第壱章 彼と彼女の〝日常〟③
カッ! と閃光が瞬き、あたりは光に包まれた。
突然のことに、一瞬のスキができる。陽人はそのスキをつくつもりだったのだ。しかし――。
「甘い」
その浅はかな目論見は一瞬で粉砕される。
スキができるどころか、弥生はいつもと変わらぬ軽やかな動作で反撃してくる。
振り返りざまに刀を一閃する際、彼女のポニーテールが鋭く揺れた。
「なっ!?」
飛びのいて攻撃をかわしつつ、陽人は驚きに目を見張った。その理由は、彼女の顔にあるものがかかっていたからだ。
「さ、サングラス!?」
その様子を見た弥生は「む?」と眉をひそめる。
「さっき言わなかったか? 昨日買ったのだ。どうだ、カッコいいだろう。あげないぞ」
初耳だった。
「いや、いらないけど」と即答した後、「っていうかズルくないか!? なんでそんなものいま持ってるのさ!?」
「閃光弾を使うやつに言われる筋合いはない」
「うっ」
それを言われると痛い。というか、そこだけ聞くと、完全にこちらが悪者だ。
「小道具を使うことはルール上認められている。私たちが入ったとき、閃光弾が消えていたからな。警戒していたんだ。それに、せっかく買ったことだし、使わねば損だ」
それに、と弥生はサングラスを外す。彼女の切れ長の瞳がまっすぐに陽人をとらえた。
「おまえは『求血鬼』相手にも、反則と言うつもりか?」
陽人はふたたび言葉に詰まった。たしかにそのとおりだ。ルール無用の戦い……とくに『求血鬼』が相手では、なにが起こるかなどわからない。
……さすがにサングラスで閃光弾を防がれることはないだろうが、なんらかの方法で防がれることはあるだろう。
草木生い茂る戦場で、陽人は一人の少女と相対していた。
「そういうことだ。悪く思うなよ山背!」
弥生は刀を構えて突進してくる。彼女の持つ刀は刀身が80㎝を超える大刀だ。
(やっぱり、正面から突っこんできた!)
彼女はいつもこうだ。まさしく猪突猛進。じつに分かりやすい。
予想どおり、二人の刀がぶつかり合う。
「どうした山背! 受けるだけか? せっかくのムラマサが宝の持ち腐れだな!」
突如世に現れ、人間を襲い始めた『求血鬼』。
しかし、このまま考えなしに人間から血を吸っていれば、いずれ食料を失ってしまう危険がある。それを危惧した一部の『求血鬼』と、人間の間である取り決めが行われた。『求血鬼』は人間に戦いための力を与える。自身と契約することで、人間を超えた戦闘能力を与える。代わりに、人間から血液を吸わせてもらう。これが『献血師』の始まりと言われている。
『献血師』と契約した『求血鬼』は『四鬼神』と名を改め、『妖叨』と呼ばれる武器となって彼らに力を与えている。日光を浴びると死ぬ『求血鬼』だが、『四鬼神』となった『求血鬼』は日の光を浴びても死ぬことはない。
ムラマサは、陽人と契約する『求血鬼』である。
数ある『四鬼神』の中でも、強大な力を秘めるムラマサ……。扱う『献血師』側にも、相応の資質が求められた。
陽人はムラマサに力を込める。すると、ズッと、抗いがたい喪失感がその場を支配した。弥生が一度距離をとったのはその直後である。
弥生は大刀をふるい、まるで豆腐でも切るかのように、あたりの木々を軽々と切り倒した。巻き起こった砂ぼこりと倒れた木が視界を制限し、弥生は正面から攻撃を仕掛ける。
この後はまた、馬鹿正直な攻撃を繰り出してくるに決まっている。そう高をくくっていた。
しかし、
「現世に不動あり 冥界に無動あり 顕現せよ小咒の羂索!」
言葉に合わせて、弥生の手首に力が集まっていく気配がする。
「『不動鉄鎖』!」
紡がれたのは低い言葉。その瞬間、弥生の手首から鎖が顕現し、あっという間に陽人をきつく縛り上げた。
霊術。
『献血師』が『求血鬼』と渡り合うために開発された術。
『求血鬼』と『献血師』は、血液中に流れる〝霊力〟を駆使して戦う。〝霊力〟は霊術を使うためにも必要不可欠なものだ。
「っ!」
