第三章−3:もうひとつの空席
翌朝、ジュリアンはほとんど眠っていなかった。
正確には、意識の浅瀬で数回だけ短い夢を見た——それも数値の羅列と回転する空間の夢。
重力マップが立体的に浮かび、音もなく中心をすり抜けていく球体。
その表面に、ひとつだけ“黒点”のようなものが浮かんでいた。
目が覚めたとき、彼は寝汗をかいていた。
すぐに端末を開き、昨日のデータを再検証する。
だがそこには、あの“一点”以外、異常は見つからなかった。
ジュリアンは指を止め、視線を上げた。
「……いや、待て。なぜ“そこ”しか調べなかった?」
彼はふいに、自分の思考の偏りに気づいた。
カウンターアース——太陽を挟んだ対称軌道上の仮想地球。
確かにその座標はもっとも魅力的で、明確な歪みの兆候を示していた。
だが、それだけがこの重力系における“安定点”ではない。
太陽−地球系には、5つのラグランジュ点が存在する。
L1〜L5。
そのうち、L4とL5は理論的に安定性が高く、物体が自然に留まる可能性がある。
ならばなぜ、自分はそこを“無視”していたのか?
端末に新しい重力マップを立ち上げる。
解析範囲をL4とL5へ拡張し、
そこに対しても同様の数値補正と周期計測を適用。
0.0002%の誤差が、どこか別の場所にも存在するなら——
この世界には“見えないもの”が、もうひとつ存在していることになる。
数分後、結果が出た。
L4・L5ともに——わずかな重力擾乱が観測された。
それは、L3(いわゆるカウンターアース仮説点)と同様のレベルでありながら、
より不規則で、周期性がわずかに崩れていた。
つまりそれは、そこに“何かがある”のではなく、“何かがあった形跡”。
ジュリアンの背中に、じわりと冷たい汗が滲む。
「……排除された?」
思わず口に出したその言葉が、
室内に空しく吸い込まれていく。
もしも過去、L4やL5にも何らかの“存在”があったのだとしたら——
それが現在、何らかの理由で消され、
今は“揺らぎ”としてだけ痕跡を残しているのだとしたら——
それは、単なる天文学の話ではない。
存在そのものの改変、つまり“歴史”の隠蔽だ。
「……馬鹿げてる」
ジュリアンは目を閉じた。
だが閉じても、そこにはあの“空白のラグランジュ点”がくっきりと浮かんでいる。
L3(カウンターアース)は、いま明らかになろうとしている。
だがL4とL5は、その前に“何か”を知っていた——
もしかすると、それらはすでに観測され、葬られたのかもしれない。
「この世界は、思っているより……深く、整いすぎてる」
その「整いすぎた秩序」が、
もともと存在していたものを“なかったこと”にできるほど強い意思によって作られたのだとしたら?
——それは、人間の手によるものだろうか。
——それとも、それ以外の、もっと大きなものによるものか。
ふと、ジュリアンは背後を振り返った。
誰もいない、音もない研究室の一角。
なのに、微かな違和感だけが——
「誰かに見られているような」感覚だけが、背中を離れなかった。




