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「でも不思議ね。あなたたち、前はそんなに仲が良さそうでもなかったのに」
突っ伏した私の頭上で、先輩がそんなことを言った。
私は少しだけ頭を持ち上げる。幼馴染みと目が合った。
「……そうなの?」
幼馴染みはちょっと気まずそうに目を逸らす。
「……別に、仲が悪かったってわけじゃないよ。ただ、ちょっと方向性の違いっていうか……」
バンドの解散理由みたいなせりふが飛び出した。
幼馴染み曰く、取り替えっ子にしか興味がない彼女に対し、この世界の私は超常現象全般に広く関心を持っていたという。
「だから、本当のところでは分かり合えなかったんだよね……」
遠い目をする幼馴染みもアンニュイで可愛いので、またむかつく。
この美少女まみれの世界、可愛いからといっていちいちむかついていては精神が持たないけど、むかつくものはむかつくのだ。ブスは辛いよ。
そこで私は唐突に気づいた。ここは超常現象研究部で、超常現象には取り替えっ子も含まれる。ということは、この先輩ももしかしたら取り替えっ子に詳しいのかもしれない。あの女の子の相棒に頼まなくても、手っ取り早く元の世界に帰る方法を知っていたりしないだろうか。
聞こうとした瞬間、それは幼馴染みの前で口にしてはいけない話題だと気がついて言葉を飲み込んだ。
幼馴染みには、私はこの世界でずっと生きていくつもりだということにしている。彼女がいるところで帰る方法なんて聞こうものなら、また泣き喚かれかねない。
日を改めて、幼馴染みがいないところで先輩と話す機会を作らないと。
「あっ、もうこんな時間!」
幼馴染みの声に、思わず肩をびくんと跳ねさせてしまった。今度先輩と二人で話そうと考えていたのがなぜか後ろめたく思えて、何となく幼馴染みの顔を正面から見られない。
「ほら、もう部活はいいでしょ? 帰ろう! 先輩、お先に失礼します!」
一方的にまくしたてた幼馴染みは、立ち上がって私の腕を掴んだ。
そのまま引きずられていこうとする私に、先輩は艶やかな笑みを浮かべた顔を近づける。長い髪がふわりと揺れて、甘いような不思議な匂いがした。
「次は二人きりでお話しましょうね?」
「しません!」
力いっぱい言い切った幼馴染みに、私はなすすべもなく部室から引きずり出された。
座ったまま片手をひらひらと振る先輩の姿が、幼馴染みが勢いよく閉めた扉の向こうに消えた。
その日の夕食の席には、不機嫌そうな幼馴染みのせいで重苦しい雰囲気が漂っていた。そんなふくれっ面をするくらいなら、わざわざ私の部屋で一緒に食べなくてもいいのに。
「……えっと、取り替えっ子の何がそんなに好きなの?」
気詰まりな沈黙をなんとかしようとそう言った私は、幼馴染みにぎろっと睨まれて、話題選びを間違ったことに気づいた。
「別に好きじゃないし」
「いや、自分で好きって言ってたじゃん」
口を尖らせる彼女にイラッと来た。正確には、口を尖らせる仕草も可愛いところにイラッと来たのかもしれない。まあ、この際それはどっちでもいい。
「っていうか、さっきから何怒ってんの? 嫌なら無理して一緒にご飯食べてくれなくていいよ、自分のご飯ぐらい自分で何とかできるから」
作ってもらった料理を食べながらの私の言葉には、我ながら全く説得力がなかった。
「え……っ」
でも幼馴染みは絶句した。その澄んだ目がみるみるうちに潤んできて、予想外の反応にぎょっとする。
「うわあーん、ごめんなさい! 怒ってないから、だから捨てないで!」
「うぐ」
いきなり飛びかかられて、私は仰向けに倒れた。後頭部を床に打ちつけ、目の前に火花が散る。持っていた箸を幼馴染みに突き刺さないよう、とっさに放り投げたのを褒めてほしい。
幼馴染みは私にしがみついたまま「ごめんなさい、捨てないで」と繰り返している。捨てないでと言われても、そもそも拾った覚えはない。
「捨てない、捨てないから、ちょっとどいて」
離れる気配のない幼馴染みの重さに、私は降参した。彼女はがばっと顔を上げる。
「ほんとに?」
兵器級に可愛い半泣きの顔に動揺しながら、ぎこちなく頷く。幼馴染みの表情がぱあっと明るくなって、それからさっと赤くなった。
あたふたと私の上からどいて、恥ずかしそうにちんまりと正座する。
今の展開のどこに照れポイントがあったのか全くわからない。未だに毎朝、恥ずかしげもなく下着を見せてくるくせに。
「……取り替えっ子って……何ていうか、ロマンじゃない?」
「は? ……ああ、その話ね」
さっき振った話題の続きだと気づくのに、ちょっと時間がかかった。
それから一時間にわたって振るわれた幼馴染みの熱弁をまとめると、彼女は幼い頃から取り替えっ子の話が好きで、ずっと憧れていたけれど、本物を見たことはなかったとのことだ。
今日先輩にバラされた、学校に忍び込んで自ら取り替えっ子を召喚しようとしたという奇行は、その憧れを持て余した結果だったらしい。本人はその件には触れようとしなかったけど。
私が取り替えっ子だと知ったときのハイテンションぶりと、やたら私につきまとってくる理由がこれでやっと分かった。ついでにもうひとつ気づいたことがある。
「……ってことは、取り替えっ子に詳しいの?」
「もちろん! 手に入る限りの取り替えっ子本は読み尽くしたよ! 分からないことがあったら何でも聞いて!」
どうやら取り替えっ子好きを隠すのをやめたらしい幼馴染みは、堂々と胸を張った。
……その胸元を見ると、どうしても先輩の圧倒的な立体感と比べてしまう。私もそんなに起伏がある方じゃないけど。
でもそこに触れるのはどう考えても得策じゃないので、口には出さなかった。
「分からないこと……あ、そうだ。あの女の子って何者か知ってる? 最初に会ったときに一緒にいた、巫女さんみたいな幼女」
本当に聞きたかったのは、元の世界に帰る簡単な方法があるかどうかだ。でもそれを幼馴染みに聞くのもどう考えても得策じゃないので、別の質問にしておいた。
ちなみにあの女の子は、私が初めて登校した日の夜に姿を消した。
「今日のような感じで生活を続ければ良い。お前が世界間の距離を広げるような行動を取りそうになったら神通力で教えてやるから、安心しろ」
と言い残して。今のところ神通力は働いていないので、私はとりあえず間違った行動は取っていないみたいだ。
幼馴染みは大きな目をきょとんと瞬かせる。
「え、知らないの? 本人に聞かなかった?」
「うーん、聞いたんだけど、ごまかされたっていうか……」
何だっけ、迷える子羊をジンギスカンにする職人……とか言われた覚えがある。
「そうなんだ。あの女の子の格好は仮の姿で、ほんとはジンギスカン職人だよ」
あっさりした幼馴染みの答えに私は言葉を失った。……マジで?
