1.リベラシオンⅡ
「まもなくアブロリモーゼ星系航路を通過します。目的地まで船内時間で残り20時間42分51秒です」
船内航行AIの声がブリッジに響きわたった。ブリッジ中央の椅子でだらしなく鼾をかいていた男が薄目を開ける。大きく欠伸と伸びをして居住まいを正したところでバタン、と不自然に大きな音がして男は振り返った。
「何だ?」
明らかに不機嫌そうな声にその音の主は若干たじろいだようだった。
「あの、その船長、すいません。なんかガキ連れの女がですね・・・」
船長と呼ばれた男が鼻を鳴らす。
「何だ、そいつがどうした?」
「あの・・・ミルクが欲しいって喚いてるんですが・・・乳が出ないとかなんとかで・・・」
船長と呼ばれた男はもう一度、人間がこんなに大きな口が開くのかと驚くほどの欠伸をした後で吐き捨てた。
「知らん」
「は?」
(薄のろとんかちが!)心の中で吐き捨てながら船長は椅子ごと振り返った。
「そいつはミルク代を払えんのか?」
「いや、それは・・・」
「じゃあ、そのクソ女に言っとけ。お客様、ミルク代は席料に含まれおりません、とな」
船長は後半部分を歌うように高級客船のキャビンアテンダントの気取った口調を真似た。
「それとも・・・」
一転、酷薄な口調になって、
「てめえの給料からミルク代をさっぴいてやろうか!」
返事も聞かずに正面のモニターに向き直る。
「すんません、船長」
背後で慌てた声とともに後ずさる気配がし、続いてバタン、と船橋の扉を閉める音がした。
(ふん)
船長はモニターを眺めるともなく眺めながら頭を掻いた。
(おおかた、一発かまされて情でも移ったんだろうさ)
名前だけ立派なこの「リベラシオンⅡ号」は建造されてから既に20年を超えた小型の恒星間貨客船である。普段は恒星間の“まっとうな”貿易に従事しているが、裏ではたまに、オーナーの謎のつながりで帝国からテラフォード共和国に逃れようとする難民の輸送を引き受けている。当然この仕事は不法なもので、帝国軍の哨戒線にひっかかれば撃沈されても文句は言えない危険な仕事だ。他にも不法移民に手を貸す輸送業者はいるがその実情は酷いもので、定員の2倍以上を船室に押し込めるのは当たり前、中には法外な料金を取りながらろくに空気の循環も行わない貨物用コンテナに難民を詰め込んで水や食料も与えず、最悪の場合は恒星間宙域にコンテナを“放棄”する輩もいるという。
(それに比べれば・・・)
当船は良心的なものだ、と船長は独りごちる。今回は定員50名のところ、惑星オクシタンからの難民16名しか乗せておらず、帝国軍の哨戒線を潜り抜けるという危険な任務に比べれば雀の涙ほどの報酬しか受け取っていない。乗客に必要最低限の食料は与えているし、
(どうせ・・・)船長は忌まわしい過去を思い出す。
1人を優遇すれば、他の連中もあれが欲しい、これが必要だと言うに決まってる。そうなれば完全な赤字だ。
まだあと1日近くある。椅子の上でごそごそと楽な姿勢を探りながら船長は目を閉じた。AIには到着2時間前に起こすよう言っておこう、と思うそばから彼は鼾をかき始めた。