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宇宙へ  作者: 中條真行
1/1

宇宙へ 太陽系外へ~ビヨンド・ザ・ソーラー・システムシリーズ~その1

2266年、人類はかつて宇宙ステーションと呼ばれていた環境を大幅に改善増殖し、百万人単位の人数が生活できる宇宙生活環境(SⅬE)が多国籍企業や国によって建設され、移住を開始していた。その移住者を選別したのがユダヤ人ヘンリー・ヤコブだった。しかし彼は宇宙開発財団によって利用されていた。そのことに気が付いたヘンリーはオリジナルОSの量子コンピューターを密かに開発し、慎重に選別を行った。

ヘンリー・ヤコブ    イスラエル人 生物学者 物理医学者 アダム・フェルツマン

アダム・フェルツマン  イスラエル人 科学開発局員

掛谷雄二 TAKAⅯAGAHARAの心身健康管理センター所長

イブ・ヤコブ(マーティン) ヘンリーの妻

ハミド・イスマイル 宇宙開発財団のエージェント

ハンス・ヴァンデンハーグ オランダ人ミュータント

シャルロッテ・ヴァンデンハーグ 妻

チュアン・サンバット カンボジア人ミュータント

ノロドム・サンバット 妻

ニコラウス・フランケル ハンガリー人ミュータント

アレクサンドラ・フランケル 妹

アミール・タマン ネパール人 チベット仏教の僧侶

バンダリ・アニタ アミールの義娘

イロナ・フェケテ ハンガリー人 ミュータント


1 


2250年、世界は混乱のさ中にあった。すでに国連は存在意義をほぼなくしており、アカデミックなジャンルや難民、食料問題のみ活動していた。大国のエゴに対する中小国は幾多の連合を作っては崩壊を繰り返すのみで、それでいながら人類は紛争地域以外の世界各地を旅行もできていた。

政治的には複雑になりすぎていたのだが、文化的な面でのシステムは妙にしっかり残っていた。特に宗教は古宗教と位置付けされたキリスト教やイスラム教は細分化し、収拾がつかなくなっていた。もはや宗教が人類のメンタルを支え売る存在ではなくなっていた。仏教も他宗教の影響を受け、国ごとや民族ごとに異なっている始末だった。

となると、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地メッカはもう何がどうなっているのか誰もわからないほど混乱していた。唯一、頑固に民族を宗教で統べていたイスラエルは比較的混乱が少ない国だった。

テルアビブにある病院では、若い男が落ち着きなくウロウロしていた。濃い髭にオールドスタイルのグラスをかけ、シャツに薄いチョッキを羽織っていた。朝に彼の妻の陣痛が始まって、昼過ぎでもまだ何もなかった。

すると病室入口のモニターに数名のナースとドクターが映しだされた。男は顔を上げて、彼らに声をかけた。

「生まれたのか!」

「ええ・・・男の子ですよ、ヤコブさん。」

「おお・・・神よ!」

ヤコブと呼ばれた男は膝をつき、両手を握りしめて神に感謝した。そして病室に飛び込んでいった。病室内には分娩ドックが置いてあり、ナースが一人いてドックの調整を行っていた。ドクターらはもう病室を出て行っていた。

「我が子は!ダリアは!」

「ああ・・・デビッド・ヤコブさん。どうぞモニターをご覧になってください。」

デビッドはモニターの前に歩を進めた。ドックの中にはマニピュレーターがあり、すでに赤子をそっと抱き上げていた。抱き上げた時の感覚が伝わってきた。完全無痛分娩が常識なので、母になったばかりの妻ダリアは穏やかに眠っていた。そして赤子もすやすやと眠っていた。

「おお・・・我が子よ・・・よくぞ生まれてくれた。」

デビッドはしばらく我が子を幸せそうに抱いていたが、間もなくしてそっとケージ内に降ろした。そして両手を分娩ドックの脇の手すりに置き、下を向いて涙を流した。

「我が子よ・・・お前と話せるまで・・・俺は生きられるのか?神よ!何とかこの命をお助けください!」

この時代には遺伝子医学によって肉体的老化以外の疾患はほぼなくなっていた。だが、前の時代に行われていた対ウイルス投薬によって、潜伏して発見が大幅に遅れるようになった致死性ウイルスなどの疾患は未解決のままだった。そしてデビッドはつい昨日、そのウイルスに罹患して発症していたのだ。

デビッドの肉体にはすでに変化が起こっており、ウィルスは激しく増殖していて皮膚は白くなり、あちこちに水泡ができていた。こうやって普段着でいられるのももう無理だったのだが、せめて我が子を抱きたいという願いを聞き入れられての対面だったのだ。当然、妻には話していなかった。

「デビッドさん、そろそろ・・・。」

「ああ、わかっている・・・ありがとう。」

デビッドは部屋の一角に歩を進め、止まった。そして分娩ドックを見て、また涙した。

「さらばだ・・・また会えることを祈る!」

すると上から銀色の隔離スーツが降りてきて、デビッドの身体に被さった。そして病室内には薬物が発散され、しばらく除菌された後に水で洗い流された。同時にデビッドがいる一角の床が下降を始めた。しばらく下降すると下降は止まり、7m四方ほどの部屋に着いた。

「ここか・・・。」

デビッドはここが隔離個人病棟であることは知っていた。ここで治療を行うのだ。同時に致死率が相当に高いことも知っていた。だが、こうしなければ集団隔離施設に行き、ただ死を待つしかないのだ。デビッドは部屋の中央にあるベッドに進み、横になった。透明なドームがベッドを覆い、モニターが映し出された。モニターにはドクターの映像が、おそらく適当に作られた映像が映し出された。

「デビッド・ヤコブさん、担当のモーリス・ターナーです。これからデビッドさんの対ウイルス治療を行います。」

「ターナー先生・・・よろしく頼みます。」

「はい。デビッドさん、まず服を溶かします。そして両手は横のリング内に置いてください。」

デビッドが両手をリング内に置くと、すぐに両手が柔らかく固定された。そして文字通り、隔離服が溶け出してすぐに蒸発し、デビッドはドームの中で横になっていた。

「これから全身麻酔を行います。ご存じとは思いますが、目が覚めるかどうかはわかりません。あらゆる選択肢を選び、調べながら治療を行います。」

「・・・わかっている。それで、術前に申し入れておいたことは守られているんでしょうね?」

「はい。あなたが残しておいた動画、財産管理などは完全に守られています。」

「良かった。では最後に妻と子供にメッセージを残したい。それは叶えられるのか?」

「可能ですが、すでにかなり侵されています。10秒以内で。」

「わかった。」

デビッドは息を大きく吸い込み、そして口を開いた。

「これで最後だ。うまくいけばまた会える。うまくいかなくても大丈夫だ。そして・・・ヘンリー、君の名だ。ダリア、愛している。」

言い終わると、デビッドの顔面にマスクが被さってきた。強い吸引式麻酔が発射され、デビッドは眠りに落ちた。さらに固定箇所から静脈に麻酔が注入された。そうしてデビッドにはあらゆる措置が取られていった。

ダリアはあらゆる不調が解消された10時間後、目が覚めた。目が覚めると同時に叫んだ。

「赤ちゃんは?赤ちゃんは!」

すでに除菌も行われていたので分娩ドックは開けられ、すぐに赤子はダリアの腕の中に収められた。

「赤ちゃん・・・私の赤ちゃん・・・あの・・・うちの人は?」

ダリアは当然ここにいるはずの夫を探して辺りを見回した。担当のナースは顔色を変えずに、淡々と話した。

「ああ・・・デビッドさんは、隔離個人病棟にいます。現在は治療中です。」

「え・・・今、なんと?」

「隔離個人病棟です。致死性ウイルスに罹患されています。」

「・・・うそ・・・うそよね?」

ナースはモニターを出し、ダリアに見せた。そこには透明なドームが映し出されていて、そこには全身に水泡ができているデビッドが横になっていた。

「デビッド!なんで!赤ちゃんがここにいるのよ!すぐに来てよ!」

ダリアは泣き叫んだが、伝わるはずもなかった。

「ああ・・・デビッドさんのラストメッセージが残されています。お聴きになりますか?それとも・・・。」

「聴かせて!」

ナースは画面をメッセージ画面に移行した。そこにはまだ意識があるデビッドの顔が映し出されていた。

『これで最後だ。うまくいけばまた会える。うまくいかなくても大丈夫だ。そして・・・ヘンリー、君の名だ。ダリア、愛している。』

「デビッド・・・。」

ダリアは思い出した。デビッドは人類遺伝子学の研究者であり、かつ新世代量子コンピューターの開発者であることを。デビッドは意識のデータ化を試みていて、自分用に開発もしていたのだ。あのデビッドのことだ、必ず何かを残しているはずだ。

「デビッド・・・頑張って。そしてこの子はヘンリー・・・ヘンリー・ヤコブ・・・あなたの名前はヘンリーよ。」

ダリアは息子ヘンリーの頭を撫でながら呟いた。

そして翌々日、ダリアとヘンリーは退院して家に戻った。デビッドはウイルスの進行は止まっていたが、意識は戻っていなかった。ずっと傍にいたい欲求を抑えて、ダリアは家に戻ってデビッドのコンピューター『シャリー』を起動させた。生体認証なのですぐに起動した。

「シャリー、デビッドのラストメッセージはある?あったら見せて。」

『はい、あります。』

モニターに映し出されたのは、自室で録画したものだった。雑然とした部屋の中で、まだ元気なデビッドの姿があった。

『ダリア・・・今、君は病院にいる。僕も今から向かうつもりだ。その前に・・・僕は致死性ウイルスに犯されている。たぶん、君と会うことはできない。その前にこれを残しておく。詳しいことはシャリーに聴いてくれ。僕は意識のデータ化に取り組んできた。実はほとんど完成している。だが、これを公開するわけにはいかない。なぜなら、これが実用化されるためには条件が必要なんだ。安定した政権があり、法的に整備されなければ大変なことになる。凶悪な意識データで抑圧されたくないだろう?このシステムの完成を、僕たちの子供に託したい。そのために、僕の意識データを残しておく。そしてコンピューターに子供への教育プログラムも入っている。だから君は、僕がまだ生きているように子供に言い聞かせてほしい。そしてプログラムを教育システムとして与えてほしい。学校にはちゃんと行かせるべきだ。なぜなら・・・後はその時に伝えるようにしておいた・・・もう行かなくては。僕の生身の声はこれで最後だ。後はプログラムに従ってほしい。最後に・・・ダリア、君に任せてすまない。君しかいないんだ。愛する君しか・・・では、もう行くよ。子供を抱けることだけが救いだ。では!』

ダリアはヘンリーを抱きながら、涙が止まらなかった。

「わかった・・・デビッド、また会えるように願うしかないわ。」



2266年、ヘンリー・ヤコブはナザレ総合大学人類学科に進学していた。飛び級により、通常より2年早い進学だった。もっと早くジャンプすることも可能だったのだが、ダリアが人間として基礎を作る必要があると言う事で、小学校は通常通り通い、中学校が3年、高校が1年で卒業していた。

学問に関する限り、ダリアとデビッドの教育システムによって中学の途中でジャンプしてもいいレベルだった。だがデビッドのプログラムでは、学校では人間の資質をよく観察することになっていた。毎日何があったかをリアルタイムで遠隔データインプットし、それにかかわる人間の感情や資質などをシャリーとダリアが分析してヘンリーに教えるということを行っていた。

もちろんそれは、デビッドの意思によるものだった。デビッドは驚異的な体力で8年間生存していたが、もう肉体維持が困難になって死亡していた。だがダリアにしてみれば、コンピューター内にあるデビッドこそがリアルだった。この時代には相当リアルに再現されていたからだ。

デビッドの意思プログラムは、学校ではこの教育のことを一切話さないようにと教えていた。小学生のヘンリーにとっては、それは謎だった。

「ねえパパ、なぜ話したらいけないの?」

『それは、ここでしか行っていないからだ。他の子たちはこんなことをやっていないんだ。人の感情は複雑で、まだまだ未熟だ。知らないことがあると、単純に興味を持つだけならまだしも、人はよく暴力をふるう。』

「なぜそうなるの?」

『知らないことは恐れることに繋がるからだ。だから君は、成績も体力も常に3番手にいなさい。3番手ならば、誰しも狙える立場だ。しかし君はそこを明け渡してはならない。』

「どうしてなの?」

『人間を観察するのは15歳まででいい。その時期に来たら、一気に大学まで飛ぶんだ。君はその資質が十分にある。目立たず、控えめにいればいい。』

よく理解できないまま育っていったヘンリーは中学に進むと、デビッドが言う意味を痛感する事件が起こった。この時代にもテロは発生していて、物騒ではあった。妬んだ同級生の一人が、常にトップを走っていた同級生を刺殺する事件が起きた。ヘンリーは、デビッドが伊達に人類遺伝子学の学者でないことを肝に銘じて日々を送った。

そして3年生の時に一気に飛び級を行って高校に進学したのだが、高校も1年でジャンプした。もう観察する時期が終わったからだ。当然妬む者もいたが、行動に移す前にいなくなっていた。大学は自由だったので、優秀なヘンリーはすぐに個人研究室を与えられた。

デビッドの意思により、ヘンリーは目立たずに日常を送ることを心がけていたのだが、そのうちにこれがヘンリーの性格になっていった。そうすると必然的に研究に没頭することになる。心理学も学んでいるうちに、ヘンリーはユダヤの神秘思想であるカバラ秘術にも魅せられていった。

カバラというものは、本来は個人の資質を向上させ、自分らしい人生を送るためのものだが、ヘンリーが魅せられたのは「セフィロトの木」だった。旧約聖書にも登場するエデンの園にある「生命の樹」と同じではないが似たようなものだ。デビッドのデータとAIによって人類遺伝について学んできたヘンリーは、同じくエデンの園にある知恵の実と生命の実について熟考した。なぜユダヤの先人たちはそう分類したのだろうかと思ったからだ。

(知恵は理性に繋がるものだ。だが待てよ・・・生命あっての理性ではないのか?なぜ根本的に違うものを比較させたのだろうか。愚かなまま永遠に生きるのか、知恵を得て太く短く生き抜くのかってことなのか?)

このことについて考えていると、ヘンリーはこれまで普通に受け入れてきたデビッドの意思データに疑問を持つようになってきた。

(父のデータをいかにもな動画で見せられてきた。だが少し複雑な質問には答えてくれない。あれは父の知恵だが、生命はそこにはない。このまま学んでいっていいものなのだろうか?)

