10 尚術局
尚術局は東にある。
区画としては、春姫、杏妃の司る場所になる。そのため、濃淡のある桃色の装飾に彩られていた。
薬術の魔女と補佐官達は翌日、別の門をくぐった。今度は尚術局。背の高い木々に囲まれた静かな一角に位置するその建物は、他の局とは明らかに空気が違う。かすかに線香の香りと何か古い紙の匂いが混じり、遠くから低い呪文のような声が漏れ聞こえてくる。案内役は、昨日と同じ宦官1だ。
「ここが尚術局です。あなたのような後宮医が薬を調合する際、単に草薬だけでは足りないこともあります。妃嬪様方の病が『気』の乱れや悪霊の影響にあると占われた場合、ここを通らなければ魔法薬は完成しません」
薬術の魔女は「(たしかに)」と、軽く頷いた。薬術の魔女が作る薬は、基本的に植物などの材料由来の成分で構成された薬だからだ。魔法薬を作る場合、錬金術や魔術師に手を貸してもらうのが一般的だ。(だが、薬術の魔女は個人でも魔法薬の生成はできる)
建物の中に入ると、まず目に入ったのは広い堂の中央に置かれた大きな香炉。煙がゆらゆらと立ち上り、天井に描かれた星図をぼんやり照らしている。壁際には巻物がずらりと並び、亀甲や蓍草が丁寧に並べられた机がある。宦官1が、静かに説明を始めた。
「尚術局は四つの司で成り立っています。まずは司占。星占い、夢解釈、易経による吉凶を主管します。典占様と掌占様が主に占術を行い、女史が道具を管理しています。陛下の即位や、王子誕生の折には、ここで大占が行われます」
司占の部屋では若い女史が蓍草を手に分け、静かに数を数えていた。薬術の魔女は自分の夫が次女と夢占いをしていたのを思い出し、少し懐かしく感じた。次に案内されたのは司文の間。そこでは赤い紙に黒い墨で複雑な符が描かれ、祈祷の文言が唱えられている最中だった。
「司文は魔術儀式と施法を掌ります。災厄除けの祈り、健康を増進する文言、符咒の作成です。典文様、掌文様が分担し、女史がお手伝いをします。尚食局の司薬と連携して、願いを込めた薬を調合することもあります」
薬術の魔女は、思わず宦官1に訊き返した。
「……わたしの薬に、願いとかを加えるの?」
宦官1は穏やかに頷いた。そうなると、薬術の魔女としては少し困ったことになる。なぜなら、薬術の魔女は処方する相手にとって完璧になるよう統合をしているからだ。あとから勝手に何かしらを追加されて、効能が変わってしまったら責任が持てない。
眉尻を下げた薬術の魔女に、宦官1は少し困ったように微笑んだ。
「必要なら、です。病の根が目に見えぬものなら、目に見えぬ力で対処する。そう定められています」
続いて司護の部屋。壁一面に小さな引き出しが並び、それぞれに護符が収められている。女官が一枚を取り出して見せた。赤い紙に金色の印が押され、かすかに温かみを感じる。
「司護は護符と守護を主管。宮内の浄化、悪霊退散の儀式を行います。尚寝局の寝所や庭園に定期的に施法し、典護様、掌護様が保管と点検を担っています。女史は細かい作業を行います」
最後に司録の間へ。そこは尚宮局の司記を思わせる厳粛さで帳簿が積み上げられ、過去の予知が丁寧に綴じられている。
「司録はすべてを記録します。魔術事案の帳簿、予知の保管、奏聞文書の起草。典録様、掌録様が審査し、女史が支えます。機密の極みですので、尚宮局と密に連携しています」
案内が終わり、宦官1が薬術の魔女を振り返った。
「あなたは後宮医として、薬で体を癒します。ですがここでは、心と運命を癒すのです。両方が揃ってこそ、後宮の命は守られる……とされています。尚術局の門は重く、許可なく入ることは許されませんが……あなたの薬が妃嬪様に届く時、必要なら彼女達は必ず手を貸します」
