どうしてこんなことに
もう旬は過ぎたと思われる婚約破棄ものです。王子様視点ってやつですね。
どうして、こんなことに?
王城のまわりを取り巻くのは、おびただしい数の軍隊。しかしそれは我が国のものではない。
本当に、どうしてこんなことに?
◆ ◆ ◆
自分で言うのも何だが、幼い頃の私は非常に優秀だったらしい。周囲には神童なんて言われる事もあるほどに。
だが、幼い頃にもてはやされた者というのは、その才覚が大人まで続く事はあまりないらしい。私もその例外にもれず、思春期にさしかかる頃にはもう私の評価は並の王子以下となっていた。
下がるに下がった周囲の評価。
しかし、小さい頃から持ち上げ続けられた私がそれを認められるわけもなく。
そして、身内では未だに私に期待する声も根強く残っていた頃。
サイミ・ローザとの婚約話が持ち上がったのも、おそらくはそんな微妙な状況のためだったんだと思う。
ローザ家はいわゆる辺境伯で、中央貴族の評価は決して高くない。だがもうひとつの辺境伯であるフラナ家、さらにこれら地域の領民からの信頼は篤く、貧しくてもこれらの地域は豊かであるという。そして周辺国との戦いでも精鋭を率いて戦うローザの人間は恐れられており、また男女問わず文武両道も多い。
ただ王族と無関係の貴族があまりにも突出しているのは、王国の安定を思うと好ましくない。最悪の場合はローザ領の独立、あるいは他国からの引き抜きにより領地ごと離反という可能性だってないとは言えない。
うむ。
その意味で、第二王子だった私にローザ家の娘との縁談が舞い込んだのも、そういう流れだったのだろうな。
嫡男である兄と結んで国母となってしまうと、中央貴族たちの顔を潰しかねない。
かといって、ローザ家は無視していい勢力ではないと、まぁ、そういう事だったんだろう。
しかし当然といえば当然なのだけど、婚約が決まった当時の私の顔は晴れなかった。
サイミ・ローザ。それは噂に聞く「神に愛されし天才令嬢」だった。
サイミ嬢は私とは逆に、成長と共に評価を急速に上げてきたタイプだった。
まず、三つの頃に突如として倒れたという。やがて目覚めた時にはいわゆる「記憶もち」となっていたというが、多くの記憶持ちと呼ばれる者たちが奇行やおかしな言動で知られているのとは裏腹に、サイミ嬢はそういう事が全くなかったという。ただ魔力が急激に増大し、また、どちらかというと苦手だった魔法の技術も、十代に達する前に我が国の宮廷魔道士を打ち負かすほどに成長してしまったという。
まさかの、魔道の天才。
魔力は権勢の象徴。王族を軽くしのぐような魔力を、いち貴族が私有するなど許されない。また出奔されたり他国に奪われたりしても困った事になる。
サイミ嬢は強制的に王城に招聘され、その場で選ばされた。すなわち、宮廷にとじこめられ一生を宮廷魔道士として生きるか、それとも王族と婚約する、あるいは王の側妃として後宮に入るかである。
それに対し、サイミ嬢は婚約の道を選んだ。
繰り返すが、辺境伯は中央貴族の間では高く見られていない。王族はもちろん軽く見てはいないが。
そして当時の私は中央貴族よりの考えだったので、当然受け入れられず。
しかし父王の命令には逆らえず、渋々にサイミ嬢の手をとった。
あの時の事は、今でも忘れられない。
私はサイミ嬢に、確かこう言ったのだ。
「おとなしく籠の鳥になっていればいいものを、この私の妃になりたいとは欲をかいたものだな。
だが父の命令となれば仕方ない、婚約してやろう。少なくとも外面だけは妻として扱ってやるが、思い上がるんじゃないぞ」
その時のサイミ嬢は、確かキョトンとした顔で俺の顔を見たあと、微笑んでこう言ったのだ。