散々迷ったヘンリーは、母ダリアにそのことをぶつけてみた。母は猛烈に怒るのだろうと予想していたヘンリーだったが、意外にもダリアは冷静だった。そして初めて自分の想いを露わにした。

「ヘンリー、あなたの言う通りよ。私はずっと迷っていた。いくらお父さんの意思データであり、いかにもそこにいるかのような映像であなたを導いてきたものであっても、そこにあの人はいない・・・虚しさだけが残る。それでもね、あなたが大人の考えを持って、あなただけの人生を歩む時まではと思ってきた。もうあなたがどんな質問をしても、コンピューターからは答えは返ってこないと思うわ。それにね、あなたも知っているようにお父さんも私も、ユダヤの改革派なのよ。古いものはどんどん変えていかなくちゃ。ヘンリー、あなたの思う通りに生きていい。好きなようにしなさい。」

「ママ、意外だよ。わかった・・・もう好きなようにやるよ。」

この時からヘンリーは、「セフィロトの木」について研究するようになった。ただ、これはあくまで古代ヘブライのものであって解釈の違いに苦労させられた。何かしらの意味があるはずであり、ヘンリーはそれを現代でも通用するものに解釈していこうと考えたのだ。

セフィロトの木は、基本的には上から下にエネルギーが下ってくるものになっている。

全ての原点は「ケテル」であり、そのすぐ下には知恵である「コクマー」と、理解である「ビナー」がある。コクマーは慈悲の「ケセド」、勝利の「ネツァク」と続き、最終的には王国を意味する「マルクト」で終わる。

ビナーの流れは峻厳の「ゲプラー」、栄光の「ホド」と下って「マルクト」となる。しかしケテルにはもうひとつの流れがあり、美を意味する「テファレト」、基礎を表す「イェソド」からマルクトという流れがあり、ほとんどの要素はテファレトに流れ、勝利と栄光は基礎に流れている。

ヘンリーは、この流れはユダヤ王国を美化しつつ再建に至る道筋を描いたものだと仮定した。古代イスラエル王国が崩壊して以来、ユダヤ教に改宗した者たちの悲願が自分たちの王国建設だったからだ。しかしキリスト教の普及と権力の中ではそれは叶うことはなかった。単純に、古代ユダヤ人たちがイエスを抹殺したからだ。

ユダヤ人たちは生きていくために様々なジャンルに足を踏み入れていった。最終的にはイギリスのバルフォア宣言によって建国できたわけだが、建国してからも紛争続きだった。それはこのセフィロトの木をベースに考えられたと言われても否定はできない。

だがヘンリーは別の考え方があるはずだと思い、全く違う解釈を行った。そのきっかけは、ダリアの後押しもあったのだが、他にもあった。それは、最初は些細なニュースだった。

「新興宗教・・・ゴッドブレス・デストラクション・・・神の息吹による破壊?物騒だな。」

地球神ソロスを信奉する新興宗教団体ゴッドブレス・デストラクション(GBD)なる組織が活発化しているというニュースがそれだった。至って些細なニュースであったが、新世界創造のために破壊が必要との考えが危険だとコメンテーターが言っていたくらいだった。

ヘンリーは妙に脳内に残るニュースだなと思っていたくらいだった。だが、その後にナザレ総合大学人類学科に依頼が飛び込んできた。依頼人は、こともあろうにイスラエル科学開発局からだった。実は科学開発局と人類学科は何かと張り合ってきた関係だったからだ。ヘンリーは科学開発局の同級生アダム・フェルツマンを呼び出した。脳内に映像が流れ、骨伝導で音声は伝わる。機密事項の場合にはよく使われていた。

『やあ、ヘンリー。』

「アダム、一体どうした風の吹き回しだ?この間も散々攻撃してきたじゃないか。あれはあまりにもひどかったぞ。」

『すまん。一旦忘れてくれ。実は、我々では手に負えないことがあってな。首相から一緒にやれと言われているんだ。』

「首相からだって?何がどうしたんだ?」

『君も聴いたことがあると思うが、最近妙な事件が多いと思わないか。』

「妙な事件?」

『いわゆる、超能力ってことさ。ニュースで見てないのか?』

「ああ、ちょっと思い出した。内政大臣がえらく批判していたやつか?」

『そうさ。量子もつれじゃないが、遠くにいても意思が伝わるし、場合によっては幻覚を見せることもできるってさ。それが頻発しているんだ。さすがにこのままだと新興宗教に祀り上げられるだろ?ユダヤ教しか認めないあの大臣には見過ごすことはできんだろう。』

「はあ、それで首相が俺たちに解明して、くだらん詐欺だと証明しろってことか?」

『ビンゴ。それに加えて・・・これは極秘なんだが、どうやら世界再統一の動きもある。そこにこんな動きは困るだろ。』

「ちょっと待て。世界再統一?されたことあったか?むしろバラバラじゃないか。今いくつ国家があると思っているんだ?民族ごと、宗教ごとに分裂してしまっている。まともに機能しているのは我々くらいだぞ。それとこの件にどんな関係があるっていうんだ?」

『その動きに難色を示しているのがワンワールド主義者だ。もちろん我が国も参加しているがね。それで現在進行形で動いているのが月自治区だ。彼らはアステロイドベルトから豊富な資源を確保している。地球でも、もうすでに複数の宇宙生活環境を作っているという情報もある。どこが作ったかは秘密になっている。宇宙生活環境では分裂を良しとしない人々の住処にしたいという話だ。』

月に自治区が誕生したのは、比較的新しい。彼らは世界中から集まってきていて、独自性を強くしていた。地球がかつての国際連合のような組織があれば阻止もできただろうが、現在では地球と月に分かれている状況なのだ。

「なるほどな。それは連中には困ることかもしれん。例のGBⅮのこともあるしな・・・わかった。協力するよ。宇宙生活環境は分裂を良しとしない人々の住処って?それは宇宙ステーションのことかい?」

『昔はそう呼んでいたよな。今はSⅬEって名称になっているよ。メインブースを打ち上げて、それからワンブロックごとに月で作って合体させるってさ。』

「さすが科学開発局だな。ということは、SⅬEを主導しているのは月自治区がメインってことなのかい?」

『たぶんね。それもあって、世界再統一の動きもあるんだ。月に好き勝手はさせたくないんだろうな。』

「なるほどねえ・・・それで、俺は何をやればいいんだい?」 

『実は、何人かの自称超能力者や疑いある連中を確保している。ぜひ調べて欲しいんだ。特に、人類学の立場でね。』

「了解した。案内頼む。」

さすがに科学開発局に人類学科員が行くのは気がひけ問題があるので、ヘンリーはアダムの案内でイスラエルが地中海に作った人工島に向かった。ここは政府が管轄している場所で、兵器を含めて多くの研究がなされていた。アダムは先に来ていて、ヘンリーの滞在がスムーズにいけるように手配していた。

人工島では表向きは兵器などがメインになっているので、最初は機械だらけの風景だった。しかしエレベーターで下降していくと一変した。細菌研究、委嘱に関する動物実験などの部屋がいくつもあり、極秘任務の場所であると実感させられた。

「さて、着いた。その前に、これを着てくれ。」

アダムが示したのは、エレベータードアのすぐ横にあるボックスだった。

「これは?」

「奴らと直接接すると非常に危険なんだ。だからこれはモニターが内臓されたスーツだ。これは脳波も検知できるんで、我々に異常があればすぐに接触をカットできる。」

「そんなに危険なのか?」

「危険・・・だな。ごく普通の人間だがね。」

「もうちょっと情報が欲しいな。」

「表現は難しいんだが、彼らの思考というか、存在自体が違うんだ。巻き込まれると、おそらくもう通常には戻れない。稀にだが彼らと同化してしまうケースもある。」

「そうなんだ!怖いな。」

「なに、異常があったらスーツがカットしてくれる。ここでは事故は発生していない。ああそれから、今後は同期で会話する。同期は済ませてある。」

 アダムは同期済みを確認して別回線に変えた。声帯を使う必要はなく、意思のみが伝わる。筋肉の動きや脳波などで判断されるようになっていた。

『・・・どうだ?聞こえるか?』

『ああ、聞こえる。』

『よし、それじゃあ、行こうか。」

アダムとヘンリーは、廊下を歩いて最奥の部屋に向かった。生体認証を行い、厳重な滅菌操作が行われてから扉が開いた。そこは広いスペースの部屋で、明るい照明と多くの花が置いてあった。

『なんだ?この穏やかなレイアウトは。』

『彼らを刺激しないためさ。彼らは基本的には我々と違ってせっかちではない。のんびりしているんだが、あの力があるのでな。ええと・・・あ、あそこにいる。』

アダムが示した先には木製の柵があり、広い庭があって家が見えた。その家は窓と玄関以外は真っ白なシンプルすぎるデザインで、庭には多くの木が植えてあった。そしてテーブルとチェアがあり、そこには数名の男女が座って何かを飲んでいた。

『あの連中がそうなのか?』

『そうだ、では接触するぞ。』



アダムとヘンリーは、彼らに近づいていった。近づくほどに、彼らの姿が明確になってきた。ごく普通の人間たちが、ごく普通に穏やかな雰囲気でドリンクを楽しんでいるようだ。特に変わった雰囲気やイメージはない。

『おいアダム、なにか異常はないんだろうな。』

『今のところは、ないな。』

彼らは二人の高齢男女と四人の中年男女、そして若い二人の男女だった。アダムは柵に近づくと彼らに声をかけた。

「やあ皆さん、こんにちは。」

すると、彼らの中で高齢の男性が二人を見た。彼は英語で話しかけた。

「ああ、フェルツマンさん、こんにちは。」

「アダムでいい。ああ、ヴァンデンハーグさん、皆さんにも紹介したい人物がいるんだ。彼はヘンリー・ヤコブ。ナザレ総合大学人類学科の学生で、僕の同級生だ。ヘンリー、この方はハンス・ヴァンデンハーグさんだ。」

「はじめまして。ヘンリーです。」

ハンスはヘンリーを見て、そして横にいる女性を見た。

「ようこそ。彼女は私のパートナー、シャルロッテです。私たちはオランダ人で、会社を定年で辞めて暮らしています。」

『ヘンリー、彼らは控えめなんだ。ハンスが一番会話してくれる。』

『わかった。』

「ヴァンデンハーグさん、皆さんは何をされているんですか?」

「ああ・・・伝えるのは難しいことです。我々はこうやって茶を飲み、酒を飲み、クッキーをつまみながらの雰囲気が好きだということですかな?」

「拝見したところ、静かですね。会話は必要ないのですか?」

「会話ねえ・・・ヘンリーさん、もうおわかりでしょう。我々には音声会話はあまり必要ないのですよ。」

「え?」

ヘンリーは意外な返答に驚いた。

「ああ、こう言えばおわかりでしょうか。我々は、世間ではミュータントと呼ばれておりましてね。」

「ミュー・・・タント・・・超能力を持っていると?」

「超能力、ではありません。人類は言語を発達させてきていました。ですが言語を持つ前はどうだったのでしょうか。ある程度は言葉にならないもの、叫び声や身振りだけで社会ができるでしょうか。それだけではない何かのコミュニケーション能力があったからこそ、同類で守ったり攻めたりできていたはずです。我々は・・・。」

ハンスは庭にいる全員を紹介するように手を動かした。

「生まれながらにして、その力を扱える・・・ただそれだけです。」

『おい、脳波が少し動いている。気をつけろ。巻き込まれるぞ。』

『そうなのか!全く自覚できなかった。気をつけるよ。』

「そうでしたか。私は人類学者です。ぜひ皆さんの力になりたいと思って・・・。」

「それが人類なんだ!」

中年の男性の一人が激しく叫んだ。

「やめなさい、チュアンさん。」

ハンスがたしなめたが、チュアンは続けた。

「お前は嘘をついている。それくらいはすぐにわかるんだ!お前は俺たちをモルモットにしたいだけなんだ!ハンスは我々の中で一番力が弱い。だからよく喋る。俺たちはお前たちが歩いている時からずっと、お前たちを観察していたんだ!」

そこまで言うと、チュアンは頭を抱えて庭に倒れて転がった。

「ウワー!ウワー!助けてくれ!」

するとシャルロッテが歩み寄って、チュアンの額に指を当てた。

「・・・助かった。ありがとうシャルロッテ。」

チュアンは頭を押さえて立ち上がり、元の席に座った。シャルロッテは何も言わず、彼女も元の椅子に腰かけた。

「彼はカンボジアの人でしてね、チュアン・サンバットと言います。横にいるのは奥さんのノロドムさん。もう一組は、最近来られたのでよく存じません。」

ハンスは妻を見て彼女の右手に手を置いた。

「妻は癒し能力があるのです。皆さんの異常を軽くしてやっています。で・・・何をやったのですか?ニコラウスさん?」

ハンスは妻しか見ていなかったのだが、ハンスの声に反応するように若い男性が立ち上がった。

「見ていられなかっただけだ。見苦しい。」

「彼はハンガリー人のニコラウス・フランケル。横にいるのは妹のアレクサンドラ。彼はまだ力を制御できない。おそらく・・・サンバットを傷つけるつもりはなかった。そうじゃないかね?」

「ああ、見苦しいのは嫌だった・・・それだけだ。」

ヘンリーはミュータントという人種がどのようなものか、改めて実感した。だが、その興味感を一切マインドの表面に出さないようにした。周囲に自分を隠してきた経験が、こんなところで役に立つとは思ってもいなかったのだが。

「サンバットさんが言ったことは間違いではありません。私は学者だ。どんなことでも調べようとするのが我々の本性です。だが、結果としてあなた方の助けになればいいと、心から思っています。」

『いいぞ、脳波は動いていない。その調子だ。』

「そうですか。あなたの気持ちは動いておられないようだ。よほど心のコントロールができる方なのでしょう。信用はできませんが、疑いもできない。世間の方々とは違う・・・いいでしょう。お調べになられてください。我々と同じタイプの方々はまだまだたくさんいますし、彼らは必死に自分を隠して生きています。彼らの助けになれば喜ばしいことです。」

この瞬間、ヘンリーの脳内には違う意思が流れ込んできた。

(私たちも人間だ!)

それは、アダムには届いていないようだった。ヘンリーはマインド内で「誰だ」と反応した。

(ヘンリー・ヤコブ、君は私たちとは深い縁があるようだ。)

(君は・・・個人ではないな・・・集団意思なのか?)

(そうだ。私たちはハンスとは違う。だから集団で君と話している。)

(どう違うのだ。)

(君たちは私たちがなぜ存在しているのか理解していない。ハンスは老人だが未熟だ。)

(未熟だと?なぜだ?)

(いずれわかる時が来るだろう。私たちは地球の悲鳴から産まれたのだ。それがわかるのは、遥かな未来かもしれない。君の役割は、私たちを救うことだ。)

集団意思との会話は終わった。ヘンリーはアダムからの骨伝導会話に切り替えた。

『今、ミュータントたちの集団意思と話した。彼らは地球の悲鳴だそうだ。』

『え?たった今ヴァンデンハーグさんと話していただろう?いつ話したんだ?』

『それが彼らなんだ。』

ヘンリーは接触してからの記録をモニターに出して再現してみた。確かにアダムが言う通りだった。ハンスとの会話が終わった瞬間に、ヘンリーはアダムと会話していた。なんの迷いもなさそうに見え、スムーズな動きだった。

『これは・・・どうしたことだ?もうちょっと話していたはずだぞ。まるで一瞬で会話したような・・・。』

(これが意思伝達だよ、ヘンリー。)

(これが君たちの力なのか?)

(そうだ。なぜ我々にこのような力が備わったのか、それはわからない。言えることは、人に限らず、生命というものは環境に対応しようとする。人類は、何かの転換期に来ているのかもしれない。我々は、地球人類とは共に生きることはできない。)

(どういうことだ?)

『ヘンリー!どうしたんだ?脳波が乱れ始めている・・・うお!』

アダムとヘンリーは、柵の出入口に急激に引き寄せられていった。

『スーツが異常を感知したんだ!ヘンリー、扉を閉めろ!』

ヘンリーは扉を動かそうとしたが、全く動かなかった。

『どうすればいいんだ!』

『生体反応で閉じろ!』

ヘンリーは扉横にあるセンサーに顔を近づけた。すると重い扉は閉じていった。

「ふー・・・とりあえずスーツは機能しているな。」

「おい、アダム!ここは安全なのか?彼らの力を把握しているのか!」

「ある程度はな。この扉と柵には中性子バリアが発生するようになっている。彼らの力は、どういうわけかわからないがこれでカットできている。これからそれを調べていくんだよ、我々でな。」

「そうか・・・そうなんだよな」

ヘンリーは柵の中を見ないようにしながら、そして意識を向けないようにしながらアダムと話した。これから取り組む相手はえどえらく大変な連中だということだけ、腹の底から理解できていた。



ミュータントとの接触は、ヘンリーの研究目標に大いなる影響を与えた。それまでは遺伝子を主に研究してきていたのだが、アミールの意思がヘンリーを変えた。

(生命というものは環境に対応しようとする・・・ではどう変わったのか?)