薬術の魔女は頷いた。胸に広がるのは、ほんの少しの不安。薬術の魔女は今まで、ほとんど自分の力だけで薬や魔法薬を作ってきたのだ。後宮医として活動する時、必要なら手を加えられてしまうらしい。
「……もし、わたしの作ったお薬に手を加える場合は教えてね。変な効能が出ちゃうかもだからさ。わたしの作ったお薬をあとで改造されて、『大変なことになった』っていわれても困っちゃうから」
「承知しました。尚術局に渡す必要が出た時は、あなたに一度お知らせしますね。……必要ならば、見届ける許可も取得しておきますか?」
「うん、おねがい」
眉尻を下げた薬術の魔女に、宦官1は頷く。
外に出ると、風が頰を撫でた。どこか、花の香りを纏った風だった。
「どこから来たんだろ?」
東や春に関わる植物は桃のはずだ。だが、この風は桃の香りではなかった。どこか異国じみた、嗅ぎなれない香りだ。
×
ふんふん、と匂いを嗅ぎながら、香りの濃い方へ歩いて行く。宦官1の戸惑う声、補佐官2の呆れる声、補佐官1の諦めがちな声が聞こえた気がしたが、薬術の魔女は香りの方を追って行った。なんとなく、この香りは大事ことのような気がしたのだ。
そのまま香りに従って向かうと、急に匂いが途切れた。
「……あれ?」
首を傾げるも、匂いは戻ってこない。その上、次は華やかな桃の香りに覆い隠されてしまったのだ。
「どこまで行くつもりですか」
補佐官2の、やや苛立った声に我に帰る。周囲を見回せば、桃色の大きな建物があった。周囲は桃色一色に染められ、桃の実や花の彫刻がこれでもかと施されている。
「うっわ、すごい。なにここ」
声を上げた薬術の魔女に「良かった。周囲を見てくれるようになりましたね」と補佐官1が息を吐いた。振り返ると、補佐官達と宦官1がやや息を切らして立っている。
「なんか、みんな疲れてるね?」
薬術の魔女が首を傾げると、補佐官1は小さく笑った。補佐官2は頭が痛そうな顔をし、宦官1は「体力すごいですね……」と茫然とする。
「こちらは、春姫様のいらっしゃる『春の宮』です。『桃壺』とも呼称されます」
「ふーん」
息を整え、宦官1が場所の紹介をしてくれた。どうやら、春姫の屋敷にまで辿り着いてしまったらしい。改めて見るが、桃色と桃の装飾がたくさんだ。
「招待がないので、入るのは難しいと思いますよ」
「あ、うん。入るつもりはないから、いいけど」
宦官1の言葉に、薬術の魔女は素直に頷く。すると宦官1は苦笑いをした。何か変な事を言ってしまったのだろうか、と薬術の魔女は目を瞬かせる。
「春の姫って、異国っぽい匂いのお香とか使うことあるのかな?」
ふとわいた疑問を、薬術の魔女は宦官1へ問うた。どうも、先ほど漂ってきた香りと『春の宮』の雰囲気が合わないと思ったからだ。
「……いえ、そのようなことはないはずです。春姫様は、『桃』へのこだわりがお強い方ですので」
「そうなんだ」
薬術の魔女が首を傾げると、宦官1は緩く首を振る。どうやら、あの香りは『春の宮』とは関係がないようだ。
「……ともかく。この場から離れましょうか。何か、妙な噂を立てられても堪りませんでしょう」
そう、宦官1が声を落として告げる。どうやら、長居をしてはいけない場所らしい。
「そうだね」
追っていた匂いも消えてしまったことだし、この場に用はない。薬術の魔女は、宦官1の言葉に従うことにした。
『春の宮』から医局に戻るまで、思いのほか長く歩く。
「行きはそうでもなかったのになー」
と薬術の魔女が首を傾げるも、
「行きも帰りも、同じくらいの時間かかってますよー」
そう補佐官1が告げた。「うっそー?」と驚く薬術の魔女をよそに、「こういうことは、よくあるのですか?」と問う宦官1に、「よくあるから、困っているんですよ」と補佐官2が愚痴っていた。




