始まりの日
のっけから改訂版とは違うノリだと思います。
俺は鬱蒼とした深い森の中を歩いていた。隣にはペスカが居る。また、寝ている間にジャングルに連れて来られたのか? 今度こそ糞親父にはガツンと言ってやらなきゃならねぇ。それには、ここを出てからだ。
でも、良く見れば『アマゾン』とは少し違う。鬱蒼としているのは、ジャングルっぽい。だけど、熱帯雨林っていったっけか? ギザギザした葉っぱみたいなのを見かけない。勿論、日本でよく見かける様な木々は生えてない。
俺だって、世界中を見て来た訳じゃない。見た事の無い風景だっていっぱいあるはずだ。なんと言うか、ここは地球じゃないみたいな気がする。
草木を掻き分ける様にして、俺は前に進む。その後を、ペスカが黙って着いて来る。それにしても珍しい。いつもなら、「お兄ちゃん、すっごく珍しい植物が生えてるよ!」なんて、はしゃいでるはずだ。
でも、平和な時間はそこまでだった。
妙な気配がする。そう思って、俺はペスカにハンドシグナルを送る。そして、ペスカは口を閉じたまま静かに頷いた。俺達は息を潜めたまま、屈んで体を草木に隠す。それから、慎重に辺りの気配を探った。
昆虫の多くは音を立てずに忍び寄る。動物の中にもそんな奴が居る。大抵、そんな奴等は大抵がこっちを獲物として狙っている場合だ。
ただ、今回はそういうのとは違う。明確な敵意を放っている。何に苛立っているか知らねぇが、何もかもをぶっ壊す気で満々なのかも知れねぇ。近くに動物の気配が無いのはヤバそうな奴が近付いているからだ。
ガサガサ所じゃない。ドガン、バキバキって派手な音が遠くから聞こえる。音が近づく毎に、近付いて来るそれがどれだけヤバいのかがわかってくる。
逃げた方が良い。そう考えて、ペスカにハンドシグナルを送る。ペスカは静かに頷くが、動こうとしない。何でだ? 「早く逃げるぞ」って言いかけた所で、妙な事に気が付いた。
体を屈めたまま、静かに移動しようとしたけれど、俺の足が動かない。びびってるのとは違う。どう頑張って動かそうとしても、ピクリともしない。もしかすると、ペスカも同じなのか? そう思い視線を送ると、ペスカはただ頷くだけだった。
不味い、不味い。あんなもんが近付いて来たら、流石に命がねぇ。
どうやって逃げるか考えるが、俺の足りねぇ頭じゃどうしようもないみたいだ。仕方ねぇ、覚悟を決めるか。そう思った矢先、木々の間に見え隠れしたのは『地球では見た事が無い化け物』だった。
四本足でのっしり歩くそれの全長は、三メートルを超えるかも知れない。全身が赤黒く、背中には大きな羽が生えている。ライオンすら軽く噛み砕きそうな大きな口には、鋭い牙が生えそろい、ダラダラと涎が垂れている。
なんだ、これ!
驚いた所じゃない。俺は口をあんぐりと開けたまま、暫く固まっていた。
こんなの有り得ない! ふざけるな! こんなの見た事が無い! ゲームじゃ有るまいし、映画じゃ有るまいし、これじゃあユーマじゃねぇか!
冷静で居られる訳が無い。ちびらなかっただけマシだ。逃げなきゃやられる。でも体が動かない。ペスカは相変わらず黙ったまま蹲っている。せめて、ペスカだけでも守らなきゃ。でも、やっぱり体が動かない。
なんで動かねぇ! イラついて怒鳴りそうになった所で、化け物と目が合った。その瞬間、化け物の目が光った様に見えた。
獲物を見つけたとばかりに、化け物はじりじりと距離を詰めて来る。多分、飛び掛かれる距離を計ってるんじゃない。こっちを怯えさせ様としてるんだ。視線を逸らした瞬間が、終わりの時だ。
俺は化け物を睨み付けながら、逃げる算段を探る。しかし、一向に体は動こうとしてくれない。「夢なら覚めてくれ!」と願うしかない。
そして、化け物は右の前足を大きく振るう。すると、土煙が巻き起こり木々が弾け飛ぶ。化け物は何度もそれを繰り返し、俺達を隠す木々を無くそうとする。やっぱり、怖がらせ様としてるんだろ? 追い詰めて、いたぶって、そうやって充分に楽しんだ所で食おうって事か? 冗談じゃねぇぞ!
