004 あらすじの『憑いてる』は誤字じゃなくてガチ。
五時間後、辺りを照らすものが照明だけになり、先程まで母娘の言い争っていた舞台ではその残骸が転がっていた。
母に自分の意見を理解して貰えず、一時間に亘った口論の末、一人部屋に取り残された娘は体を小さく丸めて先程まで自分が土下座したりしていた場所で泣き続けていた。
というか、私なのだけれど。
そう、結局私の言葉はお母様の耳に届かず、お母様は部屋を出て行ってしまったのである。
この家で習い事をしたい場合、ハードルとなるのは親の許可だけ。
とはいっても四歳の自己主張にそこまでの幅がある訳ではないのだし、今やっている習い事は全てお母様の指示によるものなのだけれど、お金や足の心配が無い以上はそういうことになるだろう。
それになにも、通いに行く必要も無い。
この家には有能なSPという名の屈強な戦士が最低でも十人程スタンバッているのだ。
その人達から教わると言う選択肢もある。ただコレも雇用者である両親どちらかの許可が必要だろうし、お母様は言わずもかなお父様は家に殆どいない。
そして『ハピアン』の性質上、都合よくそんな人達の中に仕事以外のそれに時間を浪費してくれる人なんていない。絶っ対いない。
偶発的な幸運が訪れる可能性が皆無過ぎるのが『ハッピー&アンハッピー』クオリティ。
そういうことが全くないという点においてはある意味非現実的と言えるのかもしれないというのは、私の今迄の人生がそれなりに幸運であったのかもしれない。
五時間たったということは、かれこれ五時間泣き続けているということになるのだけれど、もうそろそろ私の体力が限界に達するであろうことは自分のことなので手に取るように分かった。
泣き落としっていうのは、相手の良心に訴えて無理やりにでも願いをかなえて貰おうとする幼児特有の技法だけれど、それは周りに人が居る場合にのみ発動可能な技であることは言わずもかな、というよりこの広い家の中で泣き続けたことにより痛感させられたということになるのだろうか。
無論、当然、当たり前のように、見た目通りの精神年齢をしていない私が自分の思い通りにいかないからってマジ泣きすることは無い。
これは嘘泣き……というのとは少し違うにせよ、意図的に涙を流していることになる。
時々、扉の隙間から心配そうに顔を覗かせる家政婦が居たりもするが、慰める為に部屋の中へ入って来たりはしない。
慰めに入って来たのは四時間前のお姉様、雨ノ森朱夏が最後か。
泣き止まない私に釣られてお姉様までもが泣きだして、一時間も泣くと私の傍で疲れたのか丸まって寝てしまった。
お姉様もまだ八歳なのだ。無理はいけないよ、無理は。
五時間も泣き続けられるのはゲーム設定たる雨ノ森クシェルの天才スペックの恩恵だろうけれど、お姉様のスペックはよくわからない。
なにせゲームでは『雨ノ森クシェルには姉がいる』という何やら伏線臭い情報として出て来ただけであり、実際は複線でも何でもない単なるログだったのだから。
お姉様の容姿はお父様に似たアジア系の顔つきで、それこそ将来は大和撫子の有望株であろうロングでストレートな黒髪の良く似合う美少女だ。
姉妹仲はとても良い。仲睦まじすぎる程だけれど、その余りに違う容姿の差は最早別の家の子では!? と思わされる程だ。
でも他人にそう言われたら、私もお姉様も怒るのだ。
私達が姉妹であることは絶対に揺るがない、有り得なくもお前の言った通り血の繋がりが無かったとしても私達が姉妹であることには変化が無いのだと。
私はお姉様も守って見せる。雨ノ森財閥を継ぐのは多分お姉様だしね。
たまにだが、出来れば容姿を交換して欲しいとか思ったりもする。
雨ノ森クシェルの世界一といってもマジに過言じゃない容姿も良いけれど、花は愛でられるからいいんであって自分が花になりたい訳じゃない。