「ご不満でしたら、今すぐ婚約破棄なさるとよろしいでしょう。殿下がどうしてもとおっしゃるなら、陛下も無理とは言いますまい。
それにわたくしも、中央になぞおりたくはありませぬ。わたくしを無理やり閉じ込めようとしているのは陛下なのですよ?」
うん、確か、こんな感じの事を言ったのだと思う。
はっきりいって、当時の私にはサイミ嬢の言葉の意味は理解できなかった。ただ、あからさまに私や父上に悪意を隠そうともせず、文句があるなら自分を僻地に追い返せと嘲笑しているのだけはかろうじて理解できた。
もちろん父上に報告した。王である父上に歯向かうような者、家ごと潰してしまえばいいと。
しかし父上に叱責されたのは私の方だった。
「そもそもおまえは、今回の婚約がなぜ行われたのか全然理解しておらんようだな。
サイミ嬢はただの貴族の令嬢ではない。非常に高い付加価値をもつ存在なのだぞ。
ローザ家は代々、国への帰属心はあれど出世欲がない。ゆえに中央に登る事なく、自力であの過酷なローザ領を守り続けている家なのだ。独立独歩を地でいく者たちなのだ。
国の防衛としても頼もしくはあるが、その独立心の強さは危険でもある。何しろ我が国を見限ったらその瞬間、他国に属する不可侵の領土になりかねないのだからな。
そして、サイミ嬢はさらに記憶もちであり、魔道以外にもいくつかの能力を隠しているという。
わかるか?息子よ。
サイミ嬢本人はおそらく、宮殿に閉じ込められるよりはと婚約を選んだのだろう。
だが我らの方も、サイミ嬢を無理やり宮殿に閉じ込められるとは思っていない。ただの魔道の天才でも厄介だがサイミ嬢は記憶もち、さらにあのローザ公をして、女にしておくのは惜しいと言わしめたほどの者なのだからな。
つまり、この婚約は最初から既定路線だったものだ」
そういうと、父上は一瞬、息をついた。
「よいか息子よ、改めて命ずる。
サイミ・ローザを妻とせよ。
単に命令されたから妻にするのではなく、共に手をとり生きられるよう手を尽くせ」
そも、父上はサイミ嬢を買いかぶりすぎであろう。
いかに記憶もちとはいえ、たかが小娘ひとりではないか。
魔法がいかに巧みであろうと、そもそも魔法詠唱者など、ぐだぐたと詠唱している間に剣を突きつけられれば終わり。そんなものは当たり前ではないか。
ふざけるなと思った。
しかし、父上の命令とあれば仕方ない。私は了承するしかなかった。
そして翌日、私とサイミ嬢との婚約が正式に、王の勅命として発せられた。
今にして思えばだが、サイミ嬢は父上が睨んだ通り、本当に束縛を嫌うだけの理由で婚約に同意したのだろう。
義務で命じられた以上の登城を一切する事なく、そして定められた日数以上に王都に滞在する事も一度としてなかった。そして領地に帰る日には私が見てもわかるほどに機嫌がよく、王都に来た直後などは不機嫌さを隠そうともしなかった。
そんなサイミ嬢を王都の貴族娘たちは目の敵にしていたらしい。
私は直接見た事などない。しかし、メイドたちが仲間同士の会話をしているのを小耳に挟んだところによると、一時期は王都にいる年頃の貴族娘たちの、ほとんど全員がサイミ嬢の敵だったという。それも比喩的な意味ではなく、ありとあらゆる手段をもっと嫌がらせに奔走する娘たちの姿は、私の側近であり古馴染みの騎士のひとりに言わせれば、まさに百年の恋も醒める苛烈さであったという。
しかし、まもなくそんな娘はいなくなってしまった。何があったのかはよくわからないが。
といってもサイミ嬢の味方ができたのではなく、単に敵がいなくなっただけ。