木の欠片や土砂が飛んで来る。ひたすらそれに耐えながらも、視線だけは化け物から外さない。それが唯一、生き残れる道に繋がるだろうから。そして、化け物は一歩、また一歩と距離を詰めて来る。
心臓がバクバクなっている。息を吸う事も吐く事も辛い位に息苦しい。ほんの僅かな隙さえもが命を落とす事に繋がる。でも、微動だに出来ないから、ただ睨み付けるだけ。
頼む、頼む、夢なら覚めてくれ!
そんな願いは叶う事が無い。仮に神様が存在したとしても、人間を助けてくれるはずがねぇ。
視線を逸らしたつもりはない。それでも、化け物の動きは速かった。瞬きをする間に、視界から消える。強烈な殺気を放っているんだ、移動した先は見当が付く。
俺達の背後だ!
動かない体を、強引に動かそうとする。だけど、動かない。ここで、動かなければ俺もペスカも死ぬ。フワッと風が流れる、化け物が前足を振り上げたのだろう。
駄目だ、駄目だ、ペスカを殺させる訳にはいかない。守るって決めたんだ、何が何でも守り抜くって決めたんだ!
絶対に殺させない!
奇跡ってのは起きる。それは思いがけず不意にだ。ようやく俺は呪縛みたいなもんから解放されて自由になる。そして、ペスカを庇う様にして抱きしめる。化け物の爪が振り下ろされるのがわかる。それは、俺の肩を抉った後に勢いよく地面に突き刺さる。
この時、俺が冷静だったのか、パニックに陥ってたのか、自分でも理解出来ていなかった。肩から大量の血が噴き出てるのがわかる。だけど、痛いとか何だとか、良く分からない。怖い、だけど生き残る為に戦わなきゃ。頭の中は堂々巡りで、体は強張ったまま。
そして、化け物が再び大きく前足を振り上げる。俺はペスカを抱き締める力を強める。鋭利な爪が背中を抉ろうとする。
俺は死を覚悟した。
☆☆☆
「――冬也、冬也。そろそろ起きなよ。ねぇ? 聞こえてる?」
「んぁ?」
不意に誰かに揺さぶられた気がして体を起こす。翔一が覗き込む様にしているのが見える。ゆっくりと周りを見渡すと、クラスメートが談笑しているのが見える。
「ここ……、何処だ?」
わかっている。ここは教室だ。でも、不意に口をついて出た。
「寝ぼけてんの? 授業はとっくに終わったよ」
「翔一? はぁ? だって今さっきまで……」
そう。おれはさっき殺されかけた。肩を抉られて血だって流れて――、あれ? は? どうなってる?
