13 尚寝局
尚寝局は南西にある。
区画としては、秋姫、檎妃の司る場所になる。そのため、黄色と草色の装飾に彩られていた。
この局の周囲では、柔らかな布の匂いと花の香りが混じり合っていた。門をくぐると、すぐそばに庭園の緑が広がり、遠くから水の音が聞こえてくる。案内役は、変わらず宦官1だ。
「ここが尚寝局です。王妃陛下や妃嬪様方の眠り、休息、安らぎを司る場所。帳や寝具の設営から清掃、庭園の管理、灯火まで、すべてがここにあります。あなたが夜伽の薬を届ける時、この局で整えた寝所が関わります。ですが、あなたは定時で帰られるので直接的な関りは少ないでしょうね」
薬術の魔女は深く息を吸い込んだ。何かしらの香りがするが、落ち着く香りだ。建物の中は柔らかな光に満ち、絹の帷がゆらゆらと揺れている。宦官1が静かに説明を始めた。
「尚寝様は二人おられ、掌燕に見えて進御に次いで叙すとあります。総じて司設、司輿、司苑、司灯を統括されます」
まず案内されたのは司設の間。そこでは女史達が丁寧に布団を畳み、帷を整えていた。
「司設は寝具や帳、布団の設置と清掃を掌ります。典設様、掌設様が居り、女史がお手伝いをします。長く勤めた者が状況を報告し、汛掃は典設以下で監督します。妃嬪様の眠りが安らかであるよう、毎日細やかに」
薬術の魔女は絹の柔らかさに触れ、屋敷にある寝具に近い質のものだなと気付く。優しい触り心地の布で、眠りを妨げないのだ。薬術の魔女は自身の夫が、彼女の眠りのために高級な寝具をあてがってくれているらしいと思考した。
次に司輿の部屋へ。そこには華やかな輿と傘、扇が並び、羽毛の飾りが空気の流れにそよぐ。
「司輿は輿や車、傘、扇、文物、羽旄を管理します。典輿様、掌輿様、女史がそれぞれ役割を持ちます。陛下や妃嬪様がお出ましの際、ここからすべてが整えられるのです」
続いて司苑の庭園へ。外へ出ると、緑豊かな園が広がっていた。花々が咲き乱れ、果樹に小さな実が実っている。見たところ、どの植物達も元気そうだった。上手く管理しているらしい、と小さく感心する。
「司苑は園苑の植栽、野菜や果物の栽培を担当します。典苑様、掌苑様が管理をしており、女史が細かい手入れを行っています。果実が熟せば進御します。季節の花や新鮮な果物が、妃嬪様の心を癒すのです」
最後に司灯の間。薄暗い部屋に美しい宮灯が並び、ろうそくの火が静かに揺れている。
「司灯は門閤の灯火を管理します。典灯様、掌灯様が油や蝋の管理を行っており、女史が火を灯します。昼の漏刻が一刻に至る時、女史が火を灯しに後宮を巡ります。夜の後宮を優しく照らし、闇を払うのが私たちの務めです」
案内が終わり、尚寝の一人が薬術の魔女を優しく見つめた。
「あなたは薬で体を癒しますが、ここでは眠りと安らぎで癒します。夜更けに薬を届ける時、灯火が優しく、寝所が清らかで、庭の香りが漂う……それが尚寝局の支えです」
薬術の魔女は胸に手を当て、静かに頭を下げる。外の庭園では、風が花びらを舞わせていた。
×
尚寝局の周囲は秋姫の管轄だからか、少しひんやりとしている。少し歩くだけで、『あぁ、秋の気配がする』と錯覚してしまうほどに。
「もしかして、他の区域も管轄の姫に関連した季節っぽくなってるの?」
夏姫の場所を思老いだしながら薬術の魔女が問うと、宦官1は頷いた。
「そうですね。後宮全体が、そもそも大きな魔術陣のようなものになっています。その結果、後宮の環境に四季のような温湿度の変化が起こりました。そこに各姫の建物を移しています」
「ふぅん、環境が先なんだね」
「はい。実は前宮である宮廷にも影響は出ているのですが、上手く誤魔化しているようですね」
相槌を打つ薬術の魔女に、にこやかな表情のまま宦官1が言葉を続ける。
