beat3
さほど広くない暗い部屋の中央に、横たわるように置かれた2メートルほどの円柱。
まるで、ガラスの棺のように見えるその装置の中には、ドロリとした緑色半透明の液体が詰まっていた。
しかしまだ、その液体の中には何も入れられてはいない。
液体の状態が落ち着き、PHが安定するまで、その装置の中で循環しているだけだった。
操作基盤すら見当たらず、全ての制御はメイに託されている。
その棺を取り囲むように、カチカチと音を立てながらいくつかの装置が稼動していた。
先日、サンドエリアより持ち帰った頭部は、早速その日のうちに顔の骨格を形作っていた硬いメタル合成樹脂が外さた。
瀕死状態だった脳は、蘇生装置の薬剤の混ざった乳色の保存液に漬けられ、規則的にその中に排出される気泡に揺れている。
その状態を自分の目で確かめようと、男は透明の容器にへばりつくき眼を細めては見たけれど、保存液が邪魔でその脳幹の一端すらも見つけられずにいた。
「Dr.、モニターに出しましょうか?」
「そうしてくれ」
壁一面に備え付けられた巨大なモニターに、中に浸かっている脳の3D画像が再生された。
脳幹部部分は無傷であったが、側頭葉の破壊が深刻で再生した後の障害が懸念されていた。
「どんな感じだ?」
「ヤってみないことには・・・」
メイのあまりにも人間染みた弱気な発言に、彼は噴出しそうになりなる。
それに気を悪くしたのか、メイはブツブツと文句まで言い出したのだ。
「あのまま放置すれば良かったんです、これほど破損がひどいと私にも予測がつきません」
「ずいぶんと無慈悲な事を言うじゃないか」
「計算不可能な事態が起こりうるということです」
「メイでも計算できないことがあるのか?」
球体は天井近くまで高く持ち上がって、不快そうに点滅を繰り返しながら
彼の頭上を忙しげに旋廻し始めた。
「冗談だよ、お前の言いたい事はわかる」
「完全に再生するまで処理します」
「ああ、頼む。お前にしか出来ないからね」
スーっと目線まで降りてきた球体を彼は両手に乗せ、部屋の大部分を占めているメイの本体へ繋ぐ。
球体の発光は止み、メイは脳の再生処理をスタートさせた。
脳の完全な再生だけで、どのくらいの時間が掛かるだろう・・・
目に見える傷は1週間もあれば完璧に癒すことが出来るが、
壊れた細胞、更にはDNAの再配列ともなるといささか見当もつかない。
コレほどまでにダメージの大きな再生自体、彼にもメイにも度々あることではないからだ。
まずは、遺伝子のコピーを始めないといけない。それに、その破損のピックアップも。
「メイ、コピー終了時間は?」
「3時間後です」
「かかるな・・次の処理に入る前に必ず声を掛けてくれ」
「わかりました」
彼はもう一度モニターを睨むように眺めると、傍らにあったいくつかのファイルを手にとって部屋を後にした。
そのままラナイに出て、乾燥しきった空気を肺に吸い込み一気に吐き出す。
そうすると手に持っている昨夜のデータファイルが無意味なものに思え始め、自分自身に失笑しつつ、それをテーブルへ投げ捨てた。
伸びた無精ひげを擦りながら埃っぽい長いすに横になり、軽い睡魔に眼を閉じる。
長いことこんな生活を繰り返してきたから、すっかり現在の文明社会から取り残されている。
彼の元へ好んで訪れる客は、ごく限られた人間。
昔馴染みの限られた友人・・・それから、必要に迫れた者だけ。
極端に人との交わりを絶ってきた割に、困った人間がいると手を貸さずにはいられない。
彼が独自に開発した特異人工知能AIを持つメイが、あれほどまでに人間染みてしまったのもきっと彼の人恋しさからなのだ。
「少し眠ろう」
誰に言うわけでもなく呟くと、腹の上に手を重ね、彼は束の間の休息についた。