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うなだれた私の視界の端で、巫女服に包まれた女の子の足が揺れる。
「それで、私の相棒が巻き込まれている厄介事についてだが。詳しく聞きたいか?」
「……いや、いい。間に合ってます」
その厄介事というのも、この世界の私が引き起こしたんだったか。もう一人の自分のアレな話をこれ以上聞くのは気乗りしなかった。
「ふむ、そうか。まあ、無理に聞かせることでもないな。世の中には知らなくてもいいこともある」
……そういう言い方をされるとむしろ気になるんだけど。
でも今はこれからのことのほうが大事だ。極力過去は振り向かないように生きていこうと、今決めた。
「それで、私はこれからどうすれば?」
指示を仰ぐと、ブランコを揺らしていた女の子はこっちを見た。
「そうだな……まあ、別れの言葉でも考えておけば良かろう」
「……え?」
全く想像していなかった答えが返ってきて、間抜けな声を出してしまった。
「元の世界に戻れば、この世界に生きる者たちとは二度と会えぬからな。今のうちに名残を惜しんでおけ」
女の子は淡々とした口調でそう言う。
「……ってことは、相棒さん、もうすぐこの世界に来るの?」
「さっきお前が自分でそう言ったろうが」
「いや、まあそうなんだけど……」
女の子はブランコの鎖越しに私のほうを向いた。
「何事もなければ、明日の午後早い時間にこちらへ戻るそうだ」
「……ちょうど丸一日後ってこと?」
「そうだな」
思った以上に早くてちょっとびっくりした。
「えーと……私はそのとき、どうすればいいの?」
「まずは相棒に会わねば話にならんからな。ひとまずこの公園に来るがいい」
「あっ、見つけマシタ!」
もうちょっと詳しく聞こうとしたとき、背後でそんな声が聞こえた。
振り返ると、まばゆい光が見えて目がくらんだ。光はそのままこちらに向かって駆けてくる。
「お買い物を手伝うように言われたのデス!」
光っていたのは留学生の金色の髪だった。太陽光を受けて、直視できないくらい眩しい。
目をしょぼしょぼさせる私の近くまで来た彼女は、足を緩めて首を傾げた。その澄んだ青い瞳は、私の隣のブランコに座る女の子に向けられている。女の子も首をひねって、後ろから来た留学生のほうを見ていた。
「そちらハ……」
さて、困った。ジンギスカンって、彼女にも通じるんだろうか?
私が迷った一瞬のうちに、留学生の顔がぱあっと輝いた。たたっと私たちの正面に回りこんで、きらきらした目で女の子を見つめる。
「クノイチ! クノイチ、やっぱりいるんじゃないですカ! ワタシの先生はやっぱり間違ってなかっタ!」
残念だけどそれは違う。もしかして、和服の女性は全部くの一だと思ってるんだろうか。
「くの一か……それも悪くないかもしれぬな。考えておこう」
女の子はふむふむと一人で頷く。巫女の次のコスプレ候補にくの一を入れているのかもしれない。
頷いていた女の子が、急に留学生を見て「おや?」と目を細めた。
「それは……?」
女の子の視線を追うと、留学生の腕の中にあるものに辿り着いた。……この布包みは。
「それ、わざわざ持ってきたの……? 重いでしょ?」
留学生は布包みを大事そうに抱え直して、首をぶんぶんと横に振った。淡い金色の髪も一緒に振られて、空中に光の線を描く。
「これは師匠からいただいた大切なものデス! 肌身離さず持ち歩かなけれバ!」
その腕に抱かれているのは、この前先輩に間違った日本知識と一緒に押しつけられた謎のタレだ。
彼女はタレ入りの瓶を布に包んだまま、どこに行くにも持って回っている。持ち歩くのは百歩譲っていいとして、布はカビ臭いから外してほしいんだけど。
「……もしやその中身は、タレではないか?」
今まで聞いたことがないような声音に、私は女の子に目を戻した。その表情も、やっぱり見たことがないようなものだった。何というか、ちょっと焦ってるみたいな。
「そうですヨ?」
留学生は無垢な笑顔で布包みに頬ずりする。ああ、カビ臭い美少女になってしまう。
「どこでそれを?」
「学校デス! 師匠がくれましタ!」
師匠、と言いながら私を見るのはやめてほしい。私は自分が彼女の師匠だと認めたことは一回もないのだ。
女の子も私を見た。その眼光がびっくりするほど鋭くて、思わずちょっと腰が引ける。
「……お前、いつの間に師匠などになったのだ?」
「いやいやいや、それは誤解で……」
留学生がタレを手に入れるに至った過程を簡単に話すと、女の子はお腹の底から絞り出すような深いため息をついた。そして、しばらく「考える人」みたいなポーズを取っていたけど、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……実を言うと、それは私のものだったのだ」
「……はい?」
いきなり何を言い出すのかと、女の子の顔をまじまじと見てしまう。でも彼女はびっくりするほど真剣な表情をしていた。
「さっき、相棒と喧嘩別れした話をしただろう。二十年ほど前、私が見失った仕事道具というのが、そのタレなのだ。その布は間違いなく、私が瓶を保護するために巻いていたものだ。この地域のどこかにあるだろうと思ってはいたのだが、いくら探しても見つからなくてな。まさか学校にあったとは……」
女の子の顔も口調もこれ以上ないくらい真剣だったけど、言っている内容は何一つまともな部分がなかった。
二十年前の布ならそりゃカビ臭くもなるかもしれない。いやそれよりも、中身の何だか分からないタレも二十年前のものってことだよね? 腐ってない?
「そういうわけなのだが、返してもらうわけには行かぬか?」
女の子は留学生に頼み込む。二十年前のタレを今更どうするつもりなんだと思うけど、彼女は本当に返してほしがっているみたいで、私に対するこれまでの態度からは想像できないくらいの低姿勢だった。
でも留学生はぷうっと白い頬を膨らませて、布包みを守るようにぎゅっと抱きしめた。
「駄目デス! これはワタシがいただいたものデス! 返すくらいなら、お前を殺してワタシも死ヌ!」
どこでそんなせりふを覚えたんだ。あれか、例の教科書か?
「……そうか、分かった。無理を言って悪かったな」
殺してでも奪い取ると言い出したらどうしようと思ってひやひやしたけど、女の子は意外とあっさり引き下がった。
「分かればよろしイ」
やたら偉そうに、ボリューミーな胸を張ってみせる留学生。タレによって決まる上下関係……なんか嫌だ。
「その代わり、明日そいつと一緒にこの公園に来てくれぬか? そのタレも持って」
女の子がそいつ、と指したのは私だった。留学生はきょとんと目を瞬かせる。
「師匠ト? なぜですカ?」
ごく真っ当な質問に、女の子がにやっと悪そうな笑みを浮かべた。……うーん、嫌な予感しかしない。
「極秘任務だ。他の者に話してはならない、お前と私だけの秘密だ。――分かるな?」
一瞬考えるような顔をした留学生が、はっとした表情になった。そして直視できないくらいきらっきらした表情で、前のめり気味に頷く。
「ハイ! ニンム、了解しましタ! 誰にも言わナイ、オッケーデス!」
女の子を見ると、してやったりと言わんばかりの笑顔を向けられた。……こいつもこのいたいけな美少女に間違った日本文化を吹き込む気か。
「そうと決まれば、早く帰って明日への英気を養うがいい。今日はこれにて解散だ」
芝居がかった仕草でそう言ってブランコから降り、女の子はすたすたと公園を出て行った。その後ろ姿を憧れの眼差しで見る留学生を、私は死んだ魚のような目で見ていた。




