6.レ・ファム
3日後の午後、スレイドは再び警備艦隊司令部総務部事務棟の入口でウォラフソン少佐に出迎えられていた。子供が目を覚ましたと彼から連絡を受けたのである。今回はスレイド1人での訪問である。
「昨日、難民達は政府の別の施設に移されましたが、あの子はまだこちらの病室で手当てを受けています。ご指示のとおり、難民達とあの子は会わせていません」
「ありがとう。あの子の容体はどうですか?」
「ご承知のとおり、発見した時は衰弱がひどくかなり危険な状況でしたが、今はベッドの上に座って自分でものを食べられるようになっています。話もできるようですが・・・」
ウォラフソンのとまどった様子にスレイドは目を向ける。
「何か問題でも?」
「言葉が分からないんです。帝国公用語は通じず、ヒューイを使ってオクシタン語でも話しかけてみたんですが」
スレイドは2人の後をついてくるヒューイを振り返り頷いた。
「やはり・・・」
「心当たりがあるんですね。ヒューイは帝国の公用語だけでなく、主要な星系の言語なら通訳できるのですが」
「彼の瞳の色は何色でしたか?」
「う~ん、何というか明るい青なんですが若干緑がかってるような・・・」
ウォラフソンの言葉にスレイドは頷いた。
「銀髪に薄い茶褐色の肌、ターコイズブルーの瞳、おそらく彼はマルベキアンでしょう」
「マルベキアン?」
「惑星オクシタンの山岳地帯に住む少数民族です。人口は数百から多くても千人前後といいますし、彼らについてあるいは彼らの言語で記された文献も非常に少ないので、ネットワーク経由で検索しても出てこないのは当然です」
「なるほど。ところで、スレイドさんはその言葉は分かるのですか」
スレイドは笑った。
「学生時代に少し興味があって、マルベキアン語を学んだことがあります。多分、彼がマルベキアンではないかと思い、この3日間、古い学生時代のノートをひっくり返してきましたよ」
2人と1機は前回難民達を聴取した会議室の前を通り過ぎ、更に奥に続く廊下を進んでいく。右側に職員たちが忙しく立ち働く事務室をいくつか通り過ぎると正面に扉がある。ウォラフソンがIDを右手の壁の小さなボックスにかざすと扉が左にスライドし、一行は中庭の中を通る渡り廊下に出た。明るい午後の日が背の低い植え込みの紅葉を輝かせ、どこかで鳥の鳴く声が聞こえる。
事務棟と渡り廊下でつながれた先は薄い水色の壁を持つ大きな建物で、入口には飾り気のない看板が掛かっている。「警備艦隊第一宿舎」と読める。入口脇のボックスに再度IDをかざして扉を開けながらウォラフソンは説明した。
「こちらは我々警備艦隊哨戒部隊の隊員用宿舎の一つです。哨戒任務に就く前や帰港後の隊員たちが一時的に宿泊する部屋や食堂、体育館などの娯楽施設、PX(売店)、散髪屋、それにクリニックも併設されています。昨日まで難民達はこちらの宿泊施設にいました。例の少年はこちら、」
ウォラフソンは入口脇の警備室に敬礼しながら右に曲がる。
「クリニックの病室にいます」
ノックして病室に入るとベッドに起き上がった少年がはっと顔を上げた。ベッド脇の椅子には女性の看護師が座って少年の脈をはかっていたようだが、ウォラフソンが頷くと立ち上がりスレイドに会釈して部屋を出て行った。少年は少し怯えた様子で2人の男を見つめているが、思ったより回復は順調のようだ。病院側から提供されたらしい寝間着は少し大きいのか、襟口から鎖骨が浮いた胸が覗き服の肩部分が少年の上腕にまで垂れ下がっている。
ウォラフソンに促されスレイドがベッド脇の椅子に座る。少年がスレイドに向ける瞳は窓から差し込む柔らかい日の光を受けて、保養地で名高いティレニアの海を思わせる明るい青緑の色を放つ。
「やあ、私はダスティン。こちらは、」
スレイドがウォラフソンを指さし、
「ヴィックだ。君の名前は?」
ウォラフソンは身じろぎして少年をみつめた。聞き慣れない言葉だが、スレイドが自分をファーストネームで紹介したことは分かる。少年はスレイドの手に合わせてウォラフソンを一瞥した後、スレイドに顔を戻した。
短い沈黙の後、
「ファムです。レ・ファム」
「ファムか。会えてうれしいよ。いくつだい?」
スレイドの質問にファムは首を傾げた。
「いくつ、って?」
ああ、とスレイドはつぶやいて
「いつ君は生まれたのかな?」
と聞き直した。マルベキアンはオクシタンの戸籍制度に登録されておらず、マルベキアン自身にも年齢を数える習慣がない、と学生時代に習ったかすかな記憶がある。
「シャハリヴァルの年に生まれた、と父から聞いたことがあります」
12年で一周するマルベキアンの独自暦だ。シャハリヴァルはマルベキアンの伝説にある竜を意味し、1番目のティシュ(ネズミ)から数えて5番目だ。スレイドは記憶をたどって頭の中で計算した。すると、ファムは現在11歳らしい。
「その歳で大変な思いをしたね。これからは我々が君を守るから心配することはない。そこで君のその『旅』について教えて欲しいんだが」
一瞬、少年の瞳に怯えの色が走り身を強張らせるのが感じられたが、少年の手をスレイドの両手が優しく包むと、ファムは一つ溜息をついた後少年らしからぬ落ち着いた声で淡々と話し始めた。