四話 催眠魔法の信用度《後》
ワズンたちが現場へと駆けつけたとき、すでに舞台は瓦礫の山と化していた。
事前に魔法協会から知らされた情報では魔石の加工工場だと聞いていたが、建屋はすでに半壊しており、方々から煙が上がっていた。
瓦礫にまじり、人だった者たちの欠片がその姿を見せていた。原型を残している建屋の外壁や、地面の一部に赤褐色の飛沫がこびりついており、それが現場の惨状を物語っていた。
もくもくと立ち込める粉塵と火の手に、ワズンとレオナはその口元を腕で覆い隠しながら。
「ひどい……」
レオナは不快そうに眉根をしかめつつ、一歩前に出た。
「レオナ。ここに来るまでに簡易的な強化はかけたが、油断はするな」
「うん。ワンはイビルに見つからないように逃げ遅れた人を探して!」
「あぁ、わかった!」
ワズンはレオナの離れて、瓦礫の影を移動する。
ワズンにとって魔法少女以外の者が何人死んだところで気にも留めない。
しかし、彼女たちと円満な関係で居続けるために、違和感をもたれかねない行動は控えなければならなかった。
ワズンはレオナからぎりぎり見える距離間を保って移動する。
すぐにレオナがイビルの戦闘員と会敵し、激しい戦闘になるのが遠巻きに見えた。
次々と相手を無力化していくレオナに、ワズンは興奮を隠しきれない。
――現場は特等席だ!
レオナが魔法を捌き、魔法を放ち、ときには接近戦でイビルの戦闘員を打倒していく。
推しの活躍は見ていて爽快ですらあった。
その相手が生家の率いる組織の構成員だとしても。
その後もレオナは、その足を前に前にと進めていく。
それを距離感を保って追うワズン。
激しさの増す戦闘。
それはまるで自分のためだけの刺激的な独演会。
やがて戦闘が止まる。
魔法が生み出す光も、破壊音も止まった。
それらの代わりに一人の若い男の声が廃墟の中に響いた。
レオナの視線の先、瓦礫の山の上にはいつの間にか一人の男の姿があった。
癖のないさらさらとした黄髪に、同色の瞳。小柄な体格も相まって、一見すると儚げな優男。
しかし、彼がただの優男ではないことは顔から下が物語っていた。
引き締まった体つき。肩や首の筋肉だけでもその体が鍛えられていることがよくわかった。
男はレオナを見下ろすと。
『これはこれは……誰かと思えば、魔法少女さまじゃないかッ!』
『ガンマ……!』
レオナはキッと男をにらめつける。
『俺の名前を知っているのか? それは光栄だ……俺はお前の名前なんて知らないけどな!』
すぐに二人の戦いが始まった。
それはそれまでの戦闘が嘘のような激しさで。
再び断続的な魔法の光が、薄暗い室内を照らし出す。
一瞬の油断も許されない緊縛した命と誇りの奪い合い。
それを見つめるワズンの手にもじんわりと汗が浮かんでいた。
興奮のあまり、ワズンは無意識にじりじりと二人の戦闘区域に足を進む。
「思ったよりはやるようだな……。だが、足りない。まだその程度か? ――ならここで俺が躾けてやるよぉォォッ!」
人間離れした俊敏さと予測不能な動きで、ガンマは瞬く間にレオナへと肉薄すると、そこからはレオナは防戦一方となる。
「くっ……!?」
「強化魔法で身体を強化して打撃を防ぐ。魔法使いの格闘戦の定石だよな」
魔法で強化されたされた体は、素手で石を容易く砕くほどの膂力をもたらす。
翻ってその体は、棍棒で殴られてもびくりともしない防御力をもたらす。
その防御力の前には、人の素手の攻撃など、それが顔に当てられても痛くも痒くもない――ハズであった。
「うっ……」
しかし、実際はその打撃がレオナの体へと触れるたびに、小さな呻き声が漏れる。
「だが、それも俺の古代戦闘術の前では無意味。お前のような魔力便りの魔法使いなんて目じゃないんだよおオオオ!!」
古代戦闘術とは、魔法に頼らない古代の戦闘術。
魔法戦闘術の台頭とともに表舞台から姿を消して久しいが、一部で脈絡とその技術は受け継がれてきた。
ガンマは物心ついたときから古代戦闘術に親しみ、若年にしてすでにその道の一流の道を歩いていた。
手加減をして、力を抑えて勝てる相手では決してない。
レオナにもそれはわかるはず。いま力を交えているレオナだからこそわかるはず。
ガンマの連撃の前に、ついにレオナは膝をつく。
ガンマが手刀を振りかざした。
「――あばよ」
――推しが、やられる……? 冗談じゃないッ!!