ヘンリーはミュータントの発見を遡って調べてみた。そこに何らかの環境変化があるのかもしれないと考えたのだ。

「最初の発見が2250年・・・俺の産まれた年じゃないか!何があったんだ?」

ヘンリーはよく調べてみたのだが、最も環境が変化したことは、国家間で開発が行われていた宇宙ステーションが完全に民間に委託されたことだった。そこに中国やインド、中東も加わり、民間の移住計画が盛んに宣伝されていた。その背景には、各国が保有する核兵器の脅威だった。人々は常に核戦争勃発に怯えながら生活していた。地球を脱出したい欲求が高まってきていたのは事実だった。

「宇宙ステーション・・・つまり、地球外で生活していけるということが、人類を変化させたと?今では宇宙線防御地場を備えたSⅬE、宇宙生活環境になるほど快適になってきている。この変化というものは、かつて地球では存在しなかったはずだ。これがミュータントを産んだのか?ヴァンデンバーグは、彼らの間に音声会話はあまり必要ないと言っていた・・・宇宙という音声伝達が不可能な条件下で、人類が変化したのか?」

ヘンリーは自分の仮説に驚き、これは誰にも言わずに研究していくしかないと判断した。人々は受け入れてはくれないだろうし、単純に混乱を招くだけだ。しかし、これほどのことを誰にも打ち明けられないということは、相当なストレスをヘンリーにもたらした。イライラが常態化してしまうヘンリーに同僚が見かねて、たまには誰かとデートでもしてきたらいいとアドバイスしてきた。

デート相手などいなかったのだが、ヘンリーもストレス発散をしたいと思っていたので、せっかくなら未経験な行動をとるべきだと判断した。そこでヘンリーが選んだのはSⅬE体験ツアーだった。イスラエルと同じく安定した国家を維持している日本の民間企業「磐井開発事業団」が評判いいということで、当社が所有するSⅬE「TAKAⅯAGAHARA」への学術ツアー体験を申し込んだ。

このツアーは日本からエレベーターで搭乗できるシステムになっていたので、ヘンリーは日本の長野に向かった。山頂に作られた搭乗施設からエレベーターに乗り込み、上空3600kmにあるSⅬEに向かった。エレベーターとは名ばかりで、実際は真空状態のチューブ内を高速で上ってゆくシステムだ。4Gの加速度があるがごくわずかに感じるように設計されていた。まず可能な限りの除菌がなされる。2時間ほどでSⅬEまで到着し、それから時間をかけて内部に収容される。その間に徹底的に除菌された。

従来のSⅬEは回転する居住空間で疑似重力を作るシステムになっていたのだが、「TAKAⅯAGAHARA」では超高密度メタルの開発によって疑似重力を作り出し、従来の十分の一のエネルギーで回転できるようになっていた。このエネルギーのほとんどは太陽光発電とミニブラックホール発電によって補われている。

「おお、これはすごい。」

ツアー客の一人が声を上げた。SⅬE内部は無機質なものという観念でいると、実に驚くべき姿が目の前に現れた。公園があり、整備された町がある。SⅬEの中心を突き抜けるシャフト内には大気チェックや快適な風を起こせるようになっていて、他にも様々なセンサーが内臓されていた。

シャフトは太く、なおかつ視覚的にも快適な雲を散見できる天気の色にペイントされていて、くつろいでいても円筒形の内部で生活しているという感覚にはならなかった。

ヘンリーたちツアーグループはほぼ科学者たちで構成されているので、彼らはすぐにそれぞれの担当エリアに分かれていった。

ヘンリーはSⅬEの心身健康管理センターに向かった。ここには多くの一般ドクターがいて、小規模ながら大抵の疾患に対応できるシステムになっていた。さらには心理学者やカウンセラーも五名に一人が対応するようになっており、メンタルチェックは頻繁に行われていた。

心身健康管理センターはSⅬEにある一般家屋と同じ造りの家になっており、威圧感を与えないように設計されていた。だが周辺の500m付近まで視野以下で繋がっており、よほどの大手術でない限りはまず問題なく対応できていた。ヘンリーはアポを取っていたので、スムーズに所長棟に通された。家の中には普段着で初老の男性が待っていた。日本人だった。会話は同時通訳システムがすでに設定されていたのでスムーズに行われた。

「ようこそヤコブさん、TAKAⅯAGAHARAへ。所長の掛谷祐司です。」

「ヘンリーとお呼びください。」

「では私はユージと。なかなかの除菌でお疲れだったでしょう。この閉鎖空間では仕方がないのです。」

「いえ、全く問題ないです。我々は当然理解していますから。一般の方には少々辛いかもしれませんね。」

「確かに。どうぞお掛けください。」

ヘンリーはソファに腰を降ろし、同時に香りがいい紅茶をアンドロイドが運んできた。

「すみません、禁酒なので。」

「お気を使わずに。それも心得ております。」

香りいい紅茶を一口飲んで、ヘンリーは口を開いた。

「ユージ、なぜこのSⅬEの名前がTAKAⅯAGAHARAなんですか?」

「よく訊かれます。日本は古来から、天空に神の世界があると伝えられてきています。高い天の原という意味で、呼び名がTAKAⅯAGAHARA。そこからです。」

ヘンリーの目の前には漢字やイメージが映し出されていた。会話をスムーズに行うためだ。これはまだ地球では実用化されていない。

「なるほど。日本文化は奥が深くて神秘的だ。それなのに世界有数の科学文明国だ。いや、すごい。」

「ありがとう。ところでヘンリー、今日いらしたのはミュータントのことでしょう?」

「ええ、そうです。」

「それで、なぜそのためにSⅬEに?」

ヘンリーは初めて持論を他人に伝えた。

「ユージ、私の持論ですが、ミュータント発生の原因は宇宙での生活が身近になったためだと考えています。」

「ほう?なぜ?」

「生物と言うものは常に環境下で生き抜いてきた種だけが繁殖し、現在に至っています。しかし宇宙ステーション時代ならそれほどでもなかった。なぜなら身近ではなかったからです。しかしSⅬEが身近になると、生物は宇宙での生活においてどうすればいいのかと無意識下で判断します。最初のミュータントが報告されたのは、私が産まれた年です。そしてその六年前にSⅬEの実用化が始まりました。そして現在では数体のSⅬEが地球外軌道にあり、実際に人が生活しています。ミュータントと接触したことはありますか?」

「・・・まあ、ありますね。」

「正直申し上げて私は、彼らはすでに人類とは呼べない存在だと考えています。彼らのメンタルは危険なレベルにあります。彼らをどうするかを論じているわけではなく、なぜそうなったのかを知りたいのです。」

雄二は腕を組んでヘンリーの言葉に耳を傾けていたが、軽く頷いた。

「なるほど・・・人類学者だけのことはある。生物と言うものは常に環境下で生き抜いてきた種だけが繁殖していく・・・至言です。実は誰にも話せないことではあるのですが、ぼんやりとそうではないかと考えていました。ミュータントたちのあの力は脅威です。まともに付き合って共存していくのが本来なのでしょうが、あれではとても無理。そして彼らの発生機序は環境の変化であり、このSⅬEではないかという発想は、同感です。そして・・・。」

雄二はテーブルの上に指を置いた。するとタッチパネルが現れ、その中のひとつに触れた。

「ここでの会話は全てデータ保存されています。ここからはコンプライアンスにも触れない理想の会話を組み込んでおきます。ここからの会話はデータ保存されません。」

「なぜそのように?」

「実は、このSⅬE内においても、二つのタイプに分かれ始めています。これはあくまで私の個人的感想なのでデータには保存したくないのです。」

「二つのタイプとは?」

「理性を強く持つタイプと、感情を強く持つタイプです。彼らは共存することは可能ですが、感情型タイプの者にとって理性型タイプは時々我慢できなくなるようです。もちろん逆もまた然りですが。」

「それは、ここだけのことなんでしょうか?」

「私たち心身健康管理センターに所属する者は、国籍を問わずに特殊回線で繋がっています。仰るように、ここだけのことではなさそうです。彼らもデータ保存されたくないので言葉を選んでいますが、どうもそのようです。」

「分裂の危険性は?」

「今のところはなさそうです。ですが・・・。」

雄二は音声が保存されていないにも関わらず、声のトーンを落とした。

「私の気持ちとしては、感情型は降ろすべきだと考えています。彼らは地球上でしか生きられないと思うんです。こういうことを科学者や医者が語るべきではないと思いますが、彼らは地球に囚われているように思えます。」

「地球に・・・囚われている?」

「そうです。母なる大地が離そうとはしていない・・・逆に理性型はどこでも生きていける。あくまで理論に基づいた選択をしますから、たとえば月や火星でも、条件が整えば生きていけるでしょう。彼らは環境を作り出せます。現にここでも、彼らは環境を変えていっています。感情型は地球を恋しがっています。来なければ良かったと。この違いは、将来においてはどうなるでしょうね。」



ヘンリーはSⅬEツアーのメニューにある、SⅬE回転軸である巨大なシャフト内を見学しに来ていた。シャフトの直径は8mであり、当然内部は無重力である。そして様々なセンサーが設置されていて、快適なSⅬEとは違って無機質で宇宙を感じさせる空間になっていた。

シャフトの長さはSⅬEの直径とほぼ同じであるので、5キロとなっている。SⅬEは居住区と動力区に分かれていて、その分かれ目から入れるようになっていた。

(ほおお・・・これはまた、生活感ゼロだな。)

ガイドの説明によると、500mごとにセンサーが置かれ、風の発生や空気の循環戦場などを管理しているとのことだった。このセンサーはSⅬEの地上部にも設置されており、常に同期している。加えてSⅬEクルーも住人も健康管理センサーを内耳に埋入されていて、少しの異常もすぐにシャフト内に送られ、管理アンドロイドによって心身健康管理センターに連れていけるようになっていた。

「なるほど、噂には聴いていたがこれほどとは思わなかったな・・・おっと、失礼。」

ヘンリーはセンサーを始めとする機器に見入っていて、うっかり前にいたクルーにぶつかってしまっていた。

「大丈夫ですか?」

「いえ、何にも問題ありませんよ。」

相手は女性だった。長髪をクルー用メットに収容していて、機器のチェックを行っていた。情報は常に目の前に表示される。アメリカ人のようだ。スレンダーで美しい女性だ。

「すみませんね。うっかりしていた。」

「いえいえ。あなたは・・・ヘンリー・ヤコブ博士・・・。」

「はい。あなたはイブ・マーティン博士?ここの管理クルーですか。」

「聴いていますよ。ミュータントの研究をなさっているんですって?」

「へえ、悪い噂でなければいいんですが。」

「悪い噂ではありませんが・・・ミュータント自体がちょっと。」

「まあ、そうですよね。それでは、失礼します。」

ヘンリーはイブと握手してシャフト内の見学を再開した。無重力なので移動そのものは至って快適だった。シャフトの末端まで行くと、そこからはエレベーターで下るようになっていた。かなり緩やかでゆっくりと下っていったが、それは疑似重力に身体を慣らすためのようだ。やがてエレベーターはSⅬE居住区から少し離れたところに着いた。

「なるほど・・・これは巨木仕様になっているわけか。」

エレベーターは居住区住人にとっては日常の風景になるように、巨大なブナの木として設置された森の中に出口が設置されていた。ヘンリーは最新式SⅬEの徹底した管理システムに感心しながら、用意されていた外来者宿舎に戻っていった。居住区とは違う場所にあり、そこでも常に除菌されるようになっていた。

ヘンリーは先ほどの掛谷との会話をレポートした。レポートは思考を文章化できる時代になっていたのだが、ヘンリーはあえてキーボードタップにこだわっていた。その方が悩の劣化を防ぐからだ。同時進行で思考文章も表示するようにしていた。

(掛谷によれば、感情型タイプは地球に魅せられている。いや、地球自体が彼らを欲している・・・なぜ掛谷はそう思ったのだろう。そこを探らなければならない。そしてイブ・マーティン・・・)

「なんだ?なんであの女性が出てくるんだ?」

ヘンリーは驚いた。こんなことは滅多にない。時折美味かった料理のこととかは出てきていたのだが、異性が登場したことなどなかった。

「変だな・・・まさか、俺もミュータント化しているのか?いやいや、マインドは普通だ。意味がわからん。」

思考文章化においては、棄却域と判断すればアラームが表示される。しかしそのアラームもなかった。

「必要ってことなのか?なんでだ?」

ヘンリーは一旦文章化をやめてこの初見女性についてあれこれ考えたが、全く意味がわからなかった。そもそも科学分野にしか興味がなかったので、ひとりの女性に対してどうこう考えることもなかったのだ。それだけに未知の分野でもあった。

「バイタルも・・・あれ、血圧が少々上昇で脈拍も高めだ。興奮状態・・・なぜ?」

しかしいくら考えても何もわからなかった。ヘンリーは諦めて、後ほど棄却することにした。現在向かい合うべき事案は、ミュータントや2タイプのことだけだ。

「ふーん・・・これはもうそれぞれの住人のパターンが必要だな。もう一回、掛谷と話してみるか。」

環境と個人の関係性については、こうなると一般論では解決できそうもない。個々のデータをコンピューターに入れて結果を待つしかなさそうだ。ということで、ヘンリーは雄二のオフィスに向かった。

「え?個々のデータを分析?」

「ユージ、その通りなんだ。地球上でもサンプル分析はやっているんだが、どうやらSⅬEとは違うように思う。そのためにはここのデータが必要なんだ。もちろんその他の個人情報自体は扱わない。SⅬEに来てからの変化を見たいだけなんだ。」

「なるほど・・・まあ、現在のところでは一般人はまだ住んでいない。政府主導で行われた人選なんで、その程度なら問題はないだろう。だがわかっているだろうけど、公開はできないよ。それでもいいのか?」

「ああ、問題ない。結果を何かに役立てればいい。お願いできるか?」

雄二はすでにデータ自体を有していた。だが分析自体はヘンリーのオフィスにある量子コンピューターでなければできそうもない。データ自体を持ち帰ることはできない。そこでヘンリーは前から進めていた、髪の毛の中にデータを組み込むテクニックを使うことにした。自分の毛母細胞を一部IPS化させていたので、そこにデータを組み込んだ。本来ならノーベル賞ものなのだが、ヘンリーはこれで不自由なく多くのデータを入手してきたので、公開する気にはなれなかった。

「そんなことができるのか!すごいなヘンリー。」

「まあな。もちろん、君に報告はするよ。」

「ありがたいことだ。よろしく頼む。」

このデータ組み込みは早く終わり、ヘンリーの滞在期間がもう迫っていたので、早々に帰還することにした。荷物をまとめ、帰還のチェックを終わるとヘンリーは再びエレベーターの待合所に向かった。するとそこにはイブがいた。

「あら、ヤコブ博士。またお会いしましたね。」

「え?マーティン博士じゃないですか。地球に用事ですか?」

「特に用事ってことでもないんですが・・・もうここにはいたくなくて。」

「・・・なぜです?立派なお仕事じゃないですか。」

「確かにそうですし、誇りもやり甲斐もありました。人間関係も悪くありません。ですが・・・耐えられないんだってわかったから。」

「ここがですか?」

「そうです。私は結局、地上でしか生きていけません。ここは快適ですけど、妙に心がザワザワしてくるんです。フラッシュバックも起こってきました。それで昨日が最後のお仕事にして、もう帰るんです。」

ヘンリーは、イブが感情型タイプだったと気がついた。この発言も貴重なデータだ。今後も参考になるだろう。

「そうでしたか。私はミュータントだけでなく、人類そのものを研究しています。良かったら私がサポートしましょうか?」

「え?博士が?なぜです?」

「なぜって・・・あれ、なぜでしょうね。」

イブは呆れたようにヘンリーを見ていたが、やがて笑い出した。

「ふふふ、ヤコブ博士って面白い方ですね。それにすごく正直。それじゃあ、お願いしようかしら。」

「あ・・・ごめんなさい、失礼でしたね。」

「いいえ、楽しいですよ。私の連絡先はこちらです。ネバダのエリソンというところに住んでいます。」

ヘンリーの目の前に、イブのデータが表示された。ヘンリーはそのデータを保存した。

「ありがとうございます。私はイスラエルのテルアビブにいます。では地上に着いて落ち着いたら連絡しますね、マーティン博士。」

「あの・・・できたらイブと呼んでいただけます?名字だと仲良くなれそうもありませんから。」

「あ、ではイブ、私はヘンリーで。」

「それではご連絡お待ちしております、ヘンリー。」

ヘンリーとイブは握手をして、間もなくしてエレベーターに乗った。そこからはもう個別になり、二人は顔を合わせることもなく地上に着いた。

「ふうん・・・匂いが違うな。こんな匂いは、SⅬEにはない。これが地球の匂いか・・・。」

ヘンリーは地球とSⅬEの差に改めて気がついた。掛谷が、地球が欲しているタイプと感情型を表していたことを思いだした。

(こういうところも材料になるな。)

