬術の魔女は宮廷の様子を眺めながら伴侶のことを思い出す。
実際のところ、夜中に行われる精霊の襲来から子供達の守護に宮廷魔術師や軍人の魔術師達が駆り出されているのだが、薬術の魔女が知ることではない。
そしてどうやら、減退薬の功績で薬術の魔女を室長に、と宦官長が推しているらしい。そう補佐官達から薬術の魔女は聞いたのだ。
「今まで以上に、宦官や女官達が仕事に集中できて助かっているそうですよ」
補佐官2が書類をめくりながら、いつものように声をかけた。薬術の魔女の功績とは、新しくなった宦官や女官用の性欲減退薬の効能の話だ。今の所、それ以外の功績は何も持っていない(というか作る機会がない)。
「もう一つ。色事でひっそりと問題になっていた宦官の行動が殆ど無くなったという話も聞きましたよ」
薬術の魔女の作業机にお茶を置き、補佐官1が補足をする。
「全く、じゃなくて?」
「その方は、人を片っ端から口説くのが生来からの癖だそうです」
「うわぁ」
補佐官1の言葉に顔を上げると、補佐官1は朗らかに微笑みながら言葉を続けた。聞かなければよかった、と薬術の魔女は眉をひそめる。片っ端から人を口説きに行くとはなんとも難儀な性格というか癖の持ち主だ。
「『宦官達が冷たくなって優しくしてもらえなくなった』と不満を持つ女官も居るようですね」
「あー、うん。それはまあ当然というか……」
きっと、下心とか色々あったのだろう。そのあたりは色々言っても薬で抑制しているので仕方のない話だ。ちなみに薬術の魔女には全くと言っていいほど縁のない話である(現在の薬術の魔女は中性的な容姿になるよう調整し、かつ赤い目を持っており、この世界観で言う『魅力的な容姿』をしていないため)。
通常、モテるのは金髪青目の美人だ(男女問わず)。金の髪は秩序をもたらす白き神に近い色とされ、青い目は忌むべき魔獣の赤い目から最も遠い色であるからだ。
ついでにいうと男性は魔獣から守ってくれるような筋肉質な体型、女性は程よく(胸や尻などに)脂肪の付いた健康的な体型がモテる。閑話休題。
「とにかく、宦官長及び数名の宦官や女官長からは貴女に室長になる資格があると考えられているようで。ですが、宮廷医達は反対しているそうです」
補佐官2は、相変わらず淡々と報告した。「なんで」と薬術の魔女は宮廷医達に反対されている理由を問う。室長になること自体には特に強い興味はないのだが、反対されている理由は気になったのだ。
「主な理由は『試験を受けていないから』みたいですよ」
補足を言いながら、補佐官1は自身と補佐官2の机にお茶を置く。王都は乾燥しやすいので、喉に良い茶や飴などを取ることが通常であった。特に宮廷魔術師の場合は研究室内に加湿器を置くなどして、とても喉を大事にしているそうだ。(魔術師の男から聞いた)
「なので、宮廷医達からの反対を押し切るために『薬術の魔女と補佐官2名共に宮廷医の試験を受けさせよう』という動きがあるそうです」
補佐官2は用意されたお茶を手に取り、薬術の魔女へ視線を向けた。
「え」
「特別に受けさせてもらえるようですよ。問題も作っているとか」固まる薬術の魔女をよそに流れるように言葉を続け、補佐官2はお茶を一口、口に含んだ。茶葉は薬術の魔女が調合した薬草茶。
「新しい問題をわざわざ作ってるの?」
「問題の使い回しは公平じゃないから、らしいですよ」
「ひえー」
薬術の魔女の問いかけに補佐官1が答える。この調子だと補佐官二人とも知っていて、薬術の魔女だけが知らなかったようだ。それか、まだ公的に情報は解禁されておらず、彼らだけが事前に情報を入手していたか。
それから程なくして、薬術の魔女達に『試験を受けるように』という通達が届いたのだった。その通達には特別な赤い封筒に特別な金の封蝋がしてあった。これは王命の証だ。
呆然とする薬術の魔女に補佐官1は困ったように笑い、補佐官2は頭が痛そうな顔で溜息を吐いた。