当時の私には、そんな事がサイミ嬢の周囲で起きている事すら知らなかった。そもそも「たかが魔道に優れているくらいで王族につながるコネを掴んだ成り上がり娘で、その王族すらも下に見るほどの不遜な娘」としかサイミ嬢の事を認識していなかったから、そのあたりの話をきいても理解できなかった、というのもあるのだけど。
ただ、実は当時の私は、別の理由でサイミ嬢をありがたいとも思いはじめていた。
理由は簡単、サイミ嬢関係でこっそりといろいろ調べさせているうち、今まで億面もなく私たち王族に擦り寄っていた多くの貴族娘の家のほとんどが家に指示され、私を誘惑して国母の地位を勝ち取りに来ていたと知ったからだ。
確かに貴族である以上、王家につながる事ができるのは誉れなのかもしれない。
だけど、私はそんな婚儀などまっぴらごめんだった。
だいたい、そんな理由ならサイミ嬢の事情だって大差ないわけで、そして両者を同列で語るなら、私としては見た目だけ可愛くとも中身のないスカスカの令嬢より、口が悪いものの、実際に話してみると予想以上に知恵者でもあるサイミ嬢も悪く無いと思い始めていた。
あの可愛い口が、熱く情熱をこめて殿下とささやいてくれるさまを見てみたい。
そんな事を思うようにもなっていた。
しかしサイミ嬢の私に対する冷淡な態度は、ずっと変わる事がなかった。
で、そんな毎日の中だった。彼女に出会ったのは。
マネ・リミットとはじめて出会ったのは学校だった。
リミット男爵家の養女だという。もともとは隣国、シリアス国の商家の娘だったが、その商家が諸事情でシリアス国に潰される際、一人娘とその侍女を、つきあいのあったリミット男爵の家に預けただという。
そういえば、リミット男爵の領地はシリアス国につながる街道沿いにあるのだったな。
マネはサイミ嬢がないものをすべて持っていた。
目もさめるほどの美しい顔。サイミ嬢も美しくはあるが、花開くようなマネのそれには及ばないだろう。
魔法の才能。サイミ嬢がどれだけあるのか測った事はないが、マネの美しくもきらめく光魔法は現時点でも宮廷魔道士を軽くしのいでいた。そも、光魔法という時点で高貴の者を思わせたが。
そして人気。
マネの周囲には多くの人が集まった。なぜか女はあまり近づかないようだったけど、うるさいだけの女どもがいないのは非常にありがたい。
とどめに、マネはサイミ嬢と違い、殿下、殿下と熱いまなざしで見つめてきた。
私はたちまちマネに溺れていった。
また、マネもまた記憶もちであるとの事で、素晴らしい知識をたくさん持っていた。特に軍事予算を削って税金を安くする事で民衆の指示を得、それにより治安を向上させて結果的に警備や軍事むけの費用を合理的に削減する方法など、驚くような提案も持っていた。
ただし軍事予算の削減は、特に辺境伯に位置する諸侯から猛反対を受けた。
まぁ、それはそうだろう。彼らは戦争でその地位を維持しているのだから、そのための予算を削られたら困るのだから。
だが国の未来を思えば、人殺しのための予算など少ないに越した事はない。マネはゼロが理想だと言っていたけど、まぁそれは今すぐは無理だろう。騎士や兵士にも生活があるし、そこはおいおいとね。
そして。
そういう事を見ているうちに、私は思いはじめた。
そう。
サイミ嬢でなくマネこそが、私の妻にふさわしいのではないかと。
ただし王命であるサイミ嬢との婚約を破棄させるには、父上に王命を撤回していただく必要がある。そのためにはどうすればよいか?
一番いいのはサイミ嬢が問題を起こし、それを理由に婚約破棄する方法だろう。これが最も平穏無事に収まる方法ではないかと私は考えた。
しかし私は、自分の思考が明らかにおかしい事に全く気づいていなかった。
だって、そうではないか?
マネと結婚したいという事の是非はともかくとして、どうしてそこで、サイミ嬢を陥れる必要がある?