ワズンはわけもわからずただ物陰から飛び出すと、
「やめろッ!!」
ガンマへと駆け寄ると、その拳を振りかざした。
しかし、振り下ろした拳は半身となったガンマに躱される。
それにとどまらず、逆にその崩した体勢を利用される形で、ワズンの体は宙を舞い、背中からしたたかに地面へと打ち付けられた。
かはっ、と声にならない声がワズンの口から漏れた。
ガンマは余裕の表情を浮かべ、その足元で喘ぐワズンを見下す。
「……なんだお前?」
ワズンは吐き出させられた呼吸を取り戻すことに必死で、その目さえもまともに開くことができなかった。
「白馬の王子様気取りのザコか。ザコの魔法少女にはうってつけだな」
冷笑するガンマは、ワズンの胸の上に足をのせると、覗き込むようにその身をかがめた。
それを見たレオナは震える足を叱咤して立ち上がろうともがく。
「あ、あんたの相手はあたしよ……。あ、あたしが相手になる」
「んー、い や だ。先にこいつを殺ろう。それから、絶望に染まったお前を躾ける」
「や、やめて……」
レオナはその顔に初めて恐怖の色が宿す。
それを見てガンマは満足そうに笑った。
「やめない――ん?」
しかし、ガンマは何かに気が付いたようにその顔から笑みを消すと、いっそうその上半身を折り、鼻と鼻がくっつきそうなほどにワズンとの距離を縮めた。
「お前……よく見ると、あれ?」
この頃には視界を取り戻しつつあったワズンは、涙で滲む視界の中でガンマを力強く睨めつけ、言葉を吐かずにただ口だけを動かす。
ダ マ レ。
ワズンの声なき言葉に、ガンマは金縛りにあったかのように目を開いて硬直する。
レオナの咆哮が止まった空気を切り裂いた。
「――させないんだからぁぁあああ!!」
ワズンの胸に片足を置いた姿勢で固まっていたガンマに、レオナの放った魔法の光が直撃する。
魔法により大きく吹き飛ばされたガンマは、そのまま壁に背中を強く打ちつける。
「ぐ、ぐぅぅぅううう、ザコの分際でぇ……!!」
しかし、なおもその二本の足でしっかりと立ってみせる。
さらには再び、二人の元へと戻るために踏み出したガンマであったが、
『おいッ! こっちだッ!』
ワズンたちが元来た方角から、複数の男たちの声と足音。
どうやら魔法協会の手配した冒険者たちが到着した様子であった。
一瞬だけ逡巡した様子を見せたガンマであったが、
「……ちっ、ここまでか。今日のところは見逃してやろう」
その握っていた拳を解いた。
「あたしたちが見逃すとでもッ!」
「吠えるなよ。お前こそ限界のはずだ」
ガンマはレオナを憎々しげに睨みつけると、くるりとその背を向けた。
レオナがそれを見て、追いかけようと一歩踏み出すが、
「レオナ、深追いはよせ」
「くっ……」
ワズンがレオナの手首を掴んでそれを制止した。
ガンマの肩を持つつもりは毛頭ないが、今のレオナでは追撃しても戦果は望めないだろう。
視線の先のガンマはまだ余力を感じさせているのに対し、レオナはワズンの目から見てもかなり疲弊していた。
「レオナ、とか言ったな。お前の顔は覚えた。次こそは躾けてやる」
ガンマはその言葉を残し、その場から飛び上がった。
三次元的な跳躍で、あっという間に二人の前からガンマは立ち去った。
その背中が見えなくなると、ワズンは胸をなでおろした。
「……行ったか」
レオナが肩を落とす。
「逃しちゃった……」
またしてもガンマを捕まえられなかったことに罪悪感を感じている様子であった。
レオナは知らないことだが、そもそも上級冒険者相当の実力者であるガンマと一対一で対峙して、引き分けに持ち込んでいること自体が快挙である。
ワズンは、ガンマが内心でかなり悔しがっていることが容易に想像ができた。
