三話 催眠魔法の就職活動《前》
ワズンは賑わう街の通りを歩いていた。
その傍には、一歩引いて歩くミュウの姿もある。
魔法協会へと向かう途中であった。
頭上に輝く陽の光。時刻は昼どきを迎えていた。
町の中心部ということもあり、飯処はどこも繁盛している様子で、通りまで食欲を誘う香りが漂っていた。
「選考の手応えはいかがでしたか?」
「あんなもの朝飯前だ」
ワズンはあくびをかきながら、先日行われていた選考を振り返る。
選考は技能試験と面接試験であった。
技能試験は魔法職員の面接官の前で、技能の説明および実演。
そこから評価されたものが面接試験へと進み、質疑応答を通じて今回の募集への適性を図られる。
面接のために用意された個室で、面接官と向かい合うワズンは、
『俺より魔法少女の隣へ立つのにふさわしいものはいない』
『……あなたより魔法少女の隣へ立つのにふさわしいものはいない』
面接官を務めた職員への催眠魔法。
虚ろな目をした面接官の言葉。これがそのままワズンの受けた試験の答えであった。
これを技能試験と面接試験で二度繰り返すだけ。
「やはり交渉事ではご主人様の催眠魔法は無敵ですね」
「俺の前では交渉はなく、ただ干渉があるだけだ」
相棒制度への受験にともない、ワズンは引っ越しもすでに済ませていた。
すでに二人が住む場所は、これまでのようにイビルの秘密基地ではない。
先日のワズンの宣言通り、ワズンはイビルから家出を果たしていた。
ワズンの新たな住居は、町の中心部に位置する一画。
とある長屋の一室に住む単身世帯の男に催眠魔法をかけて、家から追い出し、占領していた。
『お前はこの家からどうしても引っ越したくなる』
『……私はこの家からどうしても引っ越したくなる』
それから数日と待たずして、夜逃げするように姿をくらました男。
首をかしげる大家の元へ、ワズンはミュウを送り、契約をまとめさせた。
元の男がどうなったのか。どこに行ったのか。
それはワズンにはどうでもいいことであった。
当初こそいぶかしんでいて大家であったが、ミュウの用意した相場の倍以上の礼金にもろ手を挙げてワズンたちを受け入れた。
「それにしても、ここまでする必要があったのでしょうか?」
それは魔法少女に催眠魔法をかけていたことを考慮しての発言であろう。
一定の条件下では無類の強さを発揮する催眠魔法。しかし、市街戦、乱戦などにはめっぽう弱い。
裏方でこそ真価を発揮する力なのだ。
それがいま秘密基地を離れて、表を歩いている。
あまつさえ、敵対勢力である魔法協会へ潜入しようというのだ。
表情こそ崩さないが、ミュウはワズンの決断に懐疑的な様子。
表舞台に、イビルの活動に否定的なワズンは戦場に赴くことは少ない。組織の活動に携わることもない。
そんなワズンでも、魔法協会にその存在が知られれば、よくて投獄。場合によって縛り首である。
それほどの価値がワズンにはあった。
「確かにこれまでも、隙を見て魔法少女たちには催眠魔法をかけてきた」
潜在意識に働きかけることによる治癒の促進。認識の誤認。
しかし、どれも暗示の領域をでない。
「――だが、それでは不十分だ。強化はこれまでの暗示とくらべて複雑だ。それに対象の心理状況も効果に影響する」
対象に働きかける魔法は催眠魔法に限らず、対象に抵抗されると効果が発揮しづらい。
通常であれば、対象者を支援する魔法である強化に抵抗する者はいない。しかし、ワズンと魔法少女の関係はその通常に当てはまらない。
なにせ、ワズンは敵対組織の人間である。
その人物が個人的に魔法少女を強化するなんていうのは、あまりにも胡散臭すぎる話である。逆の立場であれば、ワズンだって信じないだろう。
「かといって俺がノコノコとイビルを倒すのを手伝いにきた、なんて言っても魔法刑務所へとぶちこまれるのがオチだ」
