二話 催眠魔法の活かし方《前》
『悪の秘密結社イビルがまたしても――』
『魔法協会は悪の秘密結社イビルに対する注意喚起を――』
『物を奪い、人を傷つけ、町に破壊をもたらす悪の秘密結社イビルの存在は――』
暗闇の中、モニターの明かりだけがモニターの前に座るワズンの顔を照らし出していた。
指を軽く動かすだけで切り替わる映像。しかし、切り替えた先の映像もイビルに対する悪評ばかり。
映像の中の話し手が、聞き手が変わっても変わらず、うんざりするほど繰り返し聞こえてくる名前。
『悪の――』
『――秘密結社――』
『――イビル』
何度も、何度も何度も指を動かすたびに変わる映像。変わらない内容。
小刻みに左右に振れていてたワズンの指が止まった。
―― 本当に迷惑です ――
部屋の扉が開いたかと思うと、一人の入室者の足音。
小さいため息のあと、仄暗く緑に光る室内の間接照明が灯り出す。
「また暗闇でモニターを見られて……。ただでさえ辛気臭くて陰気臭くて陰茎臭いのですから、せめて光をお浴びになられないと……」
真顔で失礼な発言を主人に対して、臆さず口走るミュウ。
表情の起伏がない彼女の顔は、顔立ちが整っていることもあって見る者に怜悧な印象を与える。
「おまえ、本当に俺のメイドか? 学生時代に口の悪い奴らでもそんなこといわなかったぞ」
「それはご主人様にお友達がいなかったらからでは?」
べ、別に友達くらいいたし……、ともごもごとした声がワズンの口から漏れた。
「何を見ていらっしゃるのかと思えばニュースですか? 魔法協会の下部組織である魔法放送局の報道なんですから、ご主人様にとっては耳障りが悪くありませんか?」
魔法鉱石――通称、魔石――の中でも、特殊な魔石に専門の魔法使いが加工を施すことで実現した、物理的制約を無視した意思疎通を可能にした通信魔具。
その通信魔具を用いて、魔法放送局は視聴者に世情や世論を伝えていた。
魔法協会の大々的に敵対して、物的にも、人的にも被害を与え続ける悪の秘密結社イビルは、彼らにとっては目の上のコブ。イビルにとっても彼らの存在はコブ。つまり、相容れない存在。魔法協会は放送局を通じて、度々イビルの非難を行っていた。
「……まぁな。でもそれが世間の声だ」
「大衆なんてものはいつの時代も愚者の塊ですよ。いつも権力者たちの掌の上で転がされて、与えられた情報をさも世界の真理のように扱い、世間を賢らに見る彼らは哀れな道化」
ワズンの黒の瞳とはまた違った光のないミュウの黒の瞳。
どこか突き放すように淡々とした口調で彼女はそう語った。
「世界が道化で成り立っているのであれば、世界はもっと優しくてもいいはずなのにな」
「所詮は演目に踊らされている衆愚に過ぎません」
ワズンが再度指を動かすと、モニターに浮かび上がっていた映像が消える。
「そうだろうか? だが、道化ってのは人を笑顔にする者だろ?」
フッ、と腰かけて椅子の上でニヒルに笑って見せるワズンであったが、
「……これだから童貞は」
「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!」
キメ顔で言ってのけたワズンに対して、帰ってきたのは辛辣な言葉であった。
そして、追い打ちをかけるような冷たい眼差し。
「なんですかその似非方言は? 私はご主人様の物心つくころからお世話しておりますが、ご家族さま以外で女性の影など見たこともありませんが?」
「そ、それはほら……。で、でも魔法学校ではそれは人気者だったんだからな」
しどろもどろになるワズンに、
「確かに人気者でしたね。放課後によく泥団子を投げられていましたもんね」
「あれは、その……動体視力の特訓だったから」
「なるほど、特訓と。それは素晴らしい心掛けです」
ふぅ、と小さく息を吐いたワズンの額には薄っすらと汗が浮かんでいた。
しかし、ミュウの追撃はまだ終わっていなかった。
「女子生徒から話しかけられるときに、目を合わせなかったのは?」
「ひ、東の森に住まう石化の魔眼をもつ一族との、せ、戦闘を想定して……」
瞳を泳がせながら必死に答えるワズンに、
「授業中に教師から指名されたときに、毎回『あ、あ、あッ』と言って固まっていたのは?」
ミュウは追撃の手を緩めない。
表情こそ変わらないものの、どこか苦しんでいるワズンの反応に楽しんでいる節があった。
「あ、あれは……その……」
「”壊れた蓄音機”なんて言われていましたね。昼食時のお食事もずっと一人で食べていましたが、あれも何かの鍛錬で? お手洗いの個室に籠って私の作ったお弁当をお召し上がりになられていたこともありましたよね?」
座っていた椅子から素早く身を起こして、ミュウの顔を見つめると、口をパクパクと開閉させる。
しかし、何度か口を開いても言葉は出てこなかった。
「一枚壁を隔てているとは言え、用を足している者の隣でお食事なんて……。おもしろ――ゲフンゲフン、悲しすぎて涙がちょちょぎれるかと思いました」
「お、おまッ、なんでそれを……ッ!?」
懐からハンカチを取り出して、わざとらしく瞳を拭う素振りをみせたミュウであったが、
「あ、いやお待ちください……。お一人お友達がいましたね。校舎に迷い込んだ雌猫が――」
「わかったわかった! それまでだ! それ以上は聞きたくないッ!」
