beat9
オレが投げた言葉の意味をキチンと理解したのか定かではないが、
ヤツは無言のまま、オレに自分の衣服を手渡した。
身体に滴る水滴をキチンと拭き取らぬまま、目の前の男の匂いのする洋服の袖を通す作業は
目覚めたばかりのこの身体には至難・・・片腕、指1本動かすにもギシギシとした痛みが肉体を襲う。
「早く行きなさい」
「・・・」
「どこへでも好きなところへ」
重力と自重によろめく足を、なんとか意志だけで動かして、戸口へと急ぐ。
そしてまた、1から作り上げなければならない肉体を思い、ウンザリとしながら。
「ソレを使いなさい」
「・・・」
ヤツは庭先に捨てある、腐ったバイクを指差す。
長い事雨風に晒され、エンジンに砂が噛んでいるのでは・・・動くのか?
小雨が降り始めた薄暗い空を見上げ、己の不運に腹が立った。
「早く」
遠くの空を見つめながら、忌み嫌われるものを追い払うような仕草をした。
バイクにへばりついた無数の固形物が、脱出ポットのジェルだと気が付いたのは
汚いマントを剥ぎ取った時。その下に、まだ柔らかなソレを見つけたからだ。
不安を胸にスターターボタンを押したが・・・案の定・・・ええい、ままよ。
オレは車体の側部を、今、出来る限りの力で蹴飛ばす事に成功した。
ブーンと鈍く唸りながら、バイクはとりあえず息を吹き返してくれた。
「来るぞ、行け!」
男の声を合図に、オレは荒野へとバイクを走らせる。
空の上で、こちらへ迫ってきた数機の警備艇に向かって行く様に。
「メイ、キタムラに連絡を」
「ハイ」
バイクが思いもよらないスピードで、小さくなっていくのを視界の端で捕らえながら
彼は、真っ直ぐコチラへ向かう5機の船影を、ハッキリと確認していた。
「ハマクラ、私だ」
「スマナイ」
耳に響く、旧友の低い声。
「どうした、厄介事か?」
「ああ。スマンが、マサカドのデータを見せてくれないか?」
「どのデータだ?」
「勿論、オマエの持っているヤツだ」
数秒の沈黙の後、旧友は承知する。
「ジェイスが、ソッチへ向かっているか?」
「ああ、あと1分で着く」
「わかった、5分後に引き上げさせる」
「すまないな」
こうして話している最中に、警備艇は猛走するバイクに気が付いたようだ。
1機が急旋回してバイクの後を追い始める・・・
マサカドのことを心配はしていない、気がかりなのはアイツの話だ。
オレが、マサカドを玩弄していると?アイツは確かにそう言った。
一体、どういう事なのか・・・アイツが元より男であったというのは事実なのか?
「メイ、マサカドをモニターしているか?」
「ハイ」
4機の警備艇は、空気を巻き上げながらも、恐ろしく静かに降りた。
空気の振動と巻き上げられた風に眼を細めながら、Dr.ハマクラは
寂れた家屋の前に降り立った、旧友の息子を黙って見つめていた。
「逃がしましたね」
「なにを?」
「マサカドです、アナタはマサカドを再生させたはずだ」
「そう思うか?」
ジェイスはハマクラに向けた怒りを抑え、その強張った顔と異様に鋭く光った目つきで
目の前の彼を見据えていた。
『Dr.、バイクが警備艇に止められました』
メイの声が耳の奥に届く。
4名の部下が少佐に付き従うように後方に控え、その片手は腰の装備に置かれている。
「で、私に何か用かね」
「中を調べます」
「好きにしなさい」
少佐が手を上げると、部下は靴音を鳴らして家屋の中へ押入った。
「それで、マサカドを追う理由は?」
「マサカドは、第3特区で大量殺人を犯しました」
「そうか」
『DNA認証を受けましたが、登録データと合致しませんでした』
どういうことだ・・・認証がパス出来た理由・・・メイの機転か?
そしてジェイクは、バイクを追った部下からの報告に、怒鳴り声を上げた。
「いいか、絶対、マサカドだ!確保しろ!!」
『しかし、違法行為です』
部下の戸惑った声が、メイの傍受モニターを通じて彼の耳にも届く。
そして間を入れずに、先ほどの約束の通りに、旧友の声がする。
『ジェイク、私だ。スグに戻りなさい』
「は?今、マサカドを確保できそうなんです」
『命令だ、帰還しなさい』
「わかりました」
ジェイクは彼を睨みつけながら、それが全て彼の仕業と確信したように大地にツバを吐いた。
「まったくアナタという人は」
「キミら親子には、まだまだ貸しがあるからね」
「マサカドを庇う理由は何ですか?」
「庇う理由など無い、私はマサカドなど知らんのだから」
ハマクラの知らぬ存ぜぬといった態度に、少佐は露骨に不快感を表しながら
屋内の部下を呼び戻して言った。
「お前たち、帰還命令だ。Dr.ハマクラ、マサカドは必ず確保します。
そして、間違えなく死刑台に送ってみせます。」
マサカドに向けられている憎悪に声を震わせながら、ジェイスは背を向けた。
その背中に向かって、ハマクラは言葉を投げる。
「なぜだ?」
ジェイスは、立ち止まった。
「ヤツが・・・愛する人の命を・・・奪ったからです」
立ち去る彼の背中の憂いに、ハマクラは黙って警備艇を見送った。