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銀燭の献血師  作者: 灰原康弘
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第弐章 転校生〝五条政臣〟①

 少女が笑っている。

 昔は、一緒に公園でよく遊んだ。

 あの頃の少女は、よく笑っていた。

 だから、自分もよく笑っていた。深いことなど考えずに、ただつられて。

 でも、あるとき、その笑顔は消えた。

 拭ったように、きれいさっぱり。

 少女の笑顔が渦を巻いて消え、代わりにべつの光景が浮かんでくる。


 満月のあの夜。あの日の出来事だ。

 場に充満する、やりきれない気持ち、自分の感情、母の横顔、そして……あの少女の表情。

 強くなりたい。

 あの少女を守れるくらいに、隣に並び立てるように。

 自分の望みは、いまも昔も、それだけだ。




 ――ジリリリリリリリ。

 気持ちのいいまどろみを粉々に粉砕したのは、耳障りな金属音だった。どうして目覚ましのアラームはこんなに嫌な音なのだろう、と思いつつ、重い体を無理やり起こす。

 ベッドから降りると、窓を開けて大きく伸びをする。早朝の清冽な空気が部屋に流れこんできた。

 陽人は隣で寝ているムラマサを起こさぬよう、ジャージに着替え、しずかに階段を下りる。すると、母とばったり出くわした。

 長い髪を一つにまとめ、相変わらず人のよさそうな笑みを浮かべている。


「あら、陽ちゃん。今日もはやいのね」

「うん、ちょっと走ってくるよ」

朝のランニングは、ここ数年の陽人の日課となっている。その陽人につき合うため、母・沙織も朝の五時には起き、帰ってきた陽人のために朝食などを準備している。

「いってらっしゃい。気をつけてね」

 母に見送られ、陽人は家を出た。軽く柔軟運動をしてから、まだ薄暗い街を走り始める。住宅街を出ると、大通りに出た。人通りはほとんどなく、ときどきおなじようにランニングをしている人や、犬の散歩をしている人を見かけるぐらいだ。

 体を鍛えるために始めたランニングだが、苦に思ったことは一度もない(付き合ってくれる母には申しわけなく思っているが)。


 ふと、昨日の深陰の言葉が蘇る。

 ――囮になるしか脳がない役立たずのくせに!

 昨日の演習で、陽人は囮役となった。そうすることしかできなかったからだ。

 自分の力不足はよく理解しているつもりだ。

しかし、それでも、陽人はこの世界で生きていくと決めたのだ。

 だから、もっと強くならなくてはいけない。

 もう二度と、あの少女にあんな顔をさせないためにも――。




 ランニングを終えた陽人は、シャワーを浴びる。それから居間にむかった。

 居間では母が朝食をテーブルに運んでいた。テレビは時計代わりのニュースがついている。

 映像が切り替わると、『献血師』を募集するCMが流れ始める。妙に明るいCMでは、あらゆる商品の値引き、資金の援助、税金の免除など、様々な特典がこれ見よがしに語られている。それは、この業界に人手が足りていないからにほかならない。

 ランニングのあとは素振りだ。日本刀での素振りをひたすら繰り返す。一時間ほどやったところでようやく一息ついた。


「お疲れ様。はい、タオル」

 居間に入ってきた陽人に、沙織がタオルを差し出す。

「ありがとう母さん」

 一言礼を言って汗を拭く。

「いつも大変ね。大丈夫? 疲れてない?」

「このくらい大丈夫だよ」

「そう。じゃあ、ご飯にしましょ。むーちゃん起こしてきてくれる?」

「うん」


 むーちゃんというのはムラマサのことだ。いちおう彼女の部屋もあるのだが、寝るときはいつも陽人の隣で寝ている。怖がって一人で寝ようとしないのだ。ムラマサは静かに寝息を立てていた。くるぶしまで伸びた長い髪は、まるで繭のように小さな体を包みこんでいる。


