それってなに? SF?
翌日。
真尋が下校するタイミングで接触を狙おうとした椎名は、まさかの場面に遭遇してしまっていた。
放課後。公園。制服姿の男女。
なぜかジャングルジムの前にいる二人。
何を話しているのかは分からない。
椎名は、ご近所さんの散歩コースにもなっている公園脇の歩行者用の道で立ち止まっていた。
「……真尋ちゃん……」
あの男子生徒は誰なのか。
少なくともクラスメイトではない。真尋は女子校に通っているからだ。
椎名はぐるぐると思考を巡らせて、ひとつの結論に辿り着いた。
──あれは、もしかして彼氏ではないか──
当然だ。あんなにカワイイ女の子が、自分と出会うまで恋愛をしたことがないはずもない。
椎名が大学構内で真尋と出会ったときも、彼女は複数人の友達と行動を共にしていた。
その中には当然ながら男性も含まれている。
椎名は軽く頭を押さえた。
今まで一度たりとも真尋の恋愛遍歴について聞いたことはない。
椎名はその話題を意図的に避けてきたのだ。傷つきたくないがゆえに。
しかし、急に現実として──椎名からすれば過去の出来事とはいえ──眼前でその光景を突き付けられるとショックだった。
今まさに自分と出会っても無視するように、結婚を回避するために行動しているにもかかわらず。
椎名は吐きそうになりながら、よろよろと近くのベンチに腰を下ろした。
ここからなら、真尋たちの姿が見えている。椎名は何がなんでも話をつけなければならないのだ。
真尋が一人になるタイミングを狙わなければならない。
「ううぅ……真尋ちゃん……」
とはいえ、椎名はもう既にメンタルグロッキー状態だった。
ゆっくりとジョギングをしながら通り過ぎていくご老人からの眼差しが痛い。
別にリストラされたわけではないです、と言いたいが、椎名は顔も上げられなかった。
一方、そんな椎名のことなど知るはずもない真尋は、ジャングルジムにもたれかかりながら「あのさぁ」と男子生徒を見た。
「しまっぺ、SFくわしい系じゃん? タイムトラベル? とかも、くわしくない?」
しまっぺこと、島崎大樹は、真尋の中学時代の同級生だ。
正確にはSF系の映画が好きな男子である。
どうしてこの暑い中で公園、しかもジャングルジム前で待ち合わせなんだと思いながらも、大樹は「まーな」と頷いた。
「青井もとうとう目覚めたか、SFの魅力に!」
「や、そーゆーのいいから。聞かれたことにだけ答えて」
「お前、ホントにそういうとこだぞ」
「何が?」
暴君って呼ばれるところ。
と、大樹は言わなかった。君子危うきに近寄らず、だ。
「聞きたいことってなんだよ。っつーか、なんで俺に聞くんだよ」
「わかんないことは専門家に聞くのが一番じゃん」
しれっと言い放たれた真尋の言葉に、大樹は「うぐっ」と声を詰まらせた。
専門家。
そう俺は専門家。
そんな安い褒め言葉に踊らされて堪るか。
いやでもいいな専門家。
「仕方ないな!!」
大樹はおだてられると掃除当番だって代わってしまう系の男子だった。
おかげで週一回だけ回ってくるはずの掃除当番を、五日間連続でやり続けたこともある。
「過去に戻って未来を変えるってゆーの? できるわけ?」
「えー、そんなスタンダードな……」
質問の程度が低かったことに大樹はガッカリした。
だが、相手はまるきりの初心者だ。大目に見よう。俺は専門家なのだから。
「タイムマシンで過去に戻れば、って前提ならできるぞ」
「いや、無理っしょ」
大樹の肯定に真尋は首を振った。
「だってさー、過去を変えたら未来が変わるっしょ?」
「え、だから、それはできるんだって」
「いやいや、無理っしょ。だって、それをやろーと思った未来ごと変わるじゃん」
Aという出来事が起きる未来を変えるために過去に戻るとする。
そこで過去を変えて、Aという出来事が起きない未来Bに変えたとしよう。
だが、Aという出来事がなければ、そもそも過去に戻って変えようと思わない。
だから、成立しないのだ。
真尋がそのことを指摘してきたことそのものに大樹は驚いた。
だが、そんなものは既に語り尽くされている内容である。
大樹は、素人はこれだから、と真尋を鼻で笑った。
「そういうのは、タイムパラドックスって言ってな!」
「なにそれキアヌのクソ古映画?」
「それ多分マトリックスだろ……」
「神体幹でめっちゃ後ろに反り返ってるやつ」
「そこしか知らねえだろ」
真尋は話の腰を折る天才だった。
そういえば、昔からそうだったな、と大樹は遠い目をしてから気を取り直した。
「そういうのはな、タイムパラドックスって言うんだよ」
「さっき聞いたよ。だからそれってなに?」
「たとえばな、自分が生まれる前に戻って、自分の親を殺すとするだろ?」
「クソ物騒じゃん」
真尋はジャングルジムにもたれかかりながら、腰に手を当てて頷いた。
「でも、親を殺したら自分は生まれない。自分が生まれないなら親を殺せない。ってなるだろ?」
「自分がいなくても死ぬように仕向けとけばいーんじゃん」
「お前時々天才になるのやめてくれね?」
大樹は一度溜め息をついてから、もう一度気を取り直した。
「それで、まぁ、その矛盾を解決する方法があってさ。別の時間軸ってことにするわけだ」
「じかんじく?」
「親を殺した時点から分岐するんだ。親が死んでない未来と、親が死んだ未来に分かれるってわけ」
「ふーん?」
「そうすると、犯人である自分は『親が死んでない未来』から来ているから存在できる。けど、親を殺してるから、『親が死んだ未来』もできあがるってわけな」
ほらこれで解決!と手を叩いた大樹に、真尋の視線が突き刺さる。
得意満面だった大樹はじわじわと口の端を引きつらせた。
え、何、俺なんかまずいこと言った?
