19 『愛を贈る日』と菓子3
それから。
薬術の魔女は香料入りの巧克力を小分けにしたものを、知り合いに配ることにした。一口サイズに固めたものを包装で包み、簡易的に食べられるようにしたものだ。
まずは月官の蘇蛇宮へ持って行った。せっかくならまずは友人などの親しい人が居る方が良いだろうと考えたのだ。
だけれど。そこには後輩の魔術師だけが1人で優雅に紅茶を嗜んでいた。
「あれ、伴侶は?」
周囲を見回し、後輩の魔術師に問う。どこにも室長である魔術師の男の姿も、気配もなかったからだ。
「外で仕事だそうです。そのまま直帰するそうですから、もうここには戻って来ませんよ」
「なーんだ」
「で、手に持ってるそれはなんですか」
「香料入りの巧克力。焜炉ついたから、その記念と薬術の魔女は怖くないよーっていう普及活動」
「普及活動ですか」
「うん」
「せっかくなので、一つ頂きますね」
「うん!」
「そういえばですけど、聞きましたよ。また毒事件を解決したそうですね」
「え? あー、うん。なんかお茶に入ってたんだって」
「そーですか。大変なことになりましたね」
「え、なにが?」
「いえいえ。恐らくあなたの伴侶が教えてくれるでしょうから、その人に聞いたらいいんじゃないですか」
「うん、わかった」
それから、他の月官の室を回って行った。
他人の手作りが食べられない月官用に、通常のチョコで作れる香料の割合を書いたレシピなども一緒に渡す。
その次に他の日官の室を回って行ったが、「食料が手に入ったぞ」と言われたので節約の一端に使われたようだ。
星官にも配ったが、微妙な顔をされた。話したことがある男官や女官にも渡し、薬術の魔女は香料入りの巧克力を配りきったのだ。
×
定時を過ぎたので、薬術の魔女は補佐官達に声を掛けてから帰宅する。
自宅に戻ると、夫の魔術師の男の気配を感じた。それと子供達の気配も。
子供達の元へ行くと、子供達から巧克力を貰った。それは市販の小さな小分けのものだったが、薬術の魔女自身は気にしていない。話を聞くともう伴侶には渡した後らしい。
いつも子供達は、長男主導で一口サイズの大きさの巧克力を一つの袋に五個ずつ入れて安物のラッピングして渡している。その理由は父親がいつも三倍返しするから倍良いものを貰って兄弟(特に長女と次女)が贅沢覚えたら困るから、だそうだ。
子供達の前でもあまり伴侶と仲の良い姿を見せないようにしているため、魔術師の男とは最低限の会話だけを交わし一日が終わった。
防御や防音の魔術式が厳重にかけられている夫婦寝室で、薬術の魔女は魔術師の男と話すのだ。
「第三王弟って人に会ったよ。なんか学校一緒だったらしいんだけど、覚えてないんだよね」
夫婦寝室の寝台に腰掛けながら、薬術の魔女は魔術師の男に今日あった出来事を話す。夫婦寝室の寝台は二人で寝る設計なのでかなり大きめだ。夫の体格が大きいのもあるが、薬術の魔女は数度寝返りができるサイズのベッドを何気なく気に入っていた。柔らかさや匂いも好みだからだろうと思っている。
「……第三王弟、と申しましたか?」
自身の衣装棚に服を仕舞っていた魔術師の男がその手を止め、薬術の魔女を振り返った。その声は低く、どこか警戒と疑問の混ざったものだ。
「うん、言った」
「はぁ……」
深く考えず、薬術の魔女が頷く。すると彼は深く、それはとても深く。溜息を吐いた。
「そういうことですか」
「なにが?」
「いえ。此方の話です」
「えー、なに?」
「貴女は関係……有るとも言えなくもないですが、現状では関係はないので」
「なにそれ」
ともかく、今の魔術師の男は答えてくれないらしいことだけ薬術の魔女は察した。『教えてくれなかったじゃん』と後輩の魔術師への文句を内心で言っておく。
「ま、いいよ。はいこれ」
少し口を尖らせつつ、ではあったが薬術の魔女はとあるものを魔術師の男に差し出した。
「此れは……」
「香料入りの巧克力」
「いつものではないですね」
「うん。宮廷で配った。焜炉ついたから、その記念と薬術の魔女は怖くないよーっていう普及活動の香料入りの巧克力」
「有り難く、賜りましょう」
「そんな大袈裟なものじゃないってば」
「あ、あとお薬入り巧克力」
「いつもの、ですね」
「うん」
「今年も3倍返し、お楽しみに」
「え、今年も3倍返しするの」
「致しますよ。其の様に決まっているのでしょう?」
「法律では決まってないけどね……」
×
「すぴー」
見事な熟睡顔をさらす薬術の魔女を横目に、魔術師の男は本日遭ったらしい出来事を思考する。
「(此度の毒事件は、恐らくは偶然。だが、それを上手く利用されたと言う処か)」
妻である薬術の魔女が宮廷に呼ばれた理由はおそらく。
「(第三王弟殿下の為……か)」
最近の宮廷は保守派と革新派の衝突が激しい。王代理である第一王弟と第二王弟は表立って活動していないが、周囲の貴族(特に革新派)が活動的なのだ。
それならその双方でやり合っていれば良いものの、過激な革新派が日和見派を取り入れようとしているのだ。その結果、日和見の頭であるとされる第三王弟に取り入ろうとする者と亡き者にしようとする者が増えた。そうすると、第三王弟にとって宮廷は安息の地ではなくなる。
「(……軍部へと連れて行く予定か)」
その足掛かりとして、軍医中将となる薬術の魔女に近づけようとしたのだろう。