「起きてムラマサ。もう朝だよ」

「う……ぅん」

「朝ごはんできたから。ほら、行こう」

「うん……」

 ムラマサは陽人にされるがまま、寝間着から白のワンピースに着替え、手を引かれてゆっくりと階段を下りる。完全に寝ぼけているらしい。

「あら、おはようむーちゃん」

「おはよ……」

「あらあら、眠そうね。さきに顔洗ってらっしゃい」

「そうだね。おいでムラマサ」

 洗面所で顔をバシャバシャと洗ってやる。さっきよりは目が覚めたようだが、まだ完全ではないらしい。


「んぷっ。ありがとうはるくん」

 タオルで顔を拭かれ、ちょっと顔を赤くして言った。

 これは毎朝のことだった。ムラマサは朝が弱いらしく、普段通りに戻るのにも時間がかかる。程度の差はあるが、今日は結構重いほうだ。

「大丈夫かいムラマサ」

 ムラマサはコクンと首を縦に振った。


 通常、『四鬼神』は『献血師』から血液を吸うとき以外は『妖叨』の姿となっている。しかし、ムラマサは霊力が強すぎるために、長時間『妖叨』でいることができない。彼女の強大すぎる力は、『妖叨』という存在に留めておくことができないのだ。だから、戦いのときや、献血師學校に行くとき以外は人の姿を取っている。


 以前本人から聞いたことだが、『妖叨』となっているとき、『四鬼神』は眠っている状態らしい。『四鬼神』が元の姿に戻った直後、程度の違いはあれ、寝ぼけたような様子をしている。ムラマサにとって、それがいまなのだ。


 テーブルの上にはすでに朝食が並んでいた。ご飯に味噌汁、卵焼きに味付けのりといったまさに日本の食卓というメニューである。

「さっぱりできてよかったわね。じゃあ、ご飯にしましょ」

「はーい」

 ムラマサが手をあげて答えた。ちょっと目が覚めたようだ。

「あらあら、いい子ね」

 こうして家族三人食卓を囲むのが山背家の朝食の光景だ。

「はるくん、食べさせて」

「またかい? そろそろ一人で食べられるようにならなくちゃダメだぞ」

 と言いながらも、陽人はムラマサに卵焼きを食べさせている。ムラマサは一口食べると、もぐもぐと租借し、それがなくなるとまた一口食べる。この光景をあの少女が見たら、また口げんかになること請け合いだが、どうも甘えられると弱い。


「おいしいかい、ムラマサ」

「うん!」

 のりでご飯をまいたり、みそ汁を飲ませたり、その間に自分の食事を進めるわけだから、なかなか思うようにいかない。


 テレビではふたたびコマーシャルに切り替わり、『献血師』募集のCMが流れ始める。内容は……さっきとおなじようなものだ。特典がどうとか、なにを免除とか、この手のCMはいつも変わらない。

 CMでこれ見よがしに宣伝されている特典は、すべて事実だ。『献血師』であれば全員が持っている。加えて、彼らは給金が異様に高い。年収一千万は優に超えるし、『純血十家』の当主ともなれば、『ご当主様』だとか『閣下』だとか、そんな呼び方をされる。例えば、彼らを束ねる『総本山(そうほんざん)』幹部は、貴族のように〝子爵〟だとか〝侯爵〟だとか、そんな呼びかたをされる。


 ただし、特典が多いのだから、当然デメリットも存在する。彼らの場合は、『上官の命令には絶対服従』、『基本的人権の排除』などだ。『献血師』は全員基本的人権を持っていない。そちらはほとんど知られていないというのだから、なんとも都合のいい話だ。そんなことだから、いつまで経っても人手不足が解消されないんだ、などと他人事のように考える。


 この世に『求血鬼』の存在が確認されてから千年余り。『献血師』は長きにわたって戦いを繰り広げてきたわけだが……世の中とおなじように、『献血師』もまた、人手不足に悩まされているのだ。そもそもが、一般人にしてみれば『求血鬼』という得体のしれない怪物と戦うという行為そのものがあまりに敷居が高すぎる。そのためのCMなわけだが、正直なところ、このCMの効果は薄いように思う。陽人は古くから『献血師』を務める『純血十家』の家柄だ。『献血師』不足の情報は嫌でも入ってくる。理由は簡単で明確だ。


 ――危険だから。

 これにつきる。

 文字通り命がけの仕事。いくら特典をつけたところで、一般人にしてみれば、そんなものは在庫処分セールと変わりない。

『総本山』も、いつまでこんなことを続けるつもりなのだろうか……?

