弐十四 堯郷がくれたもの
静かな朝。
早朝の葉華国。
うっすらと明るくなってきた空に、鳥のさえずりが響く。
寒い季節独特の張りつめたような空気を大きく吸いこみ息を止め、少しの間目を閉じる。
渦巻く思いを心の底へ、沈めていく感覚。
全てが沈みきった時、ためた息をゆっくり吐き出して如月は瞼をあげた。
(よし、行こう)
少ない荷物を積んだ馬を、静かに裏門まで引いていく。
そこにあるのは一つの人影。
「行くんだな、佳代。……地図は持ったか?」
白い息を吐き出して手をこすり合わせながら堯郷が立っていた。
「はい。兄様がくれた用紙に書いてあったものも全部準備してあります」
微笑む如月の頭に、堯郷はぽんっと手を乗せた。
「しっかりな。道中気を付けるんだぞ」
「でも兄様、本当に……」
「大丈夫だ、こっちのことは気にするな。……水深国の王とも話はついた。だから昨日お前のところに行ったんだからな。あとは兄を信じて任せておけ」
「……はい」
堯郷の笑顔を見て、如月も一つうなずいた。
兄様なら大丈夫。
「本当にありがとうございます、兄様」
「これぐらい当たり前だ。妹があんなに泣きじゃくるんだからな。兄としてなんとかしてやらないと」
堯郷の言葉にえへへ、と如月は照れ笑いをする。
いつかの夜光と同じように、堯郷は如月の背をぽんっと押した。
「行ってこい」
「はい。……兄様、お元気で」
「あぁ、お前もな」
「行って参ります」
最後にとびっきりの笑顔を残して、如月は喉元の風よけをずりあげる。
そしてひらりと馬に飛び乗ると、堯郷に一礼して門をくぐり抜けた。
手には堯郷が書いてくれた明月ノ国への最短距離の地図。
懐で揺れるのは雪姫の髪飾りと夜光からの手紙。
いざ、明月ノ国、夜光のもとへ。如月は"如月"として街を歩む。
そして街外れから徐々に速度を上げ始めた。
(ありがとう兄様……ごめんなさい、ありがとう)
感謝の言葉を何度も胸の内で繰り返しながら、まだ誰もいない小道を駆け抜ける。
如月の右側からは、ようやく朝日が昇り始めていた。
如月が発った後、寒い空気の思わぬ心地よさに誘われて散歩をした堯郷は再び裏門へと帰ってきていた。
突如吹いた北風に身震いをして襟元をかき合せて早く帰ろうと足を速めた時、ふと、誰かが走ってくるのが見えた。
「琴音……?」
堯郷の呟きが消えるよりも早く、琴音は堯郷のもとへとたどり着いた。
「堯郷様!? あ、あの、佳代様は……」
普段冷静な琴音が肩で息をしながらぐっと堯郷に詰め寄る。
その様子に若干身を引きながら、堯郷は答えた。
「なんだ、あいつ琴音にも話してなかったのか」
「どういうことで……あ! 堯郷様、まさかっ……」
堯郷はやれやれとため息をつく。
「まさかお前に挨拶もせずに行くとは思わなかったからな……」
「まさか、なんで……っ……どうしてそのようなことを! この国のことはどうなっても良いとでもおっしゃるのですか!」
「い、いや、そういうことでは……」
すっかり頭に血が上った様子の琴音にどこから話したものかと堯郷が逡巡する間に、琴音はくるりと向きを変えて駆け出した。
「あ、こら琴音お前どこに……」
「佳代様の後を追います!」
「待て、琴音……!」
堯郷の静止に構わず、宮へと駆け戻りながら、琴音は頭の中で旅支度には何が必要か、そしてどの道を通っていくべきかを考えていた。
懸命に御していないと暴走しかける思考を持て余して、きつく唇を噛む。
「油断したっ……」
彼女がぼそりともらした呟きを聞く者は、誰もいない。
堯郷の制止の手も届かぬうちに手早く身支度をした琴音はやがて、いつも如月とともに国民訪問の際使っていた愛馬にまたがって、一人静かに宮の裏門を出て行った。
ここに来て、琴音殿存在感発揮。
琴音という名前はすごく綺麗だなぁとかねてから使っていたのですが、最近になって同級生に同じ名前の子がいることが発覚してすごく驚きました笑
次回は堯郷による種明かしになります。
次話もよろしくお願いします。