20 春雷の儀
今回は儀式の話を淡々と述べるだけなので、推理(?)は無しです。
夫の魔術師の男が、儀式のために宮廷に向かった。
外は吹雪が酷いので、あらかじめ渡されていた特別な札を使って移動したようだ。彼はいつもの通りの、別れの挨拶をした。ただ仕事に行ってくるような、そんな簡素な挨拶を。
子供達は不安げな顔をしていた。
だって、春来の儀から帰ってきた魔術師の男は、酷く疲れた様子だからだ。
そもそも薬術の魔女自身が、儀式後の穢れた魔術師の男をあまり子供達の目に触れないように、さっさと屋敷内の治療室へ連れ込んで一生懸命に治療している。
「外の穢れを持ち込まぬ様、他者との接触を極端に減らされます」と言っていた彼の話からして、恐らく儀式で清められている儀式に捧げられる月官に会うことはできないだろう。仕事時間以外は。
なんというか、生贄にされるというのに仕事の滞りが悪くなるという理由で生贄になった人達は仕事もやるらしい。不思議なことだ。
×
薬術の魔女は宮廷に向かうことにした。
いつもの通りに宮廷医の制服を身にまとい、むん! と気合いを入れる。
「母さんも儀式の場所に行くの?」と不安そうに見上げた長男に
「大丈夫。わたしは見に行くだけだから、伴侶みたいにはならないよ」
と安心させるよう、目を見て伝えた。
家に残していく子供達の事は心配だが、長男がしっかりしているので大丈夫だろうと踏んだのだ。それに、儀式に参加する月官と違い夕方には屋敷に戻るつもりはある。
「おわ、全然空気感が違う」
人が非常に少なくなった宮廷は、とても静かで、普段以上に神聖な雰囲気が出ている。人の気配がなさ過ぎて、宮廷自体にかかっている両神の加護の気配がはっきりと感じられた。「(おばーちゃんと黒い人がちゃんと守ってるんだなぁ)」と呑気なことを思いながら宮廷内をうろつく。
試しに図書館に向かってみる薬術の魔女。
「あれ、暗い」
図書館は照明が落とされており、非常灯が灯っているようだ。当然ながら、受付をやっていた友人Cは居ない。
「あ、貸し出しのシステムは使えるんだ」
カウンターを覗き込み、薬術の魔女は呟く。暗いが、どうやら利用することはできるようだ。
「(ほーん)」
恐らく、今の時期に宮廷で働いている人達への暇つぶし要因なのだろう。
人がいない隙に、と薬術の魔女は宮廷内を歩き回ることにした。幸い、薬術の魔女は今日は当直ではないし、当直でなくとも札を持っている人は自由に宮廷内を歩いて良いらしいのでそれに甘えることにした。
いつも夫と利用する演劇場は、やはりがらんどうだ。展示品もひっそりと照らされているばかりで、防御の魔術がかかっているだけで誰も居ないのが新鮮に感じて薬術の魔女は少しわくわくしていた。
天文台に向かうと、人の声が聞こえる。
「……?」
近づいてみる薬術の魔女。
そこには、三名の宮廷魔術師がいた。
「だから、君が儀式に出るのは反対なんだ!」
とても柔らかでふわふわとした、良質な羊毛のような髪を持つ男性が力説している。
「でもボク室長だし!」
それを否定するように言い返しているのは、陽の光を浴びたことのないような滑らかな青白い肌の女性だ。
「彼は元室長の室長補佐じゃないか! 代役を頼むくらい問題ないはずだ」
「だからって、ボクが儀式を欠席するのは違うっていうか」
二人の言い合いに薬術の魔女は驚くも、双方の腕に在る腕輪が二人が夫婦であることを感じさせて途端に安堵する。
「……そろそろ、やめにしないかね」
そこに声を挟むのは、色の白いやや神経質そうな顔立ちのナイスミドル。
「(わ、揉め事だ。巻き込まれないよう戻ろ……)」
そろそろと後退るも。「あれ」ドアから出られない、振り返ると魔術結界で阻まれている。
「え?」
疑問の声を上げた時、三対の目がこちらを見た。