だが『王命』として通達されたということは、邪魔をすることは王への叛逆の意思となる。つまりは当分の間は宮廷医達からの邪魔に気を付けなくて良いということだ。その上、どうやら王命が下っている間は宮廷医や軍医としてのノルマの強制もないようなので、王命に集中できそうであった。
×
それからすぐに、薬術の魔女達は試験勉強を始める。試験の開始時期は来月末の虚霊祭から2週間後で、大体今から二ヶ月ほどの余裕がある。だが通常では宮廷入りの試験勉強は一年やそれ以上をかけて行うものなので、二ヶ月で、となるとかなり大変である。
「これは毎年みたいに虚霊祭でお菓子は配れないかもだ」
そう、薬術の魔女は項垂れる。成年してから今まで、虚霊祭で未成年へ焼き菓子を配っていたのだから。薬術の魔女は店舗を持っており、その日は伴侶(強制参加)と共に仮装し菓子を配るのが楽しみだったのだ。
「毎年しているのでしたね。残念ながら菓子作りや衣装作りをする暇はありませんよ。宮廷入りの試験は難易度が高いですから」
「ちぇー」
補佐官2の厳しい言葉に、薬術の魔女は口を尖らせる。菓子配りの告知をする前だったので、ある意味タイミングが良かった。仕方がないので『お菓子は配りません』の告知をすることに決める。
配布された試験範囲の教科書は市販のもので、宮廷医用と共通科目の二種類だ。
「学校で習ったものばっかりだね」
緊張しながら教本を開いたものの、意外と簡単そうで薬術の魔女はほっと安堵する。
「そうですかね?」
「まあ、貴方は魔術アカデミーの薬学科出身ですし」
だが補佐官達とは少し認識は違うらしい。ともかく、3名は配られた教本を基に勉強を開始した。
自宅へ戻り、薬術の魔女はついでに魔術師の男へ王命を受けたことを報告する。
「試験を受けることになったみたいなんだけど」
「存じ上げております。室長共や上位の官僚共の中で噂されておりますよ」
夫婦寝室で制服を脱ぎ、それを魔術師の男へ手渡す。受け取った彼は衣桁に掛けながら頷いた。やはり、当然の様に彼は薬術の魔女の事情を知っている。やっぱり薬猿への研修のことを報告し忘れたのは自分は悪くない、と薬術の魔女は納得した(根に持っている(双方共に))。
「でも。そうなると、今年はお菓子配れないなぁって」
「然様ですか。其の様な年が有っても宜しいとは思いますが」
項垂れる薬術の魔女に、魔術師の男は特に同情することもなくさらりと述べる。
「ですが……子供達へ菓子を配る程度成らば、出来得るのでは」
「! そっか! ありがとう!」
続けた彼の言葉に、薬術の魔女は気付きを得た。街で菓子を配れなくとも、家族に配ることはできるのだと。護符は魔術師の男が作ってくれるはずなので、薬術の魔女は5人分の焼き菓子を作れば良い。例年よりは簡単だ。
「いえ。親が『忌むべき虚霊祭の日』に護りの菓子を手渡す程度、手間では無いでしょう」
「仮装は?」
「其方は諦めなされ」
虚霊祭は子供と子供に護符付きの菓子を配る大人は仮装する決まりになっていた。なので毎年、薬術の魔女は虚霊祭で行う仮装をデザインして手作りしていたのだ。だが今年は試験勉強で仮装をデザインする時間も制作する時間もない。その正論に薬術の魔女は閉口した。
気を取り直して。とりあえず、薬術の魔女は日程と虚霊祭の周辺の話を簡単にする。それからややあって、魔術師の男は口を開いた。
「試験は。王弟殿下が問題を作るよう、態々天官へ命を下したそうで」
「そうなの?!」
試験の通知も王命だったが、試験問題の作成も王弟からの命令だったらしい。薬術の魔女が宮廷に行くことになった命令もそうだが、偉い人が構い過ぎではないかと薬術の魔女は内心で訝しんだ。
「えぇ。まあ、貴女の実力を測りたいのでしょう」
「ふーん」
「……薬学以外の事は、教えて差し上げる」
「やった!」
そうして、魔術師の男は薬術の魔女が持ち帰った教本を基に勉強を教えてくれたのだ。そこでなんとなく学生時代を思い出す薬術の魔女だった。
翌日、薬術の魔女は伴侶から教えて貰ったことを補佐官達に教える。
「貴方なのに分かりやすいですね」と補佐官2に言われ、薬術の魔女はむくれた。