いや、最終的にそういう強硬案が出たのならまだわからないでもないが、まず最初は側近に相談するなりって方向性だろう。どう考えても理屈がおかしい。
まぁおそらくだが、それだけ私はマネへの恋に狂っていたのだろうな。
話を戻そう。
サイミ嬢との婚約破棄に悩んでいた時、まさに狙ったようにマネに相談された。サイミ嬢に深刻ないじめを受けているというものだった。
思わず、これだと思った。
今にして思えば、ここで真偽や犯人についての詮議を行い、きちんと後ろを固めるべきだったろう。そうすればいろいろと未来が変わったか、大きく変わらなかったとしても、そのあとの対応は変わったろうに。
そして。
どうして父上に相談しても無駄と思ってしまったのだろう。
父上の計画はローザ家の取り込みだが、それはサイミ嬢との結婚以外の方法もあったはずだ。そもそも婚約から数年が過ぎていたし、その間に何かが動いた可能性もある。つまり、他の道だって皆無ではなかったはずなのに。
だが今さらだろう。事実は変わらない。
そう。
私は学校主催の行事のひとつでサイミ嬢を一方的に断罪、婚約破棄を言い渡したのだ。
興奮して宣言した私に対して、サイミ嬢の反応はおそろしいほどにいつも通りだった。
まず、サイミ嬢は「まったく身に覚えがない」と言い、さらに、学校行事という公の場で全く関係ない事で騒ぎを起こす私の態度について「王族としていかがなものか」と指摘した。そしてさらに婚約破棄についても「陛下のご命令による婚約なのですから、ここで殿下が婚約破棄とおっしゃられても婚約破棄は成立いたしません。わたくしでなく、陛下にお話になってくださいませ」と、理路整然と、全くいつもの口調で返してくるばかり。それに対し、わが学友たちや、しまいにはマネまでもが一緒になって「かりにも貴族の令嬢なら、見苦しく言い訳などせず罪は罪として受け入れろ」と迫ったのだけど。
これら対するサイミ嬢の返答、そして呆れたような表情は今も忘れられない。
『やってもいない事をやったと言えと?それこそ誇り高き貴族であれば、絶対にやってはならぬ事ではありませんか』
そう述べたうえで、しかしサイミ嬢はこうも続けたのだ。
『ですが、それほどまでに殿下がわたくしとの婚約破棄を望まれているという事は、確かに理解いたしました。
殿下は、わたくしとの婚約破棄を望まれる。確認いたしますが、確かに間違いありませんね?』
『は?』
『お答えいただけますか、大切な事なのです。間違いないのでしたら、我が父の方には、ただちにわたくしから伝えます。殿下の強いご意思で婚約破棄を望まれていると。
殿下、お答えいただけますか?婚約破棄を望むか、望まないかを』
『も、もちろん望むとも!』
『そうですか』
その瞬間、サイミ嬢がにっこりと微笑んだ気がした。
『殿下のご意思をたった今、確かに確認いたしました。ただちに父に知らせにまいりましょう。すぐ手配いたします、それでは』
そう言い残すと、足早に姿を消してしまったのだ。
あとには残された我々と、そして、白けた空気。
『何この展開。わたし、こんなイベント知らないわよ』
マネが小さくつぶやいた困惑気味の声が、何か取り返しの付かない事をしてしまったような、そんな不吉なものを想像させてならなかった。
突然のサイミ嬢の退場にあっけにとられていた私は、父上にこの事を伝える事を忘れてしまい、普通に夕刻まで学校にいて帰宅した。
そんな私を待っていたのは、父上の激しい叱責だった。
私は突然の婚約破棄についての釈明と、そしてマネを愛している件についてはっきりと伝えようとしたのだが、父が怒ったのは全然別の事だった。
『わしに相談もなく王命を翻そうとしたのも確かに大問題だとも!だが、最悪にまずいのはその事ではないわ!』
どういう事だと尋ねてみたら、ローザ辺境伯に先手を打たれたと父上は渋い顔でおっしゃった。
『あやつ、先に情報を知った事を最大限に利用しよった。
中央貴族どもを巻き込んで一緒に登城し、事情のさっぱりわからぬわしに言いおった。
おまえがサイミ嬢との婚約破棄を強く望んでいる事。しかも、学校行事の最中に、並み居る内外の有力者の門前でサイミ嬢を一方的に罵倒したうえで婚約破棄を宣言するほどに強く、強く意思表示した事をな』
『父上、何を問題にされているのかよくわかりません。結果的に婚約破棄が成れば、それで問題ないのでは?』
『……なんじゃと?』
父上は、私の顔を呆れたように見て、そしてためいきをつかれた。
『そうか、おまえは、そこまで政治に不向きであったか。なんともな。
まぁよい、おまえに対する正式な沙汰は後日じゃ。はっきりいって今はそれどころではないからの。
よいかバカ息子よ、よく聞くがいい。
そなたの愚かな行動と、そして城に報告しなかった事実が何を産んだと思う?』
そういうと、父上は私の顔をじっと見た。
『成立したのは婚約破棄だけではないのだぞ。
わしはサイミ嬢を婚約破棄のかわり、以前から伝えてあったように後宮に入れるか宮廷魔道士とする旨を告げた。しかし、ローザのやつは、おまえが学校でやらかした甚大な名誉毀損をたてにすべて拒否してきおったのだ。
しかも、それだけではない』
そこまでいうと、また父上はひとつためいきをつき、そして、驚くべき事を言った。
『ここから先は、あくまでわしの現王としての勘じゃ。じゃがおそらく間違いあるまい。
……ローザ領は独立するか、あるいはシーヴァ、ロスタル、どちらかの国に寝返る可能性が極めて高くなった』
『は?なんの話ですか?』
当時の私は、本気で父上の言葉の意味がわからなかった。
マネに卑怯な嫌がらせをした事を断罪し、婚約破棄を言い渡した。私の行動には全くなんの間違いもない。
なのにどうしてその結果、ローザ領が独立、または離反という事になる?