陽人が瞠目したのは、しかし一瞬。ムラマサをふるうと、鎖を断ち切る。
「やるな! では、これはどうだ!?」
瞬間、彼女の妖叨が鞭のように撓ったかと思うと、ふたたび陽人の体をからめとった。
「はあっ!」
弥生は鋭く一声、気合と共に力任せに妖叨を引っ張った。
「うわぁっ」
宙に浮いた陽人の姿は、まるで一本釣りされたマグロのようだった。
視界が高くなった陽人の目に飛びこんできたのは漁師……ではなく、ショートカットがよく似合う少女――司だった。彼女の手にもまた、一振りの刀が握られている。
「終わりだ! 山背!」
弥生の声が下から突き上げてくる。弥生も、司も、すでに勝利を確信していた。が、
「それはどうかな」
陽人は薄い笑みを唇にうかべる。もっとも、状況が状況なので、いささか滑稽な格好となっている。
その陽人が、いきなり消えた。唐突に灰となり、さらさらと雪のように舞っていく。
「なっ!?」
目を見開いた弥生の背後。背をかがめて刀を一閃しようとするものが一人。さきほど灰になったはずの陽人だった。
完全に不意を突いたかのように思えた一撃だったが、
「甘い!」
司は刀を振るう。それに呼応するように、陽人はなにか見えない力に引っ張られ木に激突する。まるで磁石のように、くっついて離れない。そこを、ふたたび鎖にからめとられた。
「身代わりを使うなんて、ザコイ真似をするじゃないか」
「……こざかしい、って言いたいんだよね?」
「? そう言ったろう?」
「言ってないよ……まあ、べつにいいじゃないか。ルール上認められているからね」
勝ち誇った顔で言う弥生に、陽人はすこし笑って言った。
「それもそうだな。だが、おまえはもう終わりだ。そのおまえじゃ私たちには勝てない。あの変態行為をして変態的な格好にならなければ」
「変態変態うるさいな! ……でも、それはどうかな?」
口元に笑みを浮かべ、一言、
「『陰陽反転』!」
その言葉を合図としたように、離れた場所で爆発が起こる。正確には、火柱が立ったかと思うと、そこから一筋の火の粉が迫ってくる。
「なっ!?」
驚きに目を見開く弥生のまえに、さらなる変化が起きる。手首から伸びる鎖を一本の矢が貫き、いとも簡単に焼き切った。間髪入れず司への攻撃が加えられる。正確には、さきほどとおなじ炎の矢だ。対処に追われた司は陽人への攻撃を中断せざるを得なくなる。それを見計らったように、深陰は陽人の首根っこをつかんで救出した。
そして、陽人は見た。静かに自分と弥生の間に屹立した少女の背中を。
さきほどまでと違い、身にまとっているのは巫女装束。これは彼女の正装である。仕事をする際、深陰は必ず巫女装束を身にまとう。左手には炎を灯した弓が握られている。肩まで伸びた、赤みがかった茶髪にも、音もなく炎が揺れていた。
まだあどけなさを残した表情は凛々しく引き締まっており、それは作られたものでは決してなく、強靭な意思によるものだと分かる。さきほどとは正反対とも言える雰囲気を纏っていた。
「あ、蘆屋……」
弥生が微妙に震える声をだした。その隣に、司が降り立つ。
「ほ、ほう。思っていたよりもはやかったな。もう結界を解いたのか?」
「解く?」
深陰は怪訝そうな顔になる。
「私に結界が解けるわけないでしょ? 壊したのよ。無理やり」
なぜか自信満々に言う深陰。
「なんてバカ力だよ……」
と陽人は思わずつぶやいてしまった。
「ば……っ!?」
眉をぴくつかせる。彼女の凛々しい表情にはやくもひびが入った。
「だれがバカ力よ、だれが!」
そしてキレた。彼女の感情に呼応するように右手から炎が噴出し、それはすぐに特大の火球となった。それに合わせて、あたりの草木が炎に包まれていく。
「お、落ちついて深陰!」
自身の発言を棚に上げ、どうどう、ととりなす陽人。
「これが落ち着いていられるか! あんた何度私をバカにすれば気がすむのよ!」
「仕方ないよ。いつもバカ力で解決するんだから」
「うるさい! 囮になるしか脳がない役立たずのくせに!」
