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私を迎えに来てくれた男性は、お嬢様の家の執事だという。
「彼女とは小学生の頃から仲が良くて。よくお互いの家に遊びに行ったりもしていたんです」
例の高そうな車を運転している執事に向かって、委員長は「ね?」というように微笑む。執事もバックミラー越しに微笑みを返す。
ということはもしかして、委員長もいいところのお嬢様だったりするのか……? 恐る恐る聞いてみたけど、「ふふふ」と柔らかく笑ってかわされた。
ブルジョワ怖いセレブ怖い、と呟いている間に、私と委員長を乗せた車は豪邸に着いた。そしてだだっ広い部屋に通されて、分不相応なお茶会に参加させられているわけだ。
お嬢様はうっとりしたような目で私を見ているだけで何も言わないし、委員長も落ち着いた仕草で紅茶を飲むばっかりで、これと言って喋ろうとはしない。
間が持たなくて、私はひたすらお菓子を口に運んでいたけど、そろそろお腹もいっぱいだ。ただでさえ若干きつい制服のウエストが、無言で限界を訴えている。
「……えっと、その……きれいな絵ですね」
ウエストのホックが弾け飛ぶ前にと、これ以上はないくらい表面的な話題を振ってみる。
私が示した壁にかかっている絵の一枚を見て、お嬢様は割とどうでも良さそうに鼻を鳴らした。
「そう? わたくしの趣味ではないのだけど。気に入ったなら差し上げるわ」
「……は? いやいやいや、結構です」
その絵は、私が住むアパートの窓より大きいんじゃないかというサイズだ。値段的にもスペース的にも、そんなに気軽にもらえるものじゃないと思う。
「まあ、遠慮深いのね。それから、敬語なんて使わなくてもよろしいのよ。わたくしの方が年下だし」
遠慮深いとかそういう話じゃない。そしてやっぱりお嬢様は下級生だったようだ。
「……そう? じゃあ……」
と言いかけたものの、続けるべき話が特に思い浮かばない。微妙な沈黙が漂ってしまって、私は視線で委員長に助けを求めた。
「彼女は渋沢家の令嬢なんですよ」
私の訴えを的確に汲み取って、委員長は話題をつなげてくれた。
「……渋沢家?」
ただし、私がその話題に食いつけるかはまた別の問題だ。
聞き返したら、お嬢様の顔がちょっと引きつったのが分かった。あ、もしかして失礼だった?
「ああ、この世界の日本では誰もが知っている名家なんです」
お嬢様の顔色に気づいたらしく、慌ててフォローを入れてくれる委員長。実に有能だ。
「ほら、少し前の歴史の授業で、渋沢弥太郎って出てきたじゃないですか?」
「……ああ、そういえば」
先生に当てられて焦っていたら、委員長がそっと答えを教えてくれたやつだ。何した人だったっけ。
「えーと……すごいお金持ちだっけ?」
確か、金持ちっぽい名前だとか思ったような記憶がある。漠然とした私の言葉に、委員長はにっこり頷く。
「そう、よく覚えてましたね。今から百三十年ほど前に、その類まれな商才を活かして莫大な財産を築いた人物です。その富を元に、渋沢家はいろいろな事業に手を広げ、現在の繁栄があるわけです」
今のは委員長っていうか、家庭教師みたいだった。
「へー……確かに、すごいお屋敷だよね」
私の心からのせりふに、お嬢様は無反応だった。
もしやまた失言してしまったかと彼女の表情をうかがったけど、不機嫌というわけでもなさそうだ。ただ無関心というか、どうでもいいと思っているみたいな様子だった。……これが本当のブルジョワジーの反応なんだろうか。
そういえば、この世界に来てから顔面格差社会は三秒に一回くらい意識させられているけど、経済的な格差を感じたことはあんまりなかったかもしれない。元の世界にいた頃も含めて、こんなあからさまな大金持ちを見たのは初めてだ。
広い部屋を庶民丸出しの仕草できょろきょろ見回していると、向かいに座るお嬢様ががたっと椅子を鳴らした。そっちに目を向けると、彼女がテーブル越しに身を乗り出してきていて、思わずちょっとのけぞる。
「そんなことより!」
「はい!」
強い語調に、反射的に返事をしてしまう。主導権を握り慣れた人の喋り方だ。
でも、お嬢様はそのまま口ごもってしまった。ほっぺたを赤くして目をそらし、唇を引き結んでいる。両手はテーブルに突いたままだけど、乗り出していた体はじりじりと後ろに下がっていった。
「……はい?」
彼女がどうしたいのか分からなくて、私は隣の委員長を見る。委員長は眼鏡の奥の目を優しく細めた。
「そんなことより、取り替えっ子のお話を聞きましょうか」
その言葉に、お嬢様の表情がぱあっと明るくなる。元が美少女だけあって、むすっとしていても可愛いけど、笑顔になるともっと可愛い。富豪の令嬢な上に可愛いとか、何それむかつく。
