11 尚正局
尚正局は東南にある。
区画としては、夏姫、棗妃の司る場所になる。そのため、緑色と橙色の装飾に彩られていた。
今度の目的地は尚正局。他の局とは異なり、この建物はひっそりと、しかし重厚に構えていた。柱の間に鉄の扉が立ち、門前には二人の女官が無言で立っている。空気は冷たく、かすかに鞭の革の匂いが漂っているように感じられた。案内役の宦官1は、やや緊張した面持ちだった。どこか声は低く、抑揚が少ない。
「ここが尚正局です。後宮の掟を守る、最後の砦。あなたが薬を扱うのも、妃嬪様の命を預かるのも、すべてこの局の監視の下にあります。秩序を乱せば、どんな才女でも容赦はありません」
薬術の魔女は喉を鳴らし、深く頷いた。『白き神』の気配を強く感じる。そのため、ちょっとした不正も許されないのだろうと感じられた。
門をくぐると広い堂があり、壁には違禁事例の記録がずらりと掛けられている。静寂が耳に痛い。宦官1が淡々と説明を始めた。
「尚正局は四つの司で成り立っています。まずは司審。宮人の違反申告を受け、証拠を集め、審問を行います。典審様と掌審様がおられ、女史が記録を担っています。重大な事案は外朝の法司へ回されます」
司審の部屋を覗くと、若い女史が巻物を広げ、静かに筆を走らせていた。机の上には細かな証拠品――破れた布切れや隠し持たれた手紙――が並べられ、薬術の魔女は自分の薬箱を無意識に抱きしめた。
「次は司罰。罰則の執行と処分を主管します。軽い怠慢には鞭罰や俸給の減額、重い不忠には追放や禁固。典罰様、掌罰様が分担し、女史が補助します」
司罰の間はさらに重苦しい。壁に掛けられた鞭が、静かに揺れている。恐らく、ただの飾りだ。使われた痕跡は見られなかった。
「司監は日常の監察と予防です。局を巡回し、違禁の兆候をいち早く見つけます。典監様、掌監様が鍵や文書の点検を担い、女史が細かい作業を行います。あなたの薬の出納も、ここで何度も目を通されます」
司監の女官達は実際に巡回から戻ったばかりらしく、帳簿を手に忙しなく動いていた。薬術の魔女は自分が監視される側になることを、改めて実感した。だが、いつも監視されている側なので強い不快感はない。後宮に居る間は補佐官達、宦官1と居ることが多いだろうから大きな心配はしていない。
「最後に司録。すべての違禁事案を記録し、過去の事例を保管、奏聞文書を起草します。典録様、掌録様が審査し、女史が記録を取ります。尚宮局の司記と連携して、記録の正確さを保っています」
案内が終わり、尚正が薬術の魔女をまっすぐに見据えた。
「医女よ。薬は命を救うが、掟を破れば命を奪う道具にもなる。尚正局はそれを防ぐためにある。あなたの調合した薬が妃嬪様に届く前に、必ずこの局の目を通ることを忘れるな」
薬術の魔女は深く頷いた。
「……心得ました。お手を煩わせないよう、気を付けます」
尚正はわずかに頷き、初めて柔らかな声で言った。
「その覚悟があれば、恐れることはない。後宮は広い。だが、掟さえ守れば、あなたの薬は確かに届く」
外へ出ると、冷たい風が薬術の魔女の頰を撫でた。彼女はゆっくりと息を吐き、胸に手を当てる。尚正局にはかなり強い神の気配があったので、なんだか『おばあちゃん』に怒られているような気分になってどきどきしたのだ。
「さっきの場所、すごかったね」
思わず呟き、補佐官達を見た。
「そうですね。凄まじいプレッシャーでした」
補佐官1は頷き、
「あそこまで、圧を掛ける必要はあったのでしょうか」
補佐官2は眼鏡をずらして、目元を揉んでいる。補佐官2の邪眼はかなり強い奇跡の力なので、何かしら影響が出てしまったのだろう。あとで症状を聞いて、目薬を出そうかなと思考する。
×
せっかくなので、東南の区画を見て回ることにした。
「また、勝手に駆けださないでくださいよ」
補佐官2がジト目で薬術の魔女を見る。