真尋の目があまりにも不満げだったから、大樹は思わず口パクになった。
「やっぱ未来は変えられないじゃん」
「いや聞いてたか?」
「聞いてたし! けど、そんなん『親が死んでない未来』に帰るだけじゃん! なんも変わってないし!」
「お前時々天才になるのホントにやめてくれね?」
大樹は思わず屈み込むと、地面に石で図を描き始めた。
ミーンミンミンミンミンミンミンミンと、聞くだけで体感温度が上がりそうなセミの鳴き声に晒される。
こんな暑いところで自分は何をやっているのか。
我に返りそうになった大樹は、ふるりと首を振った。
「その場合は、自分がやりたかった方の未来に帰るってことだよ」
「けど、じかんがく? が、違ったらムリくない?」
「時間軸だっての。いや、この分岐点から自分はこっちの新しい方の未来に行くとして」
「だから、それがムリだってー。なんで、別ルート作ってんのに、そっち行けちゃうの」
「そこは突っ込まないお約束なんだよ……」
SFとは夢であり、ロマンであり、ファンタジーなのだ。
そうやって現実的なことを引っ提げて土足で踏み荒らすものじゃない。
大樹はちょっと凹んだ。
そして、文句のひとつでも言ってやろうと顔を上げると、真剣な顔の真尋が自分の描いた図をじっと見つめていた。
「まぁ、こういう分岐は最初からあって、そのいくつかのパターンのどれかに自分がいるって考えることもできるんだよ」
黙っていれば、単なるクラスメイトだった大樹にとっても真尋は可愛い女の子だ。
黙っていれば、そこそこ絵になるというか、アイドルっぽく見えるというか、女優みたいというか。
黙っていれば。
「可能性は無限大ってこと? しまっぺ、シンガーじゃん?」
そう、黙ってさえいれば。
ガクリと肩を落とした大樹は、両手を膝に当ててグイッと勢いよく顔を上げた。
「SFってのは奥が深いんだよ! 最初から干渉できない説とかあるし! 歴史の修正力とかあるし!」
「ふーん、わかった」
真尋は深く頷くと、屈んでいた姿勢から立ち上がった。
「やろうと思えばできなくもないけど、そんなんできたらすごいよねって話ね!」
「……」
まぁ、そうだけど。
大樹はもごもごと口を動かしたものの、結局は何も言えなくなった。
自分だって、そんな未来を変えるなんて夢のようなことができるなら、やってみたい。
いろんな考え方ができるから、こういう話は面白いのだ。でもやってみたい。
真尋は鞄を漁ると、半分凍っている状態のスポーツ飲料を取り出した。
「なんかわかった気がする。しまっぺ、おつかれ! はいこれ」
「え?」
「だって今日めっちゃ暑いっしょ、水分補強!」
「水分補給だろ」
「どっちでもいいじゃん」
「いいけど。あ、これって飲みかけ?」
「は? 違うし! サブだし!」
立ち上がって地面に描いた図を靴裏で消し始めた大樹は、差し出されたペットボトルを受け取った。
いい具合に溶けていて、飲みやすそうだ。
そんな二人の様子をベンチから見守っていた椎名は、勝手にハラハラドキドキしていた。
別れ話か、ケンカなのか、もしかして何か言い争っているのか。
二人が一緒に屈み始めたあたりから、もう気が気じゃない。
直射日光なんて何のその、とにかく二人を見守ることで椎名は頭がいっぱいだった。
「……いや、でもな……」
相手の男の子が彼氏だとして、それが何だっていうんだ。自分には関係ない。
自分は未来で僕と結婚しないでくれと言うために、わざわざここまで来たんだ。
ズキズキと痛む胸に手を当てて俯いていると、だんだん惨めな気持ちになってきた。
真尋はどうして自分と結婚するんだろう。
どうして結婚したいと思ったんだろう。
自分は研究員。決して給料は高くない。それなのに。
ウジウジと考え事をしていた椎名の前に誰かが立ち止まった。
しまった。こんなところにずっといたから、通報されたのかもしれない。
顔を上げられずにいる椎名の前で、その人物は足元に屈み込んだ。
「ネッチュウショウなんじゃない?」
「まっ……」
真尋ちゃん!?と叫びそうになった椎名は、自分で自分の口を塞いだ。
さすがに高校生の彼女に自分がそう呼び掛けるのはやばい。気がした。
屈み込んだ姿勢のまま椎名を見上げた真尋は、きょとんとしてからにんまりと笑みを浮かべた。
「話があるんでしょ? アイスおごってくれるなら、聞いてあげる」
小悪魔チックなその表情に、椎名はごくりと喉を鳴らした。
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