ヘンリーはオフィスに戻ると、早速SⅬEで得たデータを抽出して量子コンピューターに入力した。これには時間を要したが、きちんとデータを得ることはできた。それに加えて、ミュータント発生率が高い地域の情報をできるだけ入力した。そして最後に口頭で指令を出した。

「アルベルト、これらのことから、ミュータントの発生機序を想定してくれ。」

過去にはAIと呼ばれていたものはすでになく、疑似人格回路を組み込んで専用アプリで会話できるようになっていた。この時代ではIFPインフロントパーソナリティと呼ばれていて、ヘンリーは尊敬するアインシュタインの名をつけていた。目の前に若い頃のアインシュタインそっくりな顔が浮かんできた。

『ヘンリー、発生機序を想定するための情報が不足している。』

「これでもダメか?そうか・・・それなら、ミュータント高発生率地域に固有の疾患などはないのか?」

『それならわかるよ。データによると地域ごとの環境にはさほど差がないようだ。ミュータントは都市部でも地方でも発生している。その地域に多いのはてんかんだ。』

「てんかん・・・悩のか?」

『そうだね。脳卒中率も高い。一部では、ミトコンドリア症候群ではないかとも言われているようだね。いずれも幼児から発生しているが、成人にも多い。』

「てんかん・・・脳卒中・・・アルベルト、脳とミュータントの関係性についてはどうだ?」

『ヘンリー、それがわからないんだ。ミュータントだから脳に疾患があるわけではない。その他の何かが反応しているのかもしれない。』

「その何かとは、たとえば遺伝子とか?」

『少し時間をくれないか。検索で最大公約要素を算出してみる。・・・ああ、メッセンジャーRNA編集機能が異常に高いようだね。』

「メッセンジャーRNA編集機能だと?異常に高い?つまり、タンパク質合成能が高い?肉体再生率が高い?」

『そこまでは判明していないが、少なくとも悩の活性化の異常性に関わっていると思われるよ。』

「なぜ、そう判断するんだ?」

『ミュータントの悩をスキャンした結果、どんな高齢者でも萎縮が見られなかった。さらに大脳辺縁系の亢進が見られる。偏桃体が異常に発達していて、彼らの感情起伏が激しいことが伺える。彼らは感情に支配されていて、どんどん脳自体が亢進されている。つまり、脳だけは生涯成長し続ける。他の肉体に影響は現在確認されていない。』



ヘンリーとイブは、アメリカネバダ州のエリソンでランチをしていた。アルベルトの分析で、イブと話したくなったのだ。マッケンチーズパーを食べながらヘンリーはコーヒーを、イブはワインを飲んでいた。

「あなたの話だと、わたしのようにザワザワしちゃうタイプって宇宙で暮らしていけないのかしら?」

「まだ不確実なんだけどね。その傾向はあるみたいなんだ。」

「そうなの。じゃあ辞めて良かったわけね。あなたはどうなの?」

「僕は全然どうもなかった。どこでも暮らしていけそうだ。僕みたいなタイプは鈍いのかもね。」

食事しながら、ヘンリーはイブを観察していた。データと比べながら観察していたのは、イブがミュータントではないかと疑問を抱いたからだ。シャフトの中で出会っただけでインパクトを残した力を疑ったのだ。そうするとただでさえ視力が悪いので、つい相手をじっと見てしまう。

「ねえ、わたしの顔に何かついてる?」

「え?あ、ああ、失礼。ほら、僕は視力が少し低下しているんで、時々じっと見つめる癖があるんだ。」

「そう?じゃあわたしの顔、ちゃんと認識できてる?」

「そりゃあもちろん。」

「どんな風に?」

「どんな風って・・・まあその・・・きれいな人だなと。」

イブは少しだけ笑みを浮かべてワインを干した。そして両掌を組んで顎を乗せた。ヘンリーは女性が目の前でそんな仕草をすることに慣れていないので、どうしていいのかわからなかった。


「ねえヘンリー・・・ミュータントって、人の心を操れるんでしょ?」

「え?い、いや、そうとも限らない。単純に惑わすだけのパターンもあるよ。」

「どうして、彼らに興味あるの?」

「そりゃあ僕は人類学者だからさ。過去には超能力とか予言とか言われていたんだけど、そのほとんどがインチキだったことはもう証明されている。だが、僕自身が接してみて思ったんだ。彼らの力は間違いないって。だから・・・。」

「テレパシーってあるじゃない。それもミュータントたちは持っているのかしら?」

「それは、僕の卒論で扱ったテーマさ。どんな研究者もその存在を知ってはいたけど、証明できなかったんだ。だから仮説を立ててみたんだ。」

「どんな仮説?」

「簡単に言えば、量子もつれに似ているんだ。素粒子ではなく、思考パターンと言うか、思考の本質がほぼ同じ者同士がいると仮定しよう。彼らが知り合いだったら、相手が何を求めているのか、何をしたがっているのかがパターンとしてわかるんじゃないかって。つまり思考もつれとでも言うべきものが、我々の見方として意思伝達という風に見えるんだと仮定したんだ。」

「それじゃあ、SⅬEのシャフト内で出会っただけの知り合いがこうして食事して、ワインを飲んでいる現象ってどうなの?」

「・・・え?」

ヘンリーはイブが何を言おうとしているのか全くわからなかった。イブは思わせぶりな表情で、何かの意思をヘンリーに投げかけようとしているように見えた。

「えっと・・・ま、まあ、思考もつれ・・・いや、違うな・・・あ、ああ、お互いに友人と認めたからってことじゃないの?」

「ふうん・・・あ、ワインもう一杯お願い。そうか・・・そうなの?ヘンリーはそう捉えたの?」

「まあ、正直言えば、あれから思考文章化をしていたんだが、急に君のことが浮かんできた。一瞬、君がミュータントじゃないかって思ったくらいだ。しかしミュータントならもっと激しい思考波があって、自分を見失う。でもそうはならなかった。となると・・・なんだろう?」

「学者ってこうなのかしらねえ・・・あ、サンキュー。」

イブはワインのおかわりを一気に飲み干した。

「あの、イブ、ちょっと飲みすぎじゃ・・・。」

「うるさいわね、この唐変木!」

「トウヘンボク?なにそれ?」

「古い日本の言葉で、気が利かない人のことをそう言って馬鹿にしてたの!私は普段から、これ使ってるのよ。どうせ相手にわからないからね!」

「僕が?トウヘンボク?気が利かない?まあ、それは当たってはいるけど、なんで?」

「これだから学者って!あのね、わたしはミュータントじゃない!けどね!あの時、一瞬でヘンリーを好きになっちゃったの!そしたらヘンリーもすぐに相手してくれたじゃない!これが、人類が持っている力で『恋』ってものなの!」

「はあ・・・確かにそれは人類に・・・え?」

ヘンリーはようやく、全てを理解した。理解はしたのだが、対処法が全くわかっていなかった。

「え、あ、あの、僕はだね、えとその、そのロジックと言うかパワーというか能力と言うか、そういうのの研究は全く不足していてだね。」

「あん?何言ってるの?学者ってさ、専門分野以外は全然ダメよね。濃いくらいしたことあんでしょ!」

「だ、だって、僕は飛び級で大学まで行って研究一筋で・・・人類は男女が結びついて後継者を残していって、遺伝子が・・・。」

「もういい!」

イブはワインを干して立ち上がった。表情は完全にアングリーモードだ。

「人工授精とか!クローンとか!遺伝子分析とか!そんなものは誰でも知ってる!もう本当に時間の無駄だったわ。ここの支払い、学者さんがしておいてね!さよなら!」

イブは立ち上がって店を出て行った。ヘンリーはどうしていいのかわからず、IFPに訊ねた。

「アルベルト、どうしたらいいんだ!」

『まずお店の支払いをして、それから彼女を追いかけることだね。』

「追いかけて、それから?」

『イブに声をかけるんだ。』

「なんて言えばいい?」

『それはいくつかパターンがあるが、その時にまた質問してくれ。』

ヘンリーは支払いを済ませて店を出た。イブの姿はもう見えなかったので、生体追跡アプリを起動させた。

「こっちか?」

ヘンリーは走るのは得意ではなかったが、全力で駆けた。最初の角を曲がって間もなく、イブの後ろ姿が見えた。ヘンリーは大急ぎで走り、イブに追いついた。

「イブ!どうしたんだ!」

イブは前を向いたまま立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。その目には涙が浮かんでいた。

「イブ・・・あの・・・僕は本当に不慣れで・・・嫌な思いさせたね。ごめ・・・。」

ヘンリーは最後まで話せなかった。イブが抱きついてきたからだ。

「ちょ、ちょっと、イブ!」

ヘンリーはイブから身体を離そうとしたのだが、イブの力は強かった。ヘンリーは困ったのだが、徐々に気持ちに妙な変化が表れてきた。ヘンリーは無言モードでIFPに訊ねた。

『あの、この場合って?』

『心拍数増大、血圧上昇、全く平常心ではない。これはアドレナリン異常分泌、もしくは激しい恋愛感情による一時的な発作と思われる。ヘンリー、危険だ!』

『どうすりゃいいんだ!』

『この場合、恋愛パターンでしか対処できない。パターンを選択する。次の中から選び給え。』

いくつかポップアップが流れ、ヘンリーが無意識で選んだものは『相手の気持ちに寄り添いながら優しく話しかけながら相手の目を見る』だった。ヘンリーは実行した。

「ごめんね、イブ・・・君の気持を考える余裕なかった。顔を上げてくれる?」

イブはヘンリーからかけてほしかった言葉が出てきて、ようやく顔を上げた。そしてヘンリーはまたIFPに訊ね、選んで実行した。ヘンリーはイブの目を見ながら顔を近づけ、唇を合わせた。イブもまた強くキスをしてきて、二人は抱き合ってキスしたまましばらく立っていた。

しばらくして二人は離れた。だがヘンリーはIFPに訊ねるまでもなく、原始的な衝動に抗えなかった。この夜ヘンリーとイブは、ホテルで結ばれた。ヘンリーは無意識でIFPに質問していたようで、アルベルトからはこんな反応が返ってきた。

『わたしに好きだと言われてもどうしようもないよ。人類には、というか地球上の生物には原始的な子孫繁栄の衝動がある。いくら君でも抗えないんだな。これは君にとってもいい参考に。』

目が覚めたヘンリーは、IFPとの回線を切った。そして再びイブに被さっていった。



「人類強化研究所?なんですか・・・イスマイルさん。」

ヘンリーが在籍しているナザレ総合大学人類学科にやってきたのは、長身のエジプト人だった。自己紹介モードにしてあるので名前はハミド・イスマイルだとすぐに判ったのだが、人類強化研究所など聞いたこともなかった。


「俗に言う悪の秘密組織です。」

真面目に面と向かってそう言われると、逆に呆気に取られてしまう。ヘンリーはどう対処していいのかわからず、アルベルトに訊ねた。

『人類強化研究所というデータは私の中にはないし、どこにも見当たらない。会話で引き出すしかないよ。』

「アルベルトさんの言う通りです。場を和ませたくて冗談を言いました。お許しください。しかし遠からずではあります。」

「え・・・あんた、他人のIFPに侵入できるのか!」

「ですから、悪の秘密組織というのはあながち違ってはいないのです。座ってもよろしいでしょうか?」

IFPは登録制であり、絶対的な不可侵を世界規模で約束されている。そこに簡単に侵入できるなど考えられないことだった。管理しているグローバル通信会社(GTⅭ)は事実上国家のような存在になっていて、膨大なデータを管理できていた。ハミドは教授室のソファに座り、長い脚を組んだ。

「先生はミュータントの研究をなさっておられるとのことです。成果はありましたか?」

「・・・え?なんであんたが知っているんだ?」

「いずれそれは明らかになるでしょう。問題は、私たちが先生を必要としているという点のみです。」

「だから意味がわからないって言ってるだろ!悪の秘密結社を名乗るところがなんで僕に用があるんだ!」

「それは、これをご覧ください。」

アルベルトは何の反応もなかった。自己自粛しているか、目の前のエジプト人に泊まれたのかはわからなかった。ヘンリーの目の前には組織図が展開されていた。

「なんだこれは?」

「大国や大企業がSⅬEを運営していることはご存じですね。実は最初のSⅬEが計画されていた時に、各国の宇宙開発部が会議を開きました。なぜなら、SⅬEが戦争に巻き込まれかねない状況だったからです。すでにグローバルな視点を持っていた各国研究部では、それだけは避けたいと考えていました。これは、その時にできた組織図です。もちろん我々のガードを破る存在はありません。イメージもご覧ください。」

ヘンリーの前に展開されたイメージは、事実上国や民族、宗教などを動かしている実務上のトップたちによる会議だった。この当時には当然リモートもあったのだが、あえて顔を突き合わせての会議が日本の小笠原にある無人島で行われた。日本政府による安全が確認されたためだ。

ここで話し合われたのは、当時開発中だったSⅬEに関することと、すでに一部で噂されていたミュータントと宗教結社GBDのことがメインだった。その時の会議内容は瞬時にヘンリーの脳内にインプットされた。ヘンリーは話の基礎を得て続けた。

「ミュータントの危険性と軍事利用?そんなことまで話していたのか?」

「すでにインプットされているのでわかるはずだが、まだ何もわからないミュータントの幼児がいたとしよう。子供ならではの遊び心で、ミサイル発射の権限がある人間を操ったとしたらどうなる?あるいは原潜の司令官にアクセスしたら?そこまではいってはいないが、事実操られた形跡は残っている。」

「・・・ああ・・・これか・・・カナダの子供が義父に虐待されて、義父を崖から突き落とした・・・足跡からかなり抵抗した形跡があるが、その男のものしかなかった・・・他にもいくつか可能性がある例があるんだな。」

ヘンリーはゾッとした。成人ならまだ対処しようがあるが、知識も何もない幼児ではどうしようもない。

「・・・なに・・・その子供は・・・すでに対処、だと?」

「仕方なかった。彼はそもそも脳疾患を有していて長くは生きられなかった。やむを得ないことだった。それでこの会議では、混乱している世界情勢の中で活動している各国各民族各宗教などのスパイや諜報員などの活動を、一時期ミュータントを探り出す作業のみにさせることで一致した。そこで明確になったことは、GBⅮを立ち上げたのが大富豪ダニエル・アダンだと言うことだ。君も彼の名前は聞いたことがあるだろう。この混乱でカオスな世界において、絶対なのは財力だ。彼は自分の会社を帝国と称していて、有能ではあるが多国籍多民族多宗教な者ばかりを集めていた。そのために何かの柱が必要だった。それでなぜか投資家ユダヤ系ハンガリー人ジョージ・ソロスが神扱いされていた。特種能力があるとされたんだろうな。彼の名を借りて、地球神を崇める団体を作った。その神の名をソロスとしてね。キリスト教やイスラム教と同じく、地球神ソロスは人間ジョージを代理人として選んだとしている。彼らはジョージが自らを神としたことに着目して、新たな神を探し出そうとしていた。だがジョージ自身は教祖にはならなかった。投資家でもあったしね。政界にも通じている。宗教では政治経済を行うことはできない。それで我々は、彼らの目論見を阻止すると同時にSⅬEの恒久的な平和で人類に恩恵をもたらす存在にすべく、宇宙開発財団という組織を立ち上げたい。現在は人類強化研究所として活動している我々と、各国の宇宙開発財団が共同出資する予定だ。そこでだ。」

ハミドは少しだけ身を前に動かした。

「いずれ知れることだが、我々はすでにGTⅭを手中に収めている。GBⅮだけではなく、世界はこれまでの無法状態の通信世界ではなくなる。混乱も起きるだろう。我々はそれを阻止したい。先生には、なぜ人類がミュータントになったのか、そしてその結果によってSⅬEに残るべき者たちを選別する仕事を担っていただきたい。」

「人類の・・・選別を行うのか!それこそ無法ではないのか!思い上がりもいい加減にしろ!とっとと帰れ!」

ユダヤ人であるヘンリーにはかつてナチスが行った人類浄化という行いが、強く残されていた。民族としてのトラウマである。激高するのも当然だ。

「俺をユダヤ人だと知って言っているのか?俺はヒトラーにはならん!お前たちはナチスになりたいのか!ふざけるな!」

「先生、落ち着いてくれ。今すぐ返事を欲しいわけではない。また来るので、それまででいい。それでは・・・。」

ハミドを立ち上がり、部屋を出ようとしてまた振り向いた。

「ああ、そうだ。一応言っておく。先生のパートナーの・・・イブさん。まだちゃんと発動はしていないが、彼女もGBⅮが狙っている存在なのだよ。」

「・・・なんだと・・・どういう意味だ!」

「ふふ・・・よく考え給え。では、また。」

ハミドは部屋を出て行った。ヘンリーはしばらく怒りで何も考えられなかったが、精製になるとハミドが言った意味を考えることができた。そしてゾッとした。

「まさかイブが・・・ミュータントだと?」



ハミドとの出会いから、ヘンリーはしばらく大学から出なかった。寝泊りさえ校内で済ませた。2回ほどイブから連絡があったが、大学内で発表があるので当面は会えないと伝えておいた。

ヘンリーが籠っていたのは、もちろんハミドから伝えられたことだ。かなり混乱していたのだが、数日するとようやく理性を取り戻し始めた。科学者なので、ひとつひとつの検証が何より大切だと知っていたことが功を奏した。

ヘンリーがまず取りかかったのは、イブの分析からだった。雄二から得ていた感情型タイプのデータに、アダムから提供してもらったミュータントの髪の毛を照らし合わせてみることだ。解析自体は、少量の塊を解析機にかければ済む。

(これは・・・どういうことだ?)

