第4話
家族連れが3組と、カップルが6組。あとは学生のグループがいるくらい。
だだっ広い屋内プールは、夏休みにもかかわらず閑散としている。貸し切り状態だけあって、来場者は皆のんびり過ごしているようだ。
俺は、海辺みたいに波の立つプールのそばで、監視台に座ってボケーっとしていた。
なんでも、プールは夜まで営業しているらしい。
(やれやれ、ヒマだな。あと何時間くらい座ってれば終わるんだか)
俺がため息混じりに大きく伸びをした、その時。
突然、あたりに大きな音が響いた。
ぬるい空気の中で耳をつんざく、パンと張ったような響き。ラッパの音? なんかそんな感じだ。
でも、一体どこから?
人間たちにも聞こえる音だったらしく、来場者らも訝しげに周囲を気にしている。
「きゃあああーっ!」
派手な水着の女が、突然叫び声を上げた。見開かれたその目は、俺――ではなく、俺の斜め後方に釘付けだ。
俺は女の視線を追うように振り返って――。
「は?」
バカでかい水の塊が、もう目の前まで迫っていた。
水の塊が俺を捕まえ、一気に押し流す。衝撃に巻かれ、上か下かも分からない方向に、めちゃくちゃに振り回される。
どんなに暴れても、水の塊は俺を引っ掴んで話さない。ああ、くそっ。もう息がもたねぇ……!
その時だ。
目の前で、またあの音がした。
俺は苦しまぎれに手を伸ばす。
その指先が、水とは違う何かに触れた。
(なんだ?)
けれど次の瞬間、水流が大蛇のように俺の体を締め上げた。
ごぼりと音を立て、泡か口から逃げていく。息が吸えず、俺はがぼがぼと水を飲み込むしかなかった。
(もう、だめか……)
最後の抵抗とばかりに、俺は指先に触れたものにツメを立て、鷲掴みにした。
その瞬間――水圧が消えた。
けれど同時に、俺の意識もそこで途切れてしまったのだった。
……。
………………。
「まひるっち! まひるっち!」
……うるせえ、何だよ。
「ああ、まひるっち。乱暴で人使いが荒かったけど、けっこういい奴だったのになぁ」
……おい。
「勝手に殺すな、アホ河童」
「あ、おはよ」
目をあけると、ワタルのニヤけヅラが見えた。
どうやら気を失っている間に、ワタルが俺を事務室まで引きずってきたらしい。
「あ、おはよ、じゃねーわ! この役立たず!」
「ひどーい! 助けてあげたのにぃ」
「黙れ! なーにが『OK! まかせといて!』だ。口だけじゃねーか、河童野郎!」
「やだなぁ、ちゃんと助けたよ! まひるっち以外のヒトたちは、みーんな無事だよ」
「俺も含めて助けろよ!」
「まひるっちは、こんな程度じゃくたばらないでしょ?」
「くたばらなくたって、苦しいもんは苦しいんだよ!」
身を起こすついでに、俺はワタルにゲンコツを一発お見舞いしてやった。
その時、何かが手の中で動いた。
「ん?」
意識を失う直前、がむしゃらにつかんだ「何か」――ソイツをまだ握りしめたままだったらしい。
手を開いてみると、そこには。
「紙くず?」
そう、クシャクシャになって、折りたたまれた紙くずだ。まだぐっしょり濡れている。無理に広げると破れてしまうだろう。
「ワタル、これ……」
まだゲンコツに悶絶しているワタルに、俺が声をかけようとした時。
「ああああ、よかったぁー! もう二度と目覚めないかと思ったぁー!」
と、泣き声混じりの叫び声がこだました。
声の主は、ずっと部屋のすみっこで座り込んでいたメガネの男である。メガネ野郎はすっくと立ち上がり、俺の目の前まで飛んできた。
「よかったぁ、気がついて本当によかった! 妖怪でも溺れたり気絶したりするんだねぇ」
「……おいワタル、コイツ誰?」
「オオノさん。プールアイランドの管理責任者だよ」
「はじめまして、応野です……あ、『オオノ』じゃなくって『オウノ』です。どうぞよろしく」
このメガネ――ええと、オーノとかいう男が今回の依頼者か。責任者の割には若そうに見えるが、髪にはぽさぽさと白髪が生えていた。見るからに幸薄そうなツラだし、色々と気苦労が絶えないんだろう。
「それで? バイトくん、気分はどう?」
「最悪だよ」
「そうでしょうねえ、うんうん。ああ、よかった!」
「よくねえよ。最悪だって言ってんだろ」
コイツ、人の話を聞かないタイプか。幸薄いのは自業自得ってヤツだな。
俺が冷静に分析している横で、オーノは「はぁ……」と息を漏らす。
「ああもう、本当にどうなっているんだろう。これでもう四回目だよ……このプールが呪われているっていうのは、本当なのかなぁ……」
「は? 四回目?」
「呪われてるって、何のこと?」
俺たちは同時に口を開く。
オーノは目をしょぼしょぼさせながら、ため息を吐いた。
「今年に入ってから、もう四回目なんだよね……謎の音が鳴り響くと、プールの水が急に荒れだして、渦を巻いたり激しく波立ったりするんだよ」
俺とワタルは顔を見合わせた。
「最初は小さい渦でね、すぐに治まったんだ。だけど、だんだん荒れ方が激しくなって……プールで亡くなった方が道連れを欲しがって、呪いをかけている――なんて噂もあるらしくてさ。ウチでは事故なんて起きてないのに、あることないこと広まっちゃって」
「なるほどね。それで、妖怪がやってる便利屋に依頼した、ってワケか」
まあ、呪いを怖がる妖怪なんていないしな。
オーノは、じわっと目に涙を浮かべ、口を見事なへの字に曲げて頷いた。
「監視員のバイトもみんな怖がって逃げちゃうし、お客さんの評判もガタ落ちだし、競馬では負けるし、買ったばかりのスマホもなくすし、彼女は音信不通になっちゃうし。もう俺、どうしたらいいのか……!」
オーノは顔を覆って、わあっと泣き出した。
「そんなことはどうでもいいんだけどよ、脅迫状とかは届いてないわけ?」
俺がそう聞くと、奴はめそめそ泣きながらも、かぶりを振った。
金品目的ではない……となると、愉快犯か? 何にせよ、俺にはまだ何も見えてこない。
全く、面倒なことになってきやがった。
今日はもうプールを閉めるということで、俺たちバイトもお役御免となった、
「ねえねえ、まひるっち。どうする? 調査はじめちゃう?」
ゲートを出たところで、ワタルがわくわくした様子で聞いてきた。
「やっぱ普通じゃないよね、プールでの怪異なんてさ。やっぱここは聞き込みからかな!」
何でそんなにやる気があるのかは謎だが、無駄に張り切っているワタルに、俺は満面の笑みを浮かべて言ってやった。
「決まってんだろ。帰って寝るわ」
「えー?」
「えー? じゃねえよバーカ! こちとら慣れねえ水にクタクタなんだよ! 所長への報告よろしくな」
「ちょっとー、まひるっちってばー」
不満そうなワタルをほったらかして、俺はさっさと歩き出す。
はー、酷い目にあった。
今日は厄日だ……なんて、まるで人間みたいなことを考えながら、俺は家へと向かうのだった。




