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銀燭の献血師  作者: 灰原康弘
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第壱章 彼と彼女の〝日常〟①

 山背陽人(やましろ はると)はふと目を覚ました。時刻は午後三時過ぎ。いつもとおなじくらいの時間。よし、今日も体内時計は正確に機能してくれたみたいだ。そろそろ學校に行く時間である。


 隣で寝ている少女を起こさないよう、陽人はゆっくりとベッドをおりる。

 いつもとおなじ服……黒の皮の上下に着替えると、黒いコートをわきに抱えて部屋を出る。

 リビングへ行くと、ケチャップの匂いが鼻孔を刺激する。

 台所では、一人の少女がフライパンを操ってなにかを炒めているらしかった。

「おそよ」

 陽人をちらりと一瞥して、少女がぶっきらぼうな声で言った。

 赤みがかった茶髪を肩まで伸ばした、気の強そうな顔立ちをした少女だった。瞳孔は猫のように縦長で、まだあどけなさを残した表情は、きりりと引き締まっている。

 凛々しい、という言葉にふさわしい少女だ。


「おそよう深陰(みかげ)

 陽人はちょっと笑って答えた。

「人にご飯作らせて自分は寝てるなんて、いいご身分ね」

「ご、ごめん……っていうか、なんでいるの?」

「いちゃ悪い?」

「そういうわけじゃ……母さんは?」

 陽人はリビングを見回す。しかし、母・沙織(さおり)の姿はどこにもなかった。

「卵買いに行った。オムライスなのに切らしてたからって」

「そっか」

 母は非常にしっかりしているが、すこし抜けているところがある。

「深陰、なにか手伝うことないかな?」

「ない」

「そ、そう……」

 そっけなさすぎる返事に、陽人はすこし寂しくなった。


「僕、ムラマサ起こしてくるよ」

「ん」

 またそっけなさすぎる返事。まあ、返事があるだけいいか。

 自分の部屋に戻ると、いまだベッドで寝ている少女の体をやさしくゆすって声をかける。

「ムラマサ、時間だよ。そろそろ起きて」

「ん……っ」

 ちいさく声を上げた少女……その大きな瞳が、ゆっくりと開かれる。


「……おはよう、はるくん」

「おはよう、ムラマサ。そろそろ時間だよ」

「うぅん……」

 ムラマサはゆっくりと身を起こす。

「大丈夫かい? ごめんよ起こして……」

「だいじょぶ……」

 寝ぼけた声で言って、ムラマサはベッドから降りた。


 白いワンピースを着た、小柄な少女だ。白い肌とは対照的な黒髪はくるぶしまで伸びている。年は六歳か七歳といったところだろうか。一見するとただの少女のように見えるが、その小さな体からは圧倒的な存在感があり、〝只者ではない〟と思わせるなにかを持っている。

「じゃあムラマサ。お着換えしようか」

 笑いかけて、壁にかけている自分とおなじ黒い服を取る。そのとき、玄関の扉が開く音が聞こえた。母が卵を買って帰ってきたのだろう。はやく着替えさせないと。ご飯ができたのにはやくいかないと、また深陰にクドクドと嫌味を言われてしまう。なにせ、彼女は口が悪いから。


「うんっ」

 屈託なく笑うムラマサに、思わず陽人の口元もほころぶ。ワンピースを脱がせると、凹凸のない、白い肢体があらわになった。

 ムラマサにも、いま自分が着ているものとおなじ黒い服を着せようとする。そのとき、ガチャっと部屋の扉が開かれた。かと思うと、

「陽人、もうご飯できるからそろそろ……」

「深陰」

 陽人は横目で見て名前を呼ぶ。さっきフライパンで料理をしていた少女が立っていた。深陰もいま、陽人とおなじ黒の上下を着ている。ただし、彼女が下に着ているのはパンツではなくスカートだった。

