13 資金集め
年明けの一週間前には聖人の日があり、それに合わせてひと月前からマーケットが始まる。聖人の日は1年間良い子にしていた子供達に聖人から祝福が贈られる、という日だ。その日は聖なる木に特別な飾り付けをし、特別なご馳走を食べる事になっている。
丁度良いからと、薬術の魔女はセイントマス・マーケットで資金集めをすることにした。
「宮廷前のマーケットで資金集めしようと思ってるんだ」
毒事件を解決してから数日後、薬術の魔女は夫の魔術師の男にそう告げた。
「聖人の日の露店で、ですか」
「出店の届出はもう出したよ」
怪訝な表情をした彼に、けろりとした態度で薬術の魔女は返す。すると、魔術師の男は視線を横にずらした後、深く息を吐いた。
「……宮廷医の資金として集めたいのならば、天官と春官、つまりは財務部に届出を出さねばなりません」
「えー」
めんどくさ、と思うも彼の様子を見るに、冗談ではないらしい。天官と春官の財政部に書類を届け、『蘇蛇宮の宮廷医』として出店する許可を得なければいけないのだと。
今朝聞いた内容を補佐官達に話すと、補佐官2は盛大に顔をしかめた。
「書類ですね。やっておきます」
「ありがと」
補佐官2がやってくれると言ったならば、あとは大丈夫だろう。そして、補佐官達に書類関係を色々やってもらった結果。
「『日官か月官を補助として出せ』『宮廷医の名を使うなら半端な結果は出すな』と言われましたが」
「えー」
受諾の書類を持ってきた補佐官2が、薬術の魔女にそう告げた。思わず薬術の魔女は不満の声を漏らす。
「どうします」
「ちょっと聞いてみる」
問う補佐官1に「月官には少しあてがあるの」と言い、薬術の魔女は室を出た。「書類、念の為に持っていってくださいよ」と補佐官2に言われたので、ついでに持っていく。
そして月官の蘇蛇宮へと向かい、夫の、後輩の魔術師に声をかけた。
「仕事場で声かけるとか、良い度胸してますね」
作業台から少し離れた場所で、後輩の魔術師は優雅に紅茶を嗜んでいた。作業台では様々な魔道具や魔導機が稼働しており、空いている机の上ではペンが自動で記録を取っている。(ちなみに全部魔術師の男がやっている作業で、後輩の魔術師はただ紅茶を飲んでいるだけ)
その少々困惑した表情に、何か都合が悪かったのかなと薬術の魔女は目を瞬かせる。実際のところ、『友達ごっこをしにきてるんじゃねーんですよ』というところだが、薬術の魔女には分からない。仮に個人同士として宮廷の外で声をかけていたのならば、友人の頼み事くらい少しは聞いてやろうという心境にはなっただろう。
「じゃあまた後で?」
「手間です。要件は何ですか」
「資金集めしようと思ってたんだけど……」
紅茶を置いた後輩の魔術師に、薬術の魔女は訳を話した。すると後輩の魔術師は面倒そうに柳眉を寄せる。
「日官か月官の貸し出しですか。まあ、日官よりは月官が適任でしょうね。『聖人のおまじない』を掛けたり、防犯系の魔術を掛けたりするのに必要でしょうし」
「へー」と頷く薬術の魔女に、「なに、他人事みたいな顔してんですか」と呆れた。薬術の魔女自身に直接関係ある話だ、と言いたいのだろう。
「……聖人の日ならば神学、つまりは双魚宮の方々が適任じゃないですか」
「双魚宮……?」
「神学の研究者です。大聖堂の管理人をやってますんで、研究室かその辺りに行けば会えるはずですよ」
首を傾げた薬術の魔女に、後輩の魔術師は理由を答えた。それから後輩の魔術師が再び茶器を持ち上げ、紅茶に口を付ける。
「連絡先とかわかる?」
「……室長の連絡先を知っているのは同じ室長くらいですから、あの人に聞いてみたらどうです?」
答えつつ、後輩の魔術師は薬術の魔女の背後に視線を向けた。
「そっかー」
ちらりと後ろを振り返る薬術の魔女。魔術師の男が、氷像のような冷たい目で見返している。薬術の魔女が入室した時からずっと、魔術師の男は見ていた。視線を感じていたが、薬術の魔女はあえて無視していたのだ。
「……いい?」
「何が、ですか」
ちら、と上目遣いで見ると、彼は目を細めた。家での態度と全く違うな、と思いながら
