001 プロローグ
わたし、芦屋 遥は平凡な女子高校生である。
ここであえて「平凡な」というワードをつけたしたのは、あの特異的な現状を抜きにして、自分を自分で評価した結果、そうすべきだと思ったからである。
成績優秀、品行方正かといえば、確かにそのように周囲から認識されてはいるが、本当にそうかというと、それは間違いだと、わたしは主張したい。
それは周りの空気によって創りあげられた「偽り」の自分であると。
――そんなもの放っておけばいいじゃないか。
そのように、彼女――東雲に言われそうだが、残念ながらその考えに賛成できても、そうはできないというのが現状の「芦屋 遥」という人間だった。
そもそもヒトというのは「差異」を求めがちである。なぜなら、他人との違いこそが自分の「価値」と考えるからだ。それこそが己の生きている、存在価値であるかのように。
だが、よく考えてみてほしい。
「個性」なんて所詮見つけだそうとせずとも、自ずと見えてくるものだと。その場の「普通」によってそれが特徴になったり、しなかったりするだけで。
ああ、ちなみにこれはとある知人からの受け売りだったりする。
まぁ、兎にも角にも、わたしもその大多数と同じように「差異」を求めるうちの一人である。
――誰かの『特別』になりたい。
――周りから重宝される人になりたい。
――それでいて『普通』でいたい。
なんと矛盾した望みなのだろう。『特別』な『普通』とはなんだろうか。
こうやって今も昔も相変わらず、すぐに自問自答する癖は、今後この先変わることのないものだと思う。
だから、人間はそう簡単に、たった一ヶ月――とある夏休みごときで別人のようになるということはないと思う。
ただ、いまから語る、とある夏休みの話は間違いなく自分が変わるキッカケになったと思うし、ある意味、これが人間の「成長」というものではないかと個人的には思っている。
そう、あくまでもこれは個人的な意見だ。
つまり、この物語もわたしの主観まみれで、また、「芦屋 遥」という人間からみた話である。
では、はじめに、東雲について語ることにしよう。
正直に言ってしまえば、それが本当に何なのか、わたしにはわからない。
気がついたときには彼女はわたしの側にいた。
というのは嘘だが、彼女が何者であるかなんて知らない。ただ、彼女ーー東雲は東雲であるとしか言いようがない。まったくのところ、彼女に関して言えば、それで話はおしまいである。
もちろん、そんなことを言い出してしまったら誰だって誰かであり、それ以外ではなく、唯一無二の存在なのだが。なんというか、彼女は彼女で、はっきりと定義されていて、決まりきっていて、そして、名前以外にはっきりとしたことがない。それはなんとも矛盾したものいいかもしれないが、いや、それでもこのように表現するのが無難な気がする。
……正直なところ東雲のことを考えずに済むならそうしたい。思考を放棄したい。しかし、それをせずに、いま、こうして語っているということは、できない理由があるというわけだ。
というのも、わたしは彼女と賭けをした。いや、今もその賭けの真っ最中である。勿論それで人生が終わるわけじゃないと言いたいところだが、世界が終わるかもしれないし、終わらないかもしれない。
いや、どっちなんだ。はっきりしろよ。
そう言われても仕方がないのだが。
彼女ーー東雲の言葉を疑わざるを得ないこちらの身のことも考えてほしい。まぁ、賭けとはそういうものなのだが。
兎にも角にも、もう何度目かわからないが、改めて思う。
疑うことはストレスだ、と。
そうして、人々は、自分の過ごしている世の中が、信用するに足る、安心できる場所だと信じたがっている。そうすれば疑心暗鬼に陥らずに済む。ストレスによる鬱も無くなるだろう。
だが、わたしは、損をしたくはない。だから、疑う。
疑うことにより、真実か嘘を見抜くことができ、より確かな真実へと近づくことが可能となる。
それで自分の精神が病むか病まないかは自己責任ということで。何か真実か、常に疑いながら、心に鬼を飼いながら過ごすことにしよう。
さて、話が大きく逸れてしまったが、つまり何が言いたいかというと、東雲を疑ってかかれということだ。
読者の皆様方にもご忠告を私からしておこう。
誰もこれが本当のことかなどとは僕は一言も言ってはいない。
僕が僕っ子であるかどうかもわからない。これは僕が遊んでいるだけかもしれないし、本当に口癖かもしれない。
言葉を鵜呑みにするな。
僕は好きなように嘘をつくし、自分の気持ちを隠したりする。必要に応じては真相をごまかすことだってあるだろう。
だから、僕を安易に信じるな。疑ってかかれ。
人を信じるのも、妖怪変化を信じるのも、個人の自由だが、まず、はじめに疑うことに損はないだろう。
ではでは。
そんな面白おかしく、滑稽な僕のお話を始めよう。