肩を触っても、怪我所どころか血なんて一滴も流れちゃいない。
「何か悪い夢でも見てた? ずっとうなされてたし。それに寝汗、酷いよ」
シャツが体に張り付いて気持ち悪い。これは寝汗を通り越してるだろ。何キロも全力で走った後みたいじゃねぇか。
流石にこの状況を見れば、今この瞬間が現実である事は理解出来る。それにしても、あの夢はリアル過ぎだ。翔一は俺が『うなされてた』って言ってたしな。そうだ、あれは全て夢だ。そうでなければ、あの化け物自体に説明がつかない。
「なぁ、翔一。俺はさっきまでぺスカといたんだ」
「夢の中ででしょ?」
「それで、変な怪物に殺されそうになってた」
「まぁ夢だしね、そんな事も有るよ」
「リアル過ぎだ」
「だから、そんなに寝汗をかいてたのか。なんなら、夢占いでもしてみる?」
「止めとく。予知夢とか言われたら嫌だしよ」
夢だって事を確かめたくて翔一に聞いたけど、やっぱり俺は寝てたんだ。でも、あの恐怖や痛みは、実際に有った事の様に思えてならない。
少しの間、俺は考え込んでいたんだと思う。それだけ、ショックな光景だったから。それをわかってか、翔一は話題を変えようとした。
「そう言えばさ。ぺスカちゃんとの旅行って、今日の放課後に出発するんだよね」
「あぁ。ぺスカの身内ってのに会いにな」
「また、そんな他人行儀な。冬也にとっては義理の母親だろ?」
「義理の母親? 馬鹿言ってんじゃねぇよ! 俺にとっちゃあ赤の他人だし、大事な娘を何年も放りっぱなしの野郎に、母親の資格なんてありゃしねぇんだよ!」
「女性だから野郎じゃないよ」
「んなこたぁ、どうでもいいんだよ!」
ちょっと頭にきたけど、それほど怒ってる訳じゃない。少し声がデカくなったのは許して欲しい。ただ、確実に空気は重くなった。翔一は少し困った風な顔で頭を掻いている。多分、良い話題がないか頑張って探しているのだろう。相変わらず良いやつだ。でも、大丈夫だ。別にお前が心配してくれてるのは良く分かってる。黙って傍に居てくれるだけで充分だ。
そんな事を考えてた時だ。ガタンと教室の扉が勢い良く開く。クラスメイト達は一斉に、教室の入口を見る。そりゃ仕方ない、入口に立っていたのは『光輝く様な金髪に端正な顔立ちに加えて、宝石の様に美しい透き通った青い瞳の美しい美少女』だったんだから。
ペスカ――、何しに来た? もしかして、迎えに来た? いや待て、もう放課後か?
少しボケッとしている内に、ペスカはつかつかと歩いて俺の席までやって来る。そして、ポンッと俺の肩を叩いた。
「ねぇお兄ちゃん。もう帰る時間だよ」
「やあ、ペスカちゃん」
「おっす、翔一君。相変わらず、お兄ちゃんラブかね?」
「何言ってんのペスカちゃん! どっからそんな話になるのさ!」
「否定する所が益々怪しいね。だが、冬也はやらん!」
「うるせぇ、ペスカ! どこの頑固おやじだよ!」
「あはは。いいツッコミだね、お兄ちゃん」
「所で、二人はもう出かけるの?」
「そっか、そんな時間か」
「所でさ。二人共、旅行の準備は?」
「昨日の夜中に俺が終わらせた」
「あぁ、だから授業中に居眠りを……」
「おぉ? 翔一君ってば、やけにお兄ちゃんを庇うじゃないか」
「いや、だってお前さ。何にもしてねぇじゃん」
「してなくないよ! 私は一番大事な準備をしたんだもん。すっごく疲れたんだもん」
「はぁ、わかったよ。取り合えず帰るか。悪いな翔一」
俺は翔一に向かって軽く片手を上げる。それから席を立った。ペスカは直ぐに俺の腕にしがみつき、早く帰ろうとばかりに引っ張った。
「じゃあな、翔一」
「うん。気を付けて」
「土産は……。えっと、目的地がよくわからねから、適当に買ってくる」
「はぁ、冬也らしいね。期待しないで待ってるよ」
そうして冬也は翔一に手を振り教室を出ていく。その間も、ぺスカはクラスの連中から注目を集めていた。
「相変わらずモテるよな」
「誰? お兄ちゃんが?」
「俺な訳ねぇだろ、お前だよぺスカ」
「ふふっ。実はお兄ちゃんって、自分が人気有るのを知らないんでしょ?」