『以前おまえに話した事を覚えておるか?サイミ嬢の取り込みはローザ領、ローザ辺境伯に首輪をつけ、我が国にとどめるための策であると。
それは逆にいうと、王族自ら引き止め策を講じなくてはならないほど、ローザ領をとりまく状況が不穏だという事でもあるのだぞ。あたり前の話じゃがな。
おまえがやったのは実質のところ……ローザ家にこの国から出て行け、と王族の名で正式にやらかしたに等しい』
『なぜですか父上!ローザ家は我が国の臣下であり、王命に従わないというのなら反逆ではないですか!』
意味がわからなかった。
だが父は首をふり、
『息子よ。おまえは以前、将来は王となった兄の片腕として仕事を手伝いたいと言っておったな。
おまえが本当に政治にかかわりたいのなら、今から起こる事をよく見ておけ。そして対応法を考えるがいい。
……まぁ、本当に間に合えば、じゃがな』
そんな不吉な事を言うのだった。
その後、私はマネと無事、結婚。さらにこの国の王となった。
最も、第二王子の私が王になった事からわかるように、それは幸せなものばかりではなかった。
父上の急死。それから、あとを追うように兄上が事故死。
まぁ結果として、一貫して反対されていたマネとの結婚を押し通せたのだから、世の中はなんとも皮肉なものだが。
国母となったマネは女神のように美しく、私はマネを誰よりも愛した。
父なき後も、マネについて警告、あるいは忠告してくる者はまだいた。おそらくは、いわゆる貴族の青い血ではないマネを疎んじたものだろうが、中には信じられない事に、この国の重鎮として私もよく知っている者の姿までもあった。
ありえないだろう。結婚するのは当人たちだろうに、家柄がそんなに大事なのか?
マネは「ごめんなさい、わたしの生まれが貴族でなくて」と悲しげに言う。
バカな!マネが悪いわけがないじゃないか。
ふざけた事をのたまう者たちを処断した。ひどい者になると怒り狂ってマネに手をあげようとした者までおり、そういう者には問答無用で不敬罪、場合と内容によっては反逆罪を適用した。
いや、だって当然だろう?こともあろうに、マネは多数の男を堕とし比べる毒婦だの、背景にシリアス国の間諜がいるなんていうんだぞ。ふざけるなとしか言いようがない。
まぁ結果として王宮の中の風通しがよくなったのだから、その意味では良かったのかもしれないが。
くだらない事をほざく者がいなくなり、いろいろとやりやすくなってきたが、今度は必要な業務がやたらと増えた。処断した者たちは仕事そのものは優秀だった者ばかりだったので、とんでもない穴が開いてしまったのだ。代わりの人材に限りがあり、こればっかりは簡単に調達するわけにはいかなかった。
そこについてはマネの提案で、リミット男爵家ゆかりの文官に声をかけ集める事ができた。
さらに発生した被害の穴埋めも、マネの提案で軍事予算を大幅に削減する事で穴埋めできた。
軍事予算については正直不安もあったのだが、大丈夫、不戦を誓う憲法を打ちたて、平和な国家を建築すれば軍事予算など不要になるのだからと自信たっぷりに言うマネの言葉に、それもそうかと思い直した。
ただこの時、なぜか父の言葉を思い出した。
『息子よ。おまえは以前、将来は王となった兄の片腕として仕事を手伝いたいと言っておったな。
おまえが本当に政治にかかわりたいのなら、今から起こる事をよく見ておけ。そして対応法を考えるがいい。
……まぁ、本当に間に合えば、じゃがな』
なぜだろう?