「だいじょーぶ」
答えると、補佐官1までも呆れた目線を寄越した。
「前回は、なぜ駆けだしたのですか?」
宦官1が問いかける。薬術の魔女自身は駆けだしたつもりは無かったのだが、どうやら周囲にはそう認識されているらしい。
「なんだか、不思議な匂いがしたんだ。ちょっと香辛料的な」
「香辛料……ですか?」
訊き返す宦官1は、神妙な顔をしていた。
「どうしたの」
問いかけると
「いえ。後宮に所属する女性達の魔力の香りや、好みの香などはある程度把握していますが。香辛料を強く好む方はそこまで多くなくて……」
なんで魔力香や好みの香把握してんだ、と薬術の魔女は内心で突っ込んだ。だが女性を見れば口説く悪癖を持っている宦官1なら、仲良くなった相手や仲良くなりたい相手のことも調べるかとなぜか妙に納得した。
ある程度区画を回ったが、特に真新しい発見はない。そのため、医局に戻ることにする。
×
医局の執務室に戻ると、どこか嗅ぎ覚えのある香辛料の香りがした。そのまま中をのぞくと、女官Aと女官Bが何やら作業をしている。
「なにしてるの?」
薬術の魔女が問いかけると、女官Bがやや慌てた様子を見せ女官Aがそれを制した。
「伴侶のお気に入りの香りを作って、おびき寄せようかと思いまして」
「きみの探してる人って、そんな単純なの?」
やや眉尻を下げて指摘すると、女官Aもやや困った顔をする。
「いえ、普段はそうではないですが……藁にもすがる思いで」
それほどに、伴侶を見つけたいのだろうなと薬術の魔女はなんとなく察する。
「っていうか、その香りってなんか流行ってるの?」
「どういうことですか?」
香りについて問えば、女官Aはやや前のめりになった。
「前、その匂いを東の区域で嗅いだ覚えがあっ「本当ですかっ!?」わ、急にどうしたの」
薬術の魔女の発言に、女官Aは食いつく。
「失礼しました。実は、この配合は私の固有配合でして」
「ふぅん?」
「本当に、この匂いでしたか?」
不安と期待の入り混じった顔で、女官Aは問うた。
「うん。配合としては同じ感じだよ」
差し出された入れ物の香りを嗅ぐが、特に違いを感じられない。薬術の魔女は割と鼻が利く方なのだ。
「よかった。やはり、彼女は後宮に居るのですね……!」
「途中で匂いは消えちゃったけど」
「恐らく、追われていることに気付いたのでしょう。では、もう東の区域には居ないでしょうね」
「そうなんだ」
ややがっかりしたような、どこか希望を抱いた表情で女官Aは呟く。
「ところで。なんできみが伴侶を探すことになったのか、教えてもらってもいい?」
薬術の魔女は、以前から気になっていたことを女官Aに問うた。
「理由、ですか」
「うん」
目を瞬かせる女官Aに、なんとなく答えてくれそうだなと予感する。
「それは……結構くだらないこと、だと思うのです」
「くだらないこと?」
「はい。私の故郷、毒蛇は……言ってしまえばとても治安が悪い」
「あー、うん。そうだね」
毒蛇は、非公式のテロ組織や違法な薬や毒が出回る地方だ。どう言おうとも、治安が悪い。
「なので、『結婚するなら、家の外に出られない』かもしれない……と伝えたのですが。それを嫌がったようで……気付いた時には姿を消していました」
「ふん。家の外に出られないのが嫌だったのかな?」
「さぁ。そうとは限らないかもしれません」
女官Aは、ゆるく首を振る。何かしら、理由を察しているようにも感じられる。だが、確信は持てていないようだ。
「ともかく。会えたら、どうしたいの?」
「そうですね……きちんと、お互いの話をしたいです。それこそ、『なぜ出て行ってしまったのか』とか。結婚は嫌でないはずです。彼女は、私の伴侶ですから。嫌で逃げた訳でなく、何かしらの理由がある。私には話せない、解決できないことだったのでしょうか」
薬術の魔女の問いに、女官Aはため息を吐いた。




