第四章−7:予定調和
夜は深まり、学園都市の中心部にほど近い理事長宅の周辺は、普段なら静謐に包まれるはずだった。しかし、この夜だけは違った。気づかぬほど巧妙に姿を隠した影が、複数方向から建物を監視していた。
アルセーネの一団である。
彼らは組織のように強力な後ろ盾を持つわけではない。だが、闇に潜り込む狡猾さと臨機応変な判断力においては、むしろ一枚上手だった。
「赤外線センサー、通常の巡回パターンと一致。だが裏手の監視ドローンが一機、通常より三十秒遅れて戻った……これは“外部からの干渉”の痕跡だ」
小声で告げる男に、隣の女が頷く。
「つまり、あの屋敷には我々以外も出入りしている。組織の連中ね」
彼らは事実を正確に突き止めていた。理事長宅に「組織」が関わっていること。そしてその内部に、三人の学生が保護されているらしいことを。
「問題は……どうやって奪うかだ」
別の隊員が呟く。
彼らの計画は、力押しではなかった。むしろ組織との正面衝突を避けつつ、隙をついて三人を確保する。それこそがアルセーネの狙いだった。
「いま、直接仕掛けるのは得策ではない。理事長という存在が絡んでいる以上、裏に何が潜んでいるか読めない」
「では?」
「まずは“内部の揺らぎ”を探す。組織と理事長の利害が必ずしも一致しているとは限らない。そこに付け入る」
夜風に揺れる木立の影から、さらに別の人物が現れた。
N−4である。
「……私の知る限り、彼らはまだ完全には一致していない」
静かな声が一同の耳に届く。彼女は、組織の動きを観察してきたばかりなのだ。
「では、お前の役目は変わらない。内側から隙を突け」
リーダー格の男が短く言い渡すと、N−4は一瞬だけ躊躇いを見せ、それから小さく頷いた。
理事長宅の窓に、暖かな明かりが漏れている。そこにはまだ、無垢な顔で眠る三人がいた。
その安らかな眠りが、やがて嵐の中心に引きずり込まれることを、彼らはまだ知らなかった。
N−4の姿が闇に溶け込んでいくと、残されたアルセーネの面々は互いに視線を交わした。彼女が組織の内情を知り尽くしていることは疑いようがなかったが、それ以上に――彼女の行動は、時に自分たちの思惑を先読みしているかのように思える。
「彼女は何を企んでいる?」
若い隊員が小声で問うと、リーダーは即答しなかった。代わりに、じっと理事長宅の明かりを見据えたまま言った。
「企みそのものは問題じゃない。重要なのは――その企みが、我々の利益に通じるかどうかだ」
確かにN−4は、組織の出方を正確に言い当てる。そして彼女が示すわずかな情報の断片は、常に実利へと結びついていた。
「つまり……彼女を泳がせるべきだと?」
「ああ。だが、いずれこちらに導く。最終的に三人を我々の手に引き込むのは――彼女の役目になる」
その言葉を合図のように、隊員たちは頷き、影のように散っていった。残されたのは、風に揺れる木立と理事長宅の灯りだけ。
一方で、N−4はすでに動き出していた。
屋敷の内部構造、セキュリティの盲点、そして組織の行動パターン。彼女はそれらを頭の中で組み合わせ、やがてひとつの「未来像」を描き出す。
――この状況は必ず崩れる。
――その時、彼らはアルセーネの手に渡る。
それは彼女が心に秘めた「予定調和」だった。あえて全てを語らず、必要な断片だけを差し出すことで、アルセーネを自分の描く筋書きに誘導している。
組織とアルセーネ、両陣営が互いを欺き出し抜こうとする裏で、N−4はさらに上の階層にある「別の意図」に従っていた。
その意図に従えば――三人は必ず略取される。
理事長宅の中で、まだ無垢に眠る三人は、その糸に絡め取られる未来を知らずにいる。
闇の底で、彼らの運命を操る歯車は、音もなく噛み合い始めていた。




