地球最後の日
僕は空を見ていた。
母さんと父さんが言っていた。
昔は星が見えなかったんだよと。
今はお月様が見える。星も、街の明かりに負けないくらい輝いている。
もっとも、田舎ではまだ沢山の星々が見えるって学校の先生が話していたけれども。
とにかく、ベランダから僕は夜空を眺めていた。
前髪が夜風に揺れる。
若草の香りのする緑の匂いだ。
僕は目を凝らすが、あいつの言っていたような光る物体はかけらも見えない。
あいつの言い方だと、とても輝いて見えるような口ぶりだったのだけれども。
望遠鏡が要るのかな?
僕は考える。
でも、僕はそんなものは持っていない。
僕はため息。
これじゃ、何にもわかんないや。
虫の声がする。
車の行き来する音色に混じり、秋の夜空に虫の奏でる音はいつまでも鳴り響いていた。
◇
ポッケの中でスマホが鳴っている。
母さんに頼んで買ってもらったスマホ。
電話か。
知らない電話番号だった。無視しても良かったのだけど、僕は出る。
「どちら様ですか?」
『こちら東亜大学の鈴木と言うものですが浅見さんの……』
「違いますよ?」
『あ、これは……失礼しました』
何気ない間違い電話。
そんなことがあったなんて、直ぐに忘れた。いや、忘れていた。
──あのことがあり、その鈴木さんに出会うまでは。
◇
「おかしいな……番号を間違えたか?」
電話番号は合っていたはずだ。
浅見雄一郎と大書された名刺を取り出す。
『宇宙航空研究開発機構 広報部 主査 浅見雄一郎』
電話番号は合っている。
だが、繋がらなかった。
いや、繋がったが別人だった……どういうことだ?
上司の佐伯は煩い。いつも以上に煩い。当然か。
未曾有のトラブル……というよりも、もうなにがなんだか。
と、鈴木の机に据えられた電話が鳴る。
「はい、こちら東亜大学宇宙工学科、鈴木研究室の『す・ず・き』と申します」
◇
鈴木健太は僕、遠野翔の友達……というよりも、良く遊ぶ仲間だ。
僕が夜空を見つめていたのは鈴木に影響されたからでもある。
ある日、健太が言っていたのだ。
「これは秘密の情報なんだがな、地球に向かって大きな天体が急接近してきているらしい。夜10時ごろさ、南の空を見てみろよ」
僕はバカ正直にもその言葉を信じた。
だから、今日は僕は健太に食って掛かる。
「健太! 昨日夜空を見たけど何も見えなかったぞ!」って。
鼻をすすり上げつつ、言ってみた。
「ん? 翔。なんだ、見えなかったのか。何処から見たんだ? まさかマンションから見たんじゃないだろうな? もっと暗いところで見なきゃ言えるもんか」
「暗いところって……あんな夜遅く、外に出れるかよ」
「あー、お前の家、門限厳しいもんな」
「おまえ、あの話って本当の話なのか? どうせいつものデマ……」
健太は両手を振って僕を押し留める。
「デマなもんか。久しぶりに家に帰ってきた酒に酔った父さんが口を滑らせたんだ。地球はもう直ぐ滅亡するって」
「その隕石か何かが衝突して?」
「そうそう」
僕は頭にきた。
「やっぱりデマじゃないか!」
「いやいや、確かな情報なんだって。お前は俺の父さんが宇宙工学の専門家だって事知ってるだろ?」
「……」
健太の父親。なんとかって大学で研究している学者さん。
確かに宇宙の専門家ではある。
「その父さんが言ったんだ。衝突の確率は98%。衝突の衝撃で大災害が起きて地球上の生物はほぼ全て死に絶えるって」
「健太、そんなことどうして僕に教えるんだよ」
「友達だからな! っていうか、お前こういった話、直ぐに信じそうだし」
なっ……やっぱり健太のヤツ!
