僕と離婚してください
季節は、夏。
時刻は、夕方。
場所は、とある女子高の門前。
「ぼ、ぼっ、僕と」
それは突然のことだった。
「僕と離婚してください!」
頭を下げる青年を前にした女子高校生──青井真尋は、思わず眉を寄せた。
「てゆーか、誰?」
そんな出来事があったのが、ちょうど三十分前のことだ。
つい先ほど初対面を果たした二人は、ファミレスの一角で顔を突き合わせていた。
片や、地元の女子高に通う制服姿の高校生。
片や、スーツを着ているサラリーマン風の冴えない青年。
傍目にも変わった組み合わせに見えているせいで、店員や客からちらちらと様子を窺う視線が飛ぶ。
しかし、青井真尋はそんなことを意に介した様子もない。
「で? 話くらい聞いてあげるよ、不審者さん。その代わり、ここは全おごりでお願いね」
「そ、それはいいんですけど……その、不審者さんって呼ぶの、やめてください……」
「はー? 純度全パーの不審者でしょ、意味わかんない」
肩を落として身体を小さく縮めてビクビクしている青年に対して、女子高生は頬杖をついて強気の姿勢でいる。
ここなら他人の目は大勢ある。何かあれば、逃げ出すことだって簡単だ。
最悪、話が拗れたり面倒なことになったりすれば、トイレにでも行く振りをして逃げてしまえばいい。
「私は青井真尋っていうんだけどー」
まずは自己紹介だ。そう思った真尋が名乗ると、青年は少し驚いた表情を浮かべた。
「え、あ、知ってます……」
「名前教えろって言ってんのよ、わかるでしょ。大人なんだから」
「えっ、あっ、す、すみません……」
おろおろと視線を彷徨わせた青年は、スーツのポケットから一枚の名刺を取り出した。
そして、それを両手でおずおずと差し出す。
名刺の受け取り方など知らない真尋は、それをペシッと片手でむしり取った。
「……国立時空科学研究センター?」
「は、はい。椎名祥平と申します……」
「ふーん……てか、時空科学ってなに? 聞いたことないんだけどー」
名刺は普通の厚紙ではないらしい。
軽く揺らすと、表面が照明を反射してキラキラと光っている。
夜空のような色の背景に白い文字。星のような模様は、真尋にはグリッターパウダーにしか見えない。
「えぇっと、量子情報理論とか、量子重力理論とか……わかります?」
「わかるって思って聞いてないっしょ」
真尋は眉を寄せて口を尖らせた。
そんな、授業でやらないことまで知ったことじゃない。
真尋の場合は授業で習ったことだって曖昧だ。
「いや、すみません……」
椎名は慌てて首を振った。
だが、どこからどう話せばいいのやらサッパリだ。
聞いたところでわからないと判断した真尋は、名刺をテーブルに置いて頬杖をつき直した。
「わかりやすく言ってよ。素人でもわかるよーに。試験範囲じゃないんだし」
「えぇっと、あー……タイムトラベル、ってわかります?」
「うん」
「……それを、研究している、わけ、です……」
タイムトラベル。
タイムリープ、タイムスリップ、タイムワープ、どう呼んだところでそれほど違いはない。
いや、厳密な点を説明し始めると終わらなくなってしまう。
椎名はおずおずと顔を持ち上げた。
すると、やはり真尋は意味が分からないと言いたげな顔をしていた。
「あのっ……こんなことを言って、頭がおかしいと思われるかもしれないんですけど……」
「もうとっくに思ってるからいいよ」
「え、あ、ありがとうございます……あの、ええっと……」
視線を上に下に、手を膝の上で忙しなく組んだり離したり。
明らかに落ち着きのない椎名を前にして、真尋はイライラと眉を寄せた。
「もう! 細かいことはいいんだから、さっさと言ってよ!」
真尋が空いた手でテーブルを叩くと、椎名の肩がビクンッと跳ね上がった。
「はっ、はい! ……その、じ、実は……僕ら、結婚してまして」
「は?」
「ああ、いえ、結婚というか、まだ婚約なんですけど」
「は?」
「その、僕は、ええと、離婚してほしくて、だから、それで、それを言うために過去に来たわけでして……」
「は?」
「ああ、すみません。えっと、あなたから見れば未来からっていう、ことになるんですけど……」
「いや引っ掛かってんのそこじゃないし!」
バンッ!と真尋がテーブルを叩くと、周囲の客の目が向いた。
ドリンクバーから取ってきたばかりのジュースがこぼれそうだ。
注目を浴びたことに慌てた椎名は、口許に指を当てて「し、静かにしましょう」と言った。
「うちら結婚してんの!?」
「しししし、しっ、静かにしてくださいって……!」
あわあわと周囲を見回した椎名は、目が合った客に対して思わず頭を下げた。
スーツ姿の男と女子高校生という組み合わせだけでも目立っているのに、これ以上はよろしくない。
腰を持ち上げかけていた真尋もさすがに気が付いて、むっとしてから席に腰を下ろした。
ちょうどそこに店員が注文の品を持ってきた。
手を上げた真尋の前に、チョコレートパフェとチーズケーキ、そしてポテトフライの盛り合わせが置かれる。
ごゆっくりどうぞーと言って立ち去った店員の背を見送ったあと、真尋はパフェ用の長いスプーンを手に取った。
「食べてる間に説明して」
「は、はい……」
生クリームの部分だけをスプーンに乗せて口に運んだ真尋は、また言葉に迷っている青年を見遣った。
こんな男と自分が結婚だなんて考えられない。