「そ、そんな言いかたしなくたっていいだろ! 僕だって頑張ってるんだ!」
「結果が伴わない努力なんてしてないのとおんなじよ!」
「うるさいなマウンテンゴリラ!」
「また言ったわね!? ……分かった。そこまで言うなら、このバカ力で倒してあげるわ!」
「ああ、望むところさ!」
「二人とも、ケンカは……」
「二人とも! 私を無視するのはやめてくれ! いま君たちの敵は私たち……」
「「うるさい‼」」
声をそろえて叫んだ二人は、おなじタイミングで攻撃していた。陽人は刀から衝撃波を。深陰は炎の弓を打つ。
「ちょ――」
なにか言おうとしていた弥生だが、その言葉を聞き取ることはだれにもできなかった。
「ああ、もう最悪! なんで私がこんなことしなくちゃいけないのよ!」
「うるさいなぁ。口じゃなくて手を動かしてくれよ」
陽人がうんざりしたように言った。
「文句くらい言いたくなるわよ! あんたのせいだからね!」
「またそれか! 八つ当たりはやめてくれ!」
陽人と深陰は、クラスメイトたちが帰った後も、教室に残っていた。
窓からは真っ赤な光が差し込んでいる。
模擬戦が終わったあと、陽人たちはふたたびお叱りを受けた。その後、比屋定いうところのペナルティ……教室の掃除を言い渡されたのだ。
「は、はるくん……ケンカしたらまた怒られちゃうよ……」
ムラマサのちいさな手にはちり取りが握られている。掃除を手伝ってくれているのだ。
「ご、ごめんよムラマサ。さっきは怖い思いをさせちゃったよね」
しゃがんでよしよしと頭をなでる。すこしくすぐったそうに目を細めるムラマサ。それを見て笑顔になる陽人だが、
「うわ」
という短い侮蔑の言葉で手の動きが止まる。
「うわってなんだよ、うわって!」
「うわはうわよ! そんなちいさな子に鼻の下のばして気持ち悪いって言ってんの!」
「べつにのばしてないじゃないか!」
「のびてるわよ、あーキモい!」
「そのキモいってのやめてくれ! 結構傷つくんだよそれ!」
「やめてほしいなら撤回させてみれば? 決闘する? どうせ私が勝つだろうけど!」
彼ら『献血師』の間では、相手の考えを否定したり、自分の言うことをどうしても聞かせたい場合は決闘して決めることになっている。もっとも、学生の間では私闘は禁止されているから、それが行使されることはめったにない。
「で、でもでも……わたしと〝合体〟してたら、きっとはるくんが勝ってたよ……」
ムラマサの言葉を聞いて、深陰の顔がまた歪んだ。
「あんたホントに最っっっっ低ね! こんな小さい子にこんなこと言わせるなんて!」
「誤解だよ! 深陰だって分かってるだろっ!?」
「はんっ! どうだか!」
懲りずに醜態をさらす二人を見て、ムラマサはついに泣き出してしまった。
陽人はもちろん、さすがの深陰もしまったという顔になり、二人は慌てふためく。
「ごめんムラマサ! 驚かせるつもりはなかったんだ。もうケンカしないから。だから泣き止んで。ね?」
「そ、そうよ。泣かないでよ。私が悪いみたいじゃない」
「深陰だって悪いじゃないか!」
「なんですって!?」
泣きじゃくるムラマサのまえで取っ組み合いのケンカを始めそうな二人を、
「やめないか二人とも!」
よくとおる少女の声が制した。
教室の入り口にあきれ顔で立っていたのは、陽人たちのクラスメイトであり、さきほどの模擬戦で戦った弥生だった。
「まったく本当に学ばないなおまえたちは」
弥生はポニーテールを揺らしながら教室に入ってくる。
「弥生おねえちゃあぁあん」
泣きながら抱きついてきたムラマサを、弥生はやさしく抱き上げた。
「よしよし、かわいそうに。アメでも食べて落ち着くんだ」
言いながら、スカートのポケットからアメを取りだすとムラマサに渡した。
「なめる……」
ムラマサは泣きながらアメをなめ始めた。
「まったく、悪いやつらだ。比屋定先生の言葉を聞いていなかったようだな」
「ごめん……」
素直に謝罪する陽人。反対に深陰はそっぽをむく。それを見た弥生はため息をついた。