「双魚宮の人達と連絡とりたいんだけど、中継ぎとか連絡先を教えてくれるとかしてくれる?」
と身体ごと首を傾げる(精一杯の可愛こぶりっこの姿勢である)。
「して。何を、するのです」
精一杯の姿勢をしても、彼の態度は硬いままだった。そもそも普段の夫婦生活でもぶりっこが効いたことはないのだが。
「人員の貸し出しをお願いしたいなぁって」
ダメそうだな、と内心で察しつつ薬術の魔女は言葉を続けた。
「貴女、ご自身の身分を御分かりでない?」
「へ?」
呆れ混じりの言葉は想像と違っていて、思わず魔術師の男に聞き返す。
「貴女は室長ですよ。唯の室員を貸し出されたらば、面子が立ちませぬが」
「……そうなの?」
薬術の魔女は、ぱちくり、と目を瞬かせた。すると彼は柳眉を僅かに寄せる。
「詰まり、室長補佐程度の者を貸し出して貰わねばならない。それを、貴女は出来ますか?」
「急に難易度高くなった!」
驚く薬術の魔女を、は、と鼻で嗤う魔術師の男。
「愚かですね、小娘」
「うっかり屋さんなとこが可愛いって?」
「……違います」
「ちぇっ」
低い声に、やや苛立ちに似た感情が含まれていた。少しやりすぎたかな、と薬術の魔女は口を尖らせる。
「それ、自宅でしてくれます? 空気が悪くてウザいです」
柳眉を寄せ、紅茶を飲んでいた後輩の魔術師が吐き捨てた(ちなみに意訳すると『イチャついてんじゃねーですよ』)。(後輩の魔術師は二人が意外と仲が悪くない事を察している。)
「抑、仕事用の連絡機はお持ちですか」
「軍用はあるんだけどな……」
さすがに、軍用の機器を宮廷で使うわけにはいかないだろう。それくらいは薬術の魔女でも理解できた。
「……設備が悪いですね、宮廷医と言うものは」
「うん。設備も古かったけど、予算足りてるのかな?」
「……扨。私は行く処が在るので、留守を頼みます」
薬術の魔女が首を傾げると彼は室長の外套を翻し、室の出入り口へと向かう。
「中継ぎは?」「致しませぬ」
間髪入れぬ返答に、薬術の魔女は口角を下げた。
「ああ。後、序でに星官の蘇蛇宮室長として、少なくとも月官の人馬宮室長殿とお話しなさっては如何ですか。貴女は態々此処迄足を運んでくださったようですし」
「え、うん。分かった」
魔術師の男が振り返り述べた言葉に、薬術の魔女は反射的に頷く。特に悪い提案でもないだろうな、と直感が働いたからだ。恐らく、決定事項でもあった。
「今は恐らく古書庫に居りますよ。貴女でも暇な翁の話し相手程度には成れましょうや」
「う、うん……古書庫ってどこ?」
聞き返すも、魔術師の男はすでに居なくなっている。ちら、と後輩の魔術師に視線を向けると、「あんた達って本当、面倒ですね」とため息を吐いた。
「こっちです。蘇蛇宮の下です。まあ複数の室の下でもありますが」
ここの研究棟らしき建物の地図を一瞬で出し、後輩の魔術師は場所を示す。
「降りるんだね。分かった」
「階段は端の方に一つずつ、それと中央……金牛宮と双子宮との間に一つあります。古書庫の出入り口に近いのは中央の階段ですよ」
「ありがとう」
後輩の魔術師に礼を告げ、薬術の魔女は室を出た。途端に、冬らしい冷たい空気に包まれる。
夫に人馬宮室長へ挨拶するよう促されたので、薬術の魔女は古書庫へ向かうことにした。静かな廊下を渡り、暗い階段を下ってゆく。
至る所に魔術式による文様が書き込まれており、何かが起きてもこの場所だけはずっと無事なのだろうな、と直感した。
階段を下り切り、少し歩いた先に重厚な扉がある。書庫だと書かれていたので、ここがきっと古書庫だ。そっと扉に手を触れると、キィ、と蝶番の軋む音と共に扉が開く。それと同時に古い本の匂いに包まれた。
古書庫には色褪せた革張りの本や糸綴じの本が多くあり、図書館よりも閑静で人の気配がない。
「(なんか、すごい……!)」
古書庫の雰囲気に圧倒されていると。
「……何時までそうして扉の前に立ち塞がっているつもりだね。私は君に門番の任を与えたつもりは無いのだが」
嗄れた低い声がした。
それは深く鋭い知性を感じさせる硬質な響きを纏っており、口調は如何にも気難しい老爺といったものだった。だが、語の端々に必要最低限の、しかし洗練された気品が宿っている。