ガンマの視点で結果を見れば、与えられた任務は果たせず、またレオナを一対一の接近戦というガンマの土俵で倒しきれなかった。
実力に比例して、自尊心も高いガンマだ。
最後にレオナの名前を覚えたことからも、どれほど悔しさを滲ませているのか。
レオナは彼女自身を誇るべきだ、ワズンはそう思った。
責任感をもつことは素晴らしいことだ。
しかし、強すぎる責任感は、取り組んだ物事において成し遂げられなかったことばかりに目が向けてしまう。
それでは、人の心はつぶれてしまう。
誰かがその心をそっと支えてやらなければならない。
そうではないんよ、と。成し遂げたこともあるんだよ、と。
そして、それこそが相棒の役目だろう。
ここまで思い至り。ワズンの中の魔法少女の相棒像が不意に固まった。
――そうか。強化だけでは足りない。魔法少女の心も支える。それが俺の役目だ。
ワズンはレオナの肩を借りて、元来た道を引き返す。
「零したものばかり数えるな。たまには立ち止まって後ろを振り返ることも必要だ。ほら」
二人が半壊した工場から外に出ると、そこには――
「ありがと――!!」「助かった――!!」
「よくやった――!!」「大好き――!!」
一部始終を見ていたガンマの襲撃に巻き込まれた人々。
皆が手を叩き、笑みを浮かべ、レオナに対して賛辞とねぎらいの言葉を叫んでいた。
その言葉には思いの丈だけ熱があった。
「あたし、助けられたんだ……」
「あぁ、胸を張れレオナ。お前は最高の魔法少女だ」
レオナの目が大きく見開く。
その碧眼が潤んでいるのはなんの涙だろうか。
レオナは袖でそれをぬぐうと、歓声を送り続ける群衆へと大きく手を振り返した。
§
ガンマの撃退報告へ訪れた魔法協会。
職員への報告を済ませたレオナとワズンは、控え室へと立ち寄っていた。
窓から見える外の景色は夜を迎えたばかり。まだ空の青さのわかる空模様だ。
報告を終えたワズンは、レオナと長椅子へ横並びに並んで座っていた。
肩と肩が触れ合いそうな距離にワズンはどぎまぎする。
せっかくのレオナと二人っきりの機会、何を話そうかと思考を回転させていたときであった。
レオナが唐突に口を開いたのは。
「あたしでよかったの?」
「なんだ藪から棒に?」
脈絡のない問いかけにワズンの目が点となる。
それから遅れて、レオナが何を言っているのか素早く考えてみるが、見当もつかなかった。
ワズンのその様子から何かを察したのかレオナが言葉を補足する。
「いや、ほかの魔法少女のほうが良かったのかな、って……」
それでワズンは合点がいった。
レオナが何を言っているのか、何を聞きたいのかを。
「知ってる? エータがあなたに興味を持っているみたいよ。あの子が男の人に関心を見せるのなんて初めて見たかもしれない」
レオナ以外の魔法少女にも関心を寄せられていると聞いて、舞い上がるワズンの心。
ー―これがモテ期というやつか?
思わず上擦った声が出る。
「そ、そうか?」
心の中のワズンが小躍りし始める。
するとすぐにどこからか、
『いいえ、それは勘違いというやつです』
聞きなれたメイドの声音をした鋭い言葉の刃が、舞い上がった心を刈り取った。
思わずシュンした声が出る。
「そ、そうか……」
一人百面相を始めたワズンの頬に柔らかい感触が突き刺さった。
それはレオナの細く嫌いな人差し指。
唐突な肉体的な接触にどぎまぎして固まるワズンに、
「――よろしくね、相棒」
「ん? お、おい。それって――」
慌てふためくワズンに対して、レオナは花が咲いたような満面の笑みを浮かべて見せるのであった。
●古代戦闘術に関するこぼれ話
古代戦闘術とは、要するに魔法に依存しない武術全般。
魔法戦闘術との違いは、早い話が戦闘において魔法を主体的に使うかどうか。