第6話 魔女には分からないことだらけです!
「これはこれは、驚かせてしまって申し訳ない。可憐なお嬢さん」
慌てて振り返ったロッカに声を掛けたのは、見知らぬ貴族の男だった。薄明かりに照らされたワイン色の長髪を束ね、装飾の多い服装を身に纏った若い男だ。
先程の音は、恐らくこの男が地面に落ちていた枝を踏んだのだろう。
しかし、こんな庭園の奥にロッカ以外に来る人間が居るとは思っていなかった。しかも、こんな若い貴族男性がだ。
先程掛けられた低めの甘い声と、整った顔立ち。軟派な空気を纏っているが、パーティー会場に居れば、若い女性たちが放っておかないだろう。
ロッカはチョコレート色の瞳を不審の色に染めながら軽く会釈をして、場所を移動するために男の横を通り抜けようとした。
「ああ、お嬢さん。そんなに不審がらないで下さい。私は、マッタローニ伯爵家の二男、アティウと申します。貴女は?」
「……ロッカ、と申します」
「ロッカ! 可憐なお嬢さんに相応しい、可愛らしいお名前ですね」
「…………」
先程からこのアティウが放つ言葉は、大仰というか甘ったるいというか。とりあえず、今までロッカの周囲に居た人種とは異なる存在だ。
上質なドレスに包まれた腕を思わずさすっていた。鳥肌が立っている気がする。
とりあえずこの男から離れたくて、ロッカは必死に頭の中の貴族的会話を総ざらいして角が立たずに立ち去れる言葉を探す。
「えっと、良い夜を……?」
「まって、可愛らしいロッカ」
そろりそろり、とアティウから距離を取ろうとしていたのだが、あっという間に距離を詰められ、腕を取られる。
そして小柄なロッカを見下ろすアティウの金色の瞳に、ドロリとした熱が宿っていることに気が付いた。
ゾッ、と背筋が冷たくなる。
「会場では、幾度も目が合ったのにするりと逃げられました。でも、こんな人気のない暗がりに来ているんだ。君だって望んでいるんでしょう?」
「そんなわけっ……!」
「無いこと無いでしょう? 初心な素振りで焦らすのも、そろそろ終わりにしてください」
ロッカには理解の出来ない理論を展開しながら身体を寄せてくるアティウに、頭が真っ白になっていた。
顎を掴まれて強引に顔を上げられ、アティウの顔が近づいてくる。
「……っ」
じわり、とチョコレート色の瞳に涙が滲んだ時だった。
「アティウ・マッタローニ! 彼女は、私の招待客だっ。手を出すのは、やめて頂きたい」
「っ!? フラン、殿下……」
慌てて身を離したアティウから距離を取り、声の方向を見る。
そこには、息を乱したフランが居た。綺麗に整えられていたひまわり色の髪の毛も崩れ、白い礼服の袖で額に浮いた汗を拭っている。
そして青い瞳を鋭く光らせてアティウを睨むその顔は、普段ののほほんとしたフランの様子からは想像もできない威圧感を放っていた。
「アティウ・マッタローニ。今ならば、まだ不問に付す」
「……失礼、致します」
素早く礼を取って離れていくアティウを、フランは鋭い瞳でじっと見送る。
そして城から出るために城門の方へその背中が消えたのを認めた後、ロッカの側へ駆け寄った。
「ロッカ! なんでこんなところに一人で居るんだ。ディドイにも色々注意されただろ!?」
「……ごめん、忘れてた」
「忘れてた、じゃないよ! もう、危ないんだから……」
ロッカの肩に手を置いて深々とため息を吐くフランからは、先程アティウに向けていた威圧感や、王族らしい言葉遣いは消えていた。いつもの、フランだ。
訳の分からない貴族の男でなく、フランだ。
そのことに深い安堵を覚えた。そしてその安堵と共に、瞳から涙が零れそうになっていた。
慌てて顔を俯け、涙が零れないよう目元に力を入れる。
しかしロッカのそんな状態に気付かないフランは、ぐちゃぐちゃになった自身の髪の毛をさらにかき回しながらぼやく。
「ロッカ、突然居なくなるから。探したよ」
「っ、フラン、主役なのに、なんで?」
「なんでって、ロッカ。僕は、ロッカだけを見ていたよ。ロッカが居なくなれば気付くし、何をおいても探すよ」
ねぇ、と優しい声を掛け、フランの手がロッカの頬に添えられる。
「顔を見せて、ロッカ」
「……無理」
「無理じゃなくて」
「イヤ」
「嫌じゃなくてさ。心配なんだ。ね、顔を見せて?」
しかし頑なに顔を上げようとしないロッカに、フランはそっとため息を吐く。
無理やりはしたくないけど、という呟きと共に、頬に添えられていた手が顎へ移動した。そして軽く顎を持ちあげられ、フランが顔を覗き込む。
「……っ」
顔を上げられたその時、ロッカの大きなチョコレート色の瞳から、とうとう堪え切れなくなった涙が零れおちた。
そしていつもよりも青白い頬を、つう、と静かに伝い落ちる。
フランには涙を見られたくなかったのに、見られてしまった。
なんとか涙を堪えようと瞳を閉じて顔を背けるが、直ぐに顎に添えられた手で戻される。
そして頬を伝う涙を拭われた感触の直後、唇に柔らかいモノが触れた。
「!?」
思わず目を開けば、至近距離にあるひまわり色の髪の毛。暖かい体温。
そっと離れていくそれらを呆然と見送っていると、閉じられていた青空色の瞳と、先程まで自分のそれに触れていた唇が、やんわりと笑みを形作る。
「なっ、なに、なんでっ……?」
ロッカの頭は、完全に恐慌状態に陥っていた。
アティウの名前の由来は、当て馬太郎。