第四章−9:理事長の密命
深夜。理事長宅の一室。
窓の外には月の光すら届かず、重たい雲が空を覆っていた。室内では、理事長がひとりデスクに向かっていた。机上のホログラフが静かに光を放ち、そこに映し出されるのは組織の通信網から切り離された専用回線――外部には決して知られてはならない「裏の経路」だった。
扉がノックされる。
「……入って」
返事と同時に現れたのは、無表情のまま歩み出るN−4だった。
「報告に来ました。三人は現在、安定しています」
「そう。ありがとう」
理事長はペンを置き、彼女を見上げる。
その眼差しには穏やかさがあったが、N−4は一歩も気を緩めない。彼女は知っている。理事長が見せる微笑の下には、冷徹な計算と長期的な布石が隠されていることを。
「あなたには、特別な任務を与えるわ」
理事長の声は、囁くように静かだった。
「三人を“安全に”保護すること――ただし、私たちの手の届く範囲でね。組織の一部が暴走するかもしれない。アルセーネがそれを利用する可能性もある。あなたの判断で抑えなさい」
「……命令として、了解しました」
N−4は感情を表に出さないまま答えたが、内心は揺れていた。
“安全に保護”――その言葉の裏にどれほどの含みが潜んでいるのか。理事長が「安全」という語を使うとき、それは決して「平穏」を意味しない。
彼女の中に湧き上がるわずかな疑念は、機械的に訓練された理性によって押し殺された。
理事長は立ち上がり、机越しにN−4へ近づく。
「ねえ、N−4。あなたは私を信じている?」
「信じる、という言葉の定義によります」
「ふふ……答えになっていないわね」
理事長は軽く笑うと、彼女の肩に手を置いた。
「あなたは私の目であり、耳でもある。私たちの“計画”が世界の形を変えるの。そのためには――裏切り者がいないことが、何より大事」
その瞬間、N−4の瞳がかすかに揺らいだ。だがそれを理事長が見逃すことはなかった。
「安心して。あなたを疑ってはいない。ただ……もし、あなたの中に迷いがあるのなら、それも“観測”の一部として利用させてもらうわ」
冷たい微笑とともに放たれたその言葉は、忠誠という名の首輪だった。
やがてN−4は静かに一礼し、部屋を出ていった。
扉が閉じる音が響いたあと、理事長は小さくため息を漏らす。
「――やがて、誰もがこの月の裏側を見ることになる」
独り言のようなその言葉は、通信端末の光の中に消えていった。