魔法協会は士気高揚や民意を得るために、ワズンを公開処刑にすることだって考えられる。
「それは間違いありませんね」
ミュウはその眼を軽く伏せた。
「さてさて、誰が俺の相棒となるのやら」
これから会う魔法少女が、ワズンの相棒となる存在。
魔法少女と肩を並べる緊張感と高揚感に胸が躍る。
「仲良くできる自信のほどはおありですか?」
「……こればっかりはわからないな」
催眠魔法を使えばわけはないが、ワズンは魔法少女の意思を捻じ曲げるつもりはなかった。
「ご主人様は女性におモテにはなりませんものね」
「お前は婉曲表現ってものを知らないのか?」
しかし、否定できないのが辛いところである。
無駄口を叩き合っていると、二人は魔法協会の前までたどり着いた。
一等地の一等区画に居を構えた魔法協会支部は、周囲の建造物より群を抜いて大きい。
威厳すら感じられるそのたたずまい。建屋がそのまま魔法協会の権威を象徴していた。
その正面に備え付けられた自動開閉扉は、施設の利用者たちで開閉を繰り返している。
「まぁいい。付き添いはここまででいい」
「承知しました」
ミュウに別れを告げ、ワズンもまた扉へと足を進める。
シュッという子気味の良い音と共に開かれた扉に、足を止めることなく内部へとその身を躍らせる。
魔法協会の内部は、昼時の飯処に負けないくらいの喧騒に包まれていた。
一階の共有空間では、昼前から魔法協会の共有空間で酒を浴びる荒くれ者たち。
扉から受付けまで歩くだけで、鼻の奥に酒の匂いがこびりつく。
ワズンは鼻にしわが寄りそうになるのをこらえながら、その奥にある受付へとその足を向けた。
カウンターを挟んで受付と向かい合ったワズンは、
「相棒制度の選考を突破したを来たワンだ。これがその証明書」
選考突破の用紙を受付の手元へと滑らせた。
受付の職員はワズンの差し出した用紙を受け取ると、
「承知しました。内容を確認いたしますので。あちらの共有空間で少々お待ちください」
ワズンは受付を離れ、共有空間へと足を運ぶと、手ごろにあった空席へと腰を落とした。
手持ち無沙汰なワズンはぼんやりと周囲を見渡すと、昼間にもかかわらずたくさんの冒険者たちでにぎあう空間が目に飛び込む。その視界の中で、冒険者たちは食事や酒を片手に、それぞれの話に花を咲かせていた。
ぼんやりと視線を動かし、周囲の話に漫然と耳を傾けていたワズンに聞こえてきた会話。
『――魔法少女ってどう思う?』
『最近、負けてばっかりじゃないか?』
『あぁ。あんな嬢ちゃんより俺のほうが強いぜ』
『あれで中級冒険者の代表面はいい迷惑だよ。おかげで俺たちまで雑魚だと思われるだろ』
『じゃあ、お前がイビルと戦うか?』
『あんな依頼料じゃ割に合わねーよ』
魔法少女たちを嘲る言葉。
酒が入っているのかその声は大きく、喧騒を割ってワズンの耳へと飛び込んできた。
その後も、魔法少女に対する揶揄や性的な発言は過激さを増していく。
『ははは、違いねぇ! 魔法少女なんてのはしょせんはおつむの弱い馬鹿な小娘たちの集まりだからな!』
『ああよ。イビルと一戦やる前に俺と夜の一戦やってくれねーかな。そうすりゃあ立場ってものをわからせられるんだが!』
共有空間全体で指笛や歓声が上がる。
この場に居合わせたものの多くは、似たような意見を持ち合わせているようだ。
ワズンは睨めつけるように冒険者たちを見渡すと、無関心を装いながら机の陰で両の拳を握りしめた。
音が聞こえそうなほどワズンがその奥歯をかみしめていたとき、眼鏡をかけた女職員が歩み寄ってきた。
「お待たせしました。それではワンさん。担当の魔法少女の元へと案内します」
迎えに来た女職員に連れられ、ワズンはその場を後にした。
喧騒でうるさい共有空間から離れ、建物の奥へ奥へと進んでいく。
やがて階段に差し掛かるとこれを上る。この頃には喧騒も遠くかすかに聞こえる程度になっていた。
