プロローグ 私がブスだったころ
私が死んだのは、なんというか、気の迷いみたいなものだった。
死ぬ前の私はどこにでもいるようなOLで、そのときは会社の最寄り駅のホームで電車を待っていた。
ぼーっとしていた私の前を、一人の少女が横切った。顔が見えたのはほんの数秒だったけど、私の意識は一気にクリアになった。横切ったのは、今まで見たこともないような美少女だったのだ。
見たところ、十七、八歳くらい。フランス人形にほんのちょっと人間味を足したような、びっくりするほど整った顔立ちだった。
彼女は私の前を通り過ぎて、しなやかな足取りでホームを歩いていく。私は呆然とその後ろ姿を見送った。
緩く波打つ栗色の髪が、生温い風にふわふわと揺れている。小さな頭に長い手足。太ももなんて、私の二の腕くらいしかないんじゃないかと思うほど細い。
見慣れたホームには不釣り合いなほど完璧で、何か不安すら覚える姿だった。
その後ろ姿が遠ざかっていくのを凝視していた私は、「電車が到着します」というアナウンスにはっと我に返った。世の中にはあんなにきれいな人間がいるんだな、と思いながら、闇の中に延びる線路を眺める。
それに比べて、私はどうだろう。率直に言えばブスだ。オブラートを百枚くらい使っても「いわゆる美人ではない」くらいが精一杯というところか。
今まで二十五年間生きてきて、純粋に顔の作りを褒められたことはない。言われたことがあるのは、せいぜいが社交辞令の「可愛い」か、もしくは珍獣に対する「可愛い」くらいだ。……今更だけどちょっと凹んできた。
あの少女くらいきれいなら、きっと溺れ死ぬほど褒め言葉を浴びせられているんだろう。そういう人生ってどんな感じなのか、私には想像もつかない。とりあえず、卑屈が服を着て歩いてる私のような人間にはならないと思うけど。
少しの間があって、闇の向こうから二つのヘッドライトが現れる。いつも会社と家との往復に使っている電車だ。
あ、死んで美少女に生まれ変わろう。ごく自然にそう思った。
今思い返しても、そのときの自分の思考回路はよく分からない。少女のあまりの美しさに、頭のネジが弾け飛んでいたのかもしれない。
ともかく私は、ホームに滑りこみながら減速しようとした電車に、当たり前のような顔をして飛び込んだのだった。
「はいはい朝だよー起きなさーい」
そんな声とともに体の上に衝撃が降ってきて、「ぐえっ」と声が漏れた。続いて激しく体を揺さぶられて、口から声以外のものも漏れそうになる。
「起きてる、起きてるから!」
必死で布団から腕を出してめちゃくちゃに振り回すと、何かにぶち当たった。
「きゃー」
棒読みの悲鳴が聞こえ、体の上の重みがすっとなくなる。
私は揺さぶられた名残の吐き気に呻きつつ、のろのろと起き上がった。そしてベッドの脇に大の字に倒れている美少女を見る。上半身は普通に服を着ているが、下半身には下着しか身に着けていない。
「……斬新なやつ来たー」
思わず呟くと、美少女はがばっと跳ね起きた。そしてもじもじと下着を隠そうとする。いっそ褒めてやりたいほどのわざとらしさだ。
「いやん」
暗幕みたいな黒と赤の遮光カーテンは今は開けられて、窓からは朝の光が差し込んでいる。ご丁寧に小鳥のさえずりまで聞こえる。
絵に描いたように爽やかな朝なのに、なんでこんなに疲れなければならないのか。
「……いいから何か穿いてきなさい」
ため息まじりの忠告に、美少女は愛らしい唇をむすっと尖らせた。
「せっかくの私のサービス精神を!」
「別にそういうサービス求めてないんで」
年頃の男の子なら喜んだかもしれないけれど、私は女の子のパンツを見ても全く嬉しくない。ここ一週間そう諭し続けているのに、この美少女は聞き入れる気配がなかった。
「幼馴染みが起こしに来てくれて、ちょっとした弾みでパンツが見える。こんなに素敵な目覚め方もないでしょ?」
「今のはちょっとした弾みとは言いがたかったと思うんだけど、その辺どう思う?」
「だっていい感じにパンツ見せるのって意外と難しいんだもん。だから最初からパンツしか穿かなきゃ問題ないかなって。人の夢と書いて穿かない!」
「字が違う」
そんな夢嫌だ。
「……とにかく、別にパンツ見せてくれなくていいから。っていうか見せてくれないほうがいいから。何なら起こしてくれなくてもいいから」
「むすー」
擬態語を口に出すと寒いことこの上ないけれど、これくらいの美少女だと愛嬌になり得る。それがまた腹立たしいところだ。
一旦ふくれっ面をした美少女だったけれど、すぐに笑顔に戻った。
「そうだ、朝ご飯はパンとご飯どっちがいい?」
「……ご飯かな」
「って言っても、パンしかないんだけどね」
なぜ聞いた。
あまりの仕打ちに黙りこんだ私をよそに、美少女は弾むように立ち上がった。そして、ショートヘアを揺らしながら軽やかな足取りで1Kの部屋のキッチン部分へ向かう。パンツしか穿いてないままで。
その後ろ姿を見届けて、私は深い息を吐く。
気の迷いで死んだら、一人暮らしのアパートに幼馴染みの美少女が押しかけてくるようになった。どうしてこうなった。