マネの提案でうまくいっているはずなのに、漂う得体のしれない不安が心から消えなかった。
父の不吉な言葉は、すぐに現実となり始めた。
まずローザ領が独立を宣言、山岳ローザ国を名乗った。
この領地は4つの方角がそれぞれ、ドラゴン山脈、ふたつの近隣国家、そして魔の森と接している。過酷な地形と大量の魔物出現、そして便利な街道もないというわけで人間国家がまじめに侵攻する事はほとんどなく、この地域そのものが天然の要塞、または砦のように機能している。ゆえにローザの民は歴史上、砦の民とか魔物の番人とか呼ばれている。
貴族たちは、そんなローザ領をこきおろす。身の程知らずの田舎者が国を名乗るなど、思い上がった間抜けどもと。
だが、それは違うと王になりし私は思った。
王として国防という観点に立ってみると、国の予算を全く使う事なく事実上の国防と魔物の討伐をしてくれているローザ領は、確かにかけがえのない存在だった。ゆえに、この独立劇はあまりにも笑えなかった。
ゆえに、急いで王都のローザ邸に使者を送った。勅命による最優先の登城命令書を持たせて。もちろん目的は独立宣言を取り消させ、国を騒がせた罪によりローザのすべての文官を城で無償で働かせよというもの。
勅命に逆らう事は死罪に値する。
だが、ローザ邸はとうの昔に閉鎖してしまっており、誰もいない始末。裏庭の庭園に手入れの跡があったので庭師を探してみたが、その庭師も退職ずみの王都生まれの老人であり、現役時代に手をかけた庭が荒れるのが惜しいという、それだけの理由で、時々手弁当で通っているにすぎなかった。
もしかしたら退職は表向きだけで、老人は残された間諜なのかもしれない。
だが、かまをかけてみた文官によれば、彼はただの庭師で本当に何も知らないようだという。
私は立腹した。王たる私の命令に従わないとは許せないと。
もちろんこの時、私は気づくべきだった。
父上がおっしゃっていたようにローザ辺境伯は、もともと国への帰属心はあれど忠誠心は強くなかった。だからこそ、力あれど不安定なローザを取り込み、国との結びつきを強めるためのサイミ嬢との婚約だったわけで。
そして、それを、これ以上ないほどに最悪の方法で破談させ、ローザ家を怒らせたのは他ならぬ私。
ああ、そうだとも。
おそらくは、何らかの形で間をとりもつはずだった父上が急死し、さらに兄上もなき今。他ならぬ私がなんの手も打たずにいる以上、ローザの独立はむしろ当たり前なのだと。
しかし、この時の私は激怒しただけだった。
そして王命を発し、自ら逆賊ローザの討伐に乗り出す事になった。
ちなみに自分で言うのも何だが、私は戦略に関してはそれほど悪くはないつもりだった。
もともとが次男坊であり、王を継ぐ予定ではなかったからだ。そして生涯の仕事は武官となり、王となった兄の手伝いをしたいと考えていた。
だから、ゆえにマネが言う全面的な軍備の廃棄はさすがに夢物語と思っていた。軍事予算で最も高額なのは騎士や兵士の食料や生活関連、要は人件費なのだが、マネは素人ゆえの限界か、どうしても武器防具に金が行きがちだったからだ。また騎士や兵士を対人の戦争の専門家と考えて治安維持、それから場合によっては民間の冒険者と手を組んで魔物と対峙する事もあるという現実が理解できていないようだった。
まぁもっとも、それを言うとマネはおそらく代案を持ち出してくるだろう。以前ちらっと、「軍隊が治安維持をしているのって、よくないと思うの」という趣旨の元、ケイサツなる治安維持組織について話していた事があったからだ。
どういうわけかマネは騎士や兵士をよく思っていないようだった。いや正しくは、騎士のような者は王城の警備のためだけにいるべきで、戦争をする軍隊とは別の存在にすべきだ、と言っていたか?
どうもマネは、この国から軍備を一切無くしたいらしい。
共に学生だった時代には女の子らしい、かわいいと思っていたが、どうもそういう根の浅い感情ではないらしい。
なんだろう?
まさかと思うが……。
まさか本当にマネの後ろには他国の者がいて、この国を弱体化させるための提案をさせている、なんて事があるのだろうか?