「この先です。これから足を運ぶこともあるかと思いますので、部屋の場所は覚えておいてください」
女職員の言葉にワズンはただ頷きを返した。
ある部屋の前で立ち止まった職員は、部屋の扉を叩き、入室の許可をうかがう。
すぐにそれに肯定の返事が扉の中から返ってきた。
扉を開けた先、女職員に続き入室した先でワズンを待っていた人物は、天女と見まがう美少女であった。
絹のような美しい金髪をツーサイドアップ。宝石のような碧色に済んだ瞳。
数々の戦場を潜り抜けてきたはずなのに、染み一つない透き通るように綺麗な肌。
全体的に華奢な体つきであるが、胸部を押し上げる双丘は服の上からでもわかるほどであった。
「彼女がワンさんの相棒候補のレオナさんです。レオナさん、こちらはワンさんです」
思わずレオナに見惚れていたワズンであったが、レオナが長椅子に腰かけたままぺこりとその頭を下げたので、慌ててその頭を下げ返す。
さすがに魔法装束ではなかったが、魔法少女との対面に、
――かわええぇぇ……!
小躍りしそうなほど嬉しかった。
以前に何度か対面していたものの、それはイビルのワズンとしてであり、ここまで近くで彼女を見る機会はそうそうなかった。
なぜだか少々睨みつけられている気がしないでもないが、それすらも魔法少女の視線を独り占めしている気がして、気持ちがよかった。
レオナの隣へと腰かけた女職員は、
「あの……ワンさん?」
魔法少女との対面に感無量で固まるワズンを訝しんでいた。
ワズンはそれに気が付くと取り繕うように、レオナと職員の対面の席へと腰を落とした。
女職員は一瞬だけ怪訝な顔を浮かべたものの、何事もなかったかのように話を始めた。
「ワンさんの特技は常時発動型の支援魔法と伺っています。ご自身の口から魔法についてご説明お願いできますでしょうか?」
「あぁ、問題ない。俺の魔法は精神魔法だ。人は本来もっている力を温存して生きている。しかし、それは本人の意思では開放することが難しい力だ。火事場の馬鹿力、というだろう? 簡単に言うと、俺の魔法はその眠っていた力を呼び覚ますことができる」
「それは凄まじいですね。人は普段は二割から三割ほどの力で生きているという話が有名ですが、それを任意で取り払えるというのなら非常に強力な武器になりますね」
顎に手を当てて、首肯する女職員。
しかし、催眠魔法の効能はその程度では終わらない。
「それだけじゃない。高名なアスリートたちが、境地に入る、というような表現をするのを耳にしたことはないか?」
「ボールが止まって見える、とかでしょうか?」
女職員の言葉にワズンは頷きを返すと、
「そうだ。才能をもつものが集中力を極めたときに発するという無我の境地」
ここまで言うと女職員は目を見開き、
「まさか……!?」
「俺はその通行権をもっている」
――そして、その権利は他者に与えることもできる。
その言外の意味もくみ取ったであろう女職員は、
「そ、それが本当だとしたら前評判通り、いやそれ以上の力ですね……」
ゴクリと唾をのんだ。
ここまで完璧な自己紹介ではなかっただろうか。
目の前の職員も催眠魔法をかけずとも、ワズンの力に強く関心を抱いている様子だった。
女職員が興奮気味にレオナへと話を振る。
「どうですか、レオナさん、彼の力は?」
ワズンが入室して以来、レオナは沈黙を貫いていた。
その声が聴きたい。その声を向けられたい。
あわよくば褒められたい、と心躍らせるワズンであったが――
「あたしに相棒なんていらないからッ!」
――前途多難がすでに約束されているのであった。
●魔法協会の職員に関するこぼれ話
魔法職員の職員は大陸では公務員のような存在です。安定で堅実なお仕事。
女性受けも抜群、合コンの花形です。そのため、文系男子の一番人気のお仕事。ただし、その分だけ正規採用は狭き門になっています。