むしろ花を守る虫よけかなんかになりたいね、うん。
それに元々が日本人であった為にお母様似のこの顔は結構違和感があったりするのだ。
寝ぼけながらに鏡の前に立って鏡を見たらビクッってする位には。
────さてそろそろかと言わんばかりに本格的な睡魔が私を襲う。
私の身体は寄り添って眠るお姉様にホールドされて動く事は叶わないし、泣き疲れて眠るのならわざわざ眠りやすい姿勢で眠るのも変だろう。
この後私は今の姿勢のままで、それと同時にお姉様の柔らかく暖かな感触を感じながらに夢の世界へと旅立ってくのだろう。
◆◆◆
────夢。
今現在自分が夢を見ていると自覚する、そんな夢のことを明晰夢というらしいけれど、今のこの状態がそんな感じなのだろうか。
過去にも、私が千壌土紫月であった頃にもそんな感じの夢を見たと思ったこともあったのだけれど、今のはそれの三倍位リアルである。
風に揺られる葉の音。
風鈴の音色。
夏に感じる蒸し暑さ。
たまに顔を撫でるそよ風。
それら全てが鮮明に感じられて、目を開けるとそこは見知った古いのにしっかり手入れの行き届いた武家屋敷の縁側で、視界に写るのは広くて稽古には丁度良い見知った庭だった。
そんな風景は私が剣道を始めたばかりの頃を思い出させるし、会いたい人物を連想させる。
この光景は、
雨ノ森クシェルになってから一度たりとも見た事の無い、この千壌土紫月の思い出の中にしかないこの光景は、私が千壌土紫月であったことを再認識させてくれる。
前世がある、なんていう妄想に取りつかれた少女ではないことを再認識させてくれる。
懐かしい。
嗚呼、懐かしい。
もしあの時私が間違っていなければ見られた筈の光景がそこにある。
もっともあの時はバリバリの冬だったけれども。
しかし、そんな指摘を入れずに感傷に浸るのを許して欲しい。
今の私が形成された場所といっても過言では無い所なのだから。
ここに、雨ノ森クシェルの姿は無い。
いる筈の無い奴はここに居なくて、代わりに千壌土紫月という居る筈のやつがここに居る。
そんなことに、視線が高く戻っていることと一緒に気付いた。
純日本人の、黒髪茶眼の私が居る。
プロポーションは日本人離れしているとよく言われたけれど、れっきとした日本人たる私が、ここに居る。
夢に意味何て求めるのはおかしいけれど、何故いまこの夢を、と私は思う。
懐かしの風景を見れて嬉しい、と思う。
千壌土紫月である自分を見て、懐かしい、とも。
夢とは基本、寝ている間に記憶整理整頓する為のものらしいのだけれど、まさか千壌土紫月の終わり、とかでは無かろうな。
もしそうだとしたら、今迄人格形成してこなかった雨ノ森クシェルという名の抜け殻は、また赤子からやり直しということになる。
そして、私の存在理由は、何処に消えたのか。
夢の中での思考が、どんどんネガティブな方向へと進んで行く。
しかし仕方が無いではないか。
これではまるで走馬灯だ、前世の走馬灯まで見てしまっている気がしてくる。
「何やらマイナスなことを考えているのは顔を見れば分かるが、取り敢えず現実に戻って来い。そして、ジジイに助言を求めるが如く俺に相談でもしてみたらどうだ? 紫月」
と、そんな声が、横から聞こえた。
懐かしい声だ。
とても、とても懐かしくて、心強い。
横を見るとそこに居たのはこの世で最も頼りになる人。
その人は、格好良くて。
その人は、とても強くて。
その人は、とても優しくて。
その人は、とても……────。
もし誰かにこの人を紹介するとしたら私は、少ないボキャブラリーで思いつく限り全ての褒め言葉を駆使して誉めたてることだろう。
だって私の武術の師匠にして、初恋の相手にして、(絶対)人類最強であろう(多分)叔父なんだから。
「……師匠?」
千壌土久遠が隣で優しい笑みを私に向けていた。
はーい、ファンタジー先生入りまーす。