いやいや、そんな馬鹿なと頭をふり、そして戦いに集中する事にした。
そんなわけで始まったローザ討伐であるが、結論からいうとボロ負け以前の問題だった。
何しろ、そもそもローザ領に入れなかったのだから。
ローザ領の入り口は馬車すら通れない、細い街道しかなかった。しかも軽装でないと越えがたいような険しい山中であり同時に、おびただしい魔物も常に襲い掛かってくる超のつく危険地帯だった。
これが少人数の冒険者なら、気軽に逃げたり多彩な作戦もとれたかもしれない。
だが、部隊単位の移動中でしかも細い街道の途中となると陣形もとれず、思うように逃げられもしない。
たちまち、大量の被害者が出た。
そもそも、これだけの大人数が動けば一般の猛獣などは警戒し、近づいてこないものだ。ゆえに軍事行動の最中、とりわけ進軍中に猛獣の被害が出る事はあまりない。彼らの方が警戒して離れてくれるからだ。
なのに、ローザ領近郊の魔物などは全く違っていた。それどころか、足場の悪い難所を狙って攻撃を仕掛け、転落や総崩れを誘うという、まるで人間のような狡猾さすら持っていた。
そう。
それはまるで、誰かが背後から魔物たちを操っているかのように。
『!』
思わずゾッとした。
自然環境にあわせて魔物までも味方として使えるとしたら、いかに精強でも普通の騎士団や傭兵団でローザ領を押さえる事は不可能に等しい。むしろそれは高レベルの冒険者、それも超高レベルの者たちでなければなるまい。
これはもう撤退すべきではないか?
しかし、ここで引いたらローザ家に屈した事になってしまう。人心が離れ、ひいては貴族たちの国への忠誠心が低下していく原因ともなりかねない。
そうだ、何がなんでも敵を打ち破り、ローザ討伐を成功させなければ。
だが。
『ダメです陛下!魔物が多すぎてどうにもなりません!』
『こんな狭い街道じゃどうにもならん!広い場所はないのか!』
『ちくしょう、こんなところ来たのが……帰りたい、帰りたいよぅ』
『陛下!』
私は結局、打つ手なく……撤退するしかなかった。
かくして王都に戻ってきた私は、おのが目を疑う事になった。
王都に他国の旗……シリアス国の旗がかかっている。シリアス国の軍がいる。
これはいったい、どうしたことだ?
わけもわからず圧倒的多数に囲まれ、武装解除させられた。そのまま王城まで連れて行かれる。
王城に入った私を待っていたのは、リミット男爵家ゆかりで雇った文官たち。
さすがに、そこまで来たら私にも全貌が読めた。
つまり。
マネの背後には本当にシリアス国の間諜がいて。男爵家ゆかりの者たちは全員、敵国の者たちだったと。
私は彼らに踊らされ、本当に国のためとなる者たちを追い出し、皆殺しにして……そして敵を国に引き込んでいったのだと。
なんてことだ。
私は崩れ落ちた。
◆ ◆ ◆
それからの事はまぁ、あまり語っても仕方あるまい。
私は城の一角に事実上の幽閉となった。今、こうして回想しているのも時間があるためだ。
あと何日もかからず、私は処刑される。
だけど私にはもう、何かを書き残すべき相手すらもいないのだから。
ああ、そうそう。
救いと言えたのは、マネ自身の事か。マネは悪意あって私に近寄っていたのではないようだと判明した事だ。
全体像からすると、マネはシリアス国の工作員に利用されたというのが最も事実に近かろう。
つまり、記憶持ちで光の魔法の使い手である事も事実だし、あのたくさんの提案も、それ自体は虚構でも悪意の産物でもなかったわけだ。
とはいえ、だからといって純真なわけでもない部分もあり、そこは少々ややこしい。
自分が王妃となるために私を含めた周囲を扇動し、サイミ嬢に無実の罪を着せて放逐。
この件は私にだって責任があるが、マネがやらかしたのはこれだけではなかった。
学校内で当時、いくつかの貴族家の子どもたちが行方不明になったり退学しているが、これはマネ本人や、マネの命令で動いたリミット家、ひいてはシリアス国の工作であるらしい。
いや、実はそればかりでもない。
父上の急死だが、証拠は一切ないがマネのしわざだという疑いがあるのも事実。というのも、父上が急死する事をマネが事前に知っていたらしい話があるからだ。まさに話だけで物証はないのだけど。
なぜ、これから起きる事をマネは知っていたのか?それも原因不明の急死なんていう事を?
