14 尚儀局
尚儀局は西にある。
区画としては、秋姫、椛妃の司る場所になる。そのため、濃淡のある黄色の装飾に彩られていた。
後宮の礼と教養を司るこの局は、静かな威厳に満ち、かすかに琴の音と墨の香りが漂っていた。門をくぐると、広々とした堂に古い書物が並び、遠くから優雅な楽の調べが聞こえてくる。
案内役の宦官1は、穏やかな声で説明を始めた。
「ここが尚儀局です。後宮の礼儀作法、教育、音楽、そして賓客の接待を統べる場所。妃嬪様方が宮廷の作法を身につけ、朝見や宴で優雅に振る舞うのも、すべてこの局の教えによるものです」
建物の中は清潔で、壁には古い経書の巻物が掛けられ、机の上には筆と硯が整然と並んでいる。
「尚儀様は二人おられ、礼儀と起居を掌り、司籍、司楽、司賓、司讃を総括されます」
まず案内されたのは司籍の間。そこは書庫のように静かで、巻物が四部に分けられて収められていた。
「司籍は供御の経籍を掌ります。典籍様、掌籍様、女史がお手伝い。四部に分かれ、時折点検され、教学では課業を帳簿に記録し、机や筆記用具も準備します。妃嬪様方の学問は、ここから始まります」
薬術の魔女は巻物の一つをそっと眺め、幼い頃に『おばあちゃん』から教わった薬書の記憶が蘇った。学問が命を救う道具になることを、改めて感じた。次に司楽の部屋へ。そこでは数人の女官が楽器を手に、静かに音を合わせていた。琴の調べが優しく響く。
「司楽は宮廷および諸楽の陳布の儀、演奏の訓練を掌ります。典楽様、掌楽様が主に主導し、女史が補助します。音楽は心を整え、礼を美しくするもの。ここで奏でられる音は、後宮の調和そのものです」
目を閉じ、琴の音に耳を傾けた。優しい響きだった。続いて司賓の間。そこでは宴会の準備を思わせる品々が並び、女史達が丁寧に記録を取っている。
「司賓は賓客の朝見を担当し、名を受けて朝廷に報告します。宴会では品目を揃えて尚食に渡し、賜物も管理して尚功に認めさせます。典賓様、掌賓様が管理し、女史がお手伝いをします」
最後に司讃の部屋へ。そこでは女官達が礼の所作を繰り返し練習していた。優雅な身のこなしに、息を呑んだ。
「司讃は賓客の朝見および宴食を担当し、案内と導引を行います。会日には客を殿庭に立たせ、宣命を伝え、座らせ、席に案内。酒が届けば起立して二礼二拍手、食事の際も同様に。典讃様、掌讃様が主導し、女史が支えます。すべての儀礼をここで管理します」
案内が終わり、尚儀が杏を穏やかに見つめた。
「医女よ。あなたは薬で体を癒しますが、ここでは礼と教養で心を整えます。妃嬪様に薬を進める時、ただ渡すのではなく、正しい作法で、優雅に。尚儀局は、その作法を教える場所です」
薬術の魔女は頷いた。それと同時に「(なんかめんどくさそうだな)」と思ったが、表には出さないでおいた。補佐官達から何の反応もないので、ちゃんと隠し切れたようだ。
外に出ると、遠くから再び琴の音が聞こえてきた。
「妃や嬪って大変なんだね」
そう薬術の魔女が呟くと、
「通常の貴族の子女方は似たようなものですよ」
と宦官1が答える。薬術の魔女も学生の頃に学園で礼儀作法を学んだこと、婚約したばかりの魔術師の男に礼儀作法を叩き込まれたことを思い出す。
「貴族も大変なんだね」
そう言い直した。
「正直にいうと平民には礼儀作法や、行動の決まりはありませんからね。各『古き貴族』の方々など、それは大変でしょうね」
宦官1の言葉に薬術の魔女は頷き、(推定毒蛇当主の)女官Aのことを思い出す。彼女も動きはしなやかで品があった。華やかに見える当主達にも、相応の苦労があったのだろう。
「(……って思うけど)」
なんとなく、魔術師の男の兄である呪猫当主はあまり苦労していなさそうな気がした。
