29
話によると彼女には幼い頃からの婚約者がおり、その婚約者のために自分の時間を犠牲にして婚約者を支えてきたそうだ。それなのに婚約者からは罵られる日々。さらに婚約者は別の女性と親しくなり、その女性に対しありもしない虐めをしていると婚約者から非難されるようになった。断じてそんなことはしていないと言っても信じてもらえない。逆に嫉妬は見苦しいと言われる始末。だけど彼女は義務で婚約者を支えてきただけで好意を寄せているわけではない。だから嫉妬だと言われても困ってしまったそうだ。それでも家同士の約束だと思い今まで我慢してきたが、結婚を間近に控えても婚約者の態度は変わらずむしろ悪化している。さすがにこのまま結婚するのは不安で父親に今までのことを話すと『お前の好きにしなさい』と言われたそうだ。
「――きっと私は父に失望されてしまったんです。そう思うともうどうしたらいいのか分からなくなってしまって…。そんな時にこのお店の話を耳にしたのです。必ず笑顔になれるお店があると。だから私も少しでも嫌なことを忘れたくてこちらを訪ねたのです」
「そうだったのですね」
「…あなたのおかげで少し元気が出ました。どうもありがとう」
「私はただお話を聞いただけですから。…でも差し出がましいかもしれませんが私が思ったことを言ってもいいですか?」
「!…ええ、教えてくれるかしら?」
「えっと…婚約者はその人じゃないとダメなんですか?」
「えっ?」
「いえ、お話を聞いて思ったのですがお客様のお父様はお客様の好きにしていいと言ったんですよね?」
「え、ええ」
「私にはその言葉は失望から言った言葉ではなく、『後の事は何とかするからお前の好きな道を選んでいい』という風に聞こえました」
「っ!」
「まぁ私はお客様のお父様を知らないので想像でしかありませんが、お父様は不器用な方だったりしませんか?」
「…確かにお父様は私やお母様が相手だと口下手なところがあるわ」
「そうなんですね。でしたらやはりお父様はお客様がどの道を選んでも応援してくれるかと」
「っ!」
「それにお客様は婚約者の方に好意を寄せていないとのことですが、婚約解消や婚約破棄をするにしても家同士の契約である以上お父様の力が必要ですよね?であれば私はもう一度お客様はお父様とよく話し合われた方がいいんじゃないかなと思いました」
本当に彼女の父親が彼女に失望していれば好きにしろなんて言わずに叱るはずだ。貴族同士の政略結婚であれば家同士の契約だ。お互いの好き嫌いの感情などは関係ないのだから我慢するしかない。それなのに彼女の父親は彼女に選択肢を与えたのだ。それだけ彼女のことを大切に想っているのだろう。
そう思うと私ももっと早く両親に相談していれば状況は変わっていたかもしれないなと思った。まぁ結果としてギリギリ間に合ってよかったが。それにオーガスト辺境伯家はとても力がある家なので、早くに相談していたら王家が潰されていた可能性も否めなかったりもする。
「……」
私の発言を聞いて彼女は黙ってしまった。
「あっ!も、もちろんこれは全く事情を知らないからこそ思ったことなので不快に思われたのならすみません!」
「あ…。いえ、違うんです。あなたのような考えがあるなんて私一人では思いつかなかったものですから驚いてしまって…」
「そうなのですか?」
「ええ。ちゃんと考えれば父は私を突き放すような人ではないのに、一人で考えすぎて周りが見えてなかったようです。あなたに話を聞いてもらえてよかったわ」
「少しでもお役に立てたのならよかったです」
「ああ、こうしてはいられない。早く戻ってもう一度父と話してみないと!」
「お一人ですが大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。これでも私魔法は得意なんですよ」
「そうでしたか」
「…そうだわ。あなたのお名前を伺っても?」
「私の名前ですか?ルナと申します」
「ルナさんね。今日は本当にありがとうございます。お料理もとても美味しかったです。では私はこれで…あっ!お代を…」
「お代ならもういただきましたから大丈夫ですよ」
「え?」
「お客様の笑顔を見ることができましたからそれだけで十分です」
「でも…」
「じゃあまたいつかこの店にいらしてください。お待ちしておりますから」
「…ありがとう」
「お気をつけてお帰りくださいね」
「ええ」
彼女を見送るために一緒に外へと出た。外は既に日が沈み辺りは暗い。彼女は大丈夫とは言っていたが念のため防護魔法をかけておく。家に着くまでは効果が持続するので安全に帰れるだろう。
彼女は私に軽く頭を下げてから王都の街中へと歩みを進めていったのだった。