「ごめん、あとすこしだけ待ってくれないか。いま準備してるから……」

「へー」

 陽人の耳に届いたのは、低く平坦な声。

 凛々しい顔も、いまは能面のように無表情。目には侮蔑の色が宿っている。


「準備ねぇ……ふん」

 軽蔑したように鼻を鳴らすと、

「変態」

「ど、どういう意味さ!?」

 まったく心外なことを言われ、陽人は心底驚いた。

「言葉どおりの意味よ変態! そんなに小さな子を着替えさせて、それを私に見られても動揺するどころか顔色一つ変えずに続行とか、あんた頭おかしいんじゃないの!? だからあんたは変態だってのよ!」

「ただムラマサの着替えを手伝ってただけじゃないか!」

「だからそれがおかしいって言ってんの! まったく、ホントあんたいつか捕まるからね! 取材が来たら言ったげるわ、『いつかやると思ってた』って!」

「そこまで言わなくてもいいだろ!?」

「うるさい! あんたみたいになよっとした見た目のやつが一番危ないのよ! まったく、幼馴染から犯罪者が出るなんて、嘆かわしいわ!」

「犯罪者って……なんてこと言うんだ!」


 たしかに、陽人の見た目はなよっと……もとい、童顔である。小学生の時は、よく女子に間違えられたものだ。いやいや、いまはそれどころじゃない。

 時間が押していることも忘れ、言いあう二人。それを打ち破ったのは、ムラマサの鳴き声だった。


「む、ムラマサ!」

 陽人は慌てて駆けよった。

「ど、どうしたんだいムラマサ」

「ケンカしちゃだめだよぉ……」

 手で涙をぬぐいながら、嗚咽を漏らす。

「ご、ごめんよ。もうケンカしないからさ」

 そう言ってやさしく頭をなでる。本来なら、ここでやめておくべきだったのだ。過去の経験からいっても、彼にはそうする以外の選択肢はなかったはずだ。が、

「ほら、深陰もはやく謝って」

 などと、火に油をぶちまけたものだから、陽人の部屋は大炎上である。

「なんで私が謝らなきゃいけないのよ! 悪いのはあんたでしょ! 大体あんたは……」

 こうしている間にも、時間は過ぎていく。

 しかし、彼らがそれに気づくまでは、まだすこしの時間を要したのだった。




 陽人は深陰とムラマサとともに道を歩いていた。放課後の制服デート……と思うものはいないだろう。その理由は、深陰の背に背負われた弓のせいだ。

「深陰、なにか怒ってる……?」

 陽人はおそるおそる、下から顔色をうかがうように訊いた。

「べつに。なんで私が怒るの」

 目を合わすこともなくそう言われた。さっき思ったとおりの反応だ。やっぱり怒ってるじゃないか、とは言わない。そんなことを言えば、たぶん二秒でたたまれる。


「引いてるだけよ。しばらく私に話しかけないで」

 そう続けられて、やっぱり確実に怒ってるじゃないか、と陽人は思ったが言わない。理由は前述したとおりである。それにしてもこの物言いはどうしたことだろう。まるで母親が子供を叱るときのようだ。やっぱり深陰は口が悪い。だが言わない。理由は以下略。

