第四章−13:静かなる階層――理事長宅の奥へ
—“秘密の家”と“選ばれた子ども”の邂逅—
理事長は、廊下に差し込む控えめな照明の方へ歩きだした。
夜の屋敷は、壁に沿って淡く灯る誘導光がゆっくりと点滅し、
まるで深海のような静けさを纏っている。
「ついてきてください、ルイさん。
あなたが“行きたい場所”は──きっと、こちらです」
その言葉は、選択肢を提示するようでいて、
実際には“既に導く準備が整っている声”だった。
ルイは自然と歩みを揃える。
問いただすべきことは多いが、今はあえて黙ったままついていく。
理事長の足音は軽い。
年齢を感じさせないというより、年齢という概念そのものが希薄だ。
まるで外見も声も、彼女が意図的に選択して身につけているような──
そんな曖昧さを孕んでいた。
───
曲がり角をひとつ、ふたつ。
いつのまにかルイは、屋敷の構造図すら曖昧になるほど奥深くに入っていた。
「……ここ、来たとき通ってませんよね?」
「ええ。来客には見せない区画です。
生徒であっても、特別な理由がない限り通すことはありません」
「じゃあ、特別な理由があるってことですか?」
ルイの問いに、理事長はすぐには答えなかった。
階段の前で立ち止まり、振り返る。
その目は、静かに探り、しかし優しさを失わない。
「ルイ・カマウ。
あなたがこの数時間で覚えた“不安”は──たぶん、私たちが共有しているものと同じです」
「共有……?」
「街の外から近づいている“何か”。
そして、あなたが目覚めたときに感じた“揺らぎ”。
説明するより、見てもらった方が早いでしょう」
そう言うと、階段の扉が音もなく開いた。
冷たい空気が頬に触れる。
人工的な空調のせいではない。
もっとこう──“情報の密度が高い場所特有の冷たさ”。
ルイはその感覚に、思わず肩をすくめる。
理事長は、とても穏やかに笑った。
「怖がりませんね。
普通の生徒ならここで足を止めるはずです」
「……僕、普通じゃないんで」
「ええ。だからこそ、ここへ連れてきたのですよ」
⸻
階段を降り切ると、まったく別空間のようなフロアに出た。
天井こそ低いが、壁一面に設置された複数のモニタ。
光の粒が舞うホログラム。
中央には、何層にも重なるデータリングが回転する円卓装置。
ルイは息を呑む。
「……監視設備?」
「いいえ。これは“観測”です。
街の外、空、地中、学園都市の外縁。
あらゆる干渉を非武装のまま検知するためのものです」
「理事長の家って……
学園都市の観測系の中枢だったんですか?」
理事長は、否定もしなかったし、肯定もしなかった。
「正確には、それに準ずる施設です。
ここは、“万が一”のときにのみ稼働させる装置。
あなたが感じた揺らぎ──今夜、それが閾値を超えました」
指先で円卓に触れると、
ホログラムが淡く浮かび上がる。
そこには“粒子の乱流”のような不穏な揺らぎが、
学園都市の外周に沿うように漂っていた。
ルイは思わず画面に近づく。
「これ……外から来てる?」
「ええ。外部勢力の動きが平静ではありません。
“ふたつの組織”が、学園都市に接触しようとしている。
あなたたち三人に関係する形で」
ルイの呼吸が止まった。
「……僕たち?」
「そう。
あなたたち三人は“無関係”でいられない運命を持っている。
まだ運命という言葉が嫌なら、こう言い換えてもいい──」
理事長は穏やかな声を少しだけ落とした。
「“あなたたちの存在が、複数の勢力にとって想定外に重要になり始めた”のです」
言語化された瞬間、
胸の奥にはっきりと“輪郭のある不安”が浮かび上がった。
「……なんで、僕たちなんですか」
「その答えは、私にもまだ完全ではありません。
ただ──あなたたち三人には、**まだ本人たちが知らない“共通点”**がある」
ルイは息を呑んだ。
けれど理事長は続けない。
言うべきではない、という判断の沈黙。
そして代わりに、こう告げた。
「だからこそ──あなたが今夜、目覚めたことは正しいのです。
あなたは気づいた。
感知した。
それが何より重要なのですよ、ルイさん」
その言葉は、
まるで“選ばれた機能”を静かに肯定するようだった。
ルイはしばらく黙っていた。
だが、やがてゆっくりと理事長へ向き直る。
「……理事長。
ひとつだけ確かめたいんですけど」
「ええ、なんでしょう」
「僕たちのことを……守ろうとしてくれてますか?
それとも、ただ利用しようとしてるんですか?」
理事長は笑わない。
そのまっすぐな問いに、微かな驚きすら見せず、ただ静かに答えた。
「守ろうとしています。
利用しなければ守れない場合もある、というだけです」
その答えは誠実で、同時に残酷だった。
そして、だからこそ信じられる気がした。
「……なるほど。
じゃあ──僕も聞かなかったことにします」
ルイの声は震えなかった。
理事長は少しだけ目を細める。
その瞬間、観測装置のひとつが警告音を鳴らした。
赤い光が、地下室全体を染める。
「……外部勢力、接触閾値に到達。
動きが早い」
理事長の声が、わずかに硬くなる。
「ルイさん。そろそろ部屋へ戻りましょう。
起きている時間が長いと、あなたが“異常事態を察している”と悟られる。
アルセーネにも、組織にも」
「……はい」
「大丈夫。
あなた一人に背負わせたりはしません。
これは──三人の力が揃って、初めて越えられる夜です」
ルイは小さく頷いた。
胸の奥に芽生えたのは、恐怖ではなく、
まだ名のつかない熱のような感情だった。
そして二人は静かに階段を戻り始める。
その背後で、観測画面の揺らぎはさらに濃く、深く──
“三人の運命の夜”へと向かっていった。




