17 『愛を贈る日』と菓子
「よっしゃ焜炉付いたー!」
「良かったですねぇ」
「大袈裟じゃないですか」
日官による蘇蛇宮の工事が終了し、薬術の魔女は拳を握って喜びをあらわにした。その様子に補佐官1は穏やかに頷き、補佐官2は呆れた目線を向ける。
「大袈裟じゃないよ。生成できるお薬の種類が増えるんだから、喜ばしい事だよ!」
「そうですねぇ」
「そうですか」
薬術の魔女は力説するも、補佐官2の態度は冷たい。補佐官1は本気で同意しているのか地味に怪しいが、薬術の魔女は気にしないことにした。
「で、何作るんですか」
新しく増えた設備なので早速使うのだろう、と補佐官1が問う。
「うーん、巧克力かな」
「……は?」
それに薬術の魔女が逡巡して答えた内容に、補佐官2が疑問の声を上げる。
「焜炉で仕事に関係ない巧克力を作って遊んでいる暇があれば、きちんと仕事をしてはどうですか。ただでさえ少ない時間と資源の使い方は、よく考えた方が良いと思いますよ」
少し苛立った様子で補佐官2は告げる。つまり、仕事に関係があれば巧克力は作って良いのだろうか、と薬術の魔女の脳裏に過ぎった。
「うーん、それはごもっとも。だけど、遊びがあった方が人生は豊かになるよ。ほら、巧克力でも食べて力を抜きなよ。この部屋は伴侶が魔術の設定をしてくれたおかげですごい安全なんだからさ、宮廷だからってそんなに警戒しなくてもいいんだよ?」
薬術の魔女はつまむ菓子として用意していた巧克力を補佐官2に差し出すと、補佐官2は顔をしかめる。
「……ちゃんと、仕事に使ってくださいね」と言いつつ補佐官2は巧克力を受け取った。「僕にもください」と言う補佐官1にも巧克力を渡す。補佐官1は嬉しそうに巧克力を受け取った。補佐官2ももう少し嬉しそうにしてもいいのに、と思いつつ薬術の魔女は棚から材料の入った袋を取り出し、分量を測ってからすりこぎに入れゴリゴリと擦り潰し始めた。すでに加熱されているもので、焙煎する必要はない。
「……安全なのはそれはそう、かもしれませんが。というか、原材料から作るんですか?」
「うん。原材料の加加阿はお薬にもなるし。っていうか、『お薬』の名目で開発局から貰ってきた」
「はぁ……」
得意げな薬術の魔女に、補佐官2はため息を吐く。最初からそのつもりだったのだろうと察したからだ。
「おいしいですよ、巧克力」
「あなたは呑気に食べてる場合ですか」
いつのまにか巧克力を食べていたらしい補佐官1に、補佐官2は呆れた目線を向ける。
「でもさ、『愛を送る日』も近いし」
「それと宮廷は関係ありますか」
「関係あるから作ってるんじゃないですか?」
言い訳を口にする薬術の魔女に補佐官2が問うと、補佐官1がなんとなしに答える。
「そうなんですか?」
「なにその顔。まるで普段のわたしは何も考えてないみたいじゃん」
「……」
「なんで目を逸らすの。これでもわたし、軍医中将になるんだよ。ちゃんと考えてるよ」
そう言いつつ、薬術の魔女はすりこぎで加加阿を擦り潰し続ける。そうは言いつつもいつも行動が妙なので怪しまれているのは仕方ないか、と薬術の魔女は思う。
軍部での会議だって、それっぽい神妙な顔を作って頷いているだけだからだ。(会議でいつも一緒に居るのは補佐官2)
「飽きた」
そう言い、薬術の魔女は魔導機を取り出した。
「それは……」
「擦り潰してくれるやつ」
「ですよね」
補佐官達が『やっぱりか』と言いたげな視線を向ける中、ゴリゴリと加加阿を擦り潰す音が響く。小さな魔石一個でも動く魔導機は便利だな、と薬術の魔女は思考を飛ばした。
年が明けてひと月過ぎると、今度は『愛を贈る日』がやってくる。『愛を贈る日』には巧克力を愛を贈りたい相手へ贈ると良いとされていた。なので、『愛を贈る日』の周辺は巧克力の祭のようになっている。『愛を贈る日』に合わせて、薔薇色の飾りを付ける店や自治体も多い。