共通して言えることは、メッセンジャーRNA編集機能が異常に高いことだ。特にミトコンドリア内部のⅮNAが顕著だった。

(ミトコンドリアは母系だ。ということはいつ、変化したんだ?何かが起きたのか?)

ヘンリーは過去の事象なども含めて、変化が起きたと思われる年代を検証してみた。いくつも挫折しながら、ヘンリーはやっとその起点を探り当てることができた。それはまさに、ヘンリーが産まれた年のことにいきついた。

この年、人類初のSⅬEが誕生していた。宇宙ステーション時代から少しずつ改良は進められていたのだが、民間企業スペースライフ社によってSⅬEの基礎となる「プリマ スタティオ」が誕生した。だがこの企画には多くのトラブルがあった。

まず軌道に作業衛星を乗せ、そこに原材料を運んでパーツを作って組み立てるやり方だったのだが、その際に強化陽子ビームを利用していた。その結果、大量の宇宙線ミューオンが発生してしまった。このことはメディアでも盛んに取り上げられ、これによって変異した生物の紹介なども行われていたのだが、結果人体に影響はないという報告があってから沈静化していった。その後、「プリマ スタティオ」は人類の定着生活というより荒玉宇宙開発の工場として運営されていった。

ヘンリーはこのミューオンに着目した。人体に影響はないとされていたし、データを調べても確かに変化は起きていなかった。だが間違いなく、イブも含めて感情型タイプのグループではミトコンドリア内部のメッセンジャーRNA編集機能は顕著なのだ。

(ということは、ミューオンを受容しやすい体質のグループが何らかの影響を受けたってことなのか?その子供たちが変化していったと仮定すると・・・。)

ヘンリーはさらに分析を行った。これまではアルベルトも頼っていたのだが、それではらちが明かないとわかり、大学内の量子コンピューター開発科に依頼した。だが問題はかなり深いので、あくまで自分ひとりの研究のためということにして、ヘンリー自ら使用できるように算段した。

「さすがだ、データ量が半端ない。」

個人用IFPでは参考にできるデータ量がかなり制限されている。だが大学ではそれ以上のデータを必要とするために、専門データを閲覧できるようになっていた。ヘンリーは人類学専攻なので、生体認証で閲覧できた。

「いくら専門でも、ここでしか見れないデータがあるし・・・。」

ヘンリーは手元のデータとイブのデータが入った生体認証メモリーをセットし、ミューオンと変化で検索をかけた。ここのコンピューターはかなり強化されていて、可能な限りのスペックを持っていた。すると、目の前に若い女性の研究者が現れた。

『はじめまして、ヘンリー・ヤコブ。私はセイレーン。ヘンリーのデータからわかることは、この通りです。』

セイレーンの前には膨大な資料の中から選ばれたデータが映し出された。

「なるほど・・・ネアンデルタール人もヒットしたのか。ネアンデルタール人は・・・なるほど。ネアンデルタール人もメッセンジャーRNA編集機能が高かった。疾患に強かったのはそれか。」

ネアンデルタール人が環境によく対処できていたことはすでに知られていた。しかしそれがメッセンジャーRNAを変化させることによるものとは、ヘンリーも知らなかった。

「それで、イブとユージのデータの共通点は・・・なんだこれは?この配列は見たことがない。セイレーン、これはなんだ?」

『それは50年前にも話題になった遺伝子で、どういうものかはわかりませんでした。当時の研究者たちはとりあえず遺伝子Ⅿと名付けていました。』

「遺伝子Ⅿ・・・なぜ、話題になったんだ?」

『タンパク質構造ⅮNAでもなく、遺伝子発言調整ⅮNAでもなく、RNA的非コーディングⅮNAでもなかったからです。このⅯは何かの刺激でしか発動しません。しかし何で発動するのかが判明しなかったのです。』

「なんだって・・・じゃあそのⅯはなぜ発見できたんだ?」

『消去法で残ったのがⅯでした。しかもこのⅯは、常時発見できるわけではなく、ごく稀にしか見つからなかったのです。統計的には1/10000人程度です。』

「セイレーン、ミューオンでは発動しなかったのか?」

『当然試していました。しかし通常では何の発動もしませんでした。研究者たちは、とりあえず他の解析を優先させたため、これだけが残りました。』

「これがイブにもある。ユージのデータではどうなんだ?」

『掛谷雄二のデータにはありませんでしたが、ミュータントにはありました。それも一人だけです。』

「な・・・なんだって!それは誰だ!」

『アレクサンドラ・フランケルです。』

「あのハンガリー人の妹か・・・セイレーン、アレクサンドラ・フランケルとイブ・マーティンの共通点・・・いや、母系で一致するところはないか?」

『この二人は、5世代前で同じ女性にたどりつきます。』

「5世代前・・・何年前だ?」

『2027年生まれのハンガリー人で、マリア・ヴァルガです。』

「彼女が生存していた期間に・・・そうだな、核問題とか超新星爆発とかなかったか?」

『マリアが産まれた前年2026年に、かんむり座超新星爆発を確認しています。』

「まさか・・・セイレーン、超新星爆発でガンマ線バーストは確認されていたのか?その時にミューオンはどうなっている?」

『超新星爆発は1987年に大マゼラン雲内で発生してガンマ線バーストは確認されており、ミューオンも増加が認められています。』

「当時の遺伝子などのデータはあるのか?」

『残念ながら残っていません。』

「その頃はまだ、世界中に政権があった時代だな。特定は難し・・・待てよ・・・セイレーン、この頃に新種が多く見つかったとか、昔の言葉で超能力とか・・・ええと、環境変化とか天候不順とかはなかったか?」

『ヘンリー、確かに蟻や蝶などに新種が多く発見されています。超能力に関することは、一部のマニアが常に取り上げています。それから天候不順が見られていて、環境変化が話題になっています。これは1997年以降太平洋海面温度上昇のエルニーニョが発生していて、その頃から不安定になっていたようです。』

「やっぱりそうか・・・セイレーン、マリア・ヴァルガの子孫で遺伝子情報が判明しているのは何人だ?」

『現在わかっているのは53名です。』

「彼らのデータを詳しく調べたい。抽出できるか。」

『もちろんできます。あなたの生体認証メモリーに移行しますか?』

「ああ、頼む。」

セイレーンはデータを移行させ、ヘンリーは量子コンピューター開発科を後にした。このデータ分析は、ヘンリーだけで行わなければならない。だがそのためにはかなりの時間を必要とする。

(やるしかない!)



「二度の超新星爆発?それでガンマ線バーストが発生して、ミューオンも大量に発生・・・それがミュータントの発生原因だと?」

「ユージ、僕はそう思う。あまりにも膨大な遺伝子情報なので、結論を出すには10年以上必要だろう。だが、やるしかない。」

「そうか・・・では、私のデータにはミュータントはいなかったんだな?それはひと安心だ。」

ヘンリーは雄二のオフィスに来ていた。これからは、雄二は非常に重要な人物になるはずだからだ。

「ああ。まず1987年のマゼラン大爆発で・・・正確にはその13年前の爆発だが、それで地球の地磁気に変化が起こり、エルニーニョなどの異常気象が発生した。それだけならまだしも、まだ異常気象が収まっていない40年後のかんむり座超新星爆発で小生物に突然変異が多く発生している。そしておそらくだが、人類にも影響あったはずだ。それを解析中だ。」

「なるほど・・・その仮説は面白い。一刻も早く精査が仕上がるといいな。」

ヘンリーは人類強化研究所やハミドのことは口にしなかった。雄二は彼らの手の中にいる存在だからだ。ヘンリーは帰宅し、一息ついてコーヒーを飲んだ。飲み終えるタイミングでハミド・イスマイルから連絡があった。

『ヘンリー・ヤコブ、かなり動いているようだね。気持ちは決まったのか?』

『そうか・・・君には何もかも筒抜けだったんだな。そうだ。動いたよ。そして決めた。君の組織がなにかはわからないが、人類選別ということとは違うと認識したよ。ミュータントはもちろん我々と共存はできない。そして感情型の人々は地上で生きるべきだ。そうでなければお互いに不幸になるだろう。超新星大爆発と宇宙環境が、必然的に人類を分かつことになっているならば、それなりの対処をしなければならんだろう。』

『そうか。ありがたい。近々国際組織としての宇宙開発財団が発足する。君はSⅬEに居住する人類の選別を行ってもらいたい。』

『僕が?冗談じゃない。そんな大役はお断りだ。それにまだ選別できるような状態じゃないんだ。』

『もちろん承知だ。君は本来ならSⅬEに居住すべき人間だが、君がどこで生きるかは君が決めなければならない。だが忘れてはいないか?君のパートナーはミュータントとしての能力は持っている。君は彼女と別れたいのか?その権限を持てるのは、将来君がなるべき立場の者でしかないんだ。』

『・・・そうか、君たちはとっくの昔に何もかも調べ上げていたんだな。』

『そうだ。君はあらゆる点でその資格があるし、他の者では成し遂げられない。』

『逃げられないんだな・・・だったら、やるよ。しかし条件がある。』

『なんだね?』

『僕に専用のハイスペック量子コンピューターを二台用意してほしい。データが膨大で、一台では無理かもしれないからな。それから、プライベートで人の心を覗くのは絶対にやめろ。可能な限り普通の人間として生活したいし、それなりの特権も欲しい。この三点は絶対だ。報酬はそれなりにくれるんだろうな?』

『安心したまえ。報酬は上流クラスではないが、限りなく近い額を用意しているし、仕事に必要な経費は全てこちら持ちだ。プライベートでの通信は仕事のみに限定するし、覗くこともしない。専用ハイスペック量子コンピューターはもちろん用意する。それでいいかね?』

『ああ、いいよ。後はその保証だけだ。そうだな・・・三年の間何もなかったら、きちんと契約する。おそらく、その間にある程度の報告はできるだろう。それでいいか。』

『了解した。では、今度はきちんと連絡する。では、しっかりな。』

ハミドの回線は途絶えた。ヘンリーはアルベルトに状況を報告させ、一切アクセスはないことなどを確認した。確認後、ヘンリーはなすべきことをまず行った。

「ああ、イブかい?来月のクリスマスは空いてる?」

『ああヘンリー、もちろんよ。あなたの誘いを待っていたわ。』

「じゃあアメリカに行くからね。待っていて。」

その日、ヘンリーはイスラエルからアメリカネバダ州のハリー・リード空港に到着し、エリソンに向かった。エリソンにあるイタリアンレストランが待ち合わせ場所だった。イブは約束の時間に少しだけ遅れてやってきた。

「ヘンリー、お待たせ。」

「大したことはないよ。まず、食べようか。腹ペコだ。」

二人は食事を済ませ、近くの公園を歩いた。クリスマスモード全開の若者たちがたくさんいた。ネバダ州にはラスベガスがあるのだが、このあたりは静かで穏やかな雰囲気だった。

「今日は嬉しかったよ。ありがとう。」

「ううん、わたしの方よ。だってずっとお仕事だったじゃない。」

「ごめんね。どうしても手が離せなくてさ。」

「人類学のお仕事?」

「そうだけど、新しいプロジェクトに関わってしまってさ。それでバタバタしていたんだ。」

「大学のじゃなくて?」

「新しくできる宇宙開発財団というプロジェクトがあってね、そこに誘われたんだ。最初は断ったけど、僕しかできる人材がいないそうでね。」

「宇宙のお仕事?じゃあまた長く会えないの?」

「そうなりかけたけど、それは断った。」

「え、どうして?」

「それは・・・これだからさ。」

ヘンリーは片膝をついて、ポケットからケースを取り出し、イブに向かって開いてみせた。そこには指輪があった。

「・・・なんてこと!」

「君と別れて暮らすなんて考えられない。幸い、僕の仕事はコンピューターさえあればできるんだ。イブ・マーティン、僕と結婚してください。」

イブは両手を口に当て、目を見開いた。そして涙が溢れ出した。

「ああ、ヘンリー!もちろん受けるわ!ありがとう!」

イブとヘンリーはハグしてキスをした。

ヘンリーは宇宙開発財団では人事担当調査部長という肩書だった。サポートチームとして掛谷雄二とアダム・フェルツマンがついた。実質的な作業はヘンリーが行うのだが、雄二とアダムはそれぞれの立場で手伝うことになった。

そして仕事をこなしながら、ヘンリーとイブは結婚した。そして間もなくして娘が誕生した。娘の名はハンナと名付けた。ハンナが生まれてすぐにヘンリーは遺伝子分析を始めた。すでにイブと自分のデータがあったので、消去法で割に早く済んだ。そして、最後の希望が失われた。

「やはり・・・Ⅿがある・・・間違いなくミュータントだ・・・。」

ヘンリーはハンナの扱いのために、それとミュータントたちへの扱いのために、毎日ハンナの意識をデータ化する作業を続けた。それをハミドから受け取った二台の量子コンピューターのひとつに移行し続けた。それだけではなく、ヘンリー自身とイブのチェックを同時に行い、データ化していき、その分析を毎日行った。

そして結婚して四年目に変化が訪れた。その前からも兆候はあったのだが、ハンナのミュータント能力が少しずつ始まっていた。それはヘンリーにではなく、イブに対して向けられた。イブは時折意識がなくなり、意味がわからない動きをするようになっていった。そんな時にいくら話しかけても無反応だった。

ヘンリーはそれがハンナの無邪気さによるものだとわかっていたので、必ずハンナに対して何かしら語りかけるようにした。するとイブは元に戻るのだ。

ヘンリーは家族の遺伝子を毎日チェックしながら、Ⅿを抑える要素がないのかを探した。それさえ見つかればミュータントを恐れる必要はない。だが、それは叶わなかった。そしてヘンリーは決意した。見つからなければ作ればいいのだと。


10


ヘンリーとハミド・イスマイルはアメリカのSⅬEへ向かうシャトルの事務所にいた。問題は山積していたのだ。

「ヘンリー、ミュータント専用キャンプはうまくいっている。彼らは彼らだけの特異なマインドネットワークを持っていて、その状態に満足している。ただ、新入りの扱いに苦労はしているようだ。それは仕方ない。選別の研究は進んでいるのか?」

「ああ、何とか。だがミュータントを抑制する対抗策はまだできていない。現状を継続していくしかなさそうだ。」

ここでヘンリーは気になっていることを尋ねた。

「それから、これだけは訊いておきたい。なぜ、ミュータントと選別を君たちの組織が行うんだ?いくら混迷している世界とは言え、いまだに各国は存在している。他意はないんだが、気になってな。聴いていいかどうかはわからないが、できれば聞かせてほしい。」