随分と古めかしい言葉遣いを使うな、という感想を薬術の魔女は抱いた。夫の魔術師の男とは別の響きだ。薬術の魔女が声のする方に視線を向けると、そこには存在感を放つ者が居た。
「そこからでも声は聞こえますが、人同士が会話をする距離ではないでしょう。それに、汚れた冷たい風が入ってくる。もう少し、此方に来なさい」
「はい」
思わず、声の通りに一歩踏み出し扉を閉めた。それから薬術の魔女はそろそろと、声をかけた人物に近付く。
「君が『薬術の魔女』だな、随分と幼い……否、若いというべきかね」
一定の距離まで近付いた時、再び言葉を発した。その者は、静かに古い魔導書を読んでいる。視線をこちらに向けなかったが、薬術の魔女はなんとなく好意的に見られているような気がした。
「そう呼ばれることもあります」
「一度、会ってみたいと思っていたところに来てくれるとは。老人への労りがあるようで感心感心」
薬術の魔女の返答に軽く頷いた後、思いの外柔らかい声色で彼は話す。座っているが、見えた外套の色や帯の星座から月官の人馬宮室長だと薬術の魔女は理解した。
だが薬術の魔女が古書庫に向かったのは、夫である魔術師の男の薦めなので少し気まずく思う。
「宝瓶宮の室長など、ここ最近自分のところの魔術師がやたらと姦しいと辟易している様子で……その原因が若い『魔女』とやらにあると言うから驚いたのですよ。そろそろ私の元へ来る頃ではないかと予想していたところでね……ほら、大当たり」
ぺらり、と頁の捲れる音が響いた。
「齢二桁にして『魔女』の名を冠するとは……相当に努力をしたのだろうね。見れば分かる、というところです。……それが『脅威』と見做されてしまうとは、如何ともし難い、この世の悲劇の多いことであるよ」
「……わたしは、星官の蘇蛇宮室長です」
礼節の通りに、と薬術の魔女は胸に手を当て礼の姿勢を取る。
「挨拶はせずとも結構。暇を潰しに来た訳では無いのでしょう」
だが彼は本から視線を外さず、軽く手を振るだけだった。
「突然お伺いして申し訳ありません」
「星官。よりにもよってあのような烏合の衆に所属してしまうとは、君も相当に星辰の巡りに偏愛されているようで。良き風の加護があるよう祈っておきましょう」
ゆったりとした動きで杖を取り出し、少し振る。途端に薬術の魔女の周囲で、何か煌めきが散った。
「……それにしても星官とは。あそこはマシな者も多少は居るには居るのでしょうが、はてさてその量は如何程か。茶匙で掬えるほど居れば良いが」
呆れの混ざる声と、それに含まれる侮蔑の気配に薬術の魔女は背筋がひやりとした。さすがは言葉を操る魔術師のその長である、と言うべきか。
「ええと。月官を貸していただけないでしょうか」
言葉が途切れた、と判断し薬術の魔女は要件を述べる。
「それは何に、利用するつもりか訊いても宜しいでしょうか」
ちら、と視線を向けられた。それは何かを試しているかのような揶揄いに似た雰囲気がした。
「聖人の日のマーケットに出店するので、その補助を月官にお願いしたくて」
「そうか……話は聞いている。双魚宮の者の手伝いが必要なのだね」
「はい」
「良いとも。月官の長として、許可は出そう。序でに使いも出しておく。連絡機を持っていないのでしょう? 早急に配布してもらえると此方も助かるが……」
「ありがとう、ございます……?」
人馬宮室長が軽く杖を振ると、何か鳥のようなものが現れて壁をすり抜ける。
「私に礼を言うのは全てが終わってからで良い。まだ始まってすらいないのだからね。ですが、それを素直に口に出来るのは美徳と言えるでしょう。……だが誰を連れて行くかの交渉は、自分でやりなさい。人との縁は自分で繋げるものだ」
「はい」
「許可証は出しておくので、ごねたら出すといい。面倒事があったら私の名も出しなさい、虫除け程度にはこの椅子も役立つことでしょう」
それから薬術の魔女は別れの挨拶を告げ、古書庫を後にする。
人馬宮室長は『誰が』ごねるとは言わなかった。ごねるのは月官ではないのだ、となんとなく薬術の魔女は察した。大体は天官か他の星官の室長だろうか。
ともかく。薬術の魔女は次に月官の『双魚宮』へと向かう事にした。




