第四章−14:静寂の裏で
理事長と別れた後、ルイはしばし廊下の薄闇に立ち尽くしていた。
足下に広がるカーペットは深い墨色。照明は最小限に落とされ、豪奢さよりも「静寂」が支配している。
——この家、やっぱり普通じゃない。
胸の奥で淡く燻る警戒心を押し隠し、彼はゆっくりとゲストルームへ戻った。
扉をそっと開けると、ユンもジュリアンも依然として静かに眠っている。
寝息まで穏やかで、事態を知らぬ子どものように安らかだった。
ルイは二人の寝顔を見つめ、ふっと眉尻を落とす。
(……起こすわけにもいかないか)
と、心のどこかで思う。
本当に起こしたいわけではない。
ただ、「自分だけが何かに気づいている」状況が、どこか胸に鈍い圧をかけてくる。
部屋の窓辺まで歩み寄り、薄いカーテンを指先で持ち上げた。
外の庭園は広大で、闇の中でも輪郭を保つ整った植栽が続いている。
夜風がさざめき、木々の枝葉がわずかに揺れた。
だがその風は、どこか不自然に感じられた。
気象というより、「動かされた」気配。
ルイは、ほんの短い息を呑む。
(……向こうも、動いてる)
それが「組織」なのか「アルセーネ」なのか、あるいは別の何者か。
判断はまだつかない。
しかしこの静寂の裏で──
すでに何かが始まっている。
その確信だけは、胸に冷たく張りついて離れなかった。
カーテンを離すと、ルイはふと自分の指先を見つめた。
血が通っているように見える。
温度もある。
汗だってかく。
しかし生物学的には、彼は“その必要がない”。
(……なのに、怖いと思うんだよな)
人が、闇の気配を怖がるように。
胸がざわつき、息が浅くなるように。
自分の「構造上ありえない」はずの感覚が、こうしてわずかな震えとなって現れている。
理事長に指摘された事実が、今さらになって胸の奥に影を落とした。
——君は、生物としての排泄をしない。
——でも“トイレに行くふり”をした。
あの言葉の裏に、どれほどの観察が潜んでいたのか。
どれほど前から自分たちを視野に入れていたのか。
薄い恐怖が脊髄をなぞり、肌の奥でざわつく。
と、そのとき。
廊下の床が、かすかに軋んだ。
ルイの背筋が瞬時に硬直する。
ユンもジュリアンも起きる気配はない。
軋みは、一度。
しかし確実に「誰かの足音」だった。
ルイは息を潜めた。
耳を澄ます。
……沈黙。
だが分かる。
あれは、ただの家鳴りではない。
(見てるな……誰かが)
瞬間、ルイの瞳が深い琥珀色に揺らめいた。
体の内部で、目覚めかけた「別の感覚」がゆっくりと動き出す。
(……本格的に、来るぞ)
彼は息を整え、眠る二人を一瞥した。
守らなければならない。
そのために、自分は“こういう造り”で生まれたのだから。
ルイはまぶたを閉じた。
遠く、闇の奥に潜む「見えない気配」に集中する。
そして静かに目を開いたとき——
その瞳の輝きは、少年のものではなかった。




