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第四章−8:揺らぐ均衡、見えぬ


 理事長宅の奥深く、外部からの視線も届かぬ応接室。磨き込まれた木製の長卓を挟み、数名の組織員が静かに向かい合っていた。外の世界では豪奢な屋敷に見えるこの場所も、内部に踏み入れれば監視装置や遮断壁が張り巡らされた、ほとんど要塞に近い空間だった。


 「三人はどうする?」

 最初に口を開いたのは壮年の男だった。その瞳には、実務家としての冷徹さが浮かんでいる。

 「理事長の保護下に置いたのは事実だ。しかし、このまま匿うとなれば、余計な目を引く。世界政府からの問い合わせが来れば、我々とて隠し通せるとは限らん」


 別の男が反論した。

 「だが、ここまで手間をかけて確保した対象だ。単純に解放することはあり得ない。むしろ、なぜ彼らが“狙われたのか”を調べる必要があるだろう」


 会話が行き詰まると、末席に座っていた若い女が小さく言った。

 「……利用するのが一番、ではありませんか? アルセーネも狙っている。つまり彼らの背後には、まだ我々が掴めていない価値がある。餌にすれば、あちらの正体を炙り出せるかもしれない」


 その提案に、一同はしばし黙り込んだ。

 たしかに合理的だ。しかし、三人の学生を駒とすることに倫理的な葛藤を覚える者もいた。


 「彼らはまだ若い。ただの学生だ。あまりにも危険な賭けではないか?」

 「賭けだからこそ、意味がある。組織がこの都市に潜り込むことすら困難な中で、彼らは“偶然”のように我々の手に転がり込んだ。その偶然を活かさずして何をする?」


 重い沈黙の後、最初に発言した壮年の男が低く結論を下した。

 「――処遇は保留だ。だが、理事長の判断が最終だと心得よ。我々は彼女の意志に従う」


 そう告げると同時に、応接室の照明が一瞬だけ揺らめいた。外部の監視網に干渉が入った兆候だった。

 「……アルセーネか」

 誰かが呟き、全員が視線を交わした。


 理事長宅の静謐な空気に、目に見えぬ不安の波紋が広がっていく。

 三人の処遇は未定のまま。だが、その行方が今後の均衡を大きく崩すことは、誰もが理解していた。


組織員たちの議論が結論を見ないまま続いていた時、応接室の重厚な扉が音もなく開いた。現れたのは理事長だった。

 その姿に全員が立ち上がる。


 「続けて」

 彼女は柔らかく微笑み、そう促した。しかし、その笑みの奥に漂う影は誰の目にも明らかだった。


 壮年の男が代表して報告する。

 「……三人の処遇について意見が割れております。保護の継続か、あるいは利用か」


 理事長は数歩進み、卓上に置かれた資料を手に取る。そこには三人の顔写真と、これまでの行動履歴が整理されていた。

 「彼らは特別だわ。無意識のうちに、歴史の節目に足を踏み入れた。それは、選ばれた者にしか起こりえないこと」


 静かな声が応接室を満たした。その声音には、まるで決して抗えない流れを告げる予言のような響きがあった。


 「保護するのが表の顔。だが裏では、彼らを通じてアルセーネを炙り出す。組織としても異論はないでしょう?」


 組織員たちは一瞬言葉を失ったが、やがて頷く。反論できる空気ではなかった。

 理事長は卓上の資料を軽く指先で叩きながら続ける。


 「……安心なさい。彼らに危害を加えるつもりはない。ただし、必要とあらば“舞台”に上がってもらうわ。主役はいつだって、観客の知らぬところで決まるものだから」


 そう言い残して踵を返すと、理事長は再び扉の向こうに消えた。


 残された組織員たちは深い沈黙に包まれる。理事長の言葉は確かに安堵を与えたはずなのに、その内側には別の意味――操られているのは自分たちかもしれない、という感覚が残ったのだ。


 同じ頃、理事長宅の外周では、アルセーネの諜報員が遠距離から光学センサーを通じて屋敷を観察していた。

 「……やはりここにいるな」

 小さな呟きとともに、冷たい微笑みが暗闇に浮かぶ。


 揺らぐ均衡の中で、見えぬ掌が静かに糸を引いていた。

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