でも、すぐ我に返ったようにその目が見開かれた。それから顔がぷいっと背けられる。
「わわわわたくしは別にそんな話聞きたくないのよ? でも……でも、もしどうしても話したいっていうなら聞いて差し上げてもよろしくてよ?」
……あー、そういうことか。なんだこのお嬢様、めんどくせえええ。
イラついている私とは対照的に、委員長は穏やかな微笑みを浮かべ続けている。
「私はどうしても聞きたいです。――話していただいてもいいですか?」
せりふの後半は、ごく自然な流れで私に向けられた。
この慣れたあしらい方、熟練の猛獣使いみたいだ。今までとは違う意味で委員長を尊敬した。さすが、このお嬢様と昔から友達なだけはある。
「えーと……いいよ。何から話せばいい?」
そんな委員長に敬意を払って、私は話を始めることにした。お嬢様がちらっちらっとこっちを見てきて気が散るけど、気づかないふりを貫く。
「昼食の用意ができたわよ! 早くいらっしゃい!」
昼休み、教室の入り口からそう声をかけられて、私はこっそりため息をついた。
あれから紆余曲折あって、私の昼食は幼馴染み手作りのお弁当、委員長手作りのお弁当、お嬢様のゴージャスな料理をローテーションすることになった。
ちなみにお嬢様と食べるのは、彼女の手料理じゃなくて、あのロマンスグレーの執事が用意してくれる高級料理だ。食材名や料理名をいろいろと説明してはくれるけど、庶民には聞いたこともないようなものばかりで、右から左へ全部抜けていった。
自分でご飯を用意しなくていいのは楽ではあるけど、そろそろ一人でゆっくり食事をしたい気もする。元の世界では基本ぼっち飯だったから、毎日美少女に囲まれて食事をすると結構気疲れするのだ。
贅沢を言っている自覚はある。
お嬢様に引きずられるようにして中庭に出ると、そこにはいつものようにテーブルセットが広げられていた。いかにもお金持ちの家の庭にあるような、屋外用っぽい白いテーブルと椅子だ。そんなお金持ちの家、映画くらいでしか見たことなかったけど。
「どうぞ、温かいうちに召し上がってください」
テーブルセットのそばには、例の執事と上品なエプロンドレスの女性が立っている。給仕をしてくれるメイドさんで、当然のごとく美人だ。
促されるまま、私は椅子の一つに腰を下ろした。テーブルには芸術的なまでにきれいに盛りつけられた料理の数々が並んでいて、湯気も立っている。あの豪邸で作ったものを保温しながら運んできているみたいだけど、まるで作りたてみたいだ。
「お邪魔しまーす」
そんな声とともに、後ろについてきていた幼馴染みが私の隣の椅子に座った。
眉間にぐっとしわを寄せたお嬢様は、でも何も言わず、反対隣の椅子にささっと腰を下ろす。幼馴染みと同じく私についてきた委員長は、残った椅子に控えめに座る。
三人の間でどういう協定が結ばれたのか知らないけど、私がお嬢様と中庭で昼食を取るときは、幼馴染みと委員長も一緒に同じものを食べることになっている。
ちなみに二人の手作り弁当の日は、お嬢様も同じように弁当を持参して私の机を囲む。その中身がもはや何だか分からないくらい高そうな料理なのは言うまでもない。
毎度のことながら、幼馴染みとお嬢様の間に微妙に険悪な雰囲気が漂う。それをかき消そうと、私は手元のぴかぴかに磨かれたフォークを手に取った。
「……美味しい」
感想を口にすると、ちらっちらっと私を横目でうかがっていたお嬢様の目が輝いた。語彙力が乏しいので毎回「美味しい」しか言えないけど、それでも律儀に嬉しそうな顔をする彼女は、実はものすごく素直なのかもしれない。
「……あ、当たり前でしょ! うちのお抱えの一流シェフが作っているんだから、美味しいに決まってるわ!」
我に返ったように赤面しながらまくしたてられた。やっぱり素直じゃないっぽい。
「うーん、美味しいのは美味しいんだけど」
それなりに和んでいた雰囲気に不穏なせりふを投げ込んだのは、黙って料理を口に運んでいた幼馴染みだ。それを聞きつけたお嬢様は、釣り気味の目を更に鋭くして幼馴染みを睨んだ。
「……何かご不満でも?」
「不満ってほどじゃないんだけどー。栄養バランスがちょっと悪いんじゃないかなって」
挑発的な口調で言いながら、幼馴染みはテーブルの上を顎で示した。
ちょっぴり不本意ながら、それについては彼女に同意せざるを得ない。
初めてお嬢様と昼食を取ったときから今に至るまで、用意されるのは肉料理ばかりなのだ。いろいろな料理法や調味料が使われているようで、飽きる感じはそれほどないけど、それにしても不自然なくらい肉尽くしだった。




