第1話 “飢え”
「そう」
レイベルはただ無関心の様に、静かに呟いた。
それを見たファートスはつまらなくなったのか、後ろの方を向いて歩き出した。
「ケッ! ホンマに、腹立つのう」
それをレイベルはただ悲しい目で見つめるだけだった。自分の息子の、その狂気の姿をただ見ることしか出来ない。
「……ファートス」
今はただ、その名を呟くことしか出来なかった―――
へリア村の中央区、ファートスはある路地裏で、3人のリザードマンと会話をしていた。
少なくとも今言えることは、普通の会話では無いということだ。
「のう? ワシ言うたよなあ? あのゴブリンの死体の後片付けせえてよお」
「ま、待てよ!? お、俺たちそこまでは!?」
「あんなぁ? ワシが殺す言うたら片付けすんのおどれらやろぉが?」
「そもそも群れから外れたゴブリンおるから殺せ言うたんもおどれらやろ? 片付けぐらいしてもええんとちゃうんか、オオ?」
ファートスは鬼気迫る勢いで、理不尽な事を言いながら3人に詰め寄る。
正に悪魔の様なその声に、3人の内2人は最早震え上がっていた。だが2人よりも大柄で体格のいい1人は腕を組みながら怒りの表情を見せているが、そんなことは関係ない。怒りとも楽しみともとれない感情をファートスは渦巻かせながら、3人に更に嫌な声を浴びせる。
「バレたんがワシのお袋やから良かったやろうけど、赤の他人にバレたらどないするつもりやってんな?」
「まさか、見つかったんがワシの家の近くやから来んかった訳やないやろなあ?」
段々と――ファートスの顔は、笑顔になっていった。
まるで、この状況を楽しんでいるかのように、その顔は晴れやかだ。子供たちが公園で遊んでいたり、友達と遊んでいる時の様な、そんな感じだ。
「オイ! そろそろいい加減にしたらどうだ? アァ!?」
そして先程の大柄で体格のいいリザードマンの男がファートスに突っかかり、胸ぐらを掴んだ。それを見たファートスは口角をニヤリと吊り上げて、1人に指を指した。そして、口を開く。
「ほーん、あっそ。分かった分かった、じゃあ報酬金は2倍にさせてもらうで」
「ア? 何言ってんだお前」
「お、オイ! もうお互いに良いだろうよ! な? こっちも少し払うから、それでいいだろ?」
リザードマンが胸ぐらに対してさらに力を入れながら怒号を出す。それともう1人のリザードマンが止めに来る。だがファートスはそれらを意に介さず、そのまま体格のいい方の腕を掴んだ。その顔に悪魔の様な笑みを浮かべる。
「ほうかぁ、そらあ良かった」
「あ? テメェ何言って……!」
リザードマンが声を荒らげようとした瞬間――“グキャリ”と嫌な音が鳴った。その場にいた誰もがその生々しい音が鳴った方を見た。
「―――ギャアアアア!?」
――そのあまりにも痛々しい悲鳴も含め、それは全てファートスに突っかかったリザードマンの者であった。
腕は手の付け根から少し上の部分が潰れており、最早治しようが無いくらいにまで潰れている。骨ごとまで砕けていて、更に痛みが続き、リザードマンは苦痛に顔を歪めた。
それを見るファートスの顔は、“笑っていた”。なんの抵抗もなく、なんの躊躇もなく彼の腕を掴み、“壊した”のだ。
「あーらまぁ、可哀想やなぁ! 可哀想やなぁ!」
更に、“泣き出した”。分からない。何故だろうか? 残りの2人はさらに恐怖に駆られ、自然と後ろに後ずさっていく。
今見ているこの光景はなんだなのだ? そんな疑問と恐怖が行き来して、彼らの顔からは自然と冷や汗が流れてゆく。
「はぁ〜ええのう。ええのう」
「素晴らしいやないかぁ……良い音鳴らしよってえ」
「な、何なんだよお前……」
「んぅ〜?」
「何なんだって言ってんだよ!!? この悪魔がぁ!!」
先程止めに入ったリザードマンが大きく叫んだ。恐怖と怒りが入り交じったかの様な叫びで、今にも消えてしまうかの様に彼の体は震えていた。
それを見て聞いたファートスは、少し無表情になってから、すぐに“笑顔”に戻った。何かを考えていたのか? それすらも分からないが、一つ言える事があるとすれば、“何かマズイ”という予感を残った2人のリザードマンに与えているという事だ。
ファートスはまるで踊るかのように、いや、“踊り出した”。
「それは〜♪ 君らが〜♪ 悪いよ〜♪ なんつって!! ギャハハハハハ!!!」