「冬の環境になる部分は全部、宮廷の建物の中だもんね。春と秋は大きな差はないし、夏の場所も庭になってるから確かに上手く誤魔化してるかも」
口元に手を遣り、薬術の魔女は考察した。
「つまり、冬姫の管轄の場所は冬みたいな環境になってるってことだよね」
宦官1を振り返ると、頷き肯定する。
「その通りです。冬姫の管轄である地域一帯は、夏場でも雪が降ることもあります。そのため、防寒対策を行った方がよろしいでしょうね」
「そっか、分かった」
×
そして区域一帯を見て回った後、薬術の魔女達は医局に戻ってきた。女官達は、医局の執務室の内部を整えてくれているようだ。
「あのさ、ちょっと考えてみたんだけど……」
「ダメですよ」
徐に口を開いた薬術の魔女に、牽制する様子で補佐官2が厳しい声を返す。
「なんでさ。何もいってないじゃん」
「どうせ碌なこと言わないでしょう。仕事を増やす気ですか?」
「むーん」
ぷく、と頬を膨らませるも、補佐官2は冷たい態度を崩さない。
「何を言おうとしたんですか?」
「ちょっと」
補佐官1が薬術の魔女の顔を覗き込む。補佐官2が嫌そうな顔をするが、補佐官1は気にする様子もなかった。
「あのね。香油とか精油とか、作ってみようかなって思ってるんだけど」
「だめかな?」と首を傾げる薬術の魔女を見、
「好きにしたら良いんじゃないですか?」
と補佐官1はやや無責任なことを言う。少なくとも、ダメではないらしい、と薬術の魔女は察した。
「宮廷医の仕事から離れてませんか、それ」
「鎮静効果あるし、精神的な治療に使えるでしょ」
補佐官2に、薬術の魔女は口を尖らせながら言い訳をする。
「どこで作るんですか」
「うーん、化粧水とかと同じとこ。一式みたいな感じで出すの」
補佐官2は現実的なことを問うも、ちゃんと答えは用意しているのだ。
「作るにしても、同じ匂いだと面白くなさそうじゃないですか?」
「女性の感性は分かりませんけど」と言いながら、補佐官1が訊く。
「ちょっと成分を変えたらいいんだよ。匂いの案は考えてるし」
と、薬術の魔女はふふん、と自慢げに端末に書き込んだ内容を見せた。
「匂いの具体的な内容は分かりませんけど……匂いに少し変化があるなら、それでいいんじゃないですかね」
てきとうな返事をする補佐官1に、補佐官2は呆れの目線を寄越す。薬術の魔女達の様子を見ていた宦官1が、提案する。
「香り、ですか。それなら、各姫達の好きな香りを入れると良いかもしれません」
「好きな香り?」
薬術の魔女が首を傾げると、宦官1は少し嬉しそうにメモを見せてくれる。
「このように。春姫様は桃を特に好まれますが、他にも好む香りがあるのですよ。皆様、感覚が宜しいので、それぞれ季節の香りと相性の良いものを好まれます。それに『四季姫が好む香り』と謳い文句を付けたならば、たくさんの女性方が興味を持たれるかと」
「ふーん、なるほど。採用!」
薬術の魔女は宦官1から、丈夫を提供してもらった。
「香を作るのですか?」
作業から戻ってきた女官Aが、薬術の魔女達の話に興味を持った様子だった。
「興味あるの?」
「はい。私の故郷の毒蛇でも、香には特別な意味がありましたから」
聞くと、普段使いだけでなく儀式にも様々な香を利用するのだとか。
「ところで、香は何を利用するつもりですか? 匂い袋や抹香に線香、練香……様々な形があります」
「うーん。後宮で主に使われてる形状って、どんな感じなんだろう?」
問うた女官Aの言葉を受け、薬術の魔女は宦官1へ視線を向ける。
「姫達の場合、主には抹香ですかね。専用の香炉があり、長く香りを楽しまれます。通常の女官達の場合は線香が主でしょうか」
「分かった。じゃあ、抹香と線香の形で作ってみよう」
こうして、薬術の魔女の新しい挑戦が始まった。