ミュウの話を遮るように顔の前で両手を振った。
それを見ていたミュウは一瞬黙り込んだのち、
「私をお使いになりますか?」
何に、とは明言しなかった。
しかし、話の脈略からワズンにもミュウが何を言わんとしていることはわかった。
発言の趣旨を理解した上で、
「お前を……? 俺が……? 勘弁してくれ……」
ものすごい嫌そうな顔を浮かべた。
「その発言は淑女に対して、紳士として失礼では?」
「それ以前に主人に対して、侍従として失礼では?」
光を吸い込む黒と、光を失った黒の瞳が薄暗い室内で見つめ合う。
そのまま無言で数秒の時が流れた。
「おや、本日は口がよくお滑りで」
「あぁ、誰かさんのおかげでな」
ワズンが口角を緩めると、二人の間に弛緩した空気が流れる。
「それはそうと頼んでいた件だが、どうだった?」
「先日の魔法少女との大規模な会戦の件ですね」
どこからかともなく取り出した書類にミュウは視線を落とす。
「あぁ、主だった戦闘員たちには既に催眠済み。上級戦闘員たちも戦場から遠ざけ、こちらの配置、戦力も魔法少女の陣営へと漏洩済み。魔法協会はこれを機に組織を一網打尽とする動きであったはずだ」
「仰る通りです。想定通り、当初の戦況は魔法少女たちが有利に進んでおりました。中級の幹部たちも複数人が撃破されており、一度の会戦で組織の被った被害としては組織結成以来で最高値を記録したかもしれません」
「だが、魔法少女は負けた」
「はい」
ワズンが念入りにお膳立てをしたこれ以上ないという組織壊滅図。
総帥である父上をあの手この手で戦場から遠ざけることにも成功した。
「ご兄弟姉妹がたが戦場に現れて戦況は一変しました」
ノックス家の上級幹部である兄弟姉妹。
それぞれがピーキーな能力の持ち主だが、それぞれある分野においては大陸でも有数の実力者。
卓抜した魔法技術を誇る妹、デルタ。
非魔法戦闘の鬼と呼ばれる弟、ガンマ。
魔法とは異なる呪詛の担い手の姉、ベータ。
そして、すべてを捻じ伏せる力の兄、アルファ。
組織図としては総帥の下に兄弟姉妹がおり、その下に組織幹部たちが名を連ねる。
ワズンと兄弟姉妹の直接的な接点はないに等しく、今回根回しするにあたって彼らの行動を制約することはできなかった。
直前まで悪の秘密結社イビルを追い込んでいた魔法少女と魔法協会所属の魔法使いたちだが、兄弟姉妹の登場で戦況は一変。
魔法協会勢力のほぼ敗北に近い形で終戦することになった。
「組織の被害で見ると、イビルの被害も相当なんだがな……。少なくない中級幹部が敗北、逮捕され、戦闘員たちも軒並みやられてしまった。組織において人的資源を消費することの被害は、紙面上の数字よりずっと大きい……はずなんだがなぁ」
「ご家族さまがそれを心配されるとお思いで?」
ミュウの言葉にワズンは眉根を寄せると、
「しないだろうなぁ……。奴らにとって家族以外は使い捨てのちり紙みたいなものだからなぁ」
「世の中から貧困と差別がなくならない限り、労働力に事欠きませんからね」
戦闘員たちにも階級はあれど、かれらのほとんどはならず者や被差別民族の出自を持つ者。早い話が社会不適合者。
組織に加わった彼らには一般の相場以上の給金が支払われ、衣食住といった面の福利厚生も充実している。組織の意に反しないかぎり、法を破ろうがお咎めはなし。中には組織に人手を斡旋する部族、組織も存在する。その替えはいくらでも湧いて出てくるのだ。
「組織はまるで悪の巣窟だな」
「彼らにも導く者が必要なのかもしれませんね」
ミュウの発言を鼻で笑うワズンは、
「悪の導師が? あいつらは社会のゴミだ。救いようがない」
「そうでしょうか。彼らにも彼らの事情があるかもしれませんよ?」
淡々としているミュウにしては珍しい光景。
冗談なのか本気なのかは、そのすましている表情からは判断がつかない。
「……何が言いたい?」
「いえ、これ以上は何も」
濁った黒色の瞳を探るように見つめるも、何も読み取ることができない。
根負けしたかのようにため息を吐いたワズンは、
「かくいう俺も、その中の悪の一人なんだろうがな」
自嘲するように笑った。
すると間髪入れずに、
「否定はできませんね」
うんうんと無表情で首肯するミュウ。
「……お前は否定しろ」
「嘘はつけない性分ですので……」
「やかましいッ」
どの口が言うんだどの口が、とジト目と共にワズンは愚痴をこぼす。
終始無表情の表情筋と打って変わって、その言動は自由にもほどがあった。
「冗談はさておいても、具体的に英雄とは? どうされるおつもりで?」
「そこが問題なんだ……。認めたくはないが、客観的に見ると、俺は悪の秘密結社の幹部であり、魔法少女に何度も煮え湯を飲ませてきた催眠魔法の使い手」
「寝物語では英雄に倒される中ボス、と言ったところでしょうか?」
否定をできないのがつらかった。よくて敵側にいる英雄のライバル的な存在。
その自覚はワズンにもあった。
「俺に何ができる……?」
椅子に深く身を預け、天井を見上げて吐き出した言葉。
天井の模様を眺めてみても、そこに答えはなかった。
●魔法放送局に関するこぼれ話
試聴に必要な魔具は、買い切りかつ、庶民にもお求め安い値段で販売されているため、ほとんどの国民が持っている。具体的には、家がない人でも一定数はその魔具は持っているぐらい。