 陽人はゆるゆると首を振った。ここで考えても仕方がない。どうせ『総本山』は、方針を変えるつもりはないのだ。自分は、やれることをやるしかない。


「はるくん、ご本読んで」

「またかい? それこの間読んだばっかりじゃないか」

 もっとも、いまできること……というより、することといえばこれくらいである。

 献血師學校が始まるのは午後四時から。なので、陽人は平日の午前中はムラマサと一緒に過ごしていた。


 午後からは自習の時間だ。献血師學校は、〝學校〟という名がついているくせに、およそ普通の学校で習う教科の授業はほとんど行われない。理由は簡単で、彼らが育成しようとしているのは、あくまで『献血師』という名の兵隊なのだ。だが、卒業すれば高校卒業資格を得ることができる。

 授業に関してだが、ほとんど行われないというだけで、まったく行われないわけではない。しかし、それだけでは不十分だ。したがって自習しなくてはいけない。


 そうして自習を終えたあとは、『総本山』のデータベースにアクセスして、近辺で『求血鬼』による被害が出ていないかを確認する。そこで、陽人と深陰の住む野島市近辺で連続して行方不明者が出ていることを知った。これは、『求血鬼』に襲われたかもしれない、ということだ。『求血鬼』に血を吸われた人間は灰となるため、確証はない。

 連続して、という部分を見て、陽人は眉をひそめた。

(これは、気をつけたほうがいいかもしれないな)

 普通、この後は仮眠をとるのが日課だが、今日はそうもいかなくなった。陽人はパソコンをシャットダウンし、ムラマサに「お散歩に行こう」と言って家を出た。




 それから少し時間は進み、午後三時半。陽人たちは昨日と同じように、通学路を歩いていた。

ムラマサとともに街をパトロールしたものの、とくに異常は見られなかった。まだ、『求血鬼』であると確定していない以上、そう表立って動くわけにもいかない。情報が不確かな段階で不用意に動いたところで、住民の不安をあおるだけ。行方不明者の段階であれば、それは警察の領分。現時点では一般市民に公開されている以上の情報は得られないし、また、彼らも知らせることはないだろう。『献血師』は情報が確定してからしか動けない。

 難しい話はよく分からないが、組織の既得権益というやつだ。


「そういえば、昨日林道さんが言ってた転校生って今日から来るんだっけ?」

 陽人がふと思い出したように言った。

「みたいね」

 深陰がぶっきらぼうに言った。その言葉には、すこし吐き捨てるような響きがあった。

「どんな人だと思う?」

「興味ない」

「そ、そう。ムラマサは?」

「んっとね、はるくんと仲よくしてくれる人がいい」

「ムラマサ……」


 自分と手をつなぎ、にっこりと笑いかけてくれる少女に、陽人は胸が熱くなるのを感じた。

「そっかそっか。ムラマサは本当にいい子だなあ」

 ニッコニコで頭をなでる陽人だが、ハッと身構える。これは深陰が絡んでくる流れじゃないか? これ以上ムラマサを泣かせるわけにはいかない。今日こそは我慢しないと……と思うが、予想に反し、絡むどころか、深陰は一言も口をきいてこない。

 おかしいな、と思ったが、訊いたところで、今度こそ言い争いが始まるかもしれない。でも、すこし様子がおかしい気がする。どうするべきか考えている間に、學校に到着してしまい、結局なにも言うことはできなかった。




 千年。

 そうした長い歴史を持つ『献血師』だが、この空間もまた、千年前から存在するとされている。いまから七十年ほど前、『献血師』を束ねる『総本山』が、防衛省(当時、保安庁)と協定を結んだ。

『総本山』が防衛省の内部部局となり、『求血鬼』に関する情報とそれに対する権限の一部を譲渡することで、『献血師』を国家公務員とし、政府公認の討伐組織とする、といったものだ。


『総本山』側のメリットとしては、政府公認の組織となれば、『求血鬼』討伐にもフットワークが軽くなるだろう。防衛省側としては、未知の存在と戦うことのできる存在をそばに置けることは心強かったろう。前線に立たず、裏でフォローする仕事とは、主に広報担当のことを示す。

 協定以降、『総本山』は『献血師』を育てるための機関を設立。いまでは日本全国に二校存在する。が、〝肝心の生徒数がすくないのだから予算のムダだ〟という声が絶えないのだから、笑い話にもなりはしない。最近では、〝予算を使いきるため〟だとか、〝防衛省の機密費をひっぱりだそうとしているのでは〟だとか、散々な言われようである。


 學校には、基本的には『献血師』しか入ることはできないが、『献血師』が入る際、三メートル以内にいれば、一緒に入ることが可能だ。これは『妖叨』が學校への〝鍵〟となるとき、その範囲にまで影響を及ぼすためだ。つまりは〝鍵〟となる『妖叨』さえあれば、『献血師』以外でも出入りが可能だ。

