表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/34

第二章−4:見えないものが、見えていた


それは、都市に移って二年目のある夜のことだった。


その日も眠れず、ベッドの中で天井を見つめていたハルカは、

ふと、窓の外の光がいつもと違うことに気づいた。


都市の夜は、人工照明によって常に一定の明るさが保たれている。

青白い光、静かな温度、揺らぎのない景観。

けれどその晩は、何かが違っていた。


光が、やわらかかったのだ。

まるで布を通したランプのように、微かに金色を含んでいて、

見慣れた白光とは異なる温度を持っていた。


 


(なんだろう……)


引き寄せられるようにハルカはベッドを抜け出し、

静かにカーテンを開けた。


 


そこには、空があった。

——見慣れた、整えられた、変化のないはずの都市の空。


だがその中央に、

彼女はたしかに**“それ”を見た。**


 


白く、やや滲んだ球体。

それはまるで、雲の裏側から光る水滴のように、

ほんのりと輪郭を放って浮かんでいた。


完璧ではなかった。輪郭は曖昧で、光も不均等だった。

だがそれは、紛れもなく月だった。


 


ハルカは声も出せず、ただその光を見つめ続けた。

時間が止まったようだった。

心臓の鼓動さえ、聞こえなくなるほどに。


どれほどの間、そうしていたのかはわからない。

しかし突然、

その光は——消えた。


 


まるで、もともと何もなかったかのように。

雲も動かず、空の色も戻っていた。

それは錯覚だったのか? 夢だったのか?

ただの光の反射だったのか?


けれど——そのときのハルカには、

「それが在った」という感覚だけが確かだった。


 


翌朝、彼女はそれを誰にも話さなかった。

話そうと思えばできた。

けれど、その出来事が言葉にした瞬間に失われてしまう気がした。


だから代わりに、絵を描いた。

その夜に見た光、その滲み、その儚い存在感を、

できるかぎり正確にスケッチした。


それが、現在に至るまで彼女が描き続けている“月の原型”となった。


 


◇ ◇ ◇ 


 


今思えば、あれは最初の“揺らぎ”だったのだと思う。


整備された世界において、

わずかに現れた、整っていない何か。


他人が否定する記憶でも、

書物のなかでしか触れられない存在でもない。


——たしかに“私”が見たもの。


それが存在するという事実を、

証明したくて彼女は絵を描き続けているのかもしれない。


 


◇ ◇ ◇ 


 


回想が終わるとき、ハルカは一つ、大きな呼吸を吐いた。


目を開けると、教室の窓の外には薄い雲が流れていた。

それが人工のものか、本物の気象なのかはわからない。

けれど、今の彼女にはそれすら愛おしかった。


遠くの席で、ジュリアンがまだ何かをノートに書いていた。

ルイ・カマウは、いつの間にかいなくなっていた。


ふと、ハルカは自分の指先を見つめた。

スケッチブックに残る、ほんの少しのグラファイトの粉が、

白い紙の上に小さく踊っていた。


それはまるで——

どこか遠くの重力が、彼女の世界に小さく干渉しているようだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