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制服や教科書など、高校生活に必要なものは元の私が使っていたものを借りることにした。いちいち買い揃えるのも手間がかかるし、そもそも私はこの世界では無一文だ。
目覚めたときに私が持っていたのは、身につけていた服と靴だけだった。電車に飛び込んだときにはかばんも持っていたはずだけど、ぶつかった衝撃で手放してしまったのかもしれない。
ちなみにここだけの話、元の私の制服は、私には少し、いやだいぶきつかった。私のくせにスタイルはよかったのかもしれないと思うと、ちょっとむかつく。
それにしても、と、私は教科書を埋め尽くす勢いの落書きを指でなぞる。
この世界の私は、いったい何を思ってこんな落書きをしたのか。小学生の落書きでも、肖像画に鼻毛を生やすくらいで我慢するだろうに。
しかもまったく意味がわからない落書きばかりだ。文字のように見える部分も、日本語どころかアルファベットにさえ見えないし、絵らしきところは見ているだけでなぜか不安な気持ちになる。
全体的に、禍々しいという表現がぴったりな落書きだった。そう、ちょうどあのアパートの部屋みたいに。
この世界の私がどんな人間だったのか、もちろん気にはなる。あんなインテリアの趣味を持つやつがまともな高校生だったとはとても思えない。
何度か幼馴染みに聞いてみたけど、そのたびに、
「普通ノ女子高生ダッタヨー、ドコモ変ジャナカッタヨー」
と見事な棒読みではぐらかされた。もしかしたら自分と一心同体だったかもしれない存在が、そんな人に説明したくもないような人間だったのかと思うと、だいぶ不安だ。
「……では、このとき莫大な財産を築いたのは誰でしたっけ?」
聞き流していた先生の声のトーンが変わったような気がした。
ふと目を上げると、クラス中の視線が私に集まっていた。先生もじっと私の方を見ている。変な声を上げそうになるのをかろうじてこらえた。
腕をつんつんとつつかれる感触に、反射的にそちらを見る。隣の席の委員長だった。
彼女は机の上に開いた教科書を軽く傾けて、細い指先で一箇所をとんとんと叩いてみせた。
「え……っと、渋沢弥太郎?」
どうやら先生に当てられたらしいと気づいて、委員長の指先が指し示している単語を、恐る恐る読み上げた。……うん、確かに金持ちっぽい名前ではある。
先生は、その通り、と頷いて、板書を始めた。クラスの視線が黒板に移っていって、私はふーっと息をつく。
隣の席の委員長はにっこりして、教科書をまっすぐに戻した。
「ありがとう」
小声でお礼を言うと、彼女はぽっと頬を染めて、唇だけで「どういたしまして」と言った。この控えめな感じがなんとも言えず可愛い。
美少女は得だなー、と、この世界に来てからもう何百回思ったかわからないことをまた思う。
幼馴染みと私は学年は同じだったけれど、クラスが違った。
いきなり知らない美少女たちと男子たちの中にひとり放り込まれてぷるぷるしていた私に、最初に声をかけてくれたのが委員長だ。そのままの流れで、彼女がいろいろと私の面倒を見てくれることになった。
席も隣同士に配置され、次の授業で使う教科書や資料を教えてくれたり、今みたいに急に当てられたときに答えをこっそり教えてくれたりする。移動教室の場所なんかも、私はもちろん全然知らないから、その都度案内してくれるのはとても助かった。
ひとつ気がかりなのは、幼馴染みと委員長はどうも折り合いが悪いように思えることだ。
「お昼一緒に食べよー」
四時間目の終わりかつ昼休みの始まりのチャイムが鳴ったのとほぼ同時に、弁当箱をふたつ抱えた幼馴染みが教室に飛び込んできた。
そのきらきらした笑顔からは、今朝下駄箱で見た不機嫌そうな様子は感じられなくて、私は内心でほっとした。結局何だか分からなかったけど、機嫌が直ったならよしとしよう。
得意げな顔で弁当箱を掲げて駆け寄ってきた幼馴染みは、それを私の机に置いた。お揃いの弁当箱の片方は彼女自身の分で、もう片方は私のために作ってくれたものだ。
幼馴染みは毎日私の分まで弁当を作ってくれる。それも私の両親から頼まれたのかと思ったけど、そういうわけでもないらしかった。
「今まではお昼は各自で準備するようにしてたんだけど……ほら、ね?」
頬をピンクに染めてもじもじする仕草は腹が立つほど可愛いけど、なんでそこでもじもじするのか全然分からない。
「もー、鈍感! 知らない!」
問い詰めたけどはっきりした答えはもらえず、最終的にどつかれてその話は終わった。何なんだ。
「おぅ……」
自分の弁当箱のふたを開けて、おもわずそんな声が漏れた。
肉だ。全面余すところなく肉が敷き詰められている。唐揚げに、豚の生姜焼き、牛肉は……しぐれ煮だろうか。
幼馴染みのほうを見る。他の生徒の椅子を勝手に持ってきて、私と向かい合うように腰を下ろした彼女は、弁当箱のふたを開けた。
その半分にはご飯にふりかけをかけたもの、もう半分には私の弁当に入っているのと同じ肉のおかずと、彩り豊かな野菜のおかずが入っている。非常に健康的なお弁当だ。
嫌がらせか? 手間と金をかけた嫌がらせなのか?
少なくとも昨日までは、私の弁当には幼馴染みとまったく同じものが入っていた。どうしてこうなった。
「……なんでこんなに肉ばっかり?」
さすがに作ってもらっている身で強く出ることはできなくて、控えめに言ってみた。
既に自分の弁当を食べ始めていた幼馴染みは、口をもぐもぐさせながら首を傾げた。頬が唐揚げで膨らんでいてもやっぱり可愛い。美少女は得以下略。
「今日はちょっと気合い入れてみたの」
気合いの方向が間違っていると言わざるを得ない。
でも作ってもらっている身なのでやっぱり文句は言いにくくて、私は「ふーん」と納得したふりをして、豚の生姜焼きを口に運んだ。
生姜焼きを咀嚼する私を、幼馴染みはきらきらした目で見ている。そんなに見られると食べにくい。
「……美味しい」
その感想は、褒め言葉を待っている幼馴染みへのお世辞だけじゃなかった。生姜の香りがよく効いていて、本当に美味しい。基本的に彼女は料理上手ではある。
私の言葉を聞いて、幼馴染みはぱあっと表情を輝かせた。もともとの可愛さもあって、直視できないほどまぶしい。
「ほんと? よかったー、いっぱい食べてね!」
「ああ、はい……」
弁当箱いっぱいの肉を見下ろして、私は顔を引きつらせながら辛うじて返事をした。
牛肉のしぐれ煮をもぐもぐしながらふと目を上げると、委員長が教室に入ってくるのが見えた。そういえば今日はいないなと思っていたけど、何か用事でもあったんだろうか。
「お昼、ご一緒してもいいですか?」
私の隣の席に戻ってきた彼女は、机の横にかけてあったかばんから弁当箱を取り出し、控えめに声をかけてきた。
「どうぞどうぞ」
私が学校に通うようになってから、昼は私と幼馴染みと委員長の三人で食べるのが定番になっている。
いつも通り答えて弁当箱を引き寄せ、委員長が入るスペースを作った私は、不穏な気配を感じてぴしりと固まった。