「はるくん、みかげおねえちゃん怒ってるの……?」

 陽人の手に引かれたムラマサが不安そうに言った。困り眉で自分を見上げるムラマサに、思わずきゅんとしてしまう。


「大丈夫だよ、ムラマサ。ちょっと虫の居所が悪いだけだろうから、あんまり刺激しないようにしようね」

「ちょっとそれどういう意味よ!」

 深陰が吠えた。さっきまでそっぽをむいていたくせに、いまは視線をキッと据えている。

「どういうって言われても……他意はないよ」

 陽人は本心からそう言った。

「なにが〝あんまり刺激しないように〟よ! 刺激してくるのはあんたじゃない!」

「べつにそんなつもりは……」

「そう思ってるのはあんただけよ! まったく一言も二言も多いんだからこのロリコン!」

「なっ」

 そう言われては陽人も黙ってはいられない。

「ロリコンってなんだよ! やっぱりさっきのことひっぱってるじゃないか! そして怒ってるだろ!」

「怒ってないって言ってんでしょ!」

「怒ってるじゃないか!」

「これはいま怒ったのよ!」

 ついには立ち止まってケンカを始める二人を見て、ムラマサは涙目になる。


「二人ともケンカしちゃダメェ……!」

 こう言われては、とことん弱いのが陽人という少年だ。

「ご、ごめんよ、ムラマサ……びっくりさせちゃったね」

 慌ててしゃがむとよしよしと頭をなでる。

「またケンカか? 君たちは本当に懲りないな」

 後ろから呆れた声をかけられた。見ると、そこには一人の少女がいる。

「り、林道(りんどう)さん……?」

 陽人の言葉が疑問形になってしまったのは、彼女がとても奇妙なものをかけていたからだ。

 サングラスである。ただし、普通のサングラスではない。なんか、メガネのふちとかに魚のヒレがついている。

 ポニーテールを揺らしながら近づいてくる少女の名は林道弥生(やよい)。伸びた背筋と引き締まった表情が相まって大人びて見える。……サングラスがなければ。


「まったく、ムラマサがかわいそうだと思わないのか?」

 そう言ってサングラスをとると、切れ長の瞳が陽人をとらえた。〝かわいい〟というよりは〝美人〟の言葉が似あう少女だ。

「うっ」

 ぐうの音も出ない。陽人は気まずそうに眼をそらした。深陰もツンとそっぽをむいている。

「山背、君が変態なのはもう仕方のないことだが、あまりムラマサを悲しませるな」

「う、うん……っていうか、僕はべつに変態じゃ……」

「ムラマサ、アメ舐めるかい?」

 陽人の抗議を無視し、弥生は言ってアメを渡す。


「うん……」

 ムラマサは口の中でアメを転がし始めると、すこし笑顔になった。

「おいしいか?」

「うん。ありがとう、やよいおねえちゃん」

 弥生はムラマサの頭をポンと叩くと、分かってるな? というような視線を陽人にむけた。

「ムラマサ……」

「はるくん、約束やぶってばっかり」

「うぐっ」

「うそついたらいけないんだよ」

「……はい」

「どうしてケンカばっかりするの?」

「それは……」


 深陰が売ってくるから、とはさすがに言えずに言葉に詰まる。いや、こういう考えがいけないのかもしれない。売られても買わなければいいじゃないか。無視すればいい。それだけの話だ。しかし、頭では分かっているが、いざその場面になるとどうしても受けて立ってしまう。

 いやいや、なんだ受けて立つって。そうか、こういう攻撃的なところもいけないのか。いやいやいや、それを言うなら深陰のほうが攻撃的だしけんかっ早い。いやいやいやいや、深陰一人に責任を押しつけるというのもどうなのか。いやいやいやいやいや、それにしても深陰はちょっと。いやいやいやいやいやいや……。

 とまあ、毎回こんな調子である。だれに何度たしなめられても、陽人の脳は毎度おなじような思考をたどり、堂々巡りとなってしまう。


「……アメ、おいしいかい?」

「うん」

「ちゃんと弥生お姉ちゃんにお礼言った?」

「ゆったよ」

「そっか。えらいえらい」

 と言って頭をなでるが、

「どうしてケンカばっかりするの?」

「……」

 ごまかそうとしたが無理だった。


「あきらめろ山背。この機会に賛成するんだな」

「……反省、だろ?」

「? そう言っただろう?」

「言ってないよ……」

 それはともかく、弥生の言うとおりだ(言ってないが)。反省しなくてはいけない。

 しかし、いつまでもこうしていては近所から苦情をもらいかねないし、遅刻してしまうので一同は歩を進める。そうしてたどり着いたのは、いまは廃校となっている学校だった。

 深陰と弥生は、それぞれ弓と刀を前に差しだす。すると、先端から真っ赤な炎がポウっと灯った。


 一方、陽人はムラマサの頭に手を置く。ムラマサが目をつむると全身が淡い光に包まれる。つぎの瞬間、陽人たちは月明かりに照らされた校舎の〝影〟のなかへ消えていった。

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