「丁度良い。キミ、ワタシ達の話を聞いてくれないかな」
「はえー!?」
×
帯の模様からして、全員白羊宮の月官のようだ。
金髪の男性は普通の室員、その人の伴侶らしき女性は室長、薬術の魔女に声を掛けたナイスミドルが室長補佐だろう。
相談の内容は「身重の室長が儀式に参加すべきか」。
どうやら金髪の男性と室長補佐は反対しているが、室長自身が行くと言って聞かないらしい。
「ふーん。……春の儀式と胎児の影響についての医術論文はないけど」
そう薬術の魔女が言った時、白羊宮室長が勝ち誇った顔をするが
「長時間の詠唱とストレスはお腹の子に良くないと思うよ」
「論文もあるよ」と続けると眉間にしわを寄せた。代わりに金髪の男性と白羊宮室長補佐が「ほらみたことか」と見返した。
「ぐぬぬ……分かったよ! 休むよ! ちぇっ」
そう言い、白羊宮室長は踵を返す。
「本当にありがとう。『薬術の魔女』のお陰で彼女とお腹の子が無事でいてくれるよ」
そう金髪の男性に言われ、「(はえー、心配性なんだな)」と頷く。
「……聞かなかったら監禁するところだったから本当に穏便に済んで良かったよ」
……違ったかも。
×
『春来の儀』当日。
儀式の場に付く薬術の魔女。
「(すっごい清められてる……無菌室みたい)」
思わず息を殺してしまう。
儀式の場には、なんだか偉そうな月官と月官でない魔術師と聖職者の姿があった。
「(なんかみんな、気合が入ってるな)」
ちら、と思う。
空間の中心はぽっかりと何もなくて、それを囲うように人々がいた。
やがて、そこに真っ白い衣装をまとった月官が8名入ってくる。そこには魔術師の男も居た。
とても嫌な緊張を感じる。
低い鐘の音が鳴った。すると、呪術の結界が白い衣装の月官達の周囲に張られる。
「(まるで、逃がさないつもりみたいな……)」
途端に『おばあちゃん』と『黒い人』に目を塞がれる感覚があった。
「(あれ、何も見えない)」
結界の外で文言を唱える魔術師や、聖職者の声しか聞こえなくなる。
「(なに、これ)」
一瞬だけ、ぞわっと『嫌なもの』の気配を感じた。海を見た時のような、とても強い不安感を伴う悪寒だ。
薬術の魔女自身は『おばあちゃん』と『黒い人』に護られている感覚がする。
しばらくして、嫌な気配が去った。
再び、鐘の音が聞こえる。呪術の結界が解けた様だ。
『おばあちゃん』と『黒い人』の気配が消えた、と思った瞬間。次は人の手が、薬術の魔女を儀式の場から引きはがした。
「わ、なに?」
振り返ると、白羊宮の室長補佐がいる。
「驚いた。本当に『薬術の魔女』は森の主から加護を受けているんだね」
「まだ人残ってたよね? あとあの臭いって……」
「君は知る必要がない。そう、神達が言っているなら、君は知らない方が良いんじゃないかな」
「え」
「髪色で分かるだろうが、私は白き神と黒き神両方の加護を受けた身だ。だから、分かる……君が言いたいことも」
「……」
「だが、今の我々にはどうすることもできないことなのだよ」
白羊宮室長補佐は、子供を諭すような優しい口調で薬術の魔女に話しかける。
「君ができることはない。大人しく、家で伴侶が帰ってくるのを待っていなさい。彼を一番綺麗にできるのは君なのだから。こちらも、感謝しているんだ」
「大事な有能な仲間の延命をしてくれるからね」と、白羊宮室長補佐は告げた。
×
用事もなくなったので、家に戻る薬術の魔女。夜中なので外の様子は分かりづらいが、外の吹雪はすっかり止んでいる。
心配そうな子供達が、待っていた。「儀式、どうだった?」と問う長男を、薬術の魔女は抱き上げる。
「『おばあちゃん』と『黒い人』が見せてくれなかったんだよー。だから、分かんない」
本当に、何もわからなかった。
「次は行かないよ。何もできることはないってことしか、分かんなかったし」