×
薬術の魔女にはやる事が出来たので、今回は探索も簡単に済ませた。毒蛇当主の伴侶の手掛かりになりそうな匂いもしないし、秋姫の区画には居ないだろうと勘が働いたからだ。
薬術の魔女達は医局に戻り、香を作る作業に戻る。大きなすり鉢の中に材料の薬草や木などを入れて、棒ですりつぶしていくのだ。
「そういえば。毒蛇の方では、香りを油に溶かしたものがあるって聞いたことがある」
「はい。酒精不使用の、香油ですね。香木や樹脂などと、砂糖や蜂蜜のつなぎを香油に入れて作られます。香りがなじむまで、密閉容器で数週間から数か月寝かせますので時間がかかりますが」
薬術の魔女が呟くと、それを女官Aが拾ったようで相槌を打った。数か月寝かす、と言うことは存分に手間はかかるが、作るのは簡単そうだ。
「へぇ! 今度、お家で作ってみようかな」
「珍しく、興味持ってますね」
薬術の魔女が目を輝かせると、補佐官1が感心の声を上げる。補佐官1にそう言われると、なんだかいつも他人の話題に興味を持っていないかのように感じられるのでやめて欲しい。薬術の魔女は少しむっとして、眉を寄せる。
「いつも作ってるのは酒精とか蒸留して作るからね。伴侶が作るのは呪猫式の抹香だし。今作ってるのも抹香ね」
ごりごり、と材料をすりつぶしながら、薬術の魔女は答える。補佐官達には、書類仕事をやってもらっている。
「乾燥させた素材を細かく砕いて、混ぜ合わせるのですね」
「多分、材料さえそろえば一番手間なく作れるよね」
頷く女官Aに、薬術の魔女は説明の補足をする。抹香は線香と違い繋ぎを入れないので、素材本来の香りが出やすい。その上、材料を混ぜて乾燥さえすれば数日以内で使えるのだ。
「きみ達は、どういう香りが好き?」
薬術の魔女は、補佐官達や女官達に話題を振る。
「私は、匂いがない方が好きです」
と、書類をまとめながらそもそも論外な発言を補佐官2がし、
「僕は薬草の香りですかねー」
お茶を飲む補佐官1はそう答えた。「ちゃんと仕事やってますよね?」補佐官2が睨むも、補佐官1は気にした様子がない。
「わたしも薬草の香り好きー」
そう薬術の魔女が答えると、「知ってます」「でしょうね」と補佐官1と補佐官2は雑に返事をする。『貴女は単純ですからね』と言いたげな、補佐官達の視線に薬術の魔女は口をへの字にした。だが事実、薬術の魔女は基本的に単純な思考の持ち主である。(残念ながら)
「私は沈香と乳香ですかね、天地の神の香りですし」
「そっかー。そう決まってるんだっけ」
女官Aは少し考えた後、答えた。そういえば、『白き天の神』の香りが乳香、『黒き地の神』の香りが沈香だとされているのだったか、と薬術の魔女は思い出す。『おばあちゃん』と『黒い人』自身の魔力の香りは、実は薬術の魔女自身は覚えていない。そもそも、匂いをしなかったような気さえした。
「きみは?」
薬術の魔女は、宦官1へ問う。すると、
「私は、付き合う彼女の香りに合う香りが好きですね」
などと、とんでもない返答をした。さらりとなんてこともないような言い方だったが、正直に言うととんでもないセクハラまがいの言葉である。『体臭に合う香りが好き』と言っているからだ。
「……それは、すごいね」
薬術の魔女は何と答えてよいか、分からなかった。「さすがのあなたも、困惑するんですね」と補佐官2が、感心した様子で呟く。さすがに、薬術の魔女もこういう答えに対する上手い返事など知らないのだ。
薬術の魔女は梅と白檀を混ぜた匂いも好みである。それは夫の魔術師の男の魔力の香りだからだ。
ちなみに魔術師の男は桃と葡萄を混ぜた香りが好きで、藤の匂いが大嫌いである(お察し)。