セットもしていない黒髪に、ダサい眼鏡。おろおろした態度に落ち着きのない目。
自分が思い描いている理想の結婚相手と、似ても似つかない相手だ。
引っ張ってくれる相手がいい。やっぱり男らしさだって必要だ。それと顔だって格好良い方がいいに決まってる。
「……その、こんな冴えない僕じゃ、彼女と……いや、君と釣り合わないと思って……」
今まさに思っていたことを言い出した椎名に、真尋は目を丸くした。
「ぼ、僕と君じゃ、バランスが……取れる、はずがないんだ。最初からそうだったのに……」
俯いてしまった椎名は、そのままぽつぽつと語り始めた。
大学で出会ったときのこと。
自分の研究分野に真尋は興味を持っていないこと。それでも、自分の夢を応援してくれたこと。
「君は優しいから……僕と結婚してしまったんだろうけど」
眉を下げて俯いている椎名は、今の真尋から見ても頼りない男だ。
「僕じゃ、君を幸せにはできないんだ」
「君のためにならないんだ」
「僕では、僕が相手じゃだめなんだよ」
「で、でも、君には幸せになって欲しいんだ……!」
とうとう最後は絞り出すようにして言葉を放った椎名は、ぜえぜえと肩で息をしている。
緊張しているのだろうということは、真尋にだって分かった。
「……それで離婚してって?」
話を聞き終えた真尋は、食べ終わったパフェの器にスプーンを放り込んだ。
カラン、と音が鳴る。
既にケーキは完食。ポテトフライも半分ほど食べ進めている状態だ。
店内の賑やかな話し声もBGMも、真尋の耳には届いていない。
「未来の私に言えないから?」
椎名はこくんと頷いた。
「出会う前の私に言うって?」
何度問いかけられても、椎名は頷くしかない。
「このっ、臆病者! チキン野郎ッ! 鶏がらスープ!!」
真尋が声を上げると、再び店内の視線が二人に向いた。
だが、真尋はもうそんなことには構っていられない。
「そ、そうだよ……僕は臆病者で卑怯者のチキン野郎で……」
自分で言いながら、椎名は少し落ち込んだ。
付き合ったことがあるのは真尋だけ。恋愛経験なんてないに等しい。
そもそも付き合い始めたときだって、どうしてそうなったのかもよく分からなかった。
「そんなの、ずっと昔からだ。……明るくて可愛くて、元気で人気者で、そんな君に……僕なんて……」
分かっていたことだ。そう思ったから、結婚を取りやめてほしいと頼みに来た。
なのに、椎名は既に泣きそうだった。人生最初で最後、きっともう彼女のような人は現れない。
自分の夢を馬鹿にせず、やってみればいいよと背中を押してくれた彼女は、まさしく理想の女性だ。
それなのに。
「どこから?」
「え?」
椎名の感傷タイムに、真尋の冷静な問いが割り込んだ。
「どのタイミングで過去に来たの?」
「ど、どのタイミングって……?」
「アンタが過去に戻ったのはいつって聞いてんの」
「け、結婚式の……」
ごくり。
喉を鳴らした椎名は、視線をぐるりと上下に揺らした。
「前日……」
「はぁ!? もうっ、つくづく最低じゃん!」
真尋の怒りはもっともだ──と椎名はぎゅうと目を閉じて俯いた。
自分は最低なことをしている。彼女に恥をかかせたのだ。
だから、きちんと離婚──いやいや、結婚しないことにして、清算しなければならない。
彼女にとって正しい未来のために。
「はーっ、信じらんない。サイッテー」
こくこくと頷いた椎名は、やはり少し傷ついた。
本当に最低で最悪で、ひどい男なのだ自分は。
だから、どうか幻滅してほしい。未来で出会っても、どうか無視してほしい。
そう思っていたのに。
椎名の耳に届いたのは、とんでもない一言だった。
「絶対に離婚してやんないし!」
唖然としている椎名の前で席を立った真尋は、傍らに置いていた鞄を手にした。
そして、ビシッと椎名に指を突き付ける。
「全部アンタの都合じゃん! 私の意見は何も聞いてないんでしょ、どーせ! だったら私もアンタの意見なんて聞いてやんない!」
真尋はそう言い放つなり、固まってしまっている椎名を置いてさっさと店を後にした。
支払いは椎名がしてくれるだろう。それでいいと言っていた。何より椎名は大人だ。
研究員というものが稼げるだなんてイメージはなかったが、そんなことまで真尋の知ったことじゃなかった。
青井真尋。
彼女は学校でも一位二位を争うほどの美少女として有名だ。
だが、同時にその性格を示して『暴君』とも呼ばれている。
ついでに「誰が暴君なわけ?」と上級生に噛み付いたことで『狂犬』のあだ名も追加された。
彼女が大層可愛らしい少女であることと、同時に大変気が強いことは昔からで、そして有名な話だ。
出会う前──高校生の頃から、既に発揮されていたらしい。
だというのに、椎名はそれを迂闊にも計算に入れていなかった。まさしくそれが敗因だ。
「こ、困るよ、それじゃ……」
椎名は思わず頭を抱えた。
今回使ってしまったタイムマシンは、いわば試作品だ。
本来であれば、実験段階では生物以外の物品で試さなければならない。
既に規則違反だ。二度目はないものとして、動かなくてはいけない。
椎名としては、どうしても結婚を阻止しなければならないのだから。
退院後のリハビリがてら書いてみます。
夏季限定の短期連載の予定です。
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