説明を求めても、マネは「なんとなくそう思った」と口を濁すだけ。問い詰めても、自分でもわからない、強いて言えば、記憶もちの知識かもしれないと理屈にあわない事を言うばかり。
当たり前だが、記憶もちの記憶とは過去の事、あるいは別の世界の事。この世界の未来を記憶として持つわけがない。
つまりマネは……父上が実は急死でなく謀殺暗殺の類であり、それが実行される事をあらかじめ知っていたか……最悪、実行犯本人なのではないか?
この時点で、私はマネを切る決意をした。もうダメだと。
まぁ、さらに疑い出せばきりがない。
結婚したのになかなか子どもができず、よく調べてみたら月のものに近い特定の時期には絶対に私と床につかなかったとか、ひどい場合には国事行為を理由に避妊薬を利用したり。これらについても、王妃という立場が欲しかっただけで国母になる気はなく、そして側妃を一切認めなかったのも私への愛ゆえでなく、わが王朝を滅ぼすためだったと断定するのは容易だろう。
だけど、それはさすがに事実ではない気がする。どうにもマネのイメージと合わない。
おそらくなのだが、マネの本質はやはり「無垢な子供」または「天使」なのだろう。
こんな言い方をすると、今もまだ愛に狂っているのかと言われそうだが、そういう意味ではない。
そも、天使とは慈愛に満ちた存在ではない。
聖典を読めばわかる事だが、天使とは神に従うものであり、いわば人間は神の畑で作られている作物のようなもの。たわわに実る果実はやさしく収穫するかもしれないが、雑草は徹底的に引き抜き、焼き捨てる。そこに情が介在するわけがない。
子供については言うまでもないだろう。子供は無垢な笑顔で虫を掴み、笑いながら引き裂く事ができる存在でもある。
マネの今までの言動や態度を考えるに、どうもその……そういう、おそろしい意味での子供や天使を連想してしまうのだ。
すなわち。
マネは私も含む、あらゆるこの世界の人間すべてを対等な人間と見ていないという事。
ああ、そうとも。
要するに、もっとも非難されるべきは……そんなマネの本質を読みきれず、翻弄されるままに我が国を滅ぼした私だという事になるのだけども。
我が手の中には、一枚の絵姿がある。
最近できてきた印刷という技術……マネの言葉を元に研究されていたものが、はじめて実を結んだものだ。
昔からある版画の技術を元に、非常に簡単な手法で版下が作れるようになったというものだが、その技術をもって複製したという、最近のサイミ嬢の絵姿がここにあった。
サイミ嬢は、巨大なドラゴンの背に乗っていた。
話によると、このドラゴンは使役しているものではないのだそうだ。魔物との距離が近いローザでは多くの魔物を討伐する傍ら、話の通じる高位魔獣や魔物については交流も昔から試みられていて、ドラゴンはサイミ嬢の「友人」なのだという。
信じがたい事ではある。
実際、シリアス国では反ローザのプロパガンダにこれを用いているらしい。魔物に通じた人類の敵なのだそうだ。
なんとも愚かな話だが、あながち間違いでもないのかもしれない。
つらつらと思いだしてみるに、サイミ嬢は、というよりローザ家そのものが少なくとも人間至上主義ではない。さすがに王都のローザ邸にはいなかったが、ローザ領の本宅の使用人ときたら、この世界の人種の見本市かというほどにバラエティに富んだ種族の使用人がいると小耳にはさんだ事がある。サイミ嬢もローザ辺境伯も使用人たちも、もちろんそんな話はしていなかったが。
かりに、ローザを聖国あたりが人類の敵の可能性ありと警告を発し、領内の亜人を聖国に突き出せと命じてきたらどうなるか?
興味深くもあり、そして、できれば見たくない未来でもある。
「ふう」
ためいきをついた。
先刻、改めて通達が来た。
今朝、マネが公開処刑となったらしい。拷問の傷隠しのボロ布をかぶせられたその姿は惨めを通り越しており、さらにギャラリーから投石も相次いだ、殺伐としたものだったという。そして当人は最後の最後まで、わたしは悪くないとか、リセットはどこだとか意味のわからない事を言いづつけていたらしい。
そして私の処刑は、天気さえよければ明日の昼に行うそうだ。
ふむ。
おそらくだが明日はきっと晴れるだろう。
だから今はただ……。
『もし私がサイミ嬢と結ばれていたら、どんな未来になったのだろう?』
そんな、とりとめもない事だけを考えていたいものだ。