「なぜ、巧克力なんですか」
「薬術の魔女は怖くないよーっていう普及活動?」
「なぜ疑問系なんですか」
「だって成功するかわかんないし」
「宮廷で配るんですか?」
「んー、男官や女官、知ってる人限定でかなぁ」
「それ、配る意味あるんです?」
「そりゃあ、あるよ。男官や女官はたくさんいるから、これからいろいろとお世話になるかもだし。知ってる人とももっと仲良くなりたいし」
補佐官2の疑問に答えつつ薬術の魔女が材料の様子を確認すると、巧克力は綺麗にペースト状になっていた。それを裏ごしして更に滑らかにする。口当たりは滑らかな方が良いだろう、と考えたからだ。(そもそも、宮廷に努める者は貴族だったり宮廷の食事に慣れている可能性が高いので、品質に気を付けるのは当然の話であった。)
「あんまり魔力使わなくていいから、魔導機って便利だよね」
と呟きつつ焜炉を起動させ火を起こし、銅鍋をその上に置いた。ペースト状になった材料を、擦り潰す魔導機ごと湯を張った鍋に投入。そうして、湯煎を始める。すでに巧克力の匂いがあたりに広がっていた。
「何を作るんですか」
「お薬巧克力。薬草入りの巧克力だよ」
問う補佐官2に応えると呆れた声が帰ってきた。
「それ喜ぶ人いるんですか」
「居るよ」伴侶だけだけど。
答えつつ、なんやかんや言いつつ補佐官2は色々聞いてくるなぁと思う薬術の魔女だった。補佐官1はよほどな奇行でない限りは何も聞かず、薬術の魔女の好きなようにさせてくれる。(実際のところ補佐官二人は薬術の魔女の監視役なので色々聞く補佐官2の方がちゃんと仕事をしていて、何も聞かない補佐官1の方が異常なのであった。ちなみに補佐官1は補佐官2がちゃんと仕事をしてくれていると信頼した上での対応である。)
「まあ、今回は薬草じゃなくて香料にしたらどうですか? 木の皮とか香草とか」
「そうだね、そっちの方が馴染みはあるかも」
珍しく補佐官1が薬術の魔女に提案をする。さすがに薬草入りの巧克力はまずいと思ったのだろうか。薬草は駄目でも、香辛料や香草は大丈夫らしいと薬術の魔女は察する。※そういう話ではない
「加加阿に混ぜる甘味、なににしようかなー」
「砂糖以外に候補あるんです?」
口を尖らせ呟いた言葉に、補佐官2が反応した。もしかすると、甘い毒でも使うのかと思われたのだろうか。
「え、はちみつとか黒糖とかだよ。はちみつにしようかなって思ってるけど。さすがに甘い毒は使わないよー。おすすめだけど、伴侶以外に使ったらおなか壊しちゃうもん」
「……蜂蜜には気分を落ち着かせる効果はあるかもしれませんね」
「やっぱり?」
薬術の魔女の返答に、補佐官2は眉間にしわを寄せながら吐き出す。ちなみに補佐官二名は『伴侶におすすめの甘い毒使ったことあるんだ』と呆れていた。伴侶の毒耐性はかなり高そうである。
「なんかね、小さな錬金術師の人に貰ったの。恰好からして日官の白羊宮の室長だとおもうんだけど。『あなたが「薬術の魔女」? 論文とか見てるよー。よかったらこれ。はちみつー。おいしいよー』って」
「見ず知らずの方から受け取った蜂蜜使うんですか」
「だって成分に悪いもの入ってなかったし」
補佐官2に答えると「たくさん頂きましたからね」と、蜂蜜を貰う瞬間に一緒に居た補佐官1が同意した。
「何の荷物かと思えば、貰い物の蜂蜜だったんですか」
周囲の壺や瓶を見、補佐官2はため息を吐く。胃薬でも処方しようかな、と薬術の魔女の脳裏に過る。毎月処方しているのだけれど。
「せっかくだから使いたいなーって」
「……もう、好きにしたらいいじゃないですか」