僕は、ついカッとなる。
「やっぱりデマじゃないか! 僕は寒いの我慢してベランダで一生懸命空を見上げてたんだぞ!?」
「あはは。でも、見えなかったなら良いじゃないか」
「どうして」
「だって父さんの寝言に過ぎなかったってことだし?」
「良くない! 何だよ、自分で確認しろよ!」
「やだよ寒い。こんな寒い中、夜中に望遠鏡出して夜空なんて見れるかっての」
はぁ。
僕は健太を締め上げていた手を離す。
健太は昔からこういうやつだ。でも、どこか憎めない。
どこか、悪気は無いように感じるのだ。
◇
「え? 浅見さん、もう一度言ってくださいよ!? 今回のA30129は偶然地球衝突の周回コースに乗っているですって!?」
『鈴木君、困るよそんな言い方は。こちらに悪気は無いんだ。それに、この情報も確定じゃない。あくまで確率上の話なんだ』
「でも、その隕石……いや、天体は異常な軌道変化をしているのでしょう?」
『そうだね、明らかに地球に向かって微調整をしながら近づいているとしか思えない』
「お偉さんは何をしているんですか。映画みたいに核ミサイルで軌道変更なんて出来ないんですか!?」
『無茶言っちゃいけないよ。それにそんな技術が何処にあるんだい?』
「それじゃ、俺たち人間は……地球は……」
『出来ることは何も無い。あちらさん、A30129が上手く避けてくれることを祈るだけだよ』
◇
僕には避けている人がいる。
それがこの人、藍川さん。
目鼻立ちのはっきりしたかなりの美人。そして物事ははっきりと。
だから、僕は彼女が苦手だ。
いや、クラスのみんなも彼女が苦手。
ほら、そう言っていれば今も藍川さんと健太のいつものやり取りが始まっている。
「『話は聞いた! 地球は滅亡する!!』ですって? バカじゃないの?」
藍川さんのきつく冷たい黒い目を見据えつつ、健太はつばを飛ばして、
「いや、だから俺の父さんが話していたんだって」
スマホでさっと検索する藍川さん。
「世界の何処にもそんなニュース出てないけど。ネットにも転がってないわね。あ、あったか。オカルトのまとめサイト」
「だーかーらー、政府でも国連でも機密事項なんだってば! NASAも正式発表できるわけ無いじゃん」
藍川さんの目がますます細くなる。
「だからそれって、オカルトって言わない?」
「だーかーらー!」
って、朝からこんな感じである。
太陽もお月様も、きっと笑っているに違いない。
◇
僕は空を見上げた。晴天に青白く見える翳った月。
体育の授業。
早々にドッジボールで脱落した僕は控え席へ。
今日は昼間から月が見えている。
でも、月って一つじゃなかったっけ。
僕はふとそんな馬鹿なことを考える。
当然一つだ。
でも、月の横に見えるもう一つのお月様……丸い天体は何だろう?
◇
『A30129が消えたよ』
「それどころじゃありませんよ! A30219の変わりに変なものが……」
『月が、増えたね』
「どうしてそんなのんきなんですか浅見さん!?」
『慌ててどうなるのかな、鈴木君』
「そっちは大丈夫なんですか!?」
『君のような人からの電話が先ほどから鳴りっぱなしだよ。なにせ、月が一つ増えたんだからね』
◇
僕は月は一つだけだと思っていた。
だけどそれは間違いだった。
ただそれだけのこと。
「な、翔。地球は滅亡する!!」
「健太、もう良いから」
僕は月の横に現れた光輝くもう一つの月、それに見入っていた。
そして、その月の周囲に溢れてくる小さな移動物体のことも。
ああ、あれは隕石なんかじゃなくて──。
◇
サイレンが鳴った。
J-アラート。
緊急を告げる防災用のアレである。
天を見上げる人がいた。
口をあんぐり開けている人がいた。
跪いて祈っている人がいた。
空が陰る。
そして僕と健太、そして多くの人々の上に陰を作った。
巨大な三角形。そうとしか言いようの無い物体がいくつも天を多い尽くす。
「あれって……」
健太が呻く。
「UFO、だよね」
僕は当然のように口に出していた。
物体はどんどん大きくなる。
だが、それはそれほど大きくなろうとも近づいたようには思えない。
いや違う。
それほど巨大なのだ。
それが一つ二つ三つ……違う。天を多い尽くしている。
「『話は聞いた。地球は滅亡する……』」
見知った女の子の声。黒髪が揺れる。
藍川さんだ。いつの間にか、僕の隣、健太の横に立っていた。
「ごめんなさい鈴木君、今回はあなたのほうが正しかったわ」
「……あれは宇宙船……」
ポツリと呟く健太。
「まさかあんなのが来てるなんて。鈴木君のお父さん、本当に偉い人だったのね」
「ってことは宇宙人……」
だめだ。目の焦点が合っていない。
「鈴木君? 話し聞いてる?」
藍川さんの目が細まった。
「あー、ダメだと思うよ藍川さん。今の健太には何を言っても通じないよ」
「そうみたいね。ありがとう遠野君」
「うん。……でも、藍川さんって凄いね。あんなのを見ても驚かないんだ?」
「そう言う遠野君だって」
巨大な三角形が、三角形の形すら分からないほどわからなくなった頃、おもむろに空中に停止した。
薄っすらと見える。構造板の継ぎ目らしきもの。白を基調とした船体に並ぶ見慣れぬ記号。そして何らかの紋章としか思えない絵。
明らかに人の、いや、知的生命体の手による構造物。
それの意味するところ。
もはや間違いない。あれは明らかに地球上の物体ではない。
そうだとするならば。
「UFO?」
僕の口からその言葉が自然と漏れていた。
空中に静止した巨大な構造物、UFOからは多数の小型の三角形の飛行物体が放出される。
そしてその一つがやってくる。
迫りくる原初の恐怖。
それは「死」だ。
「ひっ」
藍川さんの端正な顔が歪む。
飛翔体は藍川さんの目前で静止する。
「あはは、『人類は滅亡する!! 人類は滅亡する!!!』」
健太の狂ったような笑い声。涙と鼻水と、その他色々なものが混じった酷い顔。
そしてその健太の前にも、三角形の小型飛翔体は静止していた。
僕は何を思ったのだろう。
藍川さんと健太、二人の間に割って入る。
何とかしなきゃ。
何とかしなきゃ。
こんなときは……こんなときは!
僕は飛翔体ににっこりと笑いかけ、
「こんにちは、宇宙人さん」
自分でも思いも付かない台詞を吐いていた。




