負けず嫌い
山中幸盛の唯一の趣味は魚釣りだ。妻から割り当てられる小遣いのほとんどを注ぎ込み、真冬の厳寒期以外は毎週末に必ず北陸や東海三県下の海に出向いて行く。とりわけ、六、七月のウナギシーズンともなると、平日でも仕事を終えてから名古屋港へ夜釣りに直行することもしばしばだ。
幸盛はウナギ釣りの穴場を偶然発見した。釣り雑誌などで紹介された名古屋港筏川の船溜まりから車で数分しか離れていないが、秋口にセイゴを追い求めて日光川河口に迷い出た際、梅雨時にはウナギが泳いでいそうな雰囲気を感じたのだ。
翌年カメジャコの餌でサオを出してみると予感は的中した。以来、幸盛が通うようになってから今年で三シーズン目になるが、多い日には六十センチサイズも混じり四本釣ったことがあるし、昨年釣れた最大のウナギは長さがちょうど八十センチで、幸盛自慢の勃起した男根より二握りも太い化け物だった。もちろんこの場所は秘中の秘で、今後も釣り仲間はおろかたとえ猫にだって教えるつもりは毛頭ない。
驚嘆するのはウナギの生命力だ。釣り上げたウナギはハリをはずさずにクーラーボックスに入れるのだが、入れると同時に暴れまくるので急いで蓋を閉めてハサミで糸を切ってしまう。三本も釣れた夜には、クーラーボックスに入れる際に前に釣ったウナギがにょろりと出てしまい、逃げ足の速いウナギを懐中電灯とタモを振りかざして追いかける羽目に陥る。しょっちゅうあることなので、ホームセンターで太めの針金と網を買ってきて三角形のタモを手作りしたほどだ。
家に持ち帰るとすぐに、車庫の片隅に置いた特大のクーラーボックスに移してしばらく水道水で飼う。泥を吐かせて名古屋港の匂いを抜くために毎日新しい水と入れ替えるが、ある日その中の一匹が食道か胃に深く突き刺さっていたはずの釣りバリを吐き出していて目を疑ったこともある。
それだけではない。ウナギをさばく段になると生きたまま冷蔵庫の冷凍室で氷らせてから調理することにしているが、ほとんどのウナギがまな板の上で仮死状態から目覚めて暴れ始める。腹を割いて内臓を取り出してもしばらくにょろにょろとうごめいている。ウナギ恐るべし。
ウナギシーズンも終わり、九月に入ってから志摩半島の筏でクロダイを狙うことにした。平日に休暇を取ってきたため客もまばらで、畳十枚ほどのその筏に乗ったのは、七十過ぎと思われる老人と幸盛の二人だけだった。
最初に釣ったのは幸盛だった。三十センチに少し足らないがまずまずの型のクロダイだ。老人がタバコをくゆらせながら幸盛の横にやって来た。
「良い型が釣れたね」
幸盛は自慢げに応えた。
「まだまだですよ。去年来たときに四十センチくらいのを上げましたから、今日は五十センチ以上を狙っているんです」
老人は笑顔でうなずいた。名古屋ナンバーの高級車で来ていたから零細企業の社長か店主だろうと勝手に想像する。
次に釣ったのも幸盛だった。その次も、そのまた次も、幸盛の方がクロダイを上げた。幸盛は最高の気分で、まだ一匹も釣れていない様子の老人に語りかけずにいられない。
「ボーズの日もザラなのに、今日はなぜか絶好調ですよ」
老人はあいかわらずの笑顔でこっくりうなずいた。
そしてついに、幸盛の筏専用竿が大きくしなった。これまで一度も体験したことのない強い引きだった。うらやましげに眺めているだろう老人の視線を背中で感じつつ、道糸が細いので切れないかとハラハラしながら二十分間ほど格闘したあげく、無事にその大物を取り込んだ。スケールをあてる幸盛の手が震えた。きっかり四十五センチのクロダイだった。
ふだんは口数少ない幸盛も、有頂天のあまりペラペラと老人に語りかけた。老人は餌にボケを使っていたので、今日はアケミ貝じゃないとだめだとか、使っているダンゴの成分を聞き、赤土が多すぎるとか、丁寧にアドバイスしてやった。
渡船が迎えに来る時間が近づいてきた。老人は早々と竿を収め、たばこをくゆらせて幸盛の釣りをながめている。幸盛はギリギリの時間まで粘ったが、とうとう念願の五十センチは果たせなかった。
いよいよ船が接近してきたので幸盛はビクを海中から上げて元気よく跳ねる五枚の銀鱗をクーラーに移した。久し振りの大漁だった。幸盛は老人に同情するように言った。
「とうとうボーズでしたね」
「いや、あんたがさっき大きいのを釣っとるあいだに、外道じゃけんどわしにも二匹釣れたよ」
外道と聞いて幸盛は勝ち誇ったように余裕で微笑んだ。
「ボラですか?」
老人がクーラーボックスの蓋を開けると、五十センチ以上はあるヒラメと六十センチを優に越す真鯛が窮屈そうに納まっていた。幸盛はしゃべり過ぎたことを後悔した。
そして、帰りの渡船の中、それまで堅く口を閉ざしていた幸盛だが、いよいよ港が迫ってくると老人に話しかけずにいられなくなった。
「ところで、ウナギは釣ったことがありますか?」
* 文芸同人誌「北斗」第556号(平成21年4月号)に掲載
*「妻は宇宙人」/ウェブリブログ http://12393912.at.webry.info/