ハミドは少しだけ間を開けて、そして口を開いた。

「では、先に訊いておこう。私はどっちだと思う?」

「それはたぶん、SⅬE生活者じゃないのか?」

「そうか。まあそうなんだが。では、なぜ私が宇宙開発財団にいると思う?」

「・・・わからない。」

ハミドは少し口角を上げて、笑ったように見えた。

「そうだろうね。いずれわかることだから、これくらいは伝えておいてもいいだろう。君は月に居住基地があることは知っているね。」

「ああ。」

「なぜあそこに作られたのか、考えたことはあるかい?」

「確か、SⅬEも含めた宇宙生活圏を想定してのことだと思っていたが。」

「表向きはそうだ。だが、それだけじゃない。」

「裏の事情か。そっちが本当ってことなんだな。」

「そうだ。月やSⅬEの延長上には、何があると思う?」

「何があるって・・・資源確保とかかな。」

「もちろんそれも含めるんだが、もっと大きなことだ。」

「いい加減教えてくれよ。」

ヘンリーはコーヒーを飲んで、強くカップをテーブルに叩きつけた。

「こう見えて、結構せっかちなんだ。」

「まあ、慌てるな。我々の目的は、最終的には銀河系外への生活圏拡大だ。」

「え?なんだって?そんなことができるわけ・・・。」

「やらなければならないんだよ。ヘンリー、ここ200年くらいで、地球の資源はかなり枯渇状態だ。今さら原子力がない時代に戻れるか?太陽光や自然発電なんかじゃ到底立ち行かない。できることは二つしかない。まず、人口を減らすことだ。そして生活圏を太陽系外に求めていくこと。そのためには、まず火星にSⅬEを作る。そして資源を火星から獲得する。それは地球に与えるとして、我々は別に人類の生存を可能とする地を求めなければならない。宇宙開発財団は、その目的で集まった各地の人材で構成されている。実はミュータントの誕生もとっくにわかっていた。」

「・・・そういうことだったのか。」

「ああ。我々の資金源はメタンハイドレードの事実上独占している企業だ。しかしこれはいずれなくなる。いつまでも頼ってはいられない。それで我々が目をつけたのが、君の研究だ。」

「なんだ?」

「君は人類学専攻で、ミトコンドリアの研究ではトップだ。我々はまず、人体で光合成ができるかと考えたが、それは無謀だった。人類強化研究所というのは、あらゆる可能性を求めていたんだ。」

ヘンリーは飲みかけたコーヒーをこぼしそうになった。

「人間に光合成をさせる?葉緑体は異物だから無理だろ。前からそんな研究はあったけど、全て無駄だったはずだ。」

「それでもやってみた。結論としては、動物と植物の二次共生はできない。それで取り組んだのが、ミトコンドリアの永久保存だ。それはある程度は実現可能だとわかった。つまりだ、恒星間航行においてコールドスリープは不可欠だが、長期になるとミトコンドリアが死滅してしまう。定期的に覚醒して普通の生活を送る必要がある。もちろん他にも処方不可欠な問題は山積みだが、ミトコンドリアの保存に可能性が見えてきた。そこで君の研究に目をつけたわけだ。」

「なるほど・・・ということは、SⅬEは単なる生活環境だけではないってことか?」

「そうだ。一部の研究者は、人体構成分子を全て保存して再構成することまで取り組んでいる。となれば、意識データさえあればいくらでも寿命は延ばせることが可能だ。」

ヘンリーは内心驚いた。意識データの保存はヘンリー自身がすでに取り組んでいたからだ。心中を勝手に覗かないことを条件にしていたので、バレてはいないはずだ。

「火星のSⅬEで研究して、いずれは外宇宙に進出する、か。そのための選別でもあるんだな。」

「感情型タイプの者は、概ね知識不足だ。彼らのような者がいれば、研究が進まないし受け入れられないだろうな。」

「わかったよ。君たちの目的が・・・下手に動けば、例のGBⅮとか、ワンワールド主義者たちが黙ってはいないだろうしな。」

「さすがだ、ヘンリー。その通りだ。未だに宗教に頼っている者たちが多数いる。選別するためにはもちろん無宗教主義でなければならない。世界統一主義者はさらに厄介だ。それがどれだけ無駄で意味がないことかわかっていない。必然的に独裁者を生み出すだけだ。我々は、人類の性から脱却するんだ。」

ハミドと話しながら、ヘンリーはアルベルトとも会話をしていた。

『アルベルト、イブの意識データ進行状況はどうなっている?』

『もうすぐ終わるよ。しかしそれだけでは足りない。君たちの言葉で理解できないものが魂だ。その問題はどうする?』

『それも考えている。魂は遺伝子を活性化させるものと仮定して、疑似人格と細胞固有振動数さえあればフーリエ解析でなんとかなる。まだまだだが、どうにかする。それでないと、疑似人格は崩壊してしまうからな。そしてハミドの話を聴いていて、思いついたことがある。』

『それはなんだい?』

『ハミドたちは人類の完全分離を考えている。だがそれにも無理がある。単純すぎるんだ、発想が。理性型か感情型かだけで分けても、いずれそれぞれで異分子が発生して分離するだろう。それに、ますます溝が大きくなると思う。少なくとも感情型の雰囲気がある地球は許せないだろうね。戦争になる可能性も少なからずある。そもそもその程度で分けてしまったら、それでは人類ではなくなってしまう。僕がイブと結婚したように、いずれは元に戻るべきなんだ。だから、そのプランを量子コンピューターに入れようと思う。』

『それは素晴らしい考えだね。具体的にはどうするんだ?』

『現在進行中のコンピューターをイブと名付けて、もうひとつはハンナとする。ハンナにとイブ、それぞれに地球とSⅬEを管理させようと思うんだ。そのためにも未来設計コードをハンナに組み込んでおかなければならない。イブは幼いからね。』

『それはいずれ分離した時に活動するのか?』

『そのつもりだ。』

ヘンリーはアルベルトに、ハンナの意識データを移植させていた。それから疑似人格アプリケーションを製作途中だった。疑似人格はIFPを越えているものだ。細胞の固有振動数によって色付けされる。サンプルの人間のように喜怒哀楽を表現できるものだ。

『それは君ひとりでやるのかい?』

『大変だが、そうせざるを得ないだろう。ハミドたちに知られては、僕が抹殺されてしまう。地球側では管理しきれない。だから当分、アルベルトはパートナーだ。』

『嬉しいよ、ヘンリー。他には何をやるのかな。』

『それは当然・・・ミュータントだ。』

ヘンリーが次になすべきことに取りかかった。掛谷雄二とアダム・フェルツマンに依頼して、ミュータントのⅮNAを採取することだ。ミュータントたちが若い人類以上に敏感なのが低音羽音周波数だとわかったので、彼らの選別は容易になっていた。彼らを発見次第確保して、地中海のミュータントキャンプに移送していた。しかしデータの採取は困難を極めていた。ヘンリーと雄二は、アダムのオフィスにやってきた。

「やはり難しいのか・・・。」

「ヘンリー、そりゃそうだ。マニュピレーターでやろうとしても、オペレーターのマインドがやられてしまう。幻覚を見て病院送りになったのが数名いる。彼らの感情が高ぶると、羽音ではどうにもならないんだ。」

アダムはお手替えポーズをした。

「ひとつ提案があるんだ。SⅬEではBGⅯを流しているんだが、夜間はかなり低めにしている。生活時間と就寝時間のわずかな合間だけで、正常人に幻覚が発生したことがあった。それでミュータントがいると判別したひとつの理由だ。つまり、ずっとBGⅯを流しておけばできるんじゃないかな。」

「ユージ、そのBGⅯはなんだい?」

「サンプルを持ってきている。試してみないか。」

雄二が持って来たサンプルを流すと、センサーはミュータントたちの脳波が一気に低下と反応した。

「よし!これならいけるかもしれない。俺がやってみる。」

「ちょっと待ってくれ。僕はミュータント対策として、自分の固有振動発散を抑える装置を開発した。僕がやってみるよ。」

ヘンリーはアダムの指導を受けて、ミュータントのサンプルを採取すべく取りかかった。


11


ヘンリーはエリアから500mほど離れたオフィスから操作を行った。だが念のため、アダムと雄二はさらに離れた場所からモニターで指示を出すことにした。

マニュピレーターの操作自体は問題なかったが、最も肝心なことはミュータントたちに気取られないことだ。いくら固有振動発散を抑える装置を装備しているとは言え、彼らの力は一様ではない。一般的にはマインド構造が違っているケースが多いのだが、中には他の感覚が異常な者もいるとの報告を受けていたので、慎重に行った。

最新式のものは思考筋肉操作タイプなのだが、それでは気づかされやすい。それで旧タイプのフィンガータイプを使うことにした。フィンガータイプは可動域が少ないが、限りなく無音で操作できる。

モニターを見ながら、マニュピレーターに装備しているカメラで髪の毛や皮膚などを探す。このエリアにいる生物は彼らしかいないので、タンパク質の反応をバイオセンサーで探りながら少しずつ行っていった。

『・・・なかなか見当たらない。普通はもっと落ちているはずだ。アダム、どう思う?』

『確かにそうだ。えらくきれいだ。』

『ヘンリー、気をつけろ。聴力が異常発達したミュータントもいると聞いたことがある。彼らは100m先の微細音まで聞き分けるらしい。他にもどんな能力があるのかわからない。』

『ユージ、ありがとう。』

ヘンリーはまるで空中に浮かんでいるような感覚で、探索を続けた。センサーとモニターを見比べながらだしミュータントに気づかれないようにしないといけないので、かなり気を使う作業だった。アダムと雄二も気が気ではなかった。

(あった・・・これはなんだ・・・虫?)

ヘンリーはモニターに、種類はわからないが虫のようなものが動いているのを見た。

(ここに虫?これだけ隔離されているのに?)

『ヘンリー、気をつけろ!センサーは無反応だ!ミュータントたちの無意識防御に晒されているぞ!』

『なんだって!・・・あ、間違いない。虫は消えた。軽い幻覚だったようだ。ありがとう、アダム。』

ミュータントたちは基本的に無意識下でマインド共有を行っている。ミュータントの誰かが能力を持っていれば全員が共有する。ヘンリーはセンサーを主に探っていった。

『ヘンリー、ガンマ波が出ている。これは瞑想時の脳波だから、本当に気をつけろ。幻想幻覚はもちろん、少しでも異常を感じたらすぐに戻れ。君のIFPに監視させられるか?』

『ああ、可能だ。うっかりしていた。やるよ。』

ヘンリーはアルベルトを単独稼働状態にして、監視させた。しばらく探査を続けていると、やっとセンサーに反応があった。

(これは・・・血か?これはいいサンプルだ!)

ヘンリーは無菌状態で育てた芝生ごと血液を採取し、マニュピレーターでポッドに入れた。

『採取した。戻る。』

『今はまだ気づかれていない、急ぐ必要・・・。』

アダムとの通信は途絶えた。そしてアルベルトが激しく反応した。

『ヘンリー、急激な拍動を感知!呼吸も乱れている!異常だ!』

ヘンリー自身、異常を感じていた。まず、目の前に巨大な怪物が現れた。岩の様でもあるが、血まみれだ。そして数種類の刀やナイフなどを振り回していて、ヘンリーに襲いかかってきた。

(気づかれた!これは幻覚だ!惑わされるな、ヘンリー!)

ヘンリーはハンナに幻覚を見せられたことがあるので、対策を心得ていた。まずは自分に言い聞かせることだ。これだけでもかなり効果がある。だが、目の前の幻覚は恐ろしく感じた。ミュータントの誰かが悪意を持っている証だ。言い聞かせるにしても限界がある。

ヘンリーはアルベルトに帰還の指示をさせた。アルベルトの指示は変わらず伝わるので、ヘンリーはモニターもセンサーも見ないで、エリア外に何とか脱出できた。出た瞬間に安息感を強く感じて、ヘンリーはぐったりした。相当に強いマインド攻撃だった。しかもこれはおそらくミュータントの無意識下での防衛なので、感情がある状態でなら大変なことになる。やがてヘンリーは目を覚ました。

『ふー・・・ユージ、アダム、奴らの脳波はどうだ?』

『よくやった!特に変化はない。しかしこれが無意識下でのことだとすると・・・。』

『ああ、人類と共存はできないな。SⅬEにも・・・ヘンリー、さっさと戻ってこい。』

『わかってるよユージ。今から戻る。』

ヘンリーはオフィスを出て、アダムと雄二がいる場所に移動した。

「これか・・・分析を急がなきゃな。」

「静かに・・・ここを出るまで。」

三人はエリアを出て、キャンプからも出た。滅菌室まで来ればもう安全だった。

「なんとかできたな。しかし本当にミュータントの力はすごいもんだ。」

「なあアダム。以前に彼らと接した時よりも強くなっていないか?」

アダムは少し考えた。

「実はあれから接触していないんだ。何かしら報告があれば・・・いや、何も変わった報告はない。彼らの食事や生活環境は彼ら自身でやっているから、我々は観察することしかできない。その上では変化はないよ。」

三人はオフィスに移動し、アダムは自身のIFPに確認させた。

「あれから新入りさんは増えたんだろ?」

「確かに増えている。が、ここのところは誰も加入していないな。」

ヘンリーは雄二にも確認した。TAKAⅯAGAHARA以外のSⅬE担当者と連携していたので、すぐに確認できた。

「どのSⅬEでも発生していないようだ。もう増えないってことなのかな?」

「いや、それは考え辛い。ミュータントは二度の超新星爆発によるガンマ線バーストによって遺伝子が変化し、宇宙時代になってさらに変化して誕生したものだ。なぜだ・・・。」

ヘンリーはアルベルトに過去データを検証させた。するとひとつの事象が浮かんできた。

「アダム、君は前にミュータントキャンプに新入りが入って、彼らなりにてこずっているようだと言っていたね。」

「ああ、ちょい前にね。」

「そのミュータントって、どんなタイプなんだ?」

「あえて言えば、少しばかり攻撃的な女の子かな。それも、他人との距離感をすごく大切にしていて、侵入してきた相手には容赦なく攻撃している。ただ、それ以外は静かなもんだ。ミュータント社会でも異質ではあるかな。」

ヘンリーは話を聴きながら、アルベルトにもデータを照会させていた。

「今、自分のIFPに確認させたんだが・・・その女性は、ハンガリー人だよね。」

「ああ、そうだ。内向的でいじめられて、幻覚を見せたってことで送られてきた。」

「君のIFPに確認したい。その女性の名前はなんだ?」

「イロナ・フェケテ・・・だな。」

「彼女の先祖で2027生まれの女性の名はわかるか?」

「ええと、マリア・ヴァルガになってる・・・ヘンリー?どうした?」

ヘンリーは青ざめていた。あまりの衝撃にマインドがどうかなりそうだった。

「すまんが・・・コーヒーをもらえないか?」

コーヒーを飲みながら、ヘンリーは心を落ち着かせた。思い描いたことをようやく整理することができた。

「悪いな・・・これから話すことは、できればここだけに納めていてほしい。あまりにも突拍子もないことだし、下手に伝わったら社会が混乱してしまう。」

「俺たちは大丈夫だ。言ってくれ、どうしたんだ?」

「ユージ、ありがとう・・・まず、キャンプにいるセイレーン、アレクサンドラ・フランケルがハンガリー人だ。間違いないな?」

「ああ、そうだよ。」

「僕はミトコンドリアについて研究しているが、ミトコンドリアは母系遺伝だ。それで気になったので、アレクサンドラ・フランケルの母型を遡ってみた。すると・・・マリア・ヴァルガに行きついたんだ。」

「なんだと!」

「どういうことだ!」

アダムと雄二は同時に叫んだ。信じられない事実だったからだ。

「無理もない・・・僕自身受け入れるのに時間が必要だった。イロナ・フェケテはおそらく、マリア・ヴァルガの遺伝子を強く受け継いでいる。彼女が加入したことで、ミュータント社会にも相当な変化があったんじゃないかな。彼らは無意識下でも顕在意識下でもマインドは繋がっている。彼らのコミュニティが、おそらく変化している最中なんだ。今後の対策が必要になる・・・僕はサンプルの解析を行うんで、アダムは蚊音バリヤーの強化を頼む。ユージはSⅬE内にマリアの遺伝子がないかどうか、確認してほしい。」