「司、君からもなにか言ってやってくれ」
弥生の横にいたショートカットの少女、司はすこし困ったように頬をかいた。
「本当にぶれないね君らは。比屋定先生にばれたら、つぎは罰掃除じゃすまないよ」
「面目ない……せ、先生には秘密にしてくれないかな……?」
「心配しなくても告げ口するつもりはないよ。度が過ぎるようなら、気が変わるかもしれないけどね」
陽人は曖昧にあははと笑った。
「深陰ちゃんも、ほどほどにね」
「……分かってる」
深陰がぶっきらぼうに言った。
「やれやれ、ずいぶん殊勝だな。山背にもそういう態度なら、ムラマサも安心だろうに」
「それはいま関係ない」
不機嫌そうにそっぽをむく深陰。弥生と司は顔を見合わせてため息をつく。
「そんなことじゃ、いつまでたってもムラマサは安心できないぞ」
「そ、そうだね……」
陽人はムラマサに駆けよると、しゃがんで視線を合わせた。
「ごめんよ。もうケンカしないからさ」
「で、でも……さっきもそれゆってた」
「うっ」
痛いところを突かれ、陽人はたちまち返答に詰まってしまう。そのとおりだ。さっきも「もうケンカはしない」と言ったそばからケンカを始めてしまった。
「本当にごめん! 今度こそ約束するよ。だから許してくれないかな?」
ムラマサはさっと陽人の顔色を窺った。
しばらく陽人の顔を見つめていたが、「うん。いいよ」と言った。
「よかったなムラマサ。さあ」
ムラマサを下すと、陽人のもとに行くよう促す。陽人は彼女の頭をやさしくなでた。
その光景を見ても、さすがの深陰もつっかかることはなかった。
「山背、さっききつく縛ってしまったが、大丈夫か?」
弥生がよそでは言ってほしくない言いかたをした。
「大丈夫だよ。あとにはなってないから」
「なっても自業自得よ。油断するほうが悪いんだから」
「そういえば二人とも、ボクたちのクラスに転校生がくるって話は聞いたかい?」
おそらく陽人をけん制するという意味もあったのだろう。司がだしぬけに言った。
「転校生?」
「初めて聞いた」
陽人と深陰はそれぞれ答える。
「ボクたちもついさっき比屋定先生から聞いたばっかりなんだけど、どうもボクたちと同い年らしいよ」
「しかも、我々とおなじく『純血十家』の当主を務めているらしい。なんでも歴代最強と名高い人物だそうだ。蘆屋とおなじだな」
そこまで言って、弥生はしまったというように口をつぐんだ。
「すまん。他意はないんだ……」
「いいよ。気にしてない。それに、そんなこと、どうでもいいことだわ」
一言一句、噛み締めるように言う。その声色は、この件に関する一切の追及を拒絶していた。
「でも、ぼくたちと同い年なのに、どうしていままで学校に来なかったんだろう?」
気まずい沈黙が流れ始めたところで陽人が問うた。
「任務で遠方に遠征していたらしい。それが終了したからと先生は言っていたが……」
弥生はそこで一度言葉を区切り、
「なんでも、問題児らしくてな。學校が入学に難色を示していたらしい。まあ、実力的には十二分であり、本人に入学の意思が皆無だったことから、〝免除〟ということになったらしいが……」
「問題児……」
ストレートな言いかたに、陽人は苦笑いだ。
「ああ。比屋定先生が、はっきりとそう言っておられた」
「あー。なるほど」
一瞬で納得してしまった。あの人なら間違いなく言うだろう。むしろ、あの人にしては大人しい言いかたかもしれない。
それにしても、學校が入学に難色を示すほどの問題児とはいったいどれほどヤバいやつなのか。そこまで言われると、逆に興味がわいてくる。
「さっき『純血十家』って言ってたよね。苗字はなんていうの?」
「五条だよ」と司。
「五条……それって、五年前の……」
「そうだ。五年前の大災惡で前当主が犠牲になっておられる」
陽人は反射的に顔をしかめる。その脳裏に、ある暗い記憶が蘇ったからだ。
あのとき、多くの『献血師』が犠牲となった。五条家当主のほかにも……。かぶりをふってそれを振り払う。
