第一章−4:ルイ・カマウの沈黙
夕刻、ルイは寮の食堂には向かわず、学園都市の北縁にある静かな展望台へと足を運んでいた。
都市の構造は円形を基盤としており、その外周部には生徒の生活区域や森林型緩衝地帯が配されている。
展望台はその森林をひとつ超えた先、小高い丘に据えられたガラスの櫓だった。
監視ドローンは巡回しているが、ここまで来る生徒はほとんどいない。
それは「静けさを理解できる者」だけに開かれた空間だった。
ルイ・カマウは、その透明な空間の中央に立ち、足元の影がゆっくりと長く伸びていくのを見ていた。
都市の灯りが、ひとつ、またひとつとともる。
規則的に。誤差なく。必要な分だけが、整列するように都市を照らしていく。
まるで、都市全体がひとつの巨大な装置のようだった。
それは美しかった。だが、あまりにも整いすぎていた。
彼はふと、ひとつの詩句を心の中で繰り返す。
——「世界は、輪郭から静かに剥がれてゆく」
それは誰の詩でもなかった。彼が幼いころ、自分自身の中から生まれた言葉だ。
意味も由来も分からない。けれどその句は、世界の構造が持つ“ゆらぎ”を言い表しているように思えた。
彼は椅子に腰掛け、掌を見下ろした。
指の関節、皮膚の色、体温の感覚——すべてが“人間”のそれだった。
けれど彼の内部には、他の生徒たちとは明らかに違う回路が存在していた。
彼の出生は、人工的に選ばれた優れた遺伝子の組み合わせ。
「自然発生」ではなく、「設計と管理」の産物。
だがそれでも、彼は思考し、感じ、揺らいでいる。
人工か天然かではない。**揺らぎのあるものこそが“生きている”**のだと、彼は知っていた。
だからこそ、この世界の「揺らがなさ」は、彼にとっては異様だった。
空気は最適化され、温度は快適で、言葉は選ばれ、争いは管理される。
誰もが規律を守り、自由を疑わず、個性の定義すらデータに委ねられている。
なのに、夜空だけが“歪んで”いる。
彼の内側で、言葉にならない問いがじくじくと疼いていた。
“本当にこれが空の正しい姿なのか?”
なぜ、空を見ても何も感じない人間が大半なのか。
なぜ、彼のように“そこに何かが欠けている”と感じる存在が、いないふりをされるのか。
都市全体が目を逸らしているようだった。
空の、記憶の、そして彼自身のような存在のことを。
そのときだった。
——ふいに、背中の皮膚が粟立った。
風でもなく、音でもない。
視線のような、けれどどこから来るかも分からない圧。
彼は立ち上がり、展望窓の奥へと視線を送った。
そこに広がるのは変わらぬ都市の灯、規則的な建造物、そして……どこまでも澄んだ空だった。
けれど。
ほんの一瞬——何かがそこに“重なっていた”ような感覚が、確かに彼の脳裏に焼き付いた。
(……あれは、なに?)
影ではない。雲でもない。
それは、記憶の底から浮かび上がった“何かの残像”のようだった。
まるで、長い間忘れていた大切な言葉を、突然誰かが囁いたような。
その夜、ルイは詩をひとつ綴った。
「人は、見えないものを知らずに生きる
それは許される
だが、知っていて目を閉じるのは——
それは、嘘だ」
彼の部屋の窓の外、夜の帳が下りていた。
星はある。灯りもある。だがそこにあるべき何かが、依然として存在していない。
そしてそれは、ただ欠けているだけではなく、“奪われた”のだと、彼は直感していた。




