第三章−8:交差
薄く曇った街の空は、昼と夜の境界を曖昧にしていた。
街灯がゆっくりと目を覚まし、橋梁の欄干を淡い光で縁取っていく。
ルイは欄干にもたれ、川面に映る揺らぎを眺めていた。
――おかしい、と、心の奥で誰かが囁く。
今日ここへ来た理由は、確かに自分の意思だったはずだ。
だが、その「意思」が芽生えたきっかけを思い返すと、やけに断片的で、靄がかかったように思い出せない。
まるで、見えない糸で自分の背中を押されたかのような……。
橋の向こう側から、ハルカがゆっくり歩いてくる。
彼女は、何かを探すように視線を左右に流し、それが見つかった瞬間、ふっと表情を和らげた。
ルイはその変化を見て、ああ、この人は本当に「探していた何か」に辿り着いたのだと直感する。
理由も知らないまま、そう思えた。
そして、橋の中央に差しかかる頃、ジュリアンが現れる。
肩に下げた鞄の重さに気を取られているようで、歩みは少し不規則だ。
だがその視線は、確かに二人を順番に捉えていた。
彼の足が自然に早まる。
ほんの数時間前まで、三人が別々の場所で過ごしていたことなど信じられないほど、そこには馴染んだ気配があった。
ルイは笑顔を作ろうとしたが、心の奥の違和感は消えなかった。
それは寒さでも警戒心でもない――もっと形のない、しかし確実に「外から与えられた」感覚だった。
誰かが、見えない場所で自分たちを動かしている。
けれど、それを口にするには、あまりにもこの再会が自然すぎた。
橋のたもと、夕闇が街を呑み込み始めたその時――
人混みの向こうから、ふと軽やかな足音が近づいてきた。
黒髪を一つに束ねた女が、迷いのない視線で三人を真っ直ぐに捉えている。
N-4。
その立ち姿は、まるで最初からこの場所を知っていたかのように自然で、違和感というより安心感をまとっていた。
「探しましたよ」
彼女の声はやわらかく、それでいてどこか奥に硬質な響きを含んでいる。
ハルカが一瞬目を細め、「あなたは……?」と口を開く。
ルイは表情を変えずに彼女の足元から全身を一瞥し、その仕草にN-4は小さく笑みを返す。
ジュリアンはというと、驚きよりも好奇心が勝っているようで、視線を彼女の胸元の端末に吸い寄せた。
「まずは場所を移しましょう。ここはあまり落ち着けない」
N-4がそう促すと、三人は一瞬視線を交わし、それぞれ無言でうなずいた。
わずかな距離を歩く間、ハルカは「あなた、何者?」と低く問いかける。
N-4は笑顔を崩さず、
「今は説明より、安全が先です」
とだけ答える。
その言葉の選び方と間の取り方に、ルイの胸の中の警戒心はほんの少し強まった。
そして、その瞬間――。
路地の奥から、重い空気を裂くような低い駆動音が響いた。
次の瞬間、鋭い光線が彼らの足元をかすめ、白く瞬く閃光が視界を奪う。
反射的にルイはハルカの腕を引き、ジュリアンは鞄を盾のように持ち上げた。
だが、その防御は意味を成さなかった。
四方から無音で迫る黒影――「組織」の回収部隊だ。
N-4が即座に腰を落とし、間合いを測るように視線を走らせる。
しかし、その表情に焦りはない。むしろ状況を見極める冷静さが光っている。
ハルカは一瞬、N-4が何らかの合図を送ったように見えたが、それを確かめる前に視界が再び白く塗りつぶされた。
拘束具が手首に絡む感触。
ルイは反射的に抵抗したが、背後から押さえ込まれる力は異様に無駄がなく、数秒のうちに体勢を封じられる。
ジュリアンは何かを叫びかけたが、口元に薄い布を当てられ、息が喉奥で途切れた。
ハルカは最後まで目を開け、相手の顔を見極めようとしたが、そこにあったのは無機質なマスクと、光を反射しない黒いバイザーだけだった。
耳元で、低く短い通信音が鳴る。
その声は冷淡で、感情という装飾を一切持たない。
「対象、確保。撤収開始」
――そして、N-4もまた、その包囲の中にいた。
だが彼女の瞳は、ほんのわずかに細められ、まるでこの事態を予測していたかのような微かな輝きを宿していた。