翌日、帰りのホームルームが終わると同時に私はかばんを引っ掴み、教室を飛び出した。
ちらりと幼馴染みのクラスの方を見ると、まだホームルーム中なのか、しーんとしている。好都合だ。
ちょっと遠回りになるけど、幼馴染みの教室の前は避けて部室に向かう。いつもなら美少女に取り囲まれるところだけど、ダッシュする私の勢いに驚いているのか、今日はみんな道を空けてくれた。
日頃の運動不足のせいか、すぐに息が切れる。あのジンギスカン職人だという女の子が言うには、今の私は十七歳らしいけど、この体の重さからは全然若返ったとは感じられない。……単に昔から運動不足だっただけか?
それでもどうにか部室までたどり着いた。扉は閉まっていて、中に人がいるのかどうか、外からじゃ分からない。
鍵がかかっていたらどうしようと今さら思ったけど、ここに来て迷っていてもしょうがない。それに、いつ幼馴染みが追いかけてくるか分からないし。
思い切って手を伸ばした瞬間、勝手に扉が開いて、私は名状しがたい悲鳴を上げてしまった。
「きっと来てくれると思っていたわ」
扉の向こうでは、先輩が私を見下ろして艶っぽく微笑んでいた。
「今日はあの子は一緒じゃないのね」
昨日と同じように机に頬杖をついた先輩は、私の隣にちらりと目をやって唇を吊り上げた。なんだか嬉しそうだ。
「はい……ちょっと、先輩に聞きたいことがあって」
そう言いつつも、重たげに机に乗っかった胸につい目が行ってしまう。
あんまり凝視したら失礼だとは分かっているけど、同性でもガン見せずにはいられない存在感だ。いや、むしろ同性だからこそ堂々とガン見できると言うべきか。
「なあに?」
いくら女同士とはいえ、我ながらさすがに見すぎかと思って、やっと視線を先輩の胸から引き剥がした。目を上げると、思った以上に間近にその顔があって、思わずちょっとのけぞる。
じっと見つめてくる切れ長の目に吸い込まれそうになって、自分が何を言おうとしていたのか一瞬分からなくなった。
「え……っと……先輩は、取り替えっ子には詳しいですか?」
何とか正気を取り戻してそう聞くと、先輩は軽く首を傾げた。
「超常現象の一種として、一通りの情報は知っていると思うわ。どうしたの、何か知りたいことでも?」
予想通りの答えが返ってきたことに、内心ガッツポーズをする。この世界に来てからというもの、私の思った通りになることはほとんどなかったので、こんなちょっとしたことでもやたら達成感を覚えてしまう。
「そうなんです。実は私……元の世界に帰りたくて、その方法を」
「駄目よ」
きっぱりとした口調で遮られた。同時に先輩の顔がぐぐっと近づけられる。
身を引こうにも、いつの間にか手で頬を包み込むように捕らえられていて動けない。デジャビュ。
「せっかく私の前に来てくれたんじゃない。帰るなんて許さないわ」
しっとりした声が、いつもより低い。
「帰ろうなんて考えるのはもうやめて。ずっと私のそばにいればいいわ。たくさんの偶然が重なって奇跡みたいに出会えたんだから、これからは一緒に生きていきましょう?」
鼻先がぶつかりそうな距離で甘ったるく囁かれて、いろんな意味で動揺した。
はい、と頷いたら取り返しがつかないことになりそうだし、かと言って下手に断ると無理心中されそうな気がする。この空気、どうしたらいいんだ。
妙にいかがわしい雰囲気をぶち壊したのは、弾け飛びそうな勢いで扉が開けられる音だった。
「やっぱりここに! だから、顔が近いってば!」
走ってきたのか、息を切らしている幼馴染みが、このときばかりは天使に見えた。いや、顔だけは常に天使レベルなんだけど。
先輩はちらりと彼女に流し目を向けてから、私に微笑みかける。
「あら、邪魔が入っちゃったわね」
「ほら、離れて離れて!」
駆け寄ってきた幼馴染みに引き離される直前に、先輩は私の耳元で囁いた。
「わざわざ私に聞いたってことは、元の世界に帰りたいって、彼女には言っていないんでしょう? 私も黙っておいてあげるから――二人だけの秘密よ?」
その声の破壊的な色気に、私はしばらく耳を押さえて机に突っ伏す羽目になったのだった。