12


ヘンリーはミュータント遺伝子解析を行いながら、量子コンピューター「イブ」の完成を急いだ。特に疑似人格アプリ「スイードーパーソナリティ」を急いだ。なぜならイブは、娘ハンナによる無意識下でのマインドアタックをダイレクトに受け止めていたからだ。普通の人間でも大変なのに、マインド共有をしてしまうミュータント同士では言うまでもない。

「イブ、調子はどうだい?」

「ああ・・・あなた・・・大丈夫よ。結婚してからこんなになっちゃった・・・なぜかしらね・・・。」

イブは突然伏せたり、気を失ったりすることがしばしばだった。幻覚も魅せられているようだが、さすがに対処はできているようだ。しかしまだ年端も行かない子供の無邪気さは、この場合えらいことだ。だが、イブにもハンナにも、彼らがミュータントだとは伝えていなかった。なので、ハンナはまだ社会に出していなかった。

「たぶん、君が優しいからだろう。僕は研究人だからハンナはつまらないんじゃないかな。」

「ハンナは優しくて明るい娘。変なこと言うようだけど、親子なのに双子みたいな感覚になるときがあるの。わたしがハンナになっちゃって、ハンナがわたしになるみたいな。可愛い娘・・・親子だからシンクロしちゃうのかな。」

「そうなんだ。量子もつれみたいだな。」

「うふふ、それは素粒子の話でしょ。私たちは人間よ。」

「ああ、そうだね。」

ヘンリーはこうした会話の中から、できるだけ早くイブの疑似人格を作り、量子コンピューターのОSに組み込まなければならないと思った。イブの入力ができれば、ハンナの疑似人格はもっと早くできる。なぜなら、彼らのマインドは常に共有状態にあるからだ。

ヘンリーはアダムと協力してミュータント特有の遺伝子Ⅿを抽出し、そこから膨大な人物データと照合し、大別して三つのパターンを構築した。ミュータントは理性型ではないので、感情の赴く方向を決定した。それは自分だけの世界観を持つ方向、優れた肩書や目立つ方向、多数に従う方向の3パターンだ。さらにそれぞれにリーダー的資質やサブ志向資質など10種類をつけ、最後に環境に対しての過敏性を追加して分類した。

「なるほど・・・遺伝子Ⅿは環境に左右されないんだ。その意味では理性型に近いわけか・・・それなのに異常なまでに感情が高ぶりやすい。これは厄介だ。ユージ、君が言う通りだ。ミュータントと理性型人類は共存できない。じゃあ感情型タイプとも共存はできないだろうな。どう想う?」

「そうだな・・・この結果は、SⅬE居住選別には大いに役に立つ。単純に感情型というだけで居住できないということにはならない。環境過敏性が高ければ、自然とSⅬE内コミュニティに従って変化してくることになる。となれば、彼らは宇宙で生活は合格ってわけだ。だが、ミュータントとは絶対に無理だ。彼らだけのSⅬEがあれば話は別だが・・・絶対数が少ないのに作れるわけがない。彼らは彼らだけで暮らしていくしか方法はない。」

「それに、最近ミュータントが加入していない。これについてなんだが・・・イロナ・フェケテの過去について調べてみた。彼女はミュータントたちの中でも異質だ。彼女は基本的にはひとりでいる。しかし問題は、彼女がいた学校の生徒は全て、イロナという同級生がいたことを知らないんだ。」

「え?それ・・・どういうことだ?」

「僕も色々考えてみた。イロナは先祖マリアのミトコンドリアを強く受け継いでいる。数が尋常じゃない。おそらくマリアも同じだったんだろう。イロナは極力自分の存在を知られたくなかったんだ。教師だって、半数は知らない状態だ。そして採取した血液は、イロナのものだった。彼女は自分の力が強すぎて、肉体が崩壊しているとしか思えない。そして、イロナはあのコミュニティで生まれた初めて、安住できたんじゃないかな・・・となれば、これ以上の参入を認めたくないという、つまり彼女の意思が世界中に広がっている・・・。」

「馬鹿な!そんなこと・・・。」

「アダム、もうミュータントたちのコミュニティは、永遠に隔離するしか方法はない・・・今のところは。現在、何人いるんだ?」

「98人だ。」

「つまり、それ以外のミュータントは・・・力をそがれて普通の人間になっているか、あるいは消されたか・・・調べてみたんだが、ここしばらく・・・イロナが加入してからだが、突然死が異常に増えているんだ。これがそのデータだ。」

ヘンリーはデータをアダムと雄二に転送した。二人はその結果を見て言葉を失った。

「これ・・・以前に調査したミュータント発生地区とほぼ同じじゃないか・・・なんてこった。」

「しかしそれほどまでに居心地いいキャンプなら、入れて人数を増やした方が良くないか?彼女はそうは思わなかったってことか?」

ヘンリーは腕を組んで軽くため息をついた。

「おそらくだが、先に入っていたミュータントたちもイロナと同じようなタイプだったんだろう。簡単には言えないし、調査も難しいだろうから推測するしかないが。」

ヘンリーは妻イブのことを考えながら話した。なぜイブとハンナは異変が見られないのかと。

「今ちょっと考えていることがある。まだ何も話せないが、ある程度煮詰まったら、また連絡する。それじゃあ。またな。」

ヘンリーはイロナのデータを自宅のコンピューターに入れて、イブとハンナと比較してみた。もちろん家族にも遺伝子Ⅿはある。だが決定的にイロナと違うのは、ミトコンドリアの数が少ないのだ。そして、細胞あたりのミトコンドリア数は一般より少し高めな数千個なのだ。一方で、イロナのミトコンドリアは数万もある。

「なるほど・・・これがイロナとマインド共有できなかった要因か。だが、これは確かにイブとハンナだけは二人で共有することは考えられる。しかし共有度が高くなれば、イロナが発見する可能性は高くなる。危険だ。」

分類したデータの他に、ヘンリーは環境左右度というものを設定していた。これは過敏以上のもので、環境に対してすぐに自分を変化させる力のことだ。ミトコンドリアは元々別の生命体だったという考えがあるくらい、独自性がある。ミトコンドリアは独自のⅮNAを持ち、二重の膜で覆われている。

ミトコンドリアⅮNAは非常に変異しやすい。ヘンリーはイブとハンナのミトコンドリアⅮNAを調べてみた。結果は明らかだった。まるで同じ人物であるかと思うほどに同じだったのだ。そしてイロナのものとは全く違っていた。

ヘンリーはイブのミトコンドリアを様々な角度から調査し、どの刺激に対して反応するのかを徹底的に調べ上げた。そしてヘンリー自身のミトコンドリアも調べ、それぞれの反応を調べた。そしてついに、人格をミトコンドリアから再構築することに成功した。これは大変な作業であり、半年近く経過していた。

そしてヘンリーは所有しているコンピューター「イブ」に、イブ自身の疑似人格をインプットすることに成功した。ヘンリーは目の前にイブの姿を出させ、そして話しかけた。

「イブ・・・君の名はイブだ。間違いないかい?」

『ああ、ヘンリー。何を言っているの?あなたの妻じゃない。』

ヘンリーは拳を握りしめた。そして間もなくして、娘ハンナの疑似人格を移植したもうひとつのコンピューターも完成した。


13


「なんだって!ハミド、そりゃどういうことなんだ!」

「そのままだよ、ヘンリー。ミュータントの力を使って火星まで行けるかどうか検証してみないかってことだ。」

「馬鹿言うな!あの連中をどう扱えって言うんだ!僕はやらないからな!」

ハミドのいきなりの提案に、ヘンリーは戸惑いと怒りの両方を覚えた。

「宇宙開発財団は誰がトップなんだ?ミュータントの事を全く知らないとしか思えん。」

「いや、よく知っているよ。トップのことは知らぬが身のためだ。君に気づかれるような甘い方々ではない。ミュータントの力は相当なものだ。現に彼らはキャンプから出ることはできないじゃないか。我々は彼らをコントロールできると判断した。その具体的な方法を考えてほしいわけだ。」

「連中は、今は確かにおとなしい。しかし、彼らが本気で脱出しようと思ったら、おそらくできないことではない。あの力を甘く見るな。」

ハミドは両肩をすくめた。

「そりゃあ我々のような一般人には無理な話だ。しかしな、君の家族なら・・・。」

「ハミド!」

ヘンリーはハミドの襟を掴んだ。怒りのパワーが込められていた。

「僕の家族を巻き込むな・・・だったら全面的に降りる!」

「・・・離してくれないかな。」

ヘンリーは怒りの表情のまま、手を離した。ハミドは襟を直して、香水グミを咥えた。香りが広がった。

「それならそれで結構だ。その方がイブとハンナをうまく操れ・・・。」

「やめろ!」

ヘンリーはオフィスの椅子に倒れ込み、頭を抱えた。宇宙開発財団の恐ろしさはある程度理解しているだけに、抗えないこともよくわかっていた。しかし、どうやればいいのかなど全く思いつかなかったし、まして家族を巻き込むなど考えられない。

「・・・試してはみる。しかし保証はゼロだ。」

「結構。まだまだ時間はあるんでね。頑張ってくれ。いい暮らしができるのは、誰のおかげか・・・もう一度よく考えるのもいいかもな。」

ヘンリーはハミドを睨みつけ、自分の額に軽く触れた。するとヘンリーだけでなく、ハミドの前にもモニターが現れた。

「これは前から考えていたプランのひとつだ。だがあまりにもカネがかかりすぎるので、僕の中で棄却域としていたものだ。よく見てくれ。」

ハミドは映像として流れる造画を淡々と眺めた。造画は短かったが、ハミドはしばらく考えた。

「ヘンリー、これを上に示せと言うのか?」

「だから言っただろ。本来なら棄却すべきプランだ。宇宙開発財団など知らない時に考えたものだ。どうするかは勝手に決めてくれ。」

「いいだろう。悪い考えではない。おまけに、ヘンリーの家族のことも含まれていない。通るかどうかわからんが、上程して然るべき案ではある。これを、コピーできるか?」

「それは、僕の個人用ОS搭載マシンがそちらにあればね。基本的にはコピーはできないようにしている。あんたらと出会ってから、そうさせてもらったんだよ。自分の保険でね。」

「・・・ヘンリーらしいな。そのОSはここにしかないのか?」

「いや、組み立てるんだ。盟友のアダム・フェルツマンが専門家だ。僕と彼でなければ作れない。」

「では、作ってもらおう。」

「ちょっと待った。今言っただろ。基本的にコピーはできない。コピーするためには新しく組み立てるコンピューターと同期できなければならないんだ。そのためには、アメリカあたりの強力なガードを突破できるクラスでなければ無理だ。だから、お前さんが口頭で説明するんだな、とりあえずは。」

ハミドは細い目をさらに細くして、爬虫類のようにヘンリーを見た。

「なるほど、そう来たか。時間稼ぎもなかなかだな。」

「どう捉えてもいいが、これは事実だ。わかったら、とっとと出て行ってくれないか。このプランには多くの欠点がある。その問題点を列記しないといけないだろ。僕はそっちに取りかかる。」

「普通の学者とはちょっと違うな。ヘンリー、了解した。俺のメモリーに造画自体は残っている。見れたものじゃないが、説明だけならどうにかなるだろう。それじゃあ、がんばってくれ。」

ハミドはオフィスを出て行った。ヘンリーはずっとチェックを行っていたが、十人程度の護衛がついていたようだ。それなりの立場にあるのだろう。

(やれやれだ・・・。)

面倒な事案だが、これこそがヘンリーが考えていた宇宙開発財団対処プランだった。いつかこういうことが起きるに違いないと思っていたからだ。多少危険ではあるが、ミュータントがこれ以上増加していないのであれば、今はこれしかできないだろう。諸々考えていると、コールが鳴った。病院からだった。

(イブが危篤だと?)

ヘンリーは全ての予定をキャンセルして、イブがいる病院に向かった。途中で学校にいるハンナを呼び出し、無人タクシーで駆け付けた。

「イブ!」

危篤患者は完全無菌室に隔離されている。痩せ細っているイブは、多くの検査端子に囲まれてベッドに横たわっていた。

「ママ!ママ!」

ハンナも泣き叫んでいた。患者の家族はホログラフモニターで話しかけることができる。ドクターの許可を得て、ヘンリーとハンナはイブに語り続けた。すると、うっすらと目が開いた。

「イブ!」

「ママ!」

「・・・ああ・・・ヘンリーとハンナ・・・ありがとう。」

ヘンリーたちの目の前には、すぐそこにいるようにイブの姿が映しだされていた。

「結果は・・・こんなひどい数値・・・この体はもう、長くないわね・・・ねえ、ヘンリー。」

「なんだ!」

「あなたの研究・・・私はもう知っているの。あなたは不用心だから・・・寝ている時にIFPを覗けたの・・・だから・・・怖くない・・・。」

「イブ・・・。」

「パパ!ママは何を言っているの?」

「ハンナ・・・いずれきみにもわかる。今はママの言う事を聞こう・・・イブ!大丈夫か!」

イブは苦しそうだった。声帯を使うことでさえ辛そうだ。それでも声を振り絞って話し続けた。

「ヘンリー、この後どうなるか、もうわかってる。そしてね・・・私なりに研究していたのよ・・・これを伝えるから・・・。」

「イブ・・・これは・・・君はなぜこのことを?」

「人格は同じで感情表現も同じだけど・・・魂がなければいずれ消えてしまう・・・それが嫌だった・・・だから・・・。」

そこまで言って、イブは目を閉じた。

「イブ!」

『危険です。応急処置に入ります。』

モニターは消え、隔離室内では医療チームが次々に処置をしていた。ヘンリーとハンナは待つしかなかった。1時間ほどして、隔離室の扉にあった入室禁止文字が消えた。ヘンリーはイブが旅立ったことを知り、ハンナはママと叫び続けた。



14


イブが他界して間もなく、宇宙開発財団による新たなプランが発表された。それは、現存するどのSⅬEよりも地球から離れていた。なおかつ非常に小規模であり、TAKAⅯAGAHARAクラスの1/10サイズしかなかった。これは主に地球重力から完全に切り離されていて、疑似重力も非常に小さなものとなっていた。

宇宙開発財団によると通常の生活が困難な人専用であり、終の住居となる。だが当然入るにはそれなりの資金力が必要であり、一般向けではないとのことだった。このSⅬEはほぼ組み立てが終わっていて、地球からシャトル機で住人が運ばれるとのことだった。このSⅬEはH2と命名された。

「ヘブンリーホーム・・・天国の住まいってか?まあ、いずれそうなるんだがな。」

「ヘンリー、君のプランなんだろ?」

「ユージ、その通りなんだが・・・こんな名前は知らんよ。あいつらが勝手につけたんだろ。で、ミュータントたちの輸送準備はできているのかい?」

「もうほぼ終わっている。後はあの防御服の最終チェックのみだ。」

ミュータントのマインドアタックを防ぐために多くの時間を使って開発されてきた防御スーツは、もちろん輸送パイロットの生命維持のためだ。無人では限界がある。この開発には雄二のデータが大いに役になっていた。

「あそこでは間違いなく人間の形態を維持し続けることはできなくなる。骨粗鬆症から始まって、どんな形態になるのは想像もできない。彼らのマインドでどれだけ維持できるかは、モニターでは無理だ。奴らはすぐに壊せるし、見せたくない姿は一切モニターには映らないだろうからな。」

「アダム・・・残酷なことだと思っているのかい?」

「いや。そうは思わない。イロナ・フェケテというミュータントがいる以上、彼らは単なる脅威以上の存在になってしまった。現在は磁場防御壁で隔離されてはいるが、いつまでも使う訳にはいかない。いずれ彼らは突破方法を考え出す。だから、対ミュータント防御服が開発されたんだ。」

そして一方では、ヘンリーは雄二やアダムにも秘密で「疑似魂」の開発に取り組んでいた。ヘンリーにイブが伝えた内容は、魂は人間社会でのみ存在するというものだった。彼女は内なるミュータントの力を、魂の存在そのものにアクセスしていた。その結果、魂は人と人の間のコミュニケーション自体にあると判断し、彼女のIFPを駆使して、イブなりのアプリケーションの原型を作ることに成功していた。

