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終わりへの調べ-1

 ――激しいはずの水音が聞こえることはなかった。


 飛び起きる。息が出来ない。苦しい。何故、こんなに苦しいのか。

「大丈夫、大丈夫だからっ」

 背中をさすられる。思わず振り払おうともがくと、力いっぱいに抱き締められた。

「――」

 乱れた呼吸の音が、静かな部屋に響く。

 夢を見ていたのだと気付くとやっと息が出来るようになった。青年が少女からそっと身体を離す。

「……ごめんなさい」

 幼い少女の声が、まだ陽の差さない部屋の空気を震わせる。

「……っ、なんにもできなくて、ごめんなさい……!」

 ぼろぼろと涙が零れた。

(ちがう、ちがうの)

 少女は首を振る。それでも、言葉は止まらない。

 青年を困らせたいわけではなかった。青年に謝りたいわけでもなかった。けれど、止まらない、止められない。

「ごめんなさい、黒……っ」

(わたしだけいきのびてしまって、ごめんなさい――)


   ⁂ ○ ⁂


 右目を包帯で覆っている青年――ルシノが淹れてくれたお茶を飲む。お腹と胸が温かくなり、ティナは息を吐いた。

「……ごめんなさい、ルシノ。ありがとう」

 ティナの言葉にルシノは困った笑みを浮かべると、自分のお茶に口を付けた。

 ――ティナが森の賢者と呼ばれるノクシルの家へ運ばれてから、一年と少しが過ぎていた。

 あの日、夕食の献立を考えながら祖父の家に戻ったルシノが見たものは、ノクシルの腕の中、目の前で最愛の兄を失ったショックで自分の身が傷付くのを厭わず暴れていたティナの姿だった。ヴェンの悲痛な叫びを更に掻き消すような号哭は今でも、ルシノの耳の奥で響いている。

 立ち直ることはないと思っていた。

 失踪した王女として、死ぬまでここで身を潜めることになるのだろうと。

 心壊れた人形として、永遠に呼吸を繰り返すだけの日々を送るのだろうと。

「ルシノ」

 国を追われた王女が、心をもった少女が、真っ直ぐな光を宿した目で青年を見上げた。

「わたし、あきらめないよ」

「……そう」

 声を絞り出す。

 王女は表舞台から姿を消す選択をしなかった。少女はそこにいるだけの日々を選択しなかった。それは、ティナの心の強さと決意の固さ故だった。

「わたしはわたしをゆるせない。でも、それいじょうに――あのおんなをぜったいにゆるさない」

 白銀の瞳の奥、激しい感情が揺らめいているのを、ルシノは苦しい表情で見つめた。

 ルシノが口を開こうとした時、しゃがれた声が掛けられた。

「白姫様」

「ノクシルさま!」

 ティナが掛けられた声に振り向き、立ち上がる。ノクシルが手にしていた盆を持つと、水が零れないよう、机の上に置いた。

 盆に乗っていた盃を好奇心に満ちた瞳で見つめるティナに、ノクシルとルシノは柔らかく微笑んだ。

「――白姫様」

 ノクシルが声を掛ける。振り向いたティナに手招きすると、ティナは首を傾げながら駆け寄った。ノクシルが膝をつく。笑みは柔らかいまま、瞳を僅かに鋭くさせたノクシルは小さな白銀の姫君を見上げた。

「貴女はまだ子どもです。子どもの貴女には、まだ無限の可能性があります。まだ、道を引き返すことが、貴女には出来るのです。罪を赦せとは決して申しませぬ。あの女のしたことは到底赦されるものではない。ですが、罰を与えるのは貴女でなくとも良いのです。

 これから貴女のすることを、あの方は決して望みませぬ。

 貴女の決意は、覚悟は、あの方が嘆き悲しむものです。

 それでも、貴女は選ぶのですか?」

 肌を覆う羽毛の奥の瞳をティナも感じた。そして白銀の瞳を細め目の前の老人を見据えた。

「さいごに、いったの。『わたしがなんとかするから』って。

 なんとかしなくちゃ。

 それで黒がかなしんでも、わたしがいやだから、あきらめてもらう」

 母が死んで父の心は壊れてしまった。その隙に付け込んだあの女によって父はあの女の傀儡となった。いつの間にかノアとティナにとって家族と呼べるのは互いだけになっていた。

 そのノア()が死んだ。殺された。

 あの女――叔母の命によって。

 家族を壊し、兄を殺し、それでも尚生きている、ティルム国王妃――リオ=ルーナ=ティルム。

 白銀の少女が望むことは、一つだった。


「あのおんなだけいきてるなんてゆるせない。

 ぜったいに、わたしがころす」


 強い意志を宿したティナの瞳に、ノクシルは息を吐くと静かに立ち上がった。

「儂には白姫様を止めることは出来ませぬ。そこまでの決意を秘めた悲願、この老い耄れにも協力させてほしいとすら思っております」

 ルシノが目を見開きノクシルを見つめる。ノクシルは孫からの驚きに満ちた視線に「ほっほっほっ」と楽し気に笑った。

「儂は貴女のことも黒王子様のことも、僭越ながら、我が孫のように思っておりました。家族を奪われ憤らない者がおりましょうか」

「けどじいちゃんっ」

 ルシノが思わず立ち上がる。そんなルシノを、ノクシルは優しい眼差しで見遣った。

「……っ」

 あまりに慈愛に満ちた眼差しにルシノが思わず閉口すると、ノクシルは瞳の柔らかさをそのままにティナを見つめた。

「だがしかし、貴女がまだ子どもであるのも事実です。

 子どもとは力無き者。故に体力も無く、筋力も無く、知識も無く、判断する能力も無く。感情すら、一時いっときのものでありましょう。

 ですから、貴女が世界を知り、秩序を学び、それでも尚、復讐を望むというのなら。その道を今度こそ、この老い耄れに応援させてくだされ」

 ノクシルの言葉に、ティナは首を傾げた。

 ルシノは胸を締め付けられる思いで、人殺しを誓った少女に祖父の言葉を告げる。

「……君には、これから旅に出てほしい。その旅で、王妃は殺さなければならない人物か、見極めてほしい。君がどんな選択をしても、じいちゃんは君を応援する――って」

 ティナはルシノの言葉に頬を膨らませると、ノクシルに振り向いた。

「わたし、ぜったいにころすもん。ゆるさないもん」

「……」

 ルシノは、聞き分けのない子どものようだ、と思った。そしてすぐ、まだティナは子どもなのだと思い直した。

「なんとかなるって、おもいたい。でも、そんなのいや。

 わたしが、する。

 まぶしいおひさまも、やさしいつきのひかりも、なにもみせさせない」


 ――黒は、それをうばわれたんだから。


 ティナの強い眼差しに、ルシノはなにも言えなくなった。身体の都合でノクシルの家にいるだけで、ルシノの両親は健在している。理不尽に家族を奪われていないルシノには、ティナに甘いだけの言葉は掛けられなかった。

 ノクシルはティナが運んでくれた盆へ目を向けた。

「ならば誓いをより強固にするための旅路と思ってくだされ。

 さ、白姫様、儀を行いますぞ」

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