「大体払う言うてましたやん! それを悪魔だなんて! もう怖いなぁ! ハハハハハ!!」
――笑っていた。踊りを止めても尚、彼は笑い続ける。
何と言い表せば良いのだろうか? 悪魔か? それとも狂気そのものか? それくらいにまで空気は冷え、2人のリザードマンを震え上がらせた上に、足をすくめさせた。
唯の狂気ではない。それを通り越した何かだろうか? そんな疑問を遠目で見れば抱くだろう。だがそれを間近で見る彼らにはそんな疑問は抱かない。早く逃げたい。この意志だけだ。
だが意を決したのか、1人のリザードマンが、拳を握りしめて……
「巫山戯るな!! このクズがぁ!!!」
怒りと恐怖が入り交じった怒号と共に彼はその深緑の拳をファートスの顔に目掛けて振りかざした。
だが、ファートスの顔には届かない。拳はファートスの掌に止められ、それ以上に動くことは無かった。
「グッ!?」
「ええやないのぉ? でも喧嘩売るなんてなぁ? ええなぁ!!」
ファートスはそのまま、膝をリザードマンの腹目掛けてぶち抜いた。
「――グァァァァ!!?」
ドスッ! と鈍く嫌な音が響いたと同時にリザードマンは後退り、腹を抱えながら悶え苦しんだ。
世界から見てもかなりの怪力を持つリザードマン以上のパワーから放たれた膝蹴りの一撃は正に必殺の一撃。喰らえば只では済まない程の威力だ。
更に続けて何度も何度もファートスは拳を顔面に目掛けて振り下ろし、殴りつける。一撃一撃の威力は余りにも強く、リザードマンの横長の顔が段々と形を歪めていった。
「ウラァァァァァァ!!」
最後にファートスのパンチが顔面に向けて一直線に放たれた。
「グヘッ!!!」
それを喰らったリザードマンはそのまま宙に浮かぶ様に回転し、地に体が着いた時には痙攣してピクピクとしていた。
「ヒッ!!!?」
その光景を見てしまった最後のリザードマンは腰を抜かし、遂には壁際にまで後ずさり、逃げ場を失ってしまった。
そしてそれを見たファートスは、リザードマンの方に指を指した。
「二度とワシの所に来やん方がええぞぉ?」
「次来たら、ぶち殺したるさかいになぁ?」
笑顔では無い。怒りが満ちた顔で威圧した。
それを聞いたリザードマンは恐怖からか体が震え、今にも気を失いそうな程のものであった。
「わ、わ分かりました。に、にに二度と近づきません。ゆ、許して! 許してください!!!」
震えながからもすぐに土下座して、彼はファートスに詫びを入れた。
「おう! せやったらはよ消えろや!!」
と、ファートスは笑いながら言った。
「ヒィィィィィィィィ!!!」
リザードマンの1人は他の倒れた2人を置き去りにして、1人走り去っていった。
それを見届けたファートスは、残った2人の懐から金の入った袋、そして財布を取った。
「よーし! これで事足りるでぇ! てかジャケットに血ィ付いたやんけ、バッチィなあもう」
そうしてファートスは、路地裏から出ていくのであった―――
――それから夕方の6時、ファートスは既に家に着いており、寝ている。
レイベルは手馴れた包丁捌きで肉を切っていた。晩御飯を作っているのだろう。
顔は朝とは違ってどこか楽しそうにご飯を作っている。この時間は、彼女にとっては楽しい時間なのだろう。
油を先に入れて、切った肉をキッチンのフライパンに入れて火を点け、そこにブラックペッパーを入れる。香ばしい香りがしてきて、レイベルの顔も更に笑顔になる。
――それから何分かしてから肉をフライパンから皿に移して、後で作っておいたサラダを盛り付ける。綺麗な出来だ。
だが、いつの間にかレイベルの顔に笑顔は消えていた。神妙な表情で、今にも溜め息がつきそうなくらいに儚い顔付きだ。
「……どうしてあの子は、あんな子に育ったのよ」
「私が悪いの? あの子が狂ったのも、私が“あの人”を愛したからなの?」
「どうしてなのよ!? だからってあんな狂った子になるなんて……!」
だが、ハッとして直ぐに言うのを止めた。レイベルは深呼吸をして、ファートスを呼びに階段のところにまで行く。
(ダメよ、そんなことを言っては。大丈夫、ファートスはきっといい子になるわよ)
その言葉を必死に言い聞かせながら、レイベルは無理矢理笑顔を作った。
言うなれば、心の中のその希望だけが今のレイベルを支えていた。何年も何年も。だがそれも“何時消えるのか”も分からないと言うのに――