「ばかっ、俺の場合は厄介事を押し付けられてるだけだって」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
「まぁ、友達は多い方が良いよね」
「お前はモテる割に友達が少ないからな」
「お~、言うじゃない。喧嘩か? 買ってやるぞ!」
「おいっ、ちょっと止め、止めろ」
痛い所を突かれてムッとしたのか、ぺスカは俺の脇をくすぐり始める。兄妹じゃなければカップルのいちゃつき見えるだろうな。
実際の所、ペスカはアイドルでも見るかの様に、遠巻きに眺められている事の方が多い。俺はと言えば、男女問わず多くの友人から相談を受ける事が多い。大体の場合は悩み相談とかよりも、面倒事に近いんだけどな。だから、ペスカの言う『モテる』云々は縁遠いんだ。
☆☆☆
廊下を並んで歩いていると、みんながギョッとした目で見る。俺の身長は百八十を遥かに超えてる。比べてペスカは女子の中でも小さい方で、百五十をちょっと超える程度だ。それだけの身長差が有るんだ、確かにギャップを感じるだろう。
少なくとも初対面の女の人は、俺を見たら怯えるからな。自分では目つきが悪いと思わないし、顔に深い傷が有る訳でも無い。髪は短くしてるし、清潔感っていうのも心掛けてるつもりだ。
翔一が言うには、俺には威圧感が有るんだとよ。タッパのせいか? 筋肉のせいか? そりゃあ、いつも鍛えてるしな。別にアニメ映画の野獣の様に、プロレスラーみたいな体格じゃ無いし、毛むくじゃらでも無いけどな。それでも、並んで歩けば『美女と野獣』だろうよ。でも、流石に学校の連中位は慣れて欲しいと思う。
ただな、「本当に兄妹なの?」とか「兄妹にしては似てないね」とか言われるのには、少しウンザリしてる。そもそも血がつながってねぇんだ、似てる似てないもねぇだろ。
それなら「付き合ってるのと同じじゃないの?」って言われても、そういう事でもねぇだろ? 俺にとって、ペスカは『大切な妹』以外の何者でもねぇんだから。
「寂しい青春だな、ったく」
「なんかよくわかんない格闘技の練習ばっかりしているお兄ちゃんに言われたくないもん」
「今時は告白だって、呼び出したりしないんだろ?」
「そっ、通知一つでチョロンだよ。味気ないよね。ドキドキ感がないよね」
何気ない会話を続けながらも、ぺスカは周りに笑顔を振りまいている。それこそが、ぺスカを『学園のアイドル』と呼ばれる『らしさ』なのかもしれない。
校門を出ていつもの帰り道を歩く。周りの反応は校内と変わらない。ペスカは慣れているのか気にする素振りすらない。
ペスカが楽しそうにしていると、俺も楽しくなる。でも、今だけは少し違った。未だに夢の事が頭の中から離れない。時々、「お兄ちゃん、聞いてる?」とぺスカが言って来る。
多分、『不安』なんだろう。『予知夢』なんて有りえない、仮に夢が現実になる事が有ったとしても、『あんなとんでもない現実』が起こるはずがない。そう考えても、一抹の不安は拭い切れない。
自宅につけば直ぐに出発だ。いつまでも変な夢に囚われていては、せっかくの旅行が台無しになる。だが、どうにも頭の中からモヤモヤとした物が無くなってくれない。
ただ、嫌な予感というものは、当たって欲しくない時に限って当たるもんだ。
自宅に着くと、交代でシャワーを浴び私服に着替える。そして旅行用の鞄を肩に担ぎ、玄関へと向かう。
その途中、ぺスカが目を瞑って小声で何かを呟いている。もし、俺が「何しているんだ?」と聞いていれば良かったのかも知れない。でも、ペスカは小さい頃から不思議な行動をする事が多い。だから、いつもの事とそれを軽く流してしまった。
玄関に辿り着くと、ぺスカはゆっくりと目を開ける。そして、俺はドアノブをガチャリと回す。その瞬間、ぺスカがニヤっと笑った気がした。
扉を開けると光に包まれ、俺とペスカを吸い込んでいく。光が消えると、そこは見知らぬ森の中だった。
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