補佐官達は基本的に薬術の魔女が法に触れそうな行為を起こした時にそれを止める役割を担っている。なので、法に触れない行為には関与しないのだ。たとえそれが一般常識に欠ける行動だったとしても。
「お、諦めましたね」
「茶化さないでください」
目を細め笑う補佐官1を、ジト目で補佐官2は睨む。
「じゃあ、二人とも。味見よろしくねー」
そんな二人をよそに、薬術の魔女は湯煎している巧克力に蜂蜜を垂らす。
「うん、いい匂い! これ絶対美味しいよね!」
言いつつ匂いを嗅ぎ、薬術の魔女は嬉しそうに鍋をかき混ぜる。補佐官1が近づいてきて、覗き込んだ。
「確かにいい香りですね。香料を入れるなら、少しだけにしないと風味が強すぎてしまいますよ」
「そっか。じゃあ、ほんのちょっとだけ……」
彼女は補佐官1が用意していた香料を取り出し、砕かれたそれを鍋に落とした。補佐官2は作業の手止め机に座ったまま、呆れた目でその様子を見ている。
「香料は刺激成分が多いので、入れすぎには注意ですよ。貴女の感覚で入れてしまったら、刺激が強過ぎてしまうかもしれません」
「うーん、心配性だね。大丈夫だよ。わたし、一般の人向けにお菓子とか作ったことあるし、食べ物の商品開発もしたことあるから」
薬術の魔女は軽く笑い、鍋をかき混ぜ続けた。
その時、『蘇蛇宮』の扉が激しくノックされた。
その音は強く、どこか緊急性を帯びていた。暇だった補佐官1が急いで扉を開けると、そこには男官(衛兵)が焦った様子で立っていたのだ。走ってきたのか、息も絶え絶えで肩で息をしている。
「宮廷医! 大変だ! 第三王弟殿下が毒に倒れたんだ! おそらく毒だから、至急、応接殿へ来てくれ!」
部屋の空気が一瞬にして凍りついた。鍋から甘い香りが漂う中、薬術の魔女の手が止まる。補佐官1が薬術の魔女へ視線を向け、補佐官2が書類を手に持ったまま鋭く衛兵を見た。
「毒ですか? また? 状況を詳しく説明してください。誰が、いつ、どこで倒れたのですか?」
補佐官2が細部を確認しようとする。衛兵が慌てて答えた。その間に薬術の魔女は焜炉の火を止め、保存の魔術を鍋に掛ける。そして手早く数種類の解毒薬と回復薬を搔き集め、持ち運ぶ鞄に詰め込む。
「第三王弟殿下が、応接殿でお茶を飲んだ直後に倒れました。侍女が叫んで……」
「ふーん、すぐ行く!」
薬術の魔女は外套を翻して、現場へと向かった。 慌てて補佐官1もついて行く。
「全く、戸締りをしないなんて不用心過ぎませんか」
補佐官2は扉を閉め、室に鍵を掛けた。
×
男官に案内されながら、薬術の魔女達は目的地へと急ぐ。
以前、伴侶に「宮廷で走ると『田舎者』だと笑われますよ」と言われたことを思い出すが、今は緊急事態なので走るのは仕方がないだろうと結論付ける。(そもそも薬術の魔女自身はド田舎の森の中出身なので『田舎者』と言われても「それはそうだけど。だからなに?」としか言いようがないのであった。)
目的地の応接殿と言えば、宮廷でも奥の方にある部屋だったはずだ。基本的に王族が利用する場所は宮廷の奥の方にあり、応接殿も王族が来賓の者に対応するための場所だと聞いている。
広間の横を通り、宮廷の奥まった場所へ進む。宮廷の手前の方は六官や観光客、図書館や劇場の利用者で賑わっていた。だが奥に行くにつれて、だんだんと空気が冷えて静かになっていく。
「(なんとなく、『おばあちゃん』の気配がする)」
そう思いつつ男官についていく。
王宮の奥は神聖な場所であるとされる。それ故に秩序を司る天の神(薬術の魔女にとっての『おばあちゃん』)の気配が強いのだろう。だから、そう、悪いことはできなさそうである。それなのに、第三王弟が毒で倒れたのだ。一体どういうことだろうか。