彼らも自宅で学習をしていたようで、勉強は思いの外早く捗っている。
それから一ヶ月後。試験日の詳細が記載された日程表が配られた。細かく文字が書き込まれており、薬術の魔女は一目で精読を諦める。代わりに補佐官2が紙を読み、大まかな内容を教えてくれた。
「試験の主な流れはまずは入浴、入浴後に指定の衣服に着替える、天官の案内により指定された個室へ移動する、問題用紙を配られて定刻に試験開始、です。昼休憩を挟みますが、それは宮廷内の食堂に移動するようですね。そして昼休憩後に試験再開、試験終了後に食事、後に入浴と就寝です。就寝場所は個室の中ですね。……共謀をされないように、でしょうか」
補佐官2の要約に、薬術の魔女(と補佐官1)は感謝を述べる。あとは注意事項や行動の時間帯などが書かれているのだそうだ。
「着替える服とかゴワゴワじゃなければいいんだけど……」
「貴女は全身が放出器官でしたね。配慮はされると思いますが……」
不安そうな薬術の魔女の様子に、補佐官1は、ちら、と補佐官2へ視線を向ける。何か紙に書かれていないか期待したのだ。
薬術の魔女は、全身が魔力の放出器官である特殊体質だ。要は皮膚が柔らかく刺激に敏感。なので、薬術の魔女は自身の素肌に触れる布にはかなり気を使っている。
もしも宮廷で出された服の材質が悪ければ、それが気になって試験に集中できないだろう。
「宮廷で使われる布ですよ。まさか二等品以下のような品が充てがわれる訳がないでしょう?」
そう、補佐官2はどこか挑発するような声色で答える。二等品とは一般人が普段使いするような品質の物品の総称だ。一等が王族や貴族が嗜む高級品、二等は広い客層に向けて作られた比較的低価格なもの、三等は二等に届かなかったもの。
つまり、補佐官2は『高級品が用意されるはずだ』と言外に告げた訳だ。
「それに、王弟殿下の直々の指名です。数多の人数が集まる通常の試験ならともかく、今回は私達たった3人だけですからね。宮廷服以上のものを期待しておきましょう」
「? そうなら良いんだけど……」
「あはは、結構言いますね」
にや、と笑った補佐官2に薬術の魔女は首を傾げ、補佐官1は苦笑した。
「……だそうですが。如何致します? 王弟殿下」
宮廷のとある部屋で、外套を深く被った長身の者が朱殷色の髪の男へ言葉を投げかける。声色は普段通りに冷ややかのはずだが、どこか楽しんでいる気配がした。
星官の『蘇蛇宮』の研究室には、実は盗聴の魔術式が仕掛けられていた。それは王弟の率いる王の盾、『監視員』による監視のためだ(薬術の魔女は監視員による監視の対象となっている)。
監視員の監視対象となった薬術の魔女は、監視員副官によって一日中監視されている。
「お前はこういう時ばかりそう言う。分かった、宮廷服以上のものを用意しておこう。これで良いか?」
その返答を聞き、外套を深く被った長身の男は、にこ、と微笑む。
「全く。お前が『伴侶の肌は繊細だから着替えさせるなら布地に気を付けてくれ』と言ったので、伴侶思い故の行動かと思ったが」
呆れ混じりに王弟は溜息を吐く。外套を深く被った長身の男は微笑のままだ。
「薬と布地に関しては口喧しいですよ、彼女は」
「仕方ない。直接選ばせようか」
そして後日、薬術の魔女と補佐官達が呼ばれた。『試験で用意する衣服の生地を確認してほしい』のだそうだ。補佐官達は双方共に『薬術の魔女に任せる』と言い、薬術の魔女は大張り切りで布地を選んだ。
布生地を選ばせた者は『薬術の魔女殿は布地に触れ、対象の布に対する評価を口々に述べられた。また、宮廷服に使われるような布を選ばれた。本当に肌が繊細な方のようだ』と薬術の魔女が選んだ生地と共に詳細を報告したのだった。(意訳:『超口うるさい上に高級品を選びやがった』)
これは試験(平民向け)の話。
https://x.com/sinojijou/status/1739561149782454694?s=46&t=Yi5pLMdiS_mxDEDYkpoqQg