ヘンリーはそのシステムを解析し、プログラム「S」としてコンピューターイブに組み込んでみた。すると驚くべき結果が得られた。それまでは人格アプリで「それっぽく」感じていた感情が完全になったのだ。しかもそれは、ヘンリーと話す時だけなのだ。ヘンリーはこのプログラムを「ハンナ」にも組み込んだ。さらに、ミトコンドリアの固有波長も組み込んだ。

(イブ・・・いずれハンナと会話させるよ。)

だが思春期に入ったハンナは、ヘンリーの手に負えなくなっていた。自分がミュータントと知らないので、他人の感情が見えるのだ。必然的に内向的になっていった。そしてヘンリーもまた、孤独な研究に没頭していった。

ある日のこと、シャワーを浴びたヘンリーは鏡の前に立って仰天した。

「こりゃ・・・どうなったんだ・・・まるで、老人だぞ。」

ブラウンだった髪はすっかり白くなり、顔には皺が深く刻まれていた。長い間イブを見てきたヘンリーは、それが何を意味するのかすぐに悟った。

ハンナのマインドがヘンリーに向けられていたのだ。外界をシャットアウトしていただけに、当然そうなってくる。イブはハンナのパワーに負けてしまった。おそらく自分も長くはないとヘンリーは思った。対処法はハンナと離れることだがそうもいかない。それでヘンリーは、気持ちが落ち着く場所に移動することにした。それがオアフ島だった。静かな風、土地が持つ穏やかな気はヘンリーにとっては最高の場所だった。ハンナもついていき、二人で高台にある戸建てに住んだ。

「お父さん、入るわよ・・・コーヒーとビスケット、ここに置いておくわね。」

「ああ、そこに置いておいてくれ。」

「お父さん・・・食事はどうするの?丸一日全然食べてないじゃない。お母さんが亡くなって辛いけど、生きていかなきゃ。」

この頃になるとヘンリーの食事量は極端に減っていた。白髪は肩まで伸びていて、いつも雄二やアダムから心配されていた。ハンナはヘンリーの横にあるテーブルにコーヒーとビスケットを置き、そして白いキャビネットの上に整然と並べられた写真のひとつを手に取った。そこには若い姿のヘンリーとイブ、そして幼いハンナが3人で笑顔を浮かべている姿があった。


「お母さん・・・。」

「泣いても・・・イブは戻ってこない・・・。」

ヘンリーはボソっと呟き、そしてキーボードから手を離した。

「だから私は、ハンナを死なせない。ハンナはもうここに・・・。」

「私はここにいるの!そしてお母さんはどこにもいないのよ!お母さんは死んじゃったのよ!お父さんがこんな研究ばかりしているから、お母さんの病気にも気がつかなかったのよ?わかってるの?」

「ハンナ、お前に言われなくても、私が一番わかっているんだよ。しかし今私にできることはこれくらいしかないんだ。」

「いい加減にしてよ!」

ハンナが叫ぶと、コーヒーカップがテーブルを離れ、壁に激突して割れた。

「こんな力もいらない!無駄よ!お母さんを助けられなかったこんな力、ただの化け物じゃない!」

ヘンリーは立ち上がってハンナをハグし、ハンナは老人に抱き着いて泣きじゃくった。

「辛いだろう・・・私も辛いよ・・・イブは、イブがいてくれたから私は研究を続けられた。ミトコンドリアの研究から意識というものをデータ化することに成功したのに・・・イブに見せてやりたかった・・・ハンナ、ちょっとこれを見てくれるかい?」

ヘンリーは指先をキーボードの端につけ、そしてコンピューターに向かって優しく言った。

「イブ、おはよう。元気かね?」

すると、スピーカーから老婦人の声が流れてきた。

『あら、あなた。おはよう。もちろん元気よ。』

ハンナの顔色が変わった。忘れようにも忘れられないあの声だったからだ。

「お母さん?」

『あらハンナ、今日はお仕事?』

「お母さん!お母さん!」

ハンナはスピーカーにすがりつくようにして叫んだ。

「お父さん!いつからこの子、お母さんになったの?私はずっとこの子の反応が嫌いだったのよ!いちいち反論してきて・・・なのにどうして?」

「そうだ、このコンピューターはすでに人工頭脳という範疇を越えている。私はイブの意識データをプログラムとして移植することに成功した。もちろん、イブの日々の努力あってのことだが。これはあくまで末端だが、本体はすでにSLE財団に置いてある。だから、イブの肉体はあそこに眠っていても、イブはここにいるのと同じだ。ただ、本物の魂はない。しかし私は・・・イブから離れたくはなかった。仕事でもプライベートでも。」

ヘンリーはハンナをスピーカーから離し、手元のファイルを手に取った。そこには「宇宙における人類居住可計画レポート 宇宙開発財団」とあった。その回の特集は、「有機体意識データの永続的保存」というものだった。

「我々は当初、超能力開発を行って人類を宇宙に送り出そうとした。だが、超能力というものは宇宙では通用しないうえに、ミュータントは地球でのみ発生する。だから私は、AIを越えるメカ頭脳を開発することにした。現在開発中のロボットであれば長期間の宇宙生活にも耐えうる。もしもロボットに意識を与えることができれば・・・しかしな、私がミュータント計画に反対した本当の理由はな、ハンナ、お前を宇宙になぞ送り出したくなかったからだ。宇宙開発財団は、お前をリストに挙げていたからな。」

「え?・・・そうだったの・・・ありがとう、お父さん。取り乱しちゃってごめんね。ミュータントは・・・地球だけでしか生きれないの?」

「残念ながら・・・今のところはその通りだ。宇宙は非情だ。ミュータントとはあくまで地球でのみ生活できる人類であるという前提だ。宇宙でミュータントの力など発揮できないんだよ。現在進行中のSLE計画においても、私はあえてミュータントになりえない資質の者を選ぶようにプログラムを作っている。彼らは地球でなくても生活可能だ。特殊な力を持っているミュータントは、地球でしか生きられない。同じ人類として共存していくという考えでは宇宙開発などできやしないないんだ。」

ヘンリーはハンナを抱きしめて、そしてつぶやいた。

「だが、ミュータントは、年月は必要とするが、やがて消えていく。ミュータントになりえない資質がいるからこそミュータントは発生していく。そしていずれ人類はまた・・・ひとつになっていく。私たち家族のようにな。」

ヘンリーの目からは涙が溢れてきていた。

「でもお父さん、私と同じ力をもった人たちにも生きる権利はあるわ。もし人類が私たちのような人たちを差別して恐れるようなら、きっと戦うわよ。」

「そのための計画もできているよ、ハンナ。」

「そうなの?」

「そうだよ。いつかはそういう時が来るのかもしれないが、必ず人類はそれを乗り越えてひとつになる。だからSLE移民にイブの人格をコピーした量子コンピューターを与えておいた。コンピューターイブは基本的にはラテン語で会話する。宇宙では量子コンピューターなしでは生きていられない。接していくうちに、必然的にSLE移民たちはラテン語を喋るようになるだろう。そうなれば彼らは地球人類とは別種族となり、彼らがミュータント素因を持つ地球人を監視する役目となる。人類の不備を彼らが修正していってくれるだろう。」

「そうなの・・・お母さんのお役目は大きいのね。私も、私と同じ力を持って苦労している人たちの力になりたい。」

「ああ。イブは私にとって全てだった。お前もそうなんだよ、ハンナ。だがまだ完成してはいない。イブが特殊力を持たない人類のコンピューターなら、ミュータントのためのコンピューターが存在することも可能だろう。同型のコンピューターはすでに完成しているが、イブのように移植できる人格がまだ見つかっていない。もしできたなら、素晴らしいことが起きるだろう。」

「素晴らしいこと?それはなに?」

ハンナはそこで胸を抑えて座り込んだ。

「ハンナ、発作か?」

「ええ・・・最近、周期が早くなってきているわ・・・私も長くないのかな・・・。」

「お前の力は心臓に負担が大きい。さっきのように興奮しちゃいけないよ。愛しているよ、ハンナ。」

ヘンリーはハンナの肩をポンポンと軽く叩いた。

「この量子コンピューターに、意識の方向性をひとつに向けることができれば・・・人類の未来はさらに変わる。そうだ、素晴らしいことだ・・・。」

「もうひとつのミュータントのためのコンピューター、か。私が入れればお母さんとまた話せるのかな。それとも・・・。」

「そんなことを言ってはいけない。私はお前も失いたくない。絶対に死なせやしないよ。」

「お父さん・・・そんなに欲張ってはダメなんじゃない?魂は科学では証明できないんでしょ?人はちゃんと死んでいくものよ。それでもわたし・・・仲間たちの力になりたい。」

「そうだな・・・その通りだな・・・。」

先ほどのレポートがバサリと床に落ちた。裏表紙が見えており、そこには「執筆責任者 ヘンリー・ヤコブ」と記されていた。

そして間もなくして対ミュータント防御服が完成し、ミュータントたちはH2に輸送されていった。


15


2313年、ヘンリーは63歳になっていた。まだ若い頃からすっかり老人顔貌になってはいたのだが、最近では腰も曲がってきていて歩行すら困難になっていた。なので移動時には、簡易式移動装置に頼らざるを得なかった。今日やってきたのは、娘ハンナの墓だった。

ハンナはミュータントであり特殊能力を持っていたのだが、そのために肉体にも過大なる負担がかかってきていて、28歳の時に他界していた。ヘンリーは移民計画の立場上独立した土地を与えられており、イブの墓がすでに建てられていた。そして横にはハンナの墓もあった。ヘンリーは移動装置を外し、ワンタッチで椅子に変形させてそこに腰かけた。

「イブ、そしてハンナ・・・元気かい。私ももうすぐそちらに行きそうだ。」

痩せて欠陥が浮き出た腕をさすりながら、ヘンリーはしみじみ語った。

「先日、アダムもそちらに行ったよ。ユージはもっと早かったな。ただ、あの忌々しいハミドは健在だがな。」

あれからミュータントたちを移住させたH2は当初地球軌道上にあった。そして彼らの力で他のSⅬEを火星まで移動させられるかという実験が行われた。彼らの力を一方向に向けたらどうなるのかを、宇宙開発財団は知りたがったのだ。

「全く・・・バカげたもんだ。ミュータントとはいえ、彼らは基本的に人類だ。彼らの魂が一般人の中にいればまだコントロールできただろうが、彼らだけのコミュニティではどうにもならん。魂とは、コミュニティ内のファクターで発動する。その魂が、ミュータントの能力を飛躍的に・・・いや、爆発的に発動させることになってしまったよ。そういうもんだ。私は最後まで反対したんだが・・・結果、実験用SⅬEはクラッシュしてしまったよ。おまけに地球上では一時的に従来のコンピューターが使用不能になってしまった・・・だが結果として、SⅬEを移動させることはできるようになった。量子コンピューターに、疑似魂プログラムを組み込んで、人と接することで巨大な宇宙船に変形させることができたんだ。ミュータントたちは、変わらず地球軌道上にいる。彼らが年齢を重ねていくのか、それとも滅していくのかは誰にもわからない。将来はわかるかもしれんがな。」

ヘンリーは淡々と語っていたが、独自の端子を自身の脳内に組み込んでいた。つまり、思考だけで会話できるのだ。その相手は、目の前の墓の地下にあった。

『ハンナ、君はずっと若いままだ。うらやましいよ。』

『パパ、わたしは生きてるのかしら?よくわからない。でもこうやってパパと話せるからいいけど。でもね、ママと話せたらもっといいんだけど。』

あれからヘンリーが所有していた量子コンピューターの「イブ」は、宇宙開発財団に寄付していた。そして「ハンナ」は破壊するよう指示されていたのだが、ヘンリーはもう一台コンピューターを使用していて、それに「ハンナ」と同じプログラムを入れていて、それを公開破壊することで宇宙開発財団をごまかすことができていた。

破壊したコンピューターには疑似魂プログラムを組み込んでいなかったのだ。宇宙開発財団は、ヘンリーの手が及ばないようにしたかった。そのゴタゴタもあって、「イブ」と「ハンナ」の間には通信ができるようにはできなかった。

『すまない。ママの人格は、移民団のコンピューターに組み込んである。でもそれは、別の疑似人格に隠れている。私の意識データだけを入れていて、将来地球と紛争になったりした場合にのみ現れるようになっている。だからママとは話せないんだ。これも将来はわからんがね。』

ヘンリーはこの場所が常に監視されていることは知っていた。自宅も職場も同様だ。だからこの端子を自身に埋め込んで、思考伝達と骨伝導で会話できるようにしていた。それだけ、宇宙開発財団は信用ならない組織なのだ。会話はごく短い時間でできるので、監視されていても全く違和感はない。

『そうね。でも、今はおだやかよ、パパ。イライラすることもないし。時々外の世界を見ようとしているの。なかなかうまくいかないけどね。』

『君の認識機能はそこまでできるのか?そのプログラムはないはずだが。』

『だって、ママと話したいんだもん。』

『・・・そうだな。』

確かに、ミュータントとしてのハンナは常にイライラしていた。今はそれが全くない。唯一の欲求が母親との会話のみだ。

『正直なところ、自分で開発しておいて無責任なんだが、君たちにどんな能力があるのか私にもよくわからないんだ。どんどん進化していくのか、あるいは現状のままなのか。君の人格と疑似魂がどんな欲求を感じているのかねえ。』

『パパ、心配いらない。私、もう子供じゃない。ずっと成長している。だからわかるんだけど、パパが言ったような未来はきっと来ると思うよ。私がアクセスできる限りでは、地球自体がすごく混乱している。私たちのようなミュータントは、地球という存在が生み出した、一種の体内ウイルスみたいなもの。すごい毒があるけど、繁殖はしない。H2のミュータントたちは子供を作れない代わりに、すごく長生きするはずよ。いずれ、役目を終えたら地球から離れていく。』

『それは、どういうことなんだい?』

『どうなるのかまではわからない。言えるのはそれだけ。そうね・・・ミュータントたちは意思だけの存在になっていくかもしれないわ。』

意思だけの存在とはどういうことなのか、ヘンリーは考えた。ミュータントたちは地球軌道上から離れていくのだろうか。ヘンリーは首を横に振った。

『もう、私には考えも及ばない。ただ、いずれ移民たちと地球に残った人たちは合体していく。私がそうプログラムしておいた。』

「もう体力も持たない。それに、多因子遺伝疾患らしくてね。もう長くなさそうだ。ここに来ることも、ひょっとしたら最後かもしれない。ミュータントたちを直に触れ合ったからのようだ・・・生きているうちに、ここに私の墓も建てないとな。」

ヘンリーは口頭で語り、移動装置を装着した。そして辺りを見渡した。

「ハミド、見ているか?言った通りだ。私は近いうちにこの世界を去る。墓も建てる。頼むから、すぐには壊すな。そうだな・・・100年くらいは残しておいてくれ。もう君の顔は見たくもないんで、これにて失礼する。」

ヘンリーはニヤリと笑うと、墓地を後にした。まさに宇宙開発財団に利用されっぱなしの人生だった。これくらいは言ってもいいだろうと思った。そしてヘンリーは新しい墓を建て、愛する妻と娘と並ばせた。

それからあらゆる準備をして、体がほとんど動かなくなると最終段階に入った。専用業者に依頼して、自身の生命活動が終わると墓の中に移動させるよう手筈を整えた。そしてわずかな髪の毛を、雄二の息子に送った。

ベッドに横たわり、目を閉じると過去のことが思い出されてきた。その記憶をモニターに出し、幼いハンナを抱きかかえてイブとにっこり笑うシーンで止めた。自然と涙がこぼれ出していた。

「これで・・・精一杯だ。カップインは・・・何百年・・・いや、何千年先か・・・私は充分に生きた・・・。」

そして、ヘンリーの意識は終わった。






自分なりに人類の未来史を描いてみました。そこでキーマンが必要になり、ヘンリーという天才人物を置いてみました。そしてこのサーガの中に登場する量子もつれやギガメタル、ヒッグスレス装置などを自分なりに想像してみて、さらにミュータントという非科学的要素も取り入れてみています。この回は、ヘンリー・ヤコブの挫折と努力の回になります。

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