「では、私はそろそろ失礼するよ。今日はこの後、仕事があるのでな」
そう言うと、弥生は制服の内ポケットからサングラスを取りだしてかけた。
レンズの上下に魚っぽいヒレ……改めて見ても妙なサングラスである。真ん中には魚の刺繍が施されているし。そんなおかしなものをいったいどこで買ったのか、そして一体だれが作ったのか、そっちのほうがよほど興味がある。べつに知りたいとは思わないけど。
「どうだ、カッコいいだろう」
自慢されるが、やはり陽人は首をかしげる。
「うー、うん……僕には林道さんのセンスがよく分からないよ」
「やれやれ、山背には芸術的センスがないな。蘆屋、司、君たちには分るだろう?」
「いやまったく」
深陰はばっさり切り捨て、
「センスは人それぞれだからね」
司は明言を避けた。
納得いく答えが得られなかったからだろうか、今度はムラマサに問う。
「ムラマサはどうだ? いいだろう。カッコいいだろう」
「なにそれー。へんなサングラスー!」
指をさしてけらけら笑っている。子供は残酷である。
「へ、へん……だと……っ!?」
弥生は深いショックを受けたと見えて、その場でうなだれてしまう。
「は、ははは、そうか……変か……」
口の中でぼそぼそつぶやきながら、弥生はうなだれながら教室を出て行った。サングラスをかけたまま。
「大丈夫かな、あれ」
あまりの様子に心配する陽人だが、
「心配ないよ。どうせすぐに忘れちゃうから」
司は結構ひどいことを言った。
教室で司とも別れたあと、陽人は一人、トイレのまえで立っていた。ムラマサがトイレに行きたいと言ったので、深陰が連れて行っているのだ。
なので一人寂しく待っているのだが……。
「君、ちょっとお聞きします! 職員室はどこでしょう?」
いきなり元気よく話しかけられたので、すこし、いやかなりびっくりした。
一人の少年がそこにいた。身長はかなり高い。たぶん百八十を超えている。堀の深い顔立ちに人懐っこい笑みを浮かべているが、どこか一癖も二癖もあるような、一筋縄ではいかないような、そんな妙な感じがする。
「ああ、職員室なら一階ですよ。反対側の校舎です」
「そうでしたか。どうやら迷ってしまったようだ。しかし人間というのは広いものや大きなものが好きですな。大きな力には大きな責任と代償が付きまとうものですが、彼らは目先の利益ばかりを追求している。だから、お金持ちは自らの権力を誇示するために大きな家を建てたがるのであります。それとおなじようにこの學校も無駄に校舎が大きい。彼らが〝こんな空間〟でなにに対して誇示しているのかははなはだ疑問です。そんなことをしたところで、せいぜい掃除が面倒になるか、いまみたいに迷ってしまうくらいのことにしかならないというのにね! こんなことが起こらぬよう、各校舎の各階に電光掲示板を取り付けて電車でも走らせるべきだ。そうは思いませんか?」
「え、あ、はい……」
急にわけのわからない演説が始まり、陽人は困惑した。……すこし、いや、かなり変なやつ。
「これは失礼。つまらないことでお時間を取らせてしまいました。では僕はこれで。職員室、どうもありがとう」
踵を返して去っていくその姿を、陽人は無言で見送った。まるで嵐のような少年だった。
「お待たせはるくん!」
入れ替わりになるように、深陰とムラマサがトイレから出てきた。
「なにぼーっとしてんの」
キツネにつままれたような顔をしている陽人に深陰が訊いた。
「いや、なんでもないよ。じゃあ、もういい時間だろうし、それそろ帰ろうか」
ふと窓の外を見た。
瞬間、陽人の視界に入ったのは、半月だった。
ただし、大きさは異常だ。彼ら『献血師』の間で、太陽系最大の木星よりも大きい、といわれる巨大な半月がそこにあった。
そして、色は赤い。赤く、どこまでも紅い。血液よりも紅い色をした、半月。
どこを見渡しても星一つない、文字通りの真っ暗闇を、怪しく見下ろす不気味な紅……。
これは、世界に〝光〟を灯す少年たちの物語だ。