 この學校は、野島市にある、廃校となった学校の〝影〟のなかにある。彼ら学生に生徒手帳の類はなく、『妖叨』がその代わりとなる。

 その際、ムラマサは刀の形となるが、いつでも人型に戻すことは可能だ。

 陽人たちの通う〝防衛省付属献血師學校本校〟は、その名の通り、最初にできた學校だった。

 午後四時から十時までの三年制の學校である。


〝献血師學校〟は〝影〟の空間に存在するが、空間同士はつながっていない。

 ただ、空間の内装はどちらもおなじで、基本的には〝影〟のもとを写したものらしい。ただ一つ〝相違点〟があった。それが、天から地までを覆いつくすように上っている、どもまでも巨大で、どこまでも紅い〝半月〟だ。


 この〝半月〟は両方の空間に存在するものではないらしい。

 この〝半月〟は本校にのみ存在するものらしい。


 異様な存在感を誇る半月だった。大きいから、というわけではない。紅いから、というわけでもない。なにか理由は分からないが、不安を駆り立てるような、存在していること自体が危険というような、そんな不確かな感覚がする。その半月に、妙な気配がする。内側から霊力が漏れ出しているかのような、そんな感覚……。一週間ほど前からである。


 クラスにむかい、廊下を歩いている途中のことだ。

「分かっているとは思うが」

 半月に気を取られていて、危うく弥生の言葉を聞き逃すところだった。彼女とは、登校中に合流した。

「比屋定先生のまえでケンカをするのだけはもうやめてくれ。お願いだ」

 お願いされてしまった。ここまで切実なお願いは久しぶりに聞いた気がする。そこまで負担をかけていたとは……陽人は非常に申し訳なく思う。

「うん。気をつけるよ」

 答えて教室のドアを開ける。まだ生徒は半分ほどしかいなかった。

「本当に頼むぞ。蘆屋もだ。今日はケンカは無しだぞ」

 弥生が深陰にも「絶対だぞ!」と釘を刺したところで、陽人はふと気づいた。

(あれ……?)


 昨日まであった場所に自分の席がないのだ。この學校でも、陽人の席は深陰の隣なのだが、深陰の席はあるのに、肝心の自分の席がない。机とイスは確かに置いてあるがこれは自分のものではない。だって置き勉している教科書類が一冊もないし(不真面目なのではなく、基礎知識はすべて頭に入っているからだ)。これはどうしたことだろうと、探してみると、はたして席は見つかった。場所はいままでよりもすこし後ろ、弥生のまえの席だった。

 しかし、なんで急に席が変わってるんだ? 一人首をひねる。

 深陰は弥生の言葉に、分かってるとだけ答えた。なにやら元気がない。

 いつもなら、ここからケンカに発展しそうなのに……。

 深陰とは長い付き合いだが、こんなことは……いや、まえに一度だけあった。五年前のあのとき……。


 ――ドックン!


 突然、陽人の思考を打ち切らせるように、心臓が高鳴った。それだけではない。全身の毛が、産毛に至るまで、すべて逆立っているかのような、そんな感覚に襲われる。

 これは、恐怖? いや違う。それとはもっと別の感覚。でも、一体……。

(なんだ……これは……っ!?)

 陽人は驚きに目を見開き、後ろを振り返った。その視線の先にあるのは、教室のスライド式の扉。

「山背?」

「どうかしたの?」

 弥生と司が心配した様子で訊いてくる。しかし、陽人は友人の呼びかけに答える余裕すらない。ただ黙って、じっと一転に視線を止めている。

 その先で、がらりと、扉が開かれる。

 そこに姿を見せたのは……。


「比屋定……先生……」

 陽人は微妙に震える声で、それだけをポツリと言った。

「顔色が悪いようですが、気分が優れませんか?」

 クラス担任、比屋定玲衣子は平坦な声で言った。

「い、いえ……大丈夫です」

 答えてから、陽人は自分が冷や汗をかいていたことに気づいた。それに気づけたのは、さきほどまで自分を支配していた言い知れぬ気配が、拭ったように消え失せているからだ。


(一体、なんだったんだ……?)

 陽人は張り詰めていた緊張の糸を解いた。自然と、深い息を吐く。

「そうですか」

 比屋定はやっぱり平坦な声で言う。心配してくれたのか、それとも単なる事務的な確認か、真偽は不明である。

「では、席につきなさい。HRを始めます」

 深陰とケンカはせずに済んだが、いつも以上に体力を消耗してしまった。だから、比屋定の後ろに控えている人物に、陽人はすぐに気づかなかった。


 そして、彼らはまだ知らない。今日の問題点は陽人と深